第9話 静かな決意

 リアンのいる部屋。

 開いた窓からは心地よい風が入ってくる。

 

 カルミラはリアンの処置を終えると、念を押すように言った。


「あまり変なことは考えるな。あいつもおまえを守るために必死だったんだ。どうせすぐに帰ってくるさ」


 そう言ってカルミラは部屋から出ていった。




 リアンは静かな部屋でひとりになった。

 とたんに外から入ってくる風が冷たく感じる。


「テルア……」


 沈みがちな声でつぶやいた。

 なんであんなことを言ったのかと、後悔に襲われる。


 ――テルアに嫌われたかもしれない。


 よく考えれば、いつまでテルアがいっしょにいてくれるかもわからないのだ。

 みんなに嫌われている自分など、テルアにも嫌われて当然なのかもしれない。

 ここも、怪我が治ったら出ていかないと……。


 そうしたら、またひとり。


 こんなとき、いつもは絵本を読んでいた。

 つらいときに絵本を読めば気持ちが楽になる気がして、またがんばろうって……。


 でも、もうその絵本はない。

 これからは、このつらい気持ちとずっといっしょなのだろうか?


「やっぱりわたしなんか……」







 本のある部屋。

 

 テルアは自らが導き出した答えに呆然としていた。


「絵本の魔法が……原点とされる究極魔法の生みの親……?」


 たしかに、絵本の魔法は古いものばかりだったが、どれも高度なつくりだった。

 よくよく考えてみれば、絵本に書くようなレベルではない。


 リアンが命を狙われていたこと、絵本のこと、華色かしょくという単語、あの魔族の言動。

 テルアにも少しずつ状況がつかめてきた。

 だとしたら、自分にできることは何か――。

 しばらく、うつむいて考え込んでいたテルアだったが、


「いちおう、聞いてみるか……」


 そう声に出すと、ゆっくりと顔を上げ、部屋をあとにした。




「あっ」


 テルアが歩きながら考えていると、リアンのいる部屋の前でカルミラに会った。


「おう、帰ってきたか。さっさと仲直りしとけよ?」


 カルミラはそれだけ言うと、特に気にする様子もなく、台所に向かう。


「なあ、華色かしょくってなんなんだ?」


 テルアが呼び止めるように声をかけた。

 振り返ったカルミラは、小考したのち、テルアを見下ろしながら答える。


「詳しいことは、もうひとりのガキとまとめて話すが……六年前に滅ぼされた一族のことだ」


「滅ぼされた……」


 カルミラ言葉に、それしか出てこなかった。


「今でもその華色かしょくの生き残りを、探し回って殺そうとする連中がいんだよ」


「つまり……リアンがその華色かしょくってことか――」


「……そういうことだ。――ところで、おまえは家族いないのか?」


 少しトーンを落としたカルミラが聞いた。


「いねえけど……?」


「……そうか。まあ、さっさともう一匹のとこにいってやれ」


 それ以上は聞かず、カルミラはふたたび台所へ向かった。







 ガチャ、とドアを開ける。

 テルアがおそるおそるリアンのいる部屋に入った。


「あっ――テルア……」


「お、おう……」


 それだけ言うと、テルアは目線を逸らしながら、リアンがいるベッドのそばまで来た。


 気まずい空気が流れる。

 謝ろうとしていたのに、なかなかその言葉が出てこなかった。

 互いに目線を合わせようとせず、喋らない。


 外から聞こえてくる小鳥の鳴き声が耳につく。


 しばらく沈黙が続いたところで、ようやくテルアが切り出した。


「そ、その絵本、見せてもらっていいか……?」


「え――? ……うん、いいよ」


 リアンは、絵本が入っている布の袋をテルアに差し出した。


 テルアは袋から絵本を取り出すと、目を凝らしたり、角度を変えて眺めたりしていた。

 それから、指でちょんちょんとつついていると、小さな魔法陣が出た。


「あっ、そうなってるのか――」


 テルアが独り言のようにつぶやいた。


「なおせる……?」


 今にも泣きだしそうな顔をしたリアンが、祈るように聞く。


「なおす……のは無理だけど……」


 テルアは、んー、っと首をひねりながら考える。

 そして、何か思いついたように顔を上げた。


「……この絵本、俺に預けてもらえないか? ひょっとしたらなくなっちゃう可能性もあるけど……」


「いいよ!」


 少し自信なさげなテルアに、リアンは心よく返事をした。


「……いいのか? なくなるかもしれないんだぞ?」


「だいじょうぶ。だってテルアだもん!」


「リアン……」


 笑顔で言うリアンに、テルアは、ぐっと気持ちを奮い立たせた。


「じゃあ、預からせてもらうな。あ、あと――っと……」


 急に言い淀むテルアを見て、リアンが首を傾げる。


「えっと……明日、遊びにいこう……?」


 照れくさそうに言うテルアに、リアンは一瞬、何を言われたかわからなかった。

 が、理解した瞬間、ぱあっ、と笑みを広げて、


「うん――!! いく!!」


 テルアはその元気な声に、自らも笑顔になりそうなのをこらえながら言う。


「じゃあ、今日はゆっくり休んどけよ?」


「わかった!」


 それっぽい気遣ったセリフを吐き、テルアは部屋から出ていった。







 日が傾き始め、室内もやや暗くなりかけている。


 テルアはふたたび、本がある部屋で作業をしていた。

 魔法大辞典を開き、紙を何枚も散らかし、一心に書き続けている。


「よし……次は……」


 リアンから預かった絵本の残骸を取り出す。

 とんとん、と絵本をつついて魔法陣を出現させた。


「まあ……リアンのためだから……ちょっと見ることになるけど、かんべんな」


 そう言うとテルアは魔法陣に触れた。


 バチッ、と音がすると、


「――っ!?」


 ものすごい記憶の波が押し寄せ、思わず手を離してしまった。


「やっぱそうか……記憶を変換して……」


 それは、今までリアンが経験してきたつらい記憶。

 絵本がまだ形として残っているのは、この記憶をリアンから吸収し、動力源としていたからだった。


「でも……これで”花の魔力”が手に入る……!」


 テルアは右手に、絵本に出現したものと同じような魔法陣をつくった。


「ちょっとやばそうだけど……リアンのためだからな」


 そうつぶやき、絵本の魔法陣に、右手を重ねた。

 絵本の残骸から、リアンの記憶が流れ込んでくる。


「うっ……あいつ、こんな……」


 思わず顔を歪ませた。

 リアンのつらい記憶が胸をしめつけるように絡みついてくる。


 ――孤児院でひとりだけ隅っこで食べていたごはんの記憶。


 ――ほかの子供たちと一緒に遊びたくて何度も声をかけていたこと。


 ――夜、みんなが楽しそうに遊んでいるとき、ひとり物置で泣いていたこと。


 ――おまえは呪われた子だからだと、それが決められた運命だからだと、ずっと耐えて、耐えて、耐えて……。

 

 そして、家族の夕食を眺めていたあの日まで。




「そっか……それであんなに……」


 テルアはうつむいたまま、リアンと出会ってからのことを思い出していた。


「さみしいのもいっしょ、か……」


 そう言って苦笑すると、ぐっと拳を握りしめ、怒気を帯びた声で、


「だったら……呪いだとか、運命だとか、そんなもん全部ぶっ壊してやるよ――」

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