第7話 名前はむずかしい

「――? あれ……ここは……?」


 リアンは気づくと、真っ白な空間にいた。


 あたりを見回すが、どこまでも白が続くだけで、何もなかった。

 誰もいない、音もない、けれどなぜか安心できる――そんな場所だった。


「ゆめ……?」


 と、つぶやいたところで、後ろから声がした。


「リアン――」


 どこか懐かしい気がした、そのやさしい声のほうに振り返る。


 そこには桃色の髪をした女の人が座っていた。

 髪の長さは肩にかかる程度で、桃色の髪を分けるように、白い毛筋が入っている。

 しかし、顔は見えなかった。


 女の人の前には、淡緑色たんりょくしょくのゆりかごが置いてあった。

 そしてゆりかごの中には、見慣れた宝物である絵本と――


 しばらく、ぼーっ、と眺めていると、女の人は立ち上がり、ゆりかごを置いたまま歩き出した。


「おかあさん……? おかあさんなの……?」


 女の人は何も答えない。


「まって! ねえ! まって、おかあさん!!」


 走っているつもりが、まったく前に進めなかった。

 女の人はどんどん離れていく。


「おかあさん! おかあさああぁぁ――――ん!!」


 足がどんどん重たくなって、動かなくなっていった。


 白い世界がぐにゃぐにゃになっていく。


 手を伸ばすが届かない。


 声も出なくなっていく。


 視界も狭くなって――


 女の人はついに、振り向くことはなかった。







 小鳥のさえずりが聞こえていた。


 暗闇の中で意識がはっきりしてくると、木の匂いや、体に巻かれた布っぽいもの、いくつかの魔力を感じた。


 いつぶりなのだろうか、まぶたを少しずつ開ける。


 木目の天井。


 ここはどこだ? そう思考したところで、体の感覚も戻ってきた。


(俺は……何をして――)


 そう考えた瞬間、思い出した。


「リアン――!!」


 叫びながらテルアが飛び起きた。

 体には包帯が巻かれ、窓からは外の風が入ってきている。


「ようやく目が覚めたか?」


 そう聞いてきたのは、長い黒髪を後ろで束ねた――


「あっ、きょうか……かいだん!?」


「は……? おまえは何を言ってるんだ……? カルミラだ」


 カルミラが怪訝けげんな顔で改めた。

 落ち着いた様子で椅子に座って壁にもたれかかっている。


「……カルミラさ――あっ!! リアン!? リアンは――」


「落ち着け。――そこだ」


 慌てたテルアを制するように言うと、カルミラが、組んでいた腕をかるくほどき、親指を立ててリアンのほうをさした。


「よかった……あっ――あいつは!? こんまいめいき!!」


「……何でおまえはそっちで覚えようとするんだ……魔族のやつなら逃げたよ、もう大丈夫だ」


 それを聞いたテルアはようやく体の力を抜くと、あたりを見回した。


「えっと、どこ……?」


「ここはおまえらのいた町の、ずっと北のほうだ。あたりには結界を張ってある。しばらくはこっから出るな」


 それを聞いたテルアが急に真上を向いた。

 天井――ではなく、別の何かを見るように眺めて、


「――この結界、カルミラさんが……?」


 神妙な口調でたずねた。


 カルミラが何も答えないでいると、テルアが続けて聞く。


「……正気か?」


「……? わかったような口を聞くな――」


 一瞬、疑うように目を細めたカルミラは、そう言い放つと、


「まあ、おまえら二人とも、怪我はたいしたことはない。が、しばらくは安静にしてろ」


 そう告げ、飯をつくってくる、と言って部屋を出ていった。




 ひとりになり、少し落ち着きを取り戻したテルアは、リアンが眠っているベッドの横に座った。

 リアンは静かな寝息を立てている。


 あどけないリアンの顔を眺めていると、気を失う前のことを思い出してきた。


「そうだ……」


 ドンッ、と壁に拳をぶつけた。

 リアンの宝物を守ってやれなかった悔しさが、今になって込み上げてくる。

 自分の不注意と力のなさのせいで……。


「ああ――くそ!」


 テルアは、くしゃくしゃ、と頭をかきながら振ると、立ち上がり、部屋を出た。




 大きなリビングがひとつ。

 台所の向こうにカルミラの影も見えた。


 部屋は全部で五つか六つくらいあるようで、それなりに大きな家だった。

 ほぼ木造の家ながら、各所に魔法術式による補強や拡張がなされている。


 窓から外を眺めると、見晴らしがよく、草原や小川も見えた。

 しかし、人の気配はまったくない。どうやらかなり山の中らしい。


 一度カルミラのほうを見て、警戒されていないことを確認し、部屋のひとつに入ってみた。




「本……か」


 そこは書庫と物置を兼ねているような部屋だった。

 いちおう、机や書くものもあるが、あまり使われている形跡はない。


 本棚のほうに目をやる。

 なんとなく、魔法辞典とかないかな、なんて思った。


 リアンがやりたいと言っていた、絵本に書かれた三つ目の魔法。

 絵本を守れなかった自分に、もしもまだ何かできることがあるとしたら――


「あ、これなら――」


 テルアは”魔法大辞典 第六版”とやらを引きずり出した。

 テルアの背の半分くらいの大きさで、重さはテルアより重いのではないかというくらい重い。


 ドスッ、と床に置いて広げ、ページをめくる。


「へぇー……すげぇな……」


 知っている魔法から、初めて見る魔法まで、いろいろな魔法が載っている。


 テルアは文字を読むのがあまり得意ではなかった。

 が、術式という、テルアにとっての実質第一言語を使って、第二言語に成り下がってしまっている話し言葉を補完しながら読んでいた。


 魔法の本を読むときにだけ使える、テルアの裏技である。


 しかし違和感があった。

 魔法の術式がどれも少しズレている。

 これでは魔法の威力が落ちたり、途中で妨害されたり、ひどいと操作ミスを誘発してしまう。


「書いたやつミスってんじゃねえの……おっ」


 そんなことをつぶやいていると、ようやく目当ての魔法を見つけた。


「これか……”デュオスレギア”――術式がよく似てるなやっぱ。えー……なになに?」


 テルアは”デュオスレギア”についての解説を読んだ。


 それによると、数ある魔法の中でも、最も古い部類の魔法で、この大陸で最強の魔法であると。

 あらゆる魔法の基礎になった原点にして究極の――


「ふーん……たいそうな魔法からパクってんな、絵本に載せるだけの魔法に――」


 テルアは近くにあった白い紙と、古びたペンを手に取ると、


「ま、こんくらい朝飯前だな――」


 そうつぶやき、得意げな顔で何やら書き始めた。

 

 





 一時間ほどがたった。


「……あれ……。おかしいな……なんかうまくいかねえ……」


 テルアにしては珍しく、魔法のことで苦戦していた。


 絵本の魔法を使うためのヒントがあると思っていたが、妙に噛み合わなかった。


「……まぁ、しょせんは絵本の魔法ってことかあ……」


 似てはいるから何かしら関係があるはず、という見立てだったのだが……。


 別の方法を探すか――と、そんなことを考えていたときだった。


「――っ!」


 リアンが目覚めた気配を感じた。


「リアン!!」


 本の部屋を飛び出し、もといた部屋に駆ける。


 ドンッ、と勢いよくドアを開けた。


 そこにはカルミラもいて――そのカルミラを指さしている、リアンの声が大きく響いた。


「きょうかいだんだん!!」

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