第43話 葛藤

 

「このようなところにまで、なぜ……一体どうされたのです? どのような御用でしょうか」


 動揺を感じさせないよう、ゆっくり話すことを意識した。

 ただし心の中は怒りでいっぱいだ。


(コルネリア様……! アレン様がくることをご承知で、時間稼ぎをしてらしたのね! わざわざ二人になるよう仕向けるなんて!)


 目の前のテーブルには二人分のティーセットが準備されている。

 思えばフレイと話している間、コルネリアは一度も、目の前のお菓子やお茶に口をつけなかった。アレンが来たときに、使用人たちの手が極力入らないようにするためだろう。


 それはきっと、フレイに逃げる時間を与えないため。


(もう! でもコルネリア様のすることだもの。このくらい想定するべきだったわ)


 レイラント国に大きな恩があると知った時点で気づくべきだった。

 決して、このクラニコフ家は安全地帯ではないことを。


「冷たいな。急に婚約者が屋敷を飛び出したというから心配で。こうして足を運んだというのに」


 相変わらずの態度に、フレイは再び不快に思った。

 が、ぐっとこらえる。


(私は、仕事に生きるのよ。依頼人のことにいちいち怒りを覚えていたら仕事が進まないのだから。もう一年も経たないうちにこの関係は終わる。終わりが決まっている仕事なんて簡単よ、簡単)


 そう言い聞かせて、フレイは口端を上げた。営業スマイルである。


「申し訳ございませんわ、アレン様。そうですね、婚約者のアレン様には伝言を残しておくべきでした。今後はご心配をお掛けしませんよう逐一ご報告させていただきます」


 コルネリアの前で、割り切れると言い切った。


(口に出した言葉はきちんと遂行しないと、信用問題に関わるのよ……)


 だからあえて口にした。割り切るのだと自分自身に言い聞かせるように。

 ──小さな小さな恋の欠片を粉々に踏み潰すように。


「……フレイ嬢?」


 怪訝な顔をしたのはアレンだ。


「どうかしたのか?」


 様子がおかしいと心配そうにフレイを覗き込む。


「なんにもございませんわ」

「いや、いつもの君とはどこか違う。何か、あっただろう」

「…………アレン様のお父様のお話を聞いたからかもしれません。聞きましたよ、真実の愛の物語を。コルネリア様が受けた恩のお話を」


 話の矛先を変えようとして言ったことだったが、効果は大きかったようだ。

 ははあ、と顎をさすった。


「ああ、聞いたのか。なるほど、だから君はここにいるわけだ、逃げずに。私は公爵夫人の恩人、その息子だからな」

「逃げるだなんて。逃げたことなんてありました?」

「いいや、君は今まで逃げていた。何度も私を追い払ってな。正直、今も会ってはもらえないかと思っていたくらいだ。だが、こうして会えているということは公爵夫人の話し方が上手かったからなのか、君の心にいくらか思うことがあったんだろう。公爵夫人に感謝しなければな」

「……会えないかもとお思いなら、こちらに来られずともよかったでしょうに」


 それには答えず、アレンは表情を和らげた。その顔にかつてのアレンが思い浮かび、フレイは瞬く。


「父の話をどう思った? 間抜けだったろう」


 みんなで観に行った演劇で、アレンが一番気に入っていると言っていた”真実の愛”の原作。

 それは、アレンの父が自身の婚約者のために一肌脱いだ物語だった。目の前にいるアレンのように。


「……そう仰るのなら、アレン様も同じ、ということになりますけれど」

「はは、違いない。間抜けだな、父と同じで、私も」


 そう言いながら、後悔した様子は一切ない。

 原作の王子のように、父のように、アレンは振舞いたかったのだろうか。

 コルネリアから昔話を聞いたからか、アレンの話にも聞き入ってしまう。感じていた性格の悪さも多少気にならなくなったのだから不思議だった。


「……なりふり構わない父が、面白くてな。よく観に行ったんだ。ふは、堂々と婚約破棄宣言だぞ、あり得んだろう」

「…………アレン様もされましたけどね」


 他に何と言っていいのかわからず、そう口にした。

 おかしそうに喉を鳴らすアレンは気分を害したようには見えなかった。


「父が言っていた。そうしたかったから、そうしたまでだと。婚約者だった今の公爵夫人には幸せになってもらいたかった、本当の愛を知った彼女にはその愛を大切にしてもらいたかったのだと。だから公爵夫人の親友だった母を巻き込んで、一芝居打ったらしい。似た者同士の親だったんだ」

「お優しい、ですね」

「ああ。馬鹿らしいだろう?」


 そう言うアレンは誇らしげに見えた。

 彼にとって、両親の馬鹿らしい行いは──その物語は、英雄譚なのかもしれなかった。

 そう思うと、騙されたことも仕方のなかったことと思えなくもない。アレンがフレイに婚約者を続けてほしいと望むのも、彼の両親を手本にしていればそうおかしいことでもない。


「ずっと馬鹿らしいと思っていたが、まあ父らしいとも思ってはいたんだが、実際に私も同じことをするとは思わなかった。血は争えないな」

「リーゼ様に幸せになってもらいたかったんですね」

「……まあ、そうだ。ただ、君ありきの話だが」


 す、とアレンはこちらを見る。刺さる視線が居心地悪く、狼狽えた。

 似ても似つかないはずのアレンに、過去のアレンを見出そうとする自分が憎らしく思えた。

 多少優しく見えたとしても、過去のアレンとは違うのに。


「婚約者のお話ですよね。わかっております。これまで申し訳ございませんでした。契約期間はもう一年も残っておりませんが、残りの期間、しっかりと務めますね。お任せください」


 自信だっぷりに見えるようスカートの裾を持ち上げた。

 これまでどおり冗談めいて躱されるかと思ったが、今回は違っていた。


「そう簡単に言うが。君がいたから、こんな騒動を起こした。君が婚約者になってほしいと思ったからだ。君が現れなければ今もリーゼと婚約しているだろう。今更、君以外と婚約しようなどとは思わんぞ」


 アレンの顔は真面目そのもの。

 フレイはぐっと唇を噛んだ。少し嬉しいと感じてしまった自分を内心罵った。


(……こんなことになるなら、自覚させないでほしかった。都合のいい私を側においておきたいだけの言葉に、心が乱されるなんて)


 悟られないように作った営業スマイルで「ありがとうございます」と心の中に大きな壁を作った。


(早く婚約者役を終わらせよう。そうすれば、こんな妙な気持ちもきっと消えてくれるはず。しっかりするのよ、あのときの優しいアレン様は演技だったんだから)


 かつてのアレンの面影が見えるたび、心が揺れる。

 うまく割り切れない自分にフレイは戸惑い、何度も何度もそう言い聞かせたのだ。

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