第37話 まるで窮地

 

 夜会での出来事は瞬く間に広まった。翌日には新聞の見出しを飾ったのだから当然だ。


(アレン様、婚約破棄! トランブールの公爵令嬢にご執心! ついに婚約か! って……その通りなのだけど、そうじゃないの……)


 フレイは憂鬱な気分で窓の外を見た。今までと変わらない景色のはずが、淀んで見えた。

 こんなはずじゃなかったのに。


 普通、急に婚約破棄、さらには別の女性と婚約となれば、揉めるはずなのだ。普通は。

 しかし。


 破棄の一連の流れを見ていた夜会の参加者たちは、婚約破棄されたリーゼは”真実の愛”で隣国王子とラブラブだと言い広めているし。

 アレンもアレンで、「少し前からフレイに心奪われていたようだ、あんなに優しいお顔はこれまで見たことがない」と、王室御用達のお店の面々が公言しているし。

 しかもアレンをたぶらかした悪い女だったはずのフレイは、すでに王妃にも認められていて次期王妃となるための教育も受けているようだ、と少々曲解された内容で噂が広まっていた。


 そのため、みんながハッピーならいいんじゃない? という何とも曖昧にふんわりと受け入れられたようなのだ。

 世間は、”真実の愛”に寛大すぎる。


(全然ハッピーじゃないのよ、私が。いえ、収入だけ見ればハッピーに違いないけれど!)


 なぜだか王妃にも拒否反応はなかったのだから、おかしいと思う。

 怒られる覚悟で向かい合った、婚約破棄後。「突然婚約破棄なんて言うものだから、何事かと思ったけれど、フレイさんが一緒に居てくれるなら安心かしら」などとにこやかだったことは、ほっとしたよりは恐ろしくなった。まさか王も容認しているのだと言う。

 世間だけでなく、王族たちも”真実の愛”に寛大だった。


 まったくもって理解できない。

 大きな溜息と同時に、部屋のドアを叩く音がした。


「フレイ様、贈り物が届きましたよ」


 そう言って銀髪の執事は、今日もまた部屋まで届けてくれる。

 断ったはずのアレンからのプレゼントだ。


「え。もうやめてくださいとお手紙を出したはずでしょう?」

「よほど好かれていらっしゃるのでしょう」


 真面目な顔で言われても、絶対に違うとしか思えない。

 これは、そう思わせるためのパフォーマンスだ。


 フレイは手渡された箱を丁重に送り返すよう伝え、一人、眉を吊り上げた。


 こんな状況にしてくれたジールとはまだ連絡が取れなかった。

 リーゼと手を仲良く手を繋いで、無事トランブール国へ帰ったのだという。居場所がわからないわけでも状況を知らないわけでもないだろうに、便りの一つもない。返事も寄越さない。


(全部私に押し付けて、一人で”真実の愛”を満喫してるってことね。リーゼ様もリーゼ様よ! 少しくらい気遣ってくれてもいいじゃない)


 どうやらアレンと交わした契約のことも知っているようなのだ。と、推測なのも、フレイ自身がした実際にやり取りではなく、手紙を届けに行ってくれた従者からの伝言だからだ。

 だが、事実だろうとフレイは踏んでいる。


(私のこと、お金さえあれば満足だとか喜ぶとか思ってるのよ、真っ黒王子は……!)


 ジールとの契約は無事に完遂された。成功報酬は執事からすでに受け取っている。さらにアレンからも報酬がもらえるとなれば、あまりの嬉しさで踊りまくっているとでも思っているに違いないのだ。


(こんなの割に合わない。噂話が飛び交って私では収拾がつけられない。有名になりすぎてる。……平穏を返して)


 かろうじて絵姿は出回っていないけれど、公爵家のフレイと聞けば「ああ、あの!」と誰もが認知できる。今や国中で一番の注目を浴びていた。


(こんなのもう、早く新しい婚約者を見つけてもらうしかない。一刻も早くよ!)


 フレイは怒りに任せてその辺のクッションを放り投げた。

 イライラは募るばかりだ。


 アレンからの依頼を受けることになった日。あの日からアレンはこうなることを予測していたのだろう。

 上手く嵌められたと思った。

 あの夜会で婚約破棄をしたのも、馴染みのお店にフレイを紹介して回ったのも、王妃教育が進んでいるとあえて口にしたのも、すべてアレンの判断だ。即座に広まった噂も、何らかの工作があったのではないだろうか。事実を織り交ぜながら噂話を広めることなど造作もないことだっただろうから。


(何よ、私のこと馬鹿にして。手のひらで踊ってるのがそんなに面白いかしら。まるで別人じゃないの)


 フレイに向けていた視線も、行動も、言葉もすべて偽物だった。

 騙していたつもりが騙されていた。それがとても悔しく、腹立たしかった。

 そんなことを思う資格もないのにだ。


 自分のことは棚に上げて、絶対に許せないと眉をさらに険しくした。

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