第36話 あの時のアレン
パーティーの最中、ジールが連れてきた見慣れない女性は、公爵令嬢だと名乗った。
アレンは首を傾げた。
(あの家に、たしかに令嬢は存在しなかった)
しかし目の前には彼女がいる。
堂々と家の名前を出すということは、何か繋がりがあるのだろう。
たとえ、クラニコフ公爵家の血を一滴も受け継いでいないような顔立ちであったとしても。
(……もっとマシなのはいなかったのか、ジール)
服は一等品だが、作法は普通。公爵家の人間にしてはいささか教育不足だろう。
それも公爵夫人のお気に入り、というのであれば余計におかしな話。
ふむ、とアレンは考えた。
(私と同様、違和感を感じたはずのリーゼが躊躇いなく挨拶を交わした。その上、私に相談も報告も、忠告もしない。これは……知っていた、か?)
ジールとリーゼが想い合っていることは知っている。
事前にこのフレイという女性のことをジールから聞いていたのかもしれない。が、二人が何かを企んでいることも知っている。
どう考えても、この女性──フレイは、企みの一環だろう。
恋愛事は面倒だが、感情の機微には敏い方だと思っている。
ジールとリーゼがいつの日にか恋人同士のような関係になっていることも気づいていた。彼らも自分に対して隠せるとも思っていないのだろう。婚約解消の話をしてくるほどだ。
(……おそらくフレイ嬢は、わざわざ私のために用意した婚約者の後釜なのだろうが……)
出来損ない感が否めない。
アレンとて、ジールとリーゼのことは大切に思っている。
二人が結婚したいというのならそれもいいだろうとは思う。アレン自身はリーゼに対し、恋愛感情は抱いていない。だが、自分の婚約者が不在になるのは避けたいのだ。
リーゼは政略婚の相手として申し分なく、それはこれまでリーゼにとっても同様であった。
国が望むように婚約者として振舞い、未来を照らす光のように、国民を安心させる。
それが義務であり、これまで遂行してきたが、リーゼはもう疲れてしまったのかもしれない。愛する相手とともに生きることを選んだのだ。
(まあ相手がジールであれば、政略的にも問題ないか)
もしもフレイが、リーゼのように優秀であれば、何も知らないことにしたまま乗り換えてもいいかと思ったのだ。隣国の公爵令嬢だというのなら、身分に文句はない。
アレンは溜息を落として、その企みに乗っかってあげることにした。
フレイは、よく頭が回るようだった。
知っている雑学は多く、一度聞いたことは覚えている。バラの種類などは母に気に入られるほどには詳しかったし、観に行った演劇では一度リーゼの授業で聞いただけの内容を言い当てた。
元々勉学も苦ではないようでその後の授業の内容もしっかりと頭に入っている。本来はリーゼのための授業──フレイはただ同席しているだけだというのにだ。
会話運びはごく自然で、アレンでなければ、自分に気があるのではと勘違いしたことだろう。
屈託なく笑う姿は、自分にだけ向けられているような気にさせる。
さすがだった。
ただ熱を帯びた視線がないことだけが、アレンの考えを肯定していた。
(やはり彼女は雇われた人間……私には興味がないのだろう。となれば、金か)
気になって調べれば案の定だった。
フレイという名の平民が一人、一年ほど前から姿を消しているようだった。容姿も一致した。
アレンは安心した。彼女が”愛”という不確かなものに振り回されない人間だということに、ほっとしたのだ。
(つまり金さえあれば彼女は手に入る。金は、ある)
彼女一人雇い入れることくらい造作もない。
それが叶えば、リーゼのように心変わりすることもない、生涯の伴侶を手にできる。金さえあればだ。
しかし、婚約破棄が行われるや否や彼女は踵を返した。任務が完了したのだから当然といえば当然なのだが、あまりの変わり身の早さに愕然とした。去ろうとする彼女の腕を考える前に掴んでいた。
ジールから請け負っていただろう任務が終わり、やっと自分の番だと思っていたところだというのに。
想定外のことは続くもので。契約金と称して目の前に金貨を並べてみてもフレイは目を逸らしたのだ。
焦ったアレンは、脅すように契約を取り付けた。断られては困ると、思わず契約期間を一年にしてしまったことは反省点である。
(私が口走ったことだが……婚約者期間が、一年、だと? しかもその間に別の婚約者を探すことになってしまった。失態だ)
彼女以上に適任な女性が見つかるはずもない。
なぜならこれまで一番の適任者がリーゼだったのだ。身分、容姿、賢さのどれもが、フレイはリーゼに勝るとも劣らない。
慌てる心の内を上手に隠して、アレンは言った。余裕を醸し出すため笑って見せた。
「国の繁栄には政略婚は欠かすことはできない。リーゼはその相手に相応しかった。だから婚約解消の打診にも否としか答えられなかったのだが……君が現れた。政略婚も可能な、隣国トランブールの公爵令嬢の君がな。私の婚約者でいる間、何の不自由もない生活を約束しよう」
だから君はずっとこのまま傍にいればいい、と見つめた先で、フレイは溜息を吐いた。
「いえ、最低限の婚約者の役割は演じさせていただきます。婚約者が同席しなければならない場面もあると思いますので……けれど難しいことはできませんから、早く正式な婚約者を選んでくださいませ」
業務的な抑揚のない声が静かに響き、アレンは膝の上のこぶしに力を込めた。
どうすればフレイの気が変わるのかとそればかりが頭をよぎった。
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