第31話 愛の告白


 微笑んだアレンはその表情を崩さないままだった。

 尋ねたことを後悔するほど、間が長く感じる。


「……えっと、その、大変な勘違いを……」


 耐えきれず、撤回しようと口を開いたとき、ようやくアレンが動いた。


「いいや! 勘違いなどではない」

「え?」

「いつ応じてくれるかと思っていたが、そういえばきちんと口にしたことはなかったな」

「え、はい?」


 じっと見つめてくる瞳の紫が、怖いと思った。その先を聞きたいような、聞きたくないような。


「ずっと君ばかりが気になってしまう。政務も手に付かないほど。私は君のような人が隣にいてほしい。共にいてほしい。──君を愛している」


 そっとフレイの手を取った。

 懇願するような物言いだが、口ごもる様子は一切ない。フレイが受け入れてくれると信じきっている顔だ。


 知らず、喉の奥がごくりと鳴った。


「迷惑、か?」


 迷惑ではない。目的達成、報酬ゲットで、元の生活に戻るのだ。


(ただ、なんていうか、あまり喜べないわね。任務完了で嬉しいはずなのに)


 ”真実の愛”にまつわる、架空のストーリーならばよかった。

 幸せになる一人を主人公にすれば、ハッピーエンドで幕が下りる。

 婚約破棄された女性と助けに入った男性は、もれなく幸せに描かれた。

 しかし婚約破棄をした側の王子は幸せになれるのだろうか。その立場のアレンは、その後どうなるのだろうか。


 しかし、仕事だと割り切ることにする。考えることをやめて無理やり首を横に振った。


「フレイ嬢も同じ気持ちとは思わなかった。君がいればいい。君のためなら何でもしよう」


 アレンが嬉しそうに笑うのを見て、何とも言えず微笑み返した。

 自分は、他人の気持ちを弄ぶ人間なのだ。


「ああ、そうだ、今度の夜会、一緒に出席してくれないか。皆に君のことを紹介したいんだ」


 通常、一緒に参加するパートナーは婚約者のリーゼだ。

 本や劇で慣れ親しんだその流れは、間違いなく婚約破棄を指している。

 婚約破棄のために動いているフレイでなくとも予想はできるはずだが、アレンの態度は隠す様子もない。断られるとは微塵も感じていないのか、心の準備をしてほしいのか。それとも何も考えていないのだろうか。


 胸の奥がちりちりした。


 大勢の前で婚約者をないがしろにする。それは王子として絶対にしてはならない行動だ。アレンのことを思うなら止めなければならないが、フレイの目的そのものだ。

 制止できるはずもなく、ただこくんと頷いた。


(……夜会で、リーゼ様が婚約破棄されれば、私の仕事は終わり。あと少しの辛抱よ。あと少し彼に付き合って、そうして離れてしまえばいい。あとのことはジール王子とリーゼ様がどうにかするでしょう。目の前でアレン様が道を踏み外そうとしていても、私の役目ではないの)


 破顔させて喜ぶアレンを見て、罪悪感だけが残った。




 そして、待ち望んだはずの、夜会当日──婚約破棄決行の日がやってくる。




 ◇◇◇




「しっかりな、忘れ物はないか? その格好で大丈夫か? 君に全てかかっているんだからね」


 落ち着きない様子でジールはフレイを見下ろした。フレイをぐるりと一周して、身だしなみのチェックである。


「もう今さらですよ、ジール王子様。今さら私の衣装なんて大した意味を持ちません。それよりご自分の方こそしっかりなさってくださいね。私はただアレン様の後ろにくっついていればいいですけど、王子様は颯爽と現れて窮地に立たされているお姫様を救い出さなければいけないんですよ」

「いや、けれど、君の姿があまりに醜ければアレンの気も変わり、やっぱりやめたとなるかもしれないし」


 冗談だろうが、聞き捨てならない。


「ちょっといくらなんでも失礼でしょう! それにこれは使用人の皆様が作り上げてくれたもの。醜くなるわけがありませんわ」

「ふむ。一理あるな。まあ冗談はさておき、本当にここまでやれるとは……思っていたよりも随分早くて驚いたよ。さすが”真実の愛”などという曖昧なものを仕事にするだけのことはある」


 満足そうなジールとも夜会が終われば縁が切れる。長く付き合っていたからか寂しさも少しあるが、そういう約束だ。いろいろとバレないように身を隠さなければならないのだから。


「ちゃんと報酬はいただきますからね」

「もちろんだよ。一国の王子が約束を違えることはしないさ。こうも上手く行くとは、特別な報酬も必要かな。ま、考えておくよ。君はまず夜会を乗り切ることを考えて」

「はい、わかってますよ」


 そんな会話をしたのち、迎えにきた馬車に乗り込んだ。馬車にはもちろんアレンもいたけれど、ジールは見送りに出なかった。

 リーゼをないがしろにするアレンに抗議する。その演出のためである。

 移動する馬車の中はカラカラと乾いた車輪の音だけが響いていた。


 馬車がとまった。会場に着いたのだ。

 扉が開けばアレンが微笑みながら手を引いてくれる。周囲から向けられる視線は想像通り、悪意のあるものが多く、痛かった。


(まあ、仕方ないわね。アレン様の隣を歩くのが相思相愛のはずのリーゼ様じゃないんだもの、好意的だったらそれこそ驚くわ。けれど今日一日我慢すればいい、私の報酬のためには取るに足らないことよ。莫大なお金が、私を待っているわ。そして私も幸せになるの)


 フレイは幸せいっぱいの笑みを浮かべて、アレンの横を並んで歩く。

 寵愛を受ける令嬢の顔はこんな感じかしら、と思いつつ、これから起こるだろう寸劇の流れを反芻しながら。


 意識して、アレンの今後のことは考えないようにした。

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