第26話 授業のあとにも気は抜けない


 この日の授業もいつもと変わらず、無事に終了した。

 リーゼは受けた授業の話を人と共有できることが嬉しいらしく、終了後には少しおしゃべりをする。

 ただ聞いているだけのフレイだが、リーゼにとってはそうではないらしい。

 共に学ぶ仲間のような認識なのだ。


「ねえ、フレイさん。本日の授業は同盟国のお話でしたが、トランブール国から見ると、レイラント国はどう見えているのでしょうか。ああ、正直にお答えいただいて大丈夫ですよ」


「ふふ、そうですね。私も外に出る機会がなかったので、本当に王宮内で聞いた印象だけのお話になってしまいますが、豊かな国、流行りの国、自由な国……という感じでしょうか。トランブールは首都は栄えていますが、どうしても国境近くになると荒れた土地もございますし。閑散とした場所がないレイラントは、やはり憧れるようです。レイラントから流れてきたものがトランブールの流行になることもよくありますよ」


「まあ! ではレイラントのことを話せば興味を示していただけたり?」

「そうでしょうね。新しいものが次々に生まれるレイラントの話を聞きたがる人間は多いと思います」


 実際、クラニコフ公爵家に滞在したときには、いろいろと聞きたがる人は多かった。

 公爵夫人はもちろんのこと、庶民だからと話しやすかったのだろうメイドもだ。

 フレイは暮らしていた街の様子を教えてあげていた。


 まあまあ! とリーゼは楽しそうに手を合わせた。

 まるで初めて聞いたとでも言うような反応に、フレイは首を傾げた。


「……トランブールにいらしたこともありますでしょう?」


 何度かトランブールへ行っているはずだ。自分の工房で新聞を読んだこともあれば、ジールから聞かされたこともあった。


「そう、伺ったことはあるの。けれどやはり、わたくしのために、準備されたものだから。普段の様子はどうなのかしら、と思って」


 綺麗に整えられたところしか見ていないのだと言外に滲ませる彼女は、凛として美しかった。

 さすが王妃になる人は、肝が据わっている。


(だから、なのかしら)


 リーゼとは授業のたびに顔を合わせている。

 授業後には少し話もする。終始にこやかな会話は友好的で、それ以外の感情は読み取れない。


 けれどリーゼはアレンの婚約者。噂になっているはずの、アレンとフレイの関係を知らないはずがないのに。


(アレン王子は私にご執心やら、リーゼ様のことが嫌いになったやら、私とリーゼ様を競わせて天秤にかけているだとか。聞いていて気分が良い話ではないはずよ。なのに)


 彼女の口からは一切出てこない。


 これが感情を押し殺しているのだとしたら、王妃になる人というのは、血筋や家格はもちろんのこと、どんな状況でも不安を見せず前を向ける、その重責に耐えられる──選ばれた人に違いないのだ。


(本当に、この方は、綺麗で聡明で、格好いい女性だわ)


 授業を終え、部屋を退出する様子にさえ気品が見える。

 フレイが続いて扉に近づくと、リーゼが振り向き口に人差し指を当てた。


「……し!」

「え?」


 言われるがままに口を紡ぎ、気配を消した。

 扉の外から話し声がする。

 どうやら若い女性と、少し年配の女性が二人話しているようだった。


「どうしてリーゼ様は、フレイ様のこと野放しにされるのかしら。いくら同盟国の公爵家のご令嬢だとしてもリーゼ様の方がずっとずっと素敵で、王子殿下と一緒におられた時間もずっと長いのに」

「し! 滅多なことを言うものじゃありません! 誰が聞いているかわかりませんよ。私たちはリーゼ様付きの侍従。リーゼ様のお立場を少しでも悪くするような言動は許されません」


 聞こえた内容に、フレイはやはりね、と思う。

 今の自分の立場を良く思わない人間は多い。自分ですら、そう思うのだから当然だ。

 わかってはいたけれど、この場所で聞きたくない言葉だった。なんせこの場にはリーゼがいる。


 どう思ったかと様子を窺った途端、リーゼは足を前に出した。


 驚いたのは扉の前で話していた二人である。

 リーゼは気づかせるために、わざと進み出たのだ。


「も、申し訳ございません! この者にはよく言って聞かせますので」


 深々とお辞儀をした年配の侍従と、それに倣った若い侍従。

 リーゼはどちらも見比べたあと、そうね、と頷いた。ちらりとフレイを見て、さっさと処分を告げる。


「あなたたちは今後気をつけて。今回は大目に見るわ。とくにあなた、わたくしのそばにいるのなら、口は災の元よ。気をつけなさいな」


 寛大な措置に大きく頭を垂れた二人をそのままに、今度はフレイに向き直る。

 綺麗な笑顔がなんだかおそろしかった。


「ねえ、フレイさん。今からお時間少しいただけませんか?」

「え、今から、ですか」

「ええ。珍しい茶葉が手に入りまして。いかがでしょう? もちろん無理にとは言いませんけれど。ですが、あなたは一緒にきてくれると思っていますわ」


 一呼吸置いて、リーゼは真っ直ぐフレイを見た。


「──アレン様について、お話ししませんか?」


 逃げられない。

 強い眼差しがはぐらかすことを許さなかった。

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