第7話

とん、とん、とん

そんなリズムよく刻んでいる音で目が覚める。

目を開けるとまだ薄暗かった。そして右の方から微かに光が漏れていた。目だけで左右を見ていると、光は右の部屋と俺らの部屋をつなぐ引戸の隙間から指していることが分かった。俺はここでやっと海月が帰ってきていることが分かった。光のありかへ行こうと思いま、頭を上げようとした。だけど頭の上に何かが乗っていてうまく動かせない。ほぼ無理矢理力任せに頭をあげると俺の頭の上に乗っていたものは反対側へと倒れた。頭の上に乗っていた正体は北斗の頭だった。無理やり反対側にしてしまった北斗の顔をよく見ると少しだけ涙の跡があった。そして少し目線を下にすると膝に毛布が掛かっていた。北斗がやってくれたのか海月がやってくれたのかはわからなかった。とりあえず俺は北斗を起こさないよう毛布をどかした。そして静かに立ち上がり、明かりがついている方へ歩き目の前のドアを開けた。そこには予想通り海月がいた。海月は料理をしているようでキッチンに立ってなんかの野菜を切っていた。

「あ、おはよ。てか、まだ1時だけど。あ、そうだ。もう朝ごはん作ちゃったから朝起きたら北斗くんと食べといてね。それと私作り終わったら寝るから。」

俺は寝ぼけていて何を言われたのかよく分からないまんま「うん、」とだけ答えた。俺は無意識に「今聞きたいこと全部聞いていい?」と彼女に言っていた。

彼女は手を止めて少し考えるような素振りをして「いいよ。」と言った。

そう言って彼女は止まっていた手をまた動かし始めた。

「じゃまず1つ目」俺がそう話し始めると

「うん、とりあえずドアちゃんと閉めよっか。北斗くんまだ寝ているでしょ。」

と俺が来た方を指差した。俺は海月のその言葉で後ろのドアを開けたままだったことに気づき閉めた。

そして俺は気持ちを切り替えて、

「今日、いや昨日なんで帰り遅かったの。」そう聞いた。言葉だけ聞いたらただ重い彼氏みたいになっているが今回は訳が違う。

「言ったでしょ。仕事でトラブルがあったって。」嘘だ。彼女は嘘をついている。それは昨日あったことからわかる。北斗のことを知っているなんておかしい。もし仮に本当だったら北斗もいけない場所で働いていることになる。だけど北斗は基本的にずっと俺といる。だから仕事はしていないはず。さすがの俺もこれが本当だと信じるほどバカではない。だけどこのままおんなじことを聞いてもきっと彼女の返しは一緒だ。だからついてはいけないであろうところをつく。

「じゃあなんで腕に新しいアザがあるの?」

「転んで打っちゃったの。」

海月はそう、冷静に答える。


「じゃあなんで北斗のこと知ってるの。」


そこでまた彼女の手が止まった。さすがにこの質問は彼女も答えることができないようすだった。きっと嘘をつくにもそれに値した嘘が思い付かないのであろう。そして俺の方を向いて

「質問はそれだけ?」

そう言った。思ってもいない回答に俺は戸惑う。

「そうだけど。答えて。嘘つかないで。ごまかさないで。」

俺は彼女のことをまっすぐ見て、強めに言う。そうすると彼女は戸棚から小皿を取り出し、さっきまで混ぜていた小松菜のおひたしを少し小皿にいれて

「これ味見してみて」そう言って俺は小皿を渡された。

俺は不満に思いながらも食べてみた。するとそれはとてもやさしい味でおいしかった。ちゃんと彼女の味だった。

「うん、おいしい」

「そっ、じゃあよかったおやすみ」

そう言って彼女は髪をまとめていたクリップをはずしながら俺らがいた場所のほうへと消えていった。

俺はただその後ろ姿を見ることとドアが閉まる音を聞くことしかできなかった。

彼女が出ていった後かけてある時計を確認した。まだ2時だった。とりあえずさっき受け取った小皿を流しに戻した。俺はいつも寝ている部屋に行っていつも通り布団を使って寝直すか、さっきのようにソファで寝ている北斗の隣で寝るか迷った。だけどなんか彼女と同じ部屋に行く勇気はなかったのでさっきの部屋に行った。だけど本来座るべきところに頭を乗っけて床に座った。そしてよくわからない不安に囲まれながら眠りについた。

どこか聞き覚えがあって落ち着く声と聞いたことはありそうだけどあまり聞き覚えのない声。そんな誰かと誰かの話し声がぼんやり耳にはいってくる。目を開けるととても薄暗くて、見慣れない場所だった。そして膝には毛布が掛かっていた。どこだっけ、ここ。なんて考えていると今度ははっきりと聞きなれた声が聞こえた。

「なんで北斗のこと知ってるの」

俺はその言葉でぼんやりしていた意識がはっきりした。そして今は一体どういう状況なのかも一気に思いだした。その置かれている状況のせいなのか俺はここから動く気にはなれなくて体を横にしたままふたりの話し声を聞いていた。

少し聞いていると、樹は味見するように海月ちゃんに言われていた。いいなぁ、俺も食べたいな。なんて思っていると海月ちゃんが寝るらしいので俺はまた目を閉じ寝た振りをした。

右側の扉が開いた。目を閉じていても微かに光を感じる。そして目の前の扉が閉まったのを音で感じてからまた目を開けて携帯を探しなんとなく時間を確認した。

まだ夜中の2時だった。そういえば今日は土曜日。ロック画面にはいくつかの通知があったけど、いちいち見る気にはなれず俺は携帯の明かりを消しまた眠りについた。


「と、くと、ほくと、ねぇ、おきてよ、ほくと!」

だんだんと大きくなっていったその声で目を覚ますと目の前には涙目になっている樹がいた。俺はその姿をみてすごく焦ったが、いつも落ち着かせるように冷静に優しく「どうしたの?」と声をかけた。すると樹は

「海月が、海月がまたいなくなっちゃった。朝起きたらいなくなっちゃった。今日学校ないのに。いつもこの時間はいるのに、今日は帰ってきていたのに、ねぇ北斗どうしよう。今度こそ戻ってこなかったら、また俺の、俺のせいで海月が…」

樹の目からは涙がどんどんこぼれていって、まるで母親に置いていかれた子供のように泣きじゃくってパニックになっていた。

俺はとりあえず樹を落ち着かせる。

「うん、そっかそっか。大丈夫。大丈夫だから。」

そう言って樹を抱き締め背中をさすりながら部屋を見渡す。玄関以外の部屋中という部屋中の扉が開いていて樹が相当海月ちゃんのことを探していたことを物語っていた。だけど俺が見渡す限り海月ちゃんは見当たらなかった。もしかしたらもう病院に戻ったのかも知れない。そう思い携帯を手に取った。画面をつけてみるといくつも通知があってそのなかには知らないアイコンからの通知があった。

開いてみるとそこには、『勝手に携帯開いて追加しちゃってごめんなさい。もう時間なので病院に戻ります。樹のことよろしくお願いします』と言うメッセージと一緒に青い服の人が土下座をしている絵文字が書かれていた。改めてしっかり名前のほうを見ると『miduki』と書かれていた。俺はとりあえずそこで彼女の安否が確認できて安心した。そして俺は彼女のアカウントを友達に追加をしといた。俺はなんて樹に言い訳をするか考える。とりあえず海月ちゃんは無事なことはわかった。だけどそのまま素直に病院に帰ったと言ったら樹からしたら怪しい以外のなにもない。俺は考えに考え抜いた先思い付かず無理だと思い俺は入力欄を開き、文字を打つ。

『わざわざ追加ありがとうございます。今樹、海月ちゃんいなくて不安になって泣いちゃっているんですけど、なんて言い訳すればいいのか分からないのでもし可能でしたら電話してもらえませんか?』と送った。

俺は返信が来ることを願いながら返信が来るまで樹にどうやって「海月ちゃんは無事だよ」ということを伝えれ安心させればいいのか泣いている樹の横で悩みながらただ「大丈夫、大丈夫だから」と樹の背中をさすることしかできなかった。

少しして電話の着信音が部屋になり響いた。

俺は樹に「ごめん、少し待っててね」と声をかけ樹が小さく頷いたのを確認してから玄関のほうへいき部屋の扉を閉め、

「もしもし」

と俺は樹に悟られないよう小声で出た。

「もしもし。すみません。時間がなくて声かけずに出ていってしまって。樹まだおきてます?」

「はい、わざわざごめんなさい。昨日のことは話さない方がいいかなと思ったらなんといえばいいかわからなくて。」

「わざわざありがとうございます。樹に変わってくれますか?」

「はい、」

俺はそう言って樹のいる部屋の扉を開けた。

「樹、海月ちゃんから電話だよ」

俺がそう言うと樹はパッと顔をあげて「ほんと?」と俺を見上げた。

「ほんとだよ、はい」

俺は樹に携帯を渡した。

俺は俺がいると話しずらいかなと思い「あっちの部屋行っとくね。」と樹に小さく声をかけてさっきまでいた部屋に戻った。

扉を閉めて少し部屋を見渡す。するとカセットコンロの上に鍋があった。

ふたを開けてみると味噌汁があって具材をきるところにも焼いた鮭と小松菜のおひたしを盛り付けた皿、お茶碗、お椀が2つずつあった。

俺はこんなに用意周到なキッチンをみて一体あの彼女はどこまで完璧なのだろうかと考えていると後ろの扉から声がした。

「ほくと、ありがとう」

そう言って樹は俺に携帯を返してきた。

「ちゃんと話できた?」

「うん。」

「海月ちゃんなんだって?」

「急に仕事入って早く家を出ただけだから大丈夫だって。あと朝ごはん用意しているから北斗とふたりで食べて帰りなって、鍵はポストに入れといてって言ってた。」

「そっか、じゃあ朝ごはん食べちゃおっか」

俺はそう言ってとりあえず冷めている味噌汁と焼き鮭は温め直して、その間にご飯をよそい運べるものは運んだ。そして味噌汁がいい感じに温まったらよそって、俺らは昨日と同じとこに座り一緒に「いただきます。」と手を合わせて言った。

食べてみるとただ普通なごく普通な朝ご飯。味もよかった。だけど食べている途中、心のどこかで寂しさを感じた。俺らはなにも言葉を発することもせずただ食べていた。

食べ終わり、洗い物はさすがにやっとこうと思い俺が食器を洗う。そして申し訳ないが勝手にたたんであったタオルを使って樹が洗った食器を拭く。戻す場所はわからないのでそのまま食材を切るところに積んでおいた。

俺らはそのあと少しゆっくりして、帰る準備をした。そして1日お世話になった家を出ようと玄関にかけてあった鍵を取り、外に出てドアを閉め階段を降り、彼女の部屋の番号が書いてあるポストに鍵をいれた。鍵をポストに入れた時は何故か長年住んでいた地を離れるような寂しさがあった。そこから家に帰ろうと歩き始めた。俺は久しぶりに樹に会えたというのに昨日の彼女のことで樹とどう話せばいいのか分からなくなっていた。

だからこの機会をうまく使いずっと気になっていた真哉が言っていたことを聞いてみた。

「ねぇ、真哉たちに友達だと思っていないって言ったのほんと?」

「うん。でもそれは今でも思っている。」

俺は思わず「え?」と声を出してしまった。一樹はなにか吹っ切れたように

「俺はお前らと友達になれるような立場じゃないから」

と下を向き少し笑い歩きながら言った。

俺はなぜだかイライラしていた。その言葉を聞いてイライラした。じゃあどんな立場にお前はいるんだよ。何て言いたくなったけどうまく消化できていないのが現実だった。

「違うよ、いや、確証はないけどきっと違うよ。樹は俺らと一緒だよ。」俺はとにかく樹の考えを否定したかった。それが理由でまた離れようとしているのかと思うと怖かった。俺の否定に対して樹はなにも答えなかった。そこからまた俺らの間には沈黙がながれた。

歩いて20分くらいしてバス停につきバスを待っていると。

「あ、そういえばエグい数の通知あったけど大丈夫?」

俺は樹のそんな発言で俺は昨日からためていた未読のメッセージを思い出した。

見てみると優弥から3件真哉から5件嶺から1件元気から2件きていた。とりあえず一通りみてひとりひとりに返すのはめんどくさかったので6人のグループに送ることにした。

『全然返信できなくてごめん、樹無事見つかりました。ふたりで今から帰ります。』

俺はそう文字を打って送信のマークをおした。

「みんな、怒ってた?」 

樹は俺の携帯をみたのか心配そうにそう聞いてきた。

「うーん、怒ってはいなかったけど心配していたかな。」と俺は約1日分の未読を消化しながら言った。樹は「そっか」と少し寂しそうに笑ってまた下を向いた。

「ねぇ、北斗、海月本当に大丈夫だよね。」

樹がまっすぐ前を向いてそう言った。

その言葉の後俺の回りの音が一瞬消えたように感じた。そして樹に聞かれたことに対しての正しい答えはすぐには思い付かなかった。だけど俺も大丈夫だと信じたかった。だから

「大丈夫だよ、あの子ならきっと大丈夫。まぁ昔のこと知らない俺が言えることじゃないかもしれないけど」

と俺は答えた。

そういえばバスの時間を確認していないと思い、椅子から立ち上がり時刻表を確認してみると来るまで時間が30分くらいあった。そういえばここはまぁまぁな田舎だった。俺達は待つには長いなと思い歩いて帰ることにした。久しぶりに樹とふたりだけで横にならび歩いた。するとポケットに入っているものが細かく揺れた。俺は携帯をポケットから出すと父さんからだった。俺は樹に「ちょっとまって、」と言って電話にでる。

「もし、「今、海月ちゃんと一緒か?」

「え?」

父さんの電話に出てみると「もしもし」の声もないまま急にそう言った。

「え、一緒じゃないよ。病院に戻ったんじゃないの?」

「え?戻ってきてないぞ、だからこっち大変なことになってんだよ。」

「でも、病院に戻りますって俺の方には送られてきたよ。」と小声で言う。

「とりあえず分かった。一応確認だけどなにも知らないんだよな。」

「知ってたらこんなこと言ってないよ。」

俺はどこからわいてきたのか分からないイラつきと不安にかられついそう冷たく言ってしまった。その上時折吹いてくる冷たい風のせいでとても不穏なものに感じた。

「分かった、何かあったらまた連絡する、そういえば樹くんは見つかった?」

「うん、今一緒にいるよ。」

「そっかよかった。じゃあ樹くんがもういるなら連絡しなくてもいいか。」

なぜか俺はそこで彼女のことが気になってしまった。たった1日。たった1日しかいなかった俺ですらどこか気になってしまった。恋人でも好きな人でも友達でも幼馴染みでも家族でもない彼女のことがなぜだか心配になってしまうのだ。

「いや、だめ、見つかったら連絡ちょうだい」

父さんは不思議そうに「分かった。」とだけ言って通話が終わった。

「ほくと、どうした?」

そう言う樹は俺のことをとても心配そうに見る。それに対して俺は

「大丈夫だよ、帰ろう。」

と偽りの笑顔を浮かべて樹に言った。そして樹と住む家があるほうへと歩き出した。歩きながら俺の頭のなかは黒い渦が回っていた。大丈夫じゃなかったらどうしよう。それでまた樹が壊れたらどうしよう。いや、そもそも樹が壊れたのは彼女のせいではないんじゃないのか。じゃあ誰だ。俺はそんなことを考えながら樹と歩いていった。と言ってももう歩いて30分ぐらい経っていた。俺らは少し休憩を挟むために途中でコンビニに寄った。

俺たちはそこでおにぎりとペットボトルに入ったホットのココアを買って、コンビニの外で食べることにした。このとき俺の頭の中は海月ちゃんのことで一杯だった。樹もそんな俺の空気を感じ取っていたのか俺の隣で捨てられた子犬のようにしゃがんでおにぎりを食べていた。俺は立ちながらそんな樹を横目にココアを飲んだ。おにぎりを二口ぐらい食べたとき俺の携帯が再び震えた。俺はポケットから携帯をだし誰からなのか見ずに電話に出た。

「もしもし」

「北斗!海月ちゃんが見つかった。意識不明の重体だ。」

「え。。」

俺は思わず手に持っていたおにぎりを床に落とした。

樹は顔を上げて俺のことをじっと見上げている。

「海岸で見つかった。近所でたまたま釣りをしていた人が海に人が落ちたのを見つけ通報してくれた。おそらく」

俺はその先の言葉を聞きたくない。衝動的にそう思った。だけど聞かなければいけない。俺が予想している言葉は憶測だがたぶんあっている。俺は言わないでくれそう思っていた矢先に聞こえてきた言葉は

「 

       自殺だとおもう。

                     」

その言葉を聞いた瞬間俺の脳内にはその言葉だけが響いていた。

俺は足に力が入らなくなりその場に崩れ落ちた。

もう腕を上げることもできなくて手はそのまま床についた。

樹はそんな俺をみて「ほくと?どうしたの?」と心配そうに俺の背中に手を当て俺の顔を覗き込んだ。父さんがなにか言っているんだろうけど俺にはその先の言葉が全く入ってこなかった。何故だか頬がぬれていくのを感じる。どうしよう、このままだと、樹は、海月ちゃんは、、、


「ほくと!ほくと!北斗!」


俺はその声でもとの世界へ戻ってきた。樹の目は何かに怯えているようだった。

「ねぇ電話。もう終わったの?何かあったの?どうしたの?」

樹は優しくゆっくり俺に尋ねた。

俺は樹の問いからまだ話は終わってないことに気づいた。

「ごめん。もうちょっと、待ってて」すごく喉が痛い。だけどまだ話は終わっていない。俺は腕を上げ携帯を耳元に当てる。そしてまた電話越しに父さんと話し始めた。

「ご、めん、また、おなじ、びょ、う、いんにいる?」

「あぁ」 

「じゃあ、いまから、いつき、いつきといっしょに、いくね」

俺は言葉につまりながらそう電波越しに父さんに伝えた。もうここまできたら樹に隠し通すのは無理だと思った。俺が辛かった。海月ちゃんには申し訳ないがもう俺が知っている彼女の真実を全部打ち明けよう。

樹は俺の言っていることが分からないという顔をしている。でも今はそれでいいと俺は思った。

父さんからは「前とおなじ部屋に来て欲しいんだがいまどこにいる?よかったら迎えに行くぞ」と言われた。俺はこのまま樹を連れて安全に病院までいけないと思い、今いる場所を伝え迎えを頼んだ。

父さんは「分かった。」とだけ言って電話をきった。

俺はそのあとしばらくはなにも考えられずただ泣いていた。

樹はただその横で俺の背中をさすってくれた。

俺は徐々に落ち着いて顔をあげる。

「落ち着いた?」

「うん。よし樹、家に帰る前に寄り道しよう。」俺は無理矢理笑顔を作って樹に言った。

「どこに行くの?」

樹は不思議そうに俺を見つめる。

「近くに上石病院あるでしょそこに行くよ」

「なんで?」

そう問いかける樹の目は不安と戸惑いがあったように感じた。

俺はできれば言いたくなかった。だって自分の口から言ってしまえば事実なんだ、と突きつけられる気がするから。まだ夢だと思いたいから。現実じゃないって信じたかったから。だけど言わないと、きっと樹がこのことを後々知ったらまた自分のことを責めて俺が知らないところで自分を傷つける。だから

「海月ちゃん、いま、意識不明、で病院にいるんだって」俺はまた涙が溢れてきて視界がぼやけてきた。

喉がとても痛いなか言葉につまづきながら俺は樹に真実を伝えた。

樹はそれを聞いて驚いたように目を見開いてその後すぐに目からは涙がぽろぽろ出てきていた。俺はどうすればいいかは分からなかったがそんな樹を抱き寄せた。

「海月ちゃんなら大丈夫。きっと大丈夫だから俺らだけでも会いにいってあげよう?」 

俺がそう言うと樹は下を向いたまま小さく頷いた。

大丈夫。俺がそう信じたかった。彼女なら大丈夫だと。

俺はとりあえず樹を体から離し、地面に落ちたおにぎりを拾い近くのゴミ箱に捨てた。ホットココアを一口飲み、樹とふたりでしゃがみこみながら父さんが来るのをまった。それから俺達は泣くことも何か話すこともしなかった。いや、できなかった、と言った方が正確なのかもしれない。時おり聞こえてくるコンビニの入店音、店員さんの声、車の音。俺にとってその音達は俺の心を置き去りにしている気がした。

そこから少しして父さんが来て車に乗った。車に乗っている間はいつもは楽しく聞けるラジオがうるさいと感じた覚えがある。

病院についてからは父さんに「まず話をするために部屋に行こう。」と言われた。だけど俺は早く会いたかった。現実を聞きたくなかった。だから父さんに話はあとがいいと言った。父さんは「分かった」と言って海月ちゃんのところまで連れていってくれた。

海月ちゃんはなんか前よりよく分からないすごい機械がいっぱいある『ICU』というところにいた。俺にとってそこはテレビのドラマでしか聞いたことのない空間だった。

俺たちは消毒をして部屋の中に入り、案内された通りに進むとたくさんの管に繋がれた海月ちゃんの姿がそこにはあった。俺らは近づいていいのかだめなのか分からずに立ち止まって海月ちゃんの姿を見ていると見覚えのある人から「どうぞ近づいて声をかけてあげてください、」と言われた。だけど俺の体は何故だか動かなかった。受け入れたくない。そう思っていたからなのかもしれない。だけど樹はゆっくり1歩ずつ近づいて俺はやっとその背中についていくことができた。

樹は「ごめんな、また守れなかった、ごめんな、」

そう言って涙を流していた。「手を握ってもいいですか、」樹のそんな問いに「どうぞ」と見慣れた人は答えた。

樹はしゃがんでゆっくり海月ちゃんの手を握ってまた、「ごめん、ほんとにごめん、」そう言った。

俺はその背中をさすることしかできなかった。自分の置かれた環境がとても現実とは思えなかった。だけど目の前の海月ちゃんは眠っている。起きる気配もない。

少しして俺らは「そろそろ、」と言われたので、一旦海月ちゃんから離れた。

そしてその空間から抜け出した瞬間俺達は泣き崩れた。

何で泣いているかはわからなかった。何でこんなに胸が苦しいか分からなかった。だけど1個だけ分かる事実があった。




俺はまただれも守れなかった。







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