緋凰クレハという少女


 エージェントになったといっても、半分は素人同然である俺たち。

 そんな人間をいきなり任務に起用しようという話にはならなかった。

 薄さんは、あくまで俺たちを機関の力で支援する立場でありたいと考えているらしい。


「あくまで皆さんには、これまで通りの生活を送ってほしいと考えております。……ですが今回の一件で恐らく侵徒側もあなた方を付け狙う可能性があるでしょう。交戦を余儀なくされた場合、または不安要素が発覚した場合、ただちに我々を頼ってください」


 有り体に言えば「機関の力をどうか都合よくご利用ください」と彼女は言っているのだった。

 なんというか、こちらが申し訳なくなるほどの特別待遇だった。

 彼女の部下になったというよりは、庇護下に入ったというほうが正しいのかもしれない。


「逆月の主要メンバーのご紹介は、また別の機会に……それでは本日はこれで」


 具体的な話やチームメイトとの顔合わせは後日改めてということになり、その日は解散することになったが……。


「薄さん、先に戻っていてください。私は少し彼らと個人的に話をしますので」


 緋凰クレハだけがこの場に残る気でいた。


「……クレハ、乱暴な真似はいけませんよ?」

「ははは、新しいチームメイトにそんな真似するはずがないじゃないですか」

「……ちゃんと仲良くするのですよ?」


 まるで母親が娘に言い聞かせるような素振りを見せて、薄さんは帰っていった。


「……薄さんはああ言ってたけど、私は生半可な覚悟で入隊するような奴を受け入れる気はないわ。逆月になった以上、やるべきことはきっちりやってもらうわよ?」


 薄さんがいなくなるなり、緋凰はあからさまに冷ややかな目線を俺たちに向けた。

 ……まあ、緋凰の反応が普通だと思う。

 言うなれば俺たちは縁故採用されたペーペーの新人だ。

 足を引っ張らず努力しろ、と苦言のひとつくらい口にしたくもなろう。

 そして当然、薄さんの優しさに甘んじてグータラするつもりは一切ない。


「もちろん、アンタの言うとおりやるべきことはやる。怪異も、侵徒も、常闇の女王もぶっ倒す。そのためにできることは全部やってやるさ」


 本気の度合いが伝わるように、俺は緋凰の前に出て、目と目を合わせる。


「とりあえず、これからチームメイトとしてよろしくな、緋凰さん」

「……アンタ、名前は?」

「黒野大輝」

「……そう」


 スッと、緋凰は左手を差し出す。

 ……握手、ってことかな?

 彼女の左手には、右手と違って黒革の手袋が着けられていた。

 火傷とか隠してるのだろうか?

 というか、なんで左手?

 剣は左の腰元に提げられているから、てっきり右手が利き手だと思ったのだが。

 そう思いつつ、俺も左手を差し出すと……。


 俺の首が断ち斬られる。









 ……という、イメージが浮かんだ。

 って、おいおい。


 空気の爆ぜる音が室内に響き渡った。


「……え? なに、いまの音?」

「す、すごい音がしましたが?」

「って、ちょ、ちょっと黒野!? なんで緋凰さんの右手首、握りしめてるのよ!?」


 レンとスズナちゃんがオロオロとしている横で、キリカが非難するように叫ぶ。

 ……そりゃ握るって。

 この女、マジかよ。


「……どういうつもりだ? その気なら、俺は女相手だって容赦しないぜ?」


 剣の柄を握ろうとする緋凰の右手を、上へ上へと移動させる。


「……へえ。霊力で強化した私の動きを追えるんだ。霊獣も無しで」


 ちゃっかり俺の手札まで調べ上げてやがる。

 というか、やっぱりコイツいま霊力で肉体強化してるな?

 潰すつもりで握ってるのに、全然ビクともしねえ。

 スズナちゃんがいるから腕の一本くらい持っていて、わからせるつもりだったが……。


 強いな、コイツ。

 俺たちと同い年だろうに、相当な修羅場をくぐってやがる。

 琥珀色の瞳が、俺をジッと射貫いてくる。

 その瞳の奥から、計り知れない圧を感じた。

 だが俺は怯まない。

 その気なら、いまから喜んで手合わせしてやるつもりだった。


「……ふふ」


 修羅のような相貌から一転……緋凰は年相応の少女の笑顔を浮かべた。


「──気に入ったわ」

「は? って、おい!」


 あまりに不意打ちな笑顔を向けられ、一瞬だけ気が緩んだ。

 その隙を狙って、緋凰は密着してきた。

 しかし先ほどと違って殺意らしきものは感じない。

 それどころか親しみを込めるように、体の感触を覚え込ませるように、やたらとグイグイと絡みついてくる。

 あ、あの……滅茶苦茶おっぱいが押し潰れてるんですが?


「……いい体。全身が戦うために造られてる。美しいわ」

「ひっ!?」


 蛇が這うように、緋凰は背中を撫で上げる。

 つい変な声が出てしまった。


「ひ、緋凰さん?」

「クレハでいいわ」


 耳元に熱い吐息を込めて、彼女は艶っぽい声で言った。


「これからよろしくね、ダイキ」


 初対面のときとはまるで印象の違う、ウキウキとご機嫌な様子で──クレハは左手で俺の手を握った。


「おっほん! 挨拶は終わったかな、ダイキ?」

「え? ……ひっ!?」


 振り向くと、ルカを始めとした女子陣がメラメラと炎を燃やすように睨んでいた。


「え~っと、緋凰さんって言ったっけ~? 私たちの名前は聞かないわけ~?」


 レンは額に青筋を浮かべながらクレハに尋ねる。


「……必要になったら覚えるわ」


 しかしクレハさん、素っ気ない態度で背を向け、そのまま帰って行った。

 な、なんというマイペース……。


「はああああ!? 何あの態度!? 私あの子と仲良くできる気がしない~!」

「レンさんに同意です! なんて礼儀がなっていない御方でしょう! スズナ、久しぶりにプンプンです!」

「キィィィィ! あんなに馴れ馴れしくクロノ様に密着したりして~! アピールするかのように胸を押しつけて~! なんてやらしい娘なんでしょう!」

「同じ剣使いだから気が合うかと思ったけど……ダメね。アイツとは相容れなさそうだわ」

「うん。敵だね、あの女は。要警戒しよう」


 いや、一応味方なんですよ皆さん?

 と言いたかったが、ご機嫌ナナメの皆が怖かったので口を閉じた。


 これから同じチームメイトとして共に戦うであろう緋凰クレハ。

 できることなら皆とも打ち解けてほしいところだが……この様子だと少し時間がかかりそうだ。


「……ん~?」


 クレハの左手で握られた手を広げる。

 ……何だろう。あの左手、触れたとき、ちょっと妙な気配を感じたような……。


 そして、クレハの顔を間近で見たことで、俺の中で謎の既視感が芽生えていた。

 実は、辰奥山で初めて会ったときも感じたのだ。

 あのときは彼女の赤い髪にビビってしまい、そんな既視感もすぐに吹っ飛んでしまったのだが……。


 気のせいかな? 俺、彼女の顔をどこかで見た気がする。

 この世界で、ではない。

 前世の世界でだ。

 確かヤッちゃんの部屋の本棚に、クレハによく似た少女が表紙を飾っている作品があったような……。

 なんてタイトルだったっけ?

 確か『緋色の~』……ダメだ、やっぱり思い出せん。


 ……まあ、どの道これから何度も顔を合わせることになるだろうし、ちょっとずつ彼女のことを知っていければいいっか。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る