復讐の果てに
* * *
それは昆虫型の怪異だった。
夜な夜な獲物である人間を襲い、その体に卵を植え付けて増殖するという極めて薄気味の悪い、そして厄介な怪異であった。
獲物としてお気に入りなのは肉付きの良い女性だった。
今宵もまた、琴線に触れた女性をターゲットにして、路地裏まで追い詰めた。
「い、いやぁ……来ないでぇ……」
その女性は容姿も体つきも、これまでの獲物とは比較にならないほどに極上だった。
びくびくと恐れる表情も実に嗜虐をくすぐる。
「きゃっ!」
人間大の昆虫怪異は瞬く間に女性を組み伏せ、いつものように行為に及ぼうとした。
「……やーね。蟲のくせにいっちょ前に発情なんかしちゃって。私、昆虫って自然界の中でも神秘的な生き物だと思ってたんだけどなー。悪い印象植え付けないでもらいたいわね」
とつぜん女性は人が変わったように恐怖を消した。
心底呆れた顔で、昆虫怪異を見上げている。
「まーいいわ。ちょうどあなたみたいな怪異を探してたところなのよ。そういうわけなんで……イタダキマース」
女性は大口を開け、昆虫怪異にかぶりついた。
──ギィィィィィ!?
醜い奇声を上げながら、昆虫怪異は困惑した。
なぜ? なぜ狩人である自分が喰われている?
ワケもわからないまま、昆虫怪異は丸ごと女性に捕食された。
「……ああ、酷い味。やっぱり女性を嬉々として襲う怪異は味も品がないわね。そこは人間の男と同じね」
後味の悪さに「べっ」と舌を出しながら女性は……かつて牧乃という名前だった常闇の侵徒『邪心母』は月を見上げた。
「まあ、とりあえずこれで準備はできたことだし……始めましょうかね、私の復讐劇を」
クツクツと笑いながら、邪心母は剥き出しの下腹部を撫でた。
そこには円盤らしき異物が埋め込まれている。
「見ていてください女王様。あなたから授かったお力で、私は願いを叶えてみせますわ」
生ける屍としてこの世に復活させてくれた常闇の女王。
ヒトを超越した異能を授けてくれた大恩ある存在に、邪心母は感謝の祈りを捧げる。
祈りに呼応するように、下腹部の円盤が邪悪な光を発した。
* * *
他の侵徒の能力のおかげで、復讐の対象の居場所は容易に特定することができた。
電車に突き落とした下手人が何者であるかも。
「ま、待ってくれ! 俺はただ金で雇われてやっただけだ! 恨むなら俺を雇ったあの家の連中にしてくれ!」
邪心母を突き落としたのは、やはり御曹司に金で雇われた殺しの専門家だった。
男はあくまで「あれはビジネスだ!」と言い張り、贖罪する素振りはまったく見せなかった。
「あ、そう。まあ金で人殺しをするような輩を生かしておく理由はないわよね?」
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
「どう? 自分の体がゆっくりミンチになっていく感覚は? 私もすごく痛かったのよ? 同じ苦しみを味わいなさい」
「ば、化け物め! おぞましい怨霊め!」
「あら、酷い。まあ、いまさらアンタたちみたいな醜い人間と一緒にされるよりは、そう呼ばれるほうがマシかしら」
暗殺者はトマトのようにひしゃげて潰れた。
まずは、ひとり。
「いかがかしらお爺さま? 久しぶりに妻と再会したご感想は?」
「ひぃぃぃ! ゆ、許してくれええええ! ワシはいまでもお前を愛している! だから……やめろおおお! 噛み千切らないでおくれええええ!!」
亡き妻に襲われる幻覚を見ながら、義父である老人は発狂していた。
実際には、巨大な蟲に下半身から喰われているのだが。
「あははは! 情けない声! 天国のお婆さんが見たらさぞガッカリするでしょうね! もうお歳なんだから無茶な真似しないうちに地獄に行きましょうね~?」
歳も考えず、若い娘を毒牙にかけようと計画を立てていた色情狂は、蟲の餌となった。
これで、ふたり。
残るは、自分を辱めた男たちと、自分を裏切った恋人のみ。
こればかりは、邪心母は笑みを消した。
(絶対に許さない。アイツらには、死よりもおぞましい地獄を味わわせてから殺してやる)
復讐の方法はすでに決めていた。
人間とは、痛みを与えなければ学習しない生き物だ。
だから、とことん教えてあげよう。
一方的に蹂躙される女の苦しみを。
「ずっと理不尽に思っていたのよね。男性はただ一方的に気持ちよくなって、女性だけが妊娠っていう負担を強いられるのって。不平等だとは思わないかしら?」
「ンゴ……オゴゴゴ……」
「あなたたち男も一度、女性の身になってごらんなさいよ。そうすれば少しは女の子に優しくできるようになるかもしれないわよ? ……まあ、もうそんな機会なんてないでしょうけど」
「ヤメ……グル、ジ……モウ、入ラナ……」
「わあ、凄い! 人間の体ってこんなに膨らむんだ~! どう? 男なのに母親になった気分は? 自分のお腹の中に無数の命があるのって素敵でしょ? パパに言われたのよね? 『いろんなことを若い内に経験しときなさい』って。よかったわね! こんな経験滅多にできないわよ!」
「ゴゴゴ……喰ワ、レル……中カラ……」
「あははは! 卵が孵ったみたいね! さあ、出てらっしゃい! 元気なお顔を見せて?」
ブシュッと肉だるまから無数の穴が空く。
──キシャアアアアア!!!
牙を剥いた幼虫が無数に顔を出す。
幼虫は養分を求めて、目の前の肉を夢中で貪り始めた。
「さあ、たくさん食べなさい! 骨も残らず、食い尽くしなさい! 二度と生まれ変わることもできないように、魂までも!!」
御曹司の息子のかつての取り巻きたちも、同じように蟲の餌にした。
ゆっくりと、時間をかけて、犯され、肉体を穢され、人としての尊厳を踏みにじられる絶望を与えながら。
「ああ、なんて素晴らしい力なの。こんなにも清々しい気持ちは初めてよ」
邪心母は涙を流して歓喜した。
死して蘇ったことで、逆に初めて生の実感を覚えていた。
踊り出したくなるほどの昂揚を覚えながら、邪心母は最後の標的のもとへ向かった。
「ああ、会いたかったわ。随分と幸せそうね~? こんな立派な家に住んで、素敵な奥さんに、かわいい赤ん坊までいて……よかったわね? 私を金で売り渡したおかげでこの生活を手に入れたのよね? ああ! 本当に……憎らしいわ」
かつての恋人は、希望通りの企業に勤め、順風満帆の生活を手にしていた。
邪心母がかつて望んだ理想の家庭を築いていたのだ。
「ゆ、許してくれ! ぼくはどうなってもいい! 家族には手を出さないでくれえええ!!」
かつての恋人は顔面を蒼白にしながら土下座をした。
その頭を邪心母は踏みつける。
「随分と都合のいいことを言うのね~? 奥さんにちゃんと説明してあげなきゃいけないでしょ? 自分が過去にいったい何をしたか? ネエ、知ってた奥さん? この男は金に目を眩んで私を売ったのよ。あなたはそんな男と結婚してしまったのよ。どんなお気持ちかしら?」
赤ん坊を抱えて震え上がる女性に向けて、邪心母は元恋人の過去を明かした。
恐怖の中に、ショックと失望の色が宿るのを見て、邪心母は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、かわいそうに! これでどの道、元の幸せな家族には戻れないわね! そもそも、あなたにそんな権利があると思ってたの? 私を裏切って、私を捨てて、なにもなかったかのように自分だけ幸せになって……いったいどんな気持ちで今日まで過ごしてきたのよ!? ねえ!? 何も! 何も罪悪感を覚えたなかったのかお前は!!」
怒りのままに邪心母は元恋人の頭を踏みつけ……やがて空気の抜けたボールのようにひしゃげた。
妻の悲鳴が上がる。
赤ん坊が大声で泣き喚く。
「安心なさい。あなたたちもすぐに同じ場所に送ってあげる」
「や、やめて! 来ないで!」
母親は赤ん坊を庇うように背を向ける。
邪心母は嗜虐の笑みを浮かべて近づく。
「お願い! この子だけには手を出さないで!」
必死な叫びだった。
自分のこと以上に、赤子の命を優先する母親としての懇願だった。
「私が憎いなら、殺してくれていい! でも……赤ん坊に罪はないでしょ!?」
その言葉に、邪心母の足は止まった。
赤ん坊の泣き声が、惨劇の場でひどく響いた。
邪心母の頬を涙が濡らした。
人間を辞めてから、すっかり流れなかったはずの涙が、止めどなく溢れた。
「……そうよ。赤ん坊に罪はないわよ。だったら……何で私の赤ん坊は殺されたの!? 奪う権利なんて、誰にもなかった! わかってるのよ! こんなことしたって……あの子は、もう私のもとに返ってこないって!」
ふと口からこぼれた己の言葉に、邪心母は呆然とした。
あれほど昂揚していた気持ちは、急速に覚めていった。
途方もない虚しさが邪心母を満たした。
わかってしまった。
復讐をしたところで、自分が本当に望むものは二度と取り戻せないことを。
結局、邪心母は母親と赤ん坊を殺すことはできなかった。
虚ろな顔で、夜を彷徨った。
(ああ、寂しい。お願い、誰かこの胸の隙間を埋めて?)
ひとりぼっちはいやだ。
邪心母は幼い子どものように泣いた。
欲しい。家族が欲しい。
この孤独を癒してくれる、たくさんの家族が。
(ああ、そうか。なら……造ればいいんだ。私の理想の家族を)
ひとつの境地に辿り着き、邪心母は歪な笑みを浮かべた。
欲しいなら自ら生み出せばいい。
何者にも決して奪われない、強靱な赤子たちを。
そのためには餌が必要だ。
さあ、喰らいにいこう。
理想の家族を造るために必要な素材を集めに。
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