家族が欲しかっただけ
孤児というだけで世間では腫れ物扱いされる。
特に学園ではそれが顕著だ。
親がいないことに気を遣われ、クラスメイトたちは家族の話題を出すことに躊躇いを覚えるようになる。
そうなると自然と人は離れていく。
「牧乃ちゃんの家に遊びに行ってもいい?」と言ってくれるほどに親しくなった女友達も、牧乃の住まいが孤児院だと知ると、気まずそうに距離を置くようになった。
気づけば牧乃は学園で孤独になっていた。
施設なら同じ寂しさを抱える仲間がいる……という美談は起こらなかった。
孤児の集まりでは、だいたいカースト制が発生する。
自分よりも惨めな存在を作り、虐げることで「自分は哀れな身の上ではない」と歪んだ安堵を得たがる。そんな性悪な子どもばかりだった。
気が弱い牧乃は絶好のターゲットだった。年下の子にすら下目に見られて、私物を盗まれたり、食事のオカズを横取りされることがしょっちゅうだった。
また、牧乃の顔立ちが一際整っているのもよくなかった。
孤児の中でも年長者の少年たちに、牧乃はよくイタズラをされた。
『おら、触れっつってんだよ!』
『や、やだ……そんなの触りたくない……』
『あん? また殴られてぇのかよ?』
『ひぅ……痛いの、やだ……』
『そうだろ? だったら言うこと聞けよ。そしたらこっちも気持ちよくしてやるからさ、へへへ』
『なんだよ、チビのくせにここは随分と育ってるじゃねえか』
『男が触ると育つって聞いたことあるぜ? 俺たちでもっと大きくしてやろうぜ』
同い年の少女よりも発育が良い牧乃は、年々女性らしい体つきに育っていった。
初潮を迎える頃までに孤児院に残っていたら、間違いなく少年たちに無理やり純潔を奪われていただろう。
だが幸いなことに、牧乃は老夫婦の養子として引き取られた。
義母である老婆は昔から子どもを産めない体だった。
夫婦二人で静かに暮らしていたそうだが、老い先短くなるとやはり子どもが欲しくなったようで、物腰が柔らかな牧乃を娘に選んだ。
義父の老人はそこそこの資産家で、牧乃は一躍良家の令嬢となった。
通う中学もエスカレーター式のお嬢様学校で、通常の学園よりも高度な教育を受けることができた。
牧乃はもともと勉学を熱心にしていたので、特に苦労することはなく、逆に新鮮な知識を取り入れることに喜びを覚えていた。
自分の人生が大きく好転し始めたのを、牧乃は感じていた。
もっと勉強を頑張って、良い大学に入り、良い企業に勤め、老夫婦に恩返しをしよう。
そして自分もいつか素敵な男性と出会い、素敵な家族を作るのだ。
牧乃の両親では成し遂げられなかった、温かで、幸せに満ちた家族を。
そんな夢をいだき始めた。
大学に入ると、牧乃は隣の席で親切にしてくれた男性と交際を始めた。
少し頼りなさはあったが、心の優しい、真摯な青年だった。
きっと私はこの人と結婚するんだろうな、と牧乃は思った。
彼といるときの時間は心地よかったし、とても自然体になれた。
青年も気持ちは同じだったようで、婚約指輪を買うためにせっせっとアルバイトをしていた。
「ぼくたち、ずっと一緒にいようね?」
「うん」
同じ学部の間で、二人は理想的なカップルとして微笑ましく見守られていた。
……だが、そうでない輩もいた。
時折、牧乃の体をやらしく見てくる集団がいた。
とある御曹司の息子と、その取り巻きたちだった。
父親の財力と権力を使ってやりたい放題をやっているという良くない噂が流れていた。
現に、牧乃に向ける彼らの目線は露骨に下劣だった。
「……心配ないよ牧乃ちゃん。ぼくは必ず君を守るからね?」
恋人の青年はいつも彼らの視線を遮るように牧乃を庇ってくれた。
構内ではなるべく牧乃がひとりにならないよう気遣ってもくれた。
彼がいてくれれば、きっと大丈夫だ。
卒業したら、彼と一緒になろう。
そんな思いを強めた。
数ヶ月後、いつものように牧乃は彼とデートをした。
行き先は告げられていなかった。サプライズにしたいのかな、と思い牧乃は黙ってついていった。
しかし駅とは異なるルートに向かっていたので、牧乃は首を傾げた。
「ねえ? どこに行く気なの?」
「……いいから、黙ってついてきて」
普段の穏やかな彼とは思えない、沈んだ声だった。
二人はやがてタワーマンションに着いた。
彼の住まいでないことはわかっていた。
実家暮らしの彼の家には何度も顔を出しているし、両親と挨拶も済ませている。
いったいこんなところに何の用事があるのだろう?
不審に思いつつも、牧乃は彼と一緒にエレベーターに乗り、最上階に向かった。
「ねえ、誰か知り合いと会うの?」
「……」
彼はもうひと言も喋らなかった。
最上階の中でいかにも特別扱いされているらしき部屋の前に着き、チャイムを押すと、ようやく彼は口を開いた。
「……親父の会社が、倒産したんだ。だから学費を自分で稼がなくちゃいかなくなって……」
「……え?」
唐突な話題に牧乃は驚いた。
彼にはしばらく実家に来ないでくれと言われていたが、そんな事情があったのだ。
彼は体を震わせながら俯いた。
「ぼく、絶対に大学は卒業したいんだ。入りたい企業が、大学卒の資格が必須で……金が、金が必要なんだよ……婚約指輪だって、もう買える余裕なんてないんだよ」
ガチャリ、とドアが開く。
その瞬間、弾けるように彼は走り去った。
「ごめん……本当に、ごめん。許して……」
最後にそれだけを言って、姿を消した。
ワケもわからず立ち竦む牧乃の体を、誰かが羽交い締めにした。
「んっ!? んぅうぅぅ!!」
口元を覆われたまま、牧乃は部屋に連れ込まれた。
部屋の中には、御曹司の息子とその取り巻きたちがいた。
「パパがよく言ってるんだ。若い内にいろいろなことを経験しておきなさいって。こういう刺激的なこともさ、若い内に済ますべきだと思うんだよ」
下卑た顔を浮かべながら、男たちは牧乃をベッドに縛り付けた。
「ま、そういうわけだから、楽しもうよ?」
「いやあああああああああああああああ!!!」
目が覚めると、牧乃は病院にいた。
見るも無惨な姿で路地に捨てられていたところを、誰かが通報してくれたらしい。
「ひどい……こんなのあんまりだわ!」
義母の老婆は牧乃の身に何があったか、同じ女性としてすぐに察した。
義父も怒り狂い、すぐに警察に通報したが……まともに取り合ってくれることはなかった。
恐らく、すでに御曹司の息がかかっていたのだろう。
老夫婦は悔し涙を流しながら、牧乃の心と体を労った。
牧乃は夢の中にいるような錯覚を覚えた。
恋人に裏切られ、男たちに辱められた。
それが自分の身に起きたことだと信じられずにいた。
おかしいではないか。
だって自分はこれから幸せになるはずだった。
こんなことが、起きていいはずがない。
牧乃は大学を辞め、まるで夢遊病者のように、一日中、呆然と過ごした。
あれは悪い夢だった。
そう思わなければ、とても理性を保てそうになかった。
だが……悪夢はちゃんと現実であったことを証明する事態が起こる。
牧乃は妊娠していた。
老婆は「すぐにおろしなさい」と言った。
間違いなく、牧乃を辱めた集団の内の誰かの子どもだった。
忌々しい記憶の結晶とも言える赤子。
しかし、不思議と牧乃に不快感はなかった。
自分の身に、ひとつ命が宿っている。
むしろ、そのことに感動を覚えていた。
(私に、子どもが?)
義理の両親とは異なる、真に血の繋がった存在が、お腹の中にいる。
たとえそれが自分を辱めた男たちの子であっても、牧乃はどうしてか憎むことができなかった。
どうあれ、それは自分の血を分けた子どもなのだから。
「私……産むわ。お願い、この子を産ませて」
反対する老婆に、牧乃は頭を下げた。
老婆は顔面を蒼白にした。
「あなたを襲った男たちの子なのよ!? そんな子を産んで幸せになれると思ってるの!? 私はイヤよ! そんな子を孫にするなんて! 穢らわしい!」
「それでも……赤ん坊に罪はないでしょ!? 私には、この子の命を奪う真似なんてできない! お願い! 私とこの子を、家族にさせて!」
自分の家族が欲しかった。
決して望んだ形ではなかったが、その夢は実現しようとしていた。
自分が母親としてこの子を守る。
世間の目なんて関係ない。
ここでこの子を見捨てたら、自分を捨てた母親と同じになってしまう。
それだけは、絶対に許せなかった。
(私は、お母さんとは違う! 絶対に見捨てたりするもんですか!)」
牧乃は頑として譲らず、妊娠した子を出産する覚悟を固めた。
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