地獄に送ってやる



     * * *



 キリカとアイシャの無事を見届けたレンは、すぐさまダイキとツクヨのサポートに移ろうとした。

 だが、ほんの数分、目を離していただけで、事態は急変していた。

 レンが目にしたのは、無数の黒い槍で体を貫かれたツクヨの姿だった。

 とうぜん隣のスズナがすぐに浄耀鐘を鳴らし、治癒を開始した。

 しかし……ツクヨの体が回復の兆しを見せることはなく、槍が深々と刺さった状態を維持していた。


「貴様らの背後に治癒能力を持つ者がいるのはすでに把握していたが……どうやら霊装頼りの半端者だったようだな」


 黒い渦から声が上がり、細長いシルエットが現れる。

 空間転移によって、ツクヨの大技を回避した影浸であった。


「霊装の効果ならば、俺の『影膜えいばく』で封じてしまえばいいだけのこと。いかなる霊装であっても、この黒い膜に包まれている限り回復することはない」


 ツクヨの体に張りつく黒い膜。

 ルカを拘束した際にも用いられた、霊装封じの霊術であった。

 ツクヨの肉体は、その膜に包まれた上でさらに複数の槍で貫かれたのだった。


「しかし……見事だ。頭部と心臓の部分を狙ったはずだが、咄嗟に急所を回避したな」

「……ごふっ!」


 ツクヨは口から血を吐き出した。

 彼女にはまだ息が合った。

 だが、その命が風前の灯火であるのは、誰の目から見ても明らかであった。


「ほう……霊術で槍を焼失させようとしているな。その状態で大したものだ。だが無意味だ。『疾黒ノ槍』は相手の体内に侵入すると増幅し続け、さらには内部でトゲ状に広がっていくようになっている。貴様が抵抗すればするほど、却って苦しみを長引かせるだけだぞ?」


 ツクヨの体内では、まるで枝分かれするようにトゲ状の物体が広がっていた。

 霊獣の力で何とか焼き切ってはいるが、トゲの増殖そのものは止められない。

 影浸の言うとおり、無駄に苦痛が長引く状態だった。

 そんなツクヨの首元に、影浸は大鎌を突きつける。


「俺なりの情けだ。すぐに楽にしてやる」


 一瞬で首を切断すべく、影浸は鎌を振りかぶると……背後から奇襲してきたダイキにソレを向けた。


「ぐっ!」


 鎌の斬撃をダイキは籠手で防ぐ。

 その勢いで体が弾き飛ばされたものの、しっかりと着地し、影浸と向き合う。


「……良いのか? 娘ではなく、師を優先して」


 影浸の意識は虫の息であるツクヨよりも、激昂するダイキへと移った。

 影浸の声には呆れの色が混じっていた。


「邪心母と娘の融合は着実に進んでいるぞ? 放置して良いのか? 貴様の目的は娘の救助であろう」

「……さんざん世話になった師匠が殺されかけて、見て見ぬフリする弟子がどこにいるってんだ!?」

「わからんのか? この女は見ての通り死にかけだ。もう助からん。であれば、貴様は引き続き娘の救助を優先すべきだった。貴様がいまの行いはこの女の死を無駄にすることだぞ」

「黙れ! 師匠はまだ……死んでねぇ! こんなことしておいて、偉そうに説教垂れてんじゃねえよ!」


 ダイキの怒号が空気を震わす。


「ルカも助ける! 師匠も助ける! 影浸……テメェをぶっ倒してな!」

「……ぷっ。アハハハハ! あなたが影浸を倒すですって!?」


 ダイキの宣言を聞いて、邪心母がさもおかしそうに嘲笑う。


「あなたのお師匠さんですら呆気なくボロ負けしたのに、あなたひとりで勝てるとでも思ってるの!? ねえ、あなたもそう思うでしょルカちゃん!」

「ダ、ダイキ……」


 少年を信頼しているルカですらも、こればかりは危機感を募らせた。

 それは天眼札で戦いを見守るレンも同様であった。


『ダ、ダイくん落ち着いて! ここは一旦引くしかないよ! いまキリちゃんとアイシャちゃんをそっちに向かわせる! 二人と合流するまで、戦いは避けて……』

「……そうしている間に、ルカと師匠はどうなる?」

『……っ』

「レンもわかってるだろ。やるしかねえんだ。俺だけでも、コイツを!」

『ダイくん……』

「頼む、レン。知恵を貸してくれ。お前の『眼』が必要だ」

『……わかった』


 少年の覚悟を、レンも受け取った。

 事実、ここで引いてしまったら、これまでの行いがすべて無駄になってしまう。

 レンは気を引き締め、少年の『眼』になる決意をした。


『キリちゃん! お願い! 山頂へ急いで!』

「わかってる! いま山頂が見えたわ! ここからは案内無しで行ける!」


 一秒でも早く応援が駆けつけられるよう、レンはキリカに呼びかける。

 キリカは木々の上を跳躍しながら、禍々しく光る山頂を肉眼で捉えた。


『アイシャちゃんも急いで! 山頂までのルートは……』

「はあぁぁん! ガイドは無用ですわよレンさん! なぜかわたくしの聖痕がクロノ様の位置を正確に探知してくれていますから! おっ♡ おぉぉん♡ 感じますわクロノ様の気配をぉぉぉん♡ 待っていてくださいましクロノ様♡ いまあなたのアイシャがイキますわあああああん♡」

『あ、うん……』


 下腹部に光る聖痕に導かれてアイシャはビクンビクンと痙攣しながら疾走していた。

 理屈は不明だが、アイシャがそう言うのなら問題ないだろうとレンは判断した。



     * * *



 レンは深呼吸をして、逸る心を落ち着かせる。

 頭を研ぎ澄ませ。観察を怠るな。考えを柔軟に切り替えろ。

 そう己に言い聞かせていく。

 少年の信頼に応えるべく、己の役割を全うすべく、レンは天眼札と向き合う。


「……やる。やるんだ。私たちで。絶対にダイくんを死なせない!」

「もちろんです、レンさん」


 意気込むレンの手に、スズナが優しく手を重ねた。


「私たちで、ダイキさんを勝利へ導きましょう」


 スズナの力強い眼差しを、レンは頷きで返した。


「スズちゃん。私たちでやれることを、全部やろう!」

「はい!」


 たとえ遠く離れていても、少年と少女たちの心はひとつだった。



     * * *



 俺は自分の選択を悔いていない。

 たとえルカを助けられたとしても、それで師匠を犠牲にするというのなら、俺は自分を一生許すことができない。

 無茶なのは百も承知だった。

 それでも、俺はどちらも助けたい。

 タイムリミットが刻々と迫っているのを感じる。

 迷っている暇はない。

 やるしかない。俺の手で……影浸を倒す!


「……本気で俺と戦う気か? 霊力も無い貴様が、たったひとりで」


 黒衣の向こうから眼光が俺を射貫く。

 凄まじい重圧に、血の気が引いていく。

 だが逃げない。逃げるわけにはいかない。


「……男に二言はねえ。どの道、お前から逃げられるなんて思っちゃいねえよ。だったら真っ向から戦うだけだ!」

「潔いな。あるいは、ヤケクソと言うべきか? どちらにせよ……随分と舐められたものだな、俺も」

「っ!?」


 影浸の周囲で地響きが起こる。

 肉眼でも視認できるほどの霊力が、影浸の体からほとばしる。


「その威勢がいつまで続くか、見せてもらおうか──人間」


 瞬間──死を予期させる気配が背後に生じる。


『ダイくん! 後ろ!』


 レンの声が聞こえると同時に、俺は動いた。

 俺が立っていた場所に、とつぜん黒い槍が出現した。

 これは……そうか。ツクヨさんもこの技で串刺しに!


『ダイくん! 次は右!』

「っ!?」


 右腹を狙うように、黒い球体が浮いていた。

 背後に向かって回避。

 黒い槍はギリギリ俺の腹部をかすめた。


「ぐっ!?」


 しかし、かすっただけでもその威力は凄まじく、腹部に切れ込みが生じて出血する。


『ダイキさん! ──癒しの音を!』


 天眼札を通して、スズナちゃんの浄耀鐘の音色が聞こえ、腹部の傷が塞がる。


「はっ!?」


 あちこちに漂う死の気配。

 立ち止まるな。動けと本能が命じる。


「うおおおおおお!!」


 頭で考えるよりも先に、危機感に従うままに疾走する。

 空間に黒い槍が立て続けに出現していく。

 まるで四方八方に入り乱れる黒い樹木のような中をくぐり抜けながら、俺は影浸の背後に接近していく。

 狙うは頭部。

 いかなる生き物も、頭部と心臓部を潰すのが鉄則!


 ──餓狼拳!


 渾身の一撃は……しかし硬質化された黒衣の鎌によって止められる。


「くっ!」


 追撃が繰り出される前に俺はすぐに跳躍し、敵から距離を取った。


「……驚いたな。あの連撃を躱しつつ、俺の背後を取るとは」


 顔は窺えないが、影浸は本気で驚いている様子だった。


「目が良い……というよりは危機察知能力が優れているというべきか。まるで俺の殺意を予期しているような動きだったな」

「へっ。そうだな、ビシビシ感じたよ。こちとらビビリなんだね。ビビリ特有の危機察知能力を舐めないでもらおうか?」


 この世界に生まれてから幾度と感じてきた死の予感。

 否応なく育まれた感覚が、奇しくも影浸の攻撃を回避することに役立っていた。

 それでも、ここまで奴の攻撃に対応できているのは、ひとえに「もう後には引けない」「絶対に勝たなければならない」という気持ちが後押しになっているからだ。

 俺がここで死んだら、ルカもツクヨさんも助からない。

 そんな最悪な未来が思い浮かぶたび、神経が研ぎ澄まされていく。

 何としてでもコイツを倒すという闘志が燃え上がる。

 たとえそれが……目の前の男を殺める結果に繋がろうとも。

 俺は決して躊躇わない。


「……末恐ろしい小僧だ。先の拳も的確に俺の頭部を潰す勢いだったな──だがひとつ襲えてやろう。俺たち侵徒を生き物と同様の弱点を持っていると思わないほうがいい」

「……何?」

「頭部と心臓など、もはや俺たちにとっては急所でも何でもないということだ。俺たち常闇の侵徒は、全員が死者だからな」


 死者、だと?


「そうよ、黒野くん。さっきルカちゃんにも説明したけど、私たちは死を超越した生ける屍──頭や心臓を潰されたところですぐに再生するわ。お分かり? どうあってもあなたに勝ち目がないってことよ」


 祭壇で邪心母が影浸に便乗するように嗤う。


 死者。

 死んでいるのに、言葉を話し、人々を傷つけ、そして俺から大事な存在を奪おうとしている……それが、常闇の侵徒。


「……そうか。よくわかった」

「あはは! どう? 絶望したかしら黒野くん? いまなら謝って土下座すれば、許してあげるわよ! あなただったら、新しい仲間として引き入れてあげても……」

「おかげで覚悟がより固まったよ」

「……え?」

「敵とはいえ、霊能力者とはいえ、人間相手と殺し合いをするなんて……正直、怖かったからさ。しょうがねえよ。俺、普通の学生だもんよ」


 己を恥じる。

 覚悟を決めたつもりだったのに、まだどこかで、甘えが残っていたようだ。

 ──生き物の命を、奪うことへの。


「でも安心したぜ。お前ら、とっくに死んでるのか。ゾンビみたいなもんってことか。だったら、何も遠慮なんていらないじゃないか。つまりお前ら──徹底的に潰していいんだな?」

「っ!?」

『ダ、ダイくん?』

『ダイキさん?』


 心なしか、邪心母が怯えたような気配を見せる。

 レンとスズナちゃんも、戸惑うような声を送ってくる。

 ……この感覚は何だろう?

 前世でも感じたことのない、怒りが込み上がってくる。


 ……そう、怒りだ。

 この世界のイカれ具合に、心底腹が立っている。

 ああ、本当にさぁ……。

 どこまで自然の法則を無視してやがんだ、この世界は。


「とっくに死んでるヤツが……生き物みたいな真似して、いつまでも現世に関わってんじゃねえよ! 俺から大切な人たちを奪おうとしてんじゃねえよ!!」


 悪霊も、怪異も、どいつもこいつも、みっともなく現世にしがみつきやがって。

 だから、ホラーは嫌いなんだ。

 あるべき摂理を崩壊させてまで、人の幸せを奪うコイツらが……大嫌いだ!


「お前らまとめて、地獄に送ってやる!」


 もうこれ以上、誰も奪わせない!

 このふざけたホラーの世界を……狂いに狂った摂理を俺が、ぶっ壊す!

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