それぞれの戦い
「……地獄ですって? 何を言ってるのかしら? この世がすでに地獄そのものでしょ」
邪心母の冷やかな声が上がる。
失望、諦観、憤怒……あらゆる負の感情がこもったような声だった。
「誰もが目を逸らしているだけよ。仮初めの平和や幸福で誤魔化しているだけで、世界はとっくに腐りきっているのに……」
余裕げに俺を煽っていた態度はすでに見られない。
どこまでも感情的な、憎しみすらこもった目線が向けられる。
「死んだら素直にあの世へ行けって? じゃあ、なに? 私たちは惨めに死ぬために生まれてきたの? その運命を受け入れろっていうの? ……ふざけないで。ふざけないでよ! 何も知らないガキが偉そうに説教してんじゃないわよ!!」
邪心母の怒気を物語るように、祭壇がヒビ割れていく。
「甘い蜜だけを啜って生涯を終えられたら、そりゃ幸せでしょうねぇ! この世は天国だったって言えるでしょうねぇ! でもね……ソイツらが垂れ流す糞やゴミの処理を任せられるような、貧乏くじを引く人間だっているのよ! アイツらはいつだって私たちから一方的に奪って、踏みにじって、都合良く利用して……そういう連中に限っておいしい思いばかりする! 裁かれもせず、罰されることもなく、のうのうと生き延びる! 許せるはずがないじゃない! だから……この世を真の地獄に変えるのよ! 誰もが平等に絶望して苦しむ世界にするために!」
それは途方もない怨嗟の叫びだった。
思わず、固唾を呑んでしまうほどの。
いったい、どれほどの絶望を味わえば、こんなにもおぞましい憎しみが生まれるというんだ。
「誰にも私たちの邪魔はさせない! 邪魔するヤツは……全員殺す! 殺して影浸! その生意気なガキを殺して!」
「お前が望むなら、そうしよう」
黒衣を大鎌に変えた影浸が、目線で俺をまっすぐ射貫く。
「黒野大輝……お前の言い分は間違っていない。正当な怒りだ」
「……なに?」
「死者が生者の命と幸福を奪う……俺たちがやっていることはまさしく自然の摂理に反した外道の行いだ。否定する気は一切ない」
影浸からの思わぬ言葉に、俺は戸惑い、訝しむ。
何だ? 俺の油断を誘っているのか?
「だが……そうでもしなければ、報われぬ魂があるのも、また事実だ。だからこそ、この世は怨霊、悪霊、怪異にまみれているのではないのか?」
「……」
影浸の指摘を、すぐに否定することができなかった。
「自殺でもない限り、人は死に際を選べない。誰しもが己の死を受け入れられるわけではないだろう? 非業の死ともなれば尚更だ。死ぬに死ねない。生前に叶えられなかった願いを叶えたい……俺たち常闇の侵徒は、そういう者たちの集まりだ」
黒衣で隠された顔が、どんな表情を浮かべているのかはわからない。
だが……目の前の男はいま、悲しい顔をしている。
そんな気がした。
「だからこそ女王様の力による復活は我々にとって祝福だった。闇こそが救いになる者もいるのだ、黒野大輝」
「……言いたいことは、それだけか?」
闇こそが救いだって?
いったいどんな地獄を見れば、そんな言葉が出てくるんだ?
理解したくない。だが……心のどこかで、影浸の一部の言葉に頷いている自分がいた。
「人は死に際を選べないか……ああ、確かにそうだな。俺だって、自分の死に際に納得してるわけじゃないからな。いまだに無念だよ。あんな最期を迎えて」
「なんだと? 貴様、いったい何の話を……」
「こっちの話さ。気にするな。ただまあ、そうだな……俺もある意味、生き返って人生をやり直しをしているようなもんか。ひとつ謝るよ。俺もお前たちに偉そうなこと言える立場じゃなかった」
影浸だけでなく、少女たちの動揺する気配も伝わってくる。
「ダ、ダイキ?」
『ダイくん? いったい何の話を……』
『生き返ったって……どういうことなんですかダイキさん?』
ルカも、レンとスズナちゃんも俺の奇妙な言動に戸惑っている。
皆、思いもしないだろうな。まさか俺が転生して人生をやり直しているだなんて。
……俺は、ただ運が良かっただけなのかもしれない。
たまたま、もう一度人間に生まれ変わることができただけで……ひょっとしたらおぞましい怨霊になっている未来もあったかもしれない。
誰だって死にたくない。
納得いくまで人生を生き抜いて、幸せのまま生涯を終えたい。
そう願っているのに、理不尽に命を奪われたら……ああ、そうだな。
許せないよな。納得できないよな。
でも、それでも……それでも!
「お前たちがどんな絶望を味わったかは知らない。だが、それでも──俺からルカを奪っていい理由にはならねぇんだよ!!」
無念を晴らしたい。
その気持自体は決して否定しないさ。
だが結局のところ、コイツらがやっていることは!
「テメェらこそご大層な言葉並べて誤魔化すな! 何が祝福だ! 何が救いだ! テメェらがやってることは……ただの八つ当たりじゃねえか!」
俺は決して忘れていない。
コイツらのせいで、清香さんの命と幸せが奪われたことを!
絶対に、絶対に、許さない!
「これ以上、俺から何も奪わせねえぞ! 常闇の侵徒!」
「俺も引く気はない。『影』として邪心母の願いを叶える──それこそが俺の存在意義」
鋼鉄の籠手と黒い鎌が衝突し、赤色の火花が散る。
「改めて相容れぬことがわかったな。では……心置きなく殺し合おう」
「上等だ、マント野郎!」
……負けねえ。何があっても、コイツだけには!
「うおおおおおお!!」
雄叫びと共に拳の連撃を繰り出す。
鎌の攻撃を捌きつつ、敵の腹部、胸部、肩へ拳を打ち込んでいく。
「……無駄だとわからないか?」
だが拳はすべて、やはり影浸には通じていなかった。
最初に立ち合ったときと同様、殴ってる感触がまったくしない。
ちくしょう! いったいどんな霊術を使っていやがる!
『ダイくん! 下がって!』
「くっ!」
レンの呼びかけと同時に、至近距離に黒い球体が生じたことを感じ取り、後方へと下がる。
黒い槍が眼前に出現する。
ギリギリだ。少しでも回避が遅れればあっという間に串刺しにされてしまうところだった。
本当に厄介な相手だ。攻守共に隙がなさ過ぎる!
「どうした? さっきまでの威勢はもう終わりか?」
「舐めるな!」
具足型の霊装『閃影虎月』のつま先部分を大地に向けて、一気に蹴り上げる。
──猛虎裂脚・石礫
蹴り技で大地を穿ち、その衝撃によって地中に埋まっていた岩石を礫のように打ち出す。
「ほう、このような攻撃方法があるとは……だが、それも無意味だな」
飛来する岩石を、影浸は棒立ちのまま難なく受け止める。
ダメージが入っている様子はまったくない。
「お返しだ」
頭上に向かって飛来する岩石を、影浸は逆に打ち返す。
「……む?」
だが生憎と、打ち返した先に俺はすでにいない。
「目眩ましだ」
「っ!?」
無数の岩石の影に隠れ、俺は瞬時に影浸の背後に移動していた。
──餓狼月吼波
ガラ空きの背中に向けて、渾身の一撃を叩き込む。
途中で影浸の大鎌が壁となったが、それごと打ち砕き、本体に掌底を打ち込めた。
影浸の細身が彼方へと吹っ飛んでいく。
……手応えはあった。
俺が持つ最大威力の技。熔さんの御札の効果もあって、その破壊力は生身の人間が出すものとは思えないほどのものになっていた。
いくら影浸でも、これほどの威力の技を浴びれば……。
「……どこまでも人間離れしたヤツだな」
「……っ!?」
土煙から黒いシルエットが現れる。
相も変わらず無傷の影浸がそこにいた。
「そんな、バカな……」
あれを喰らって、傷ひとつ無いだと!?
「お前のような人間は初めてだ、黒野大輝。まさか霊力もない人間にここまでの一撃をもらうとはな。並の侵徒であれば、いまので敗北していたやもしれん……だが、相手が悪かったな」
影浸……コイツ本当に無敵か!?
* * *
「あはは! だから言ったのに! 影浸に勝てるワケがないのよ!」
困惑する様子のダイキを見て、邪心母はさも愉快そうに笑っていた。
「口先だけはいっちょ前にかっこつけちゃってさ! ああ、情けない! 残念だったわねルカちゃん! せっかく愛しの王子様が助けに来てくれたのに、あのまま影浸に惨めに殺されるわよ! 滑稽よね! あははは!」
融合によって混ざりかけているルカに対して、より絶望を味わわせ気力を奪おうというのか。
邪心母は露骨にルカを煽るような言動を見せたが……。
「……どうして、そんなに泣いているの?」
「は?」
「何が、そんなに悲しいの?」
しかし、返ってきたのは思わぬ言葉だった。
事態はまったく好転しないというのに、ルカの態度は思いのほか落ち着いていた。
そんなルカに邪心母は違和感をいだくと同時に、難色を示す。
泣いている? 悲しんでいる?
何を言っているのか、この小娘は。
自分は別に泣いてなどいない。
実際、邪心母は涙を流していない。魔性の美貌には変わらず邪悪な笑みがはりついている。
「何を言ってるのあなたは? この状況のせいで、とうとう気がおかしくなっちゃったのかしら?」
「……私にかけられた禁呪のひとつに『人間に霊術を使えない』っていう禁呪がある」
「は? 急に何を言って……」
本当に気がおかしくなったのか、とつぜん脈絡もない話題を出すルカに邪心母は気味が悪いものを見るような目線を送る。
ルカは気にも留めず、話を続ける。
「人間に霊術は使えない。でも霊能力者に対しては、怪異と同様の脅威として例外的に使うことができる……それでも相手が人間である以上、全力は発揮できない。それは私が人間の命を奪うことを恐れているから。霊能力者と戦うとき、怪異とは違って、私は本領を発揮できない。どうあっても力が半減してしまう。だから……影浸に攫われたときも力を出し切れなかった」
「……何が言いたいのよ?」
「あなたたちは言ったね。『自分たちは死を超越した屍』だって」
「そうよ! 私たちはもう人間じゃない! あなたたちみたいな脆弱な人間とはワケが違う! 女王様に見初められた選ばれし存在なのよ!」
狂気の笑みを浮かべながら、邪心母は誇るように腕を広げる。
そんな邪心母に対してルカは……どこか哀れむような目を向けた。
「そうだね。あなたたちはもう人間とは言えないのかもしれない。人の形をした化け物なのかもしれない……でもね、私の『禁呪』はまだあなたに対して効果が続いているの」
「……は?」
「それは、私があなたをまだ人間だと認識しているから。おかしいよね。こんなにひどいことされてるのに。あなたが死者だとわかっているのに……でも、知ってしまったから。あなたの心が……ずっと悲鳴を上げているってことを」
「っ!?」
邪心母は気づいた。
融合してひとつになっていることで、ルカは何かを感じ取っている。
……邪心母が、秘め隠しているものを。
「……やめなさいよ。何よ、その目は? 私をそんな目で見るな!」
「教えて。あなたの過去に何があったの? こんなことをするのは、どうしてなの?」
「やめろやめろやめろ! 私の心に踏み込むな!」
邪心母の心は再び乱れた。
ダイキの言葉をキッカケに、そしてルカの眼差しに、余裕を取り戻すことができなくなった。
「なによ……なんなのよ!? どうせこれから死ぬっていうのに、なんでそんな冷静なのよ!? 絶望しなさいよ! 惨めに泣き喚きなさいよ!」
「……昔、お母さんに言われたことがある。憎しみは必ず新しい憎しみを生む。どこかで断ち切らないと、その連鎖は止まらない……だからその悲しい連鎖に囚われた人を救えるような子になって、って……いまなら、その言葉の意味がわかる気がする」
邪心母は怯んだ。
ルカの瞳の中にあるのは、絶望でも何でもない。
未来に突き進むことを諦めない、輝きがそこにあった。
「ダイキが戦っている。だったら私も……自分の戦いをする。このまま黙って、あなたに取り込まれなんてしない」
意を決した顔つきで、ルカは邪心母とまっすぐ向き合う。
「さあ、話し合おうよ。女同士ふたりで、遠慮なんて一切なしでね」
言葉は力。人はそれを言霊と呼ぶ。
いまのルカに霊術としての言霊は使えない。
ゆえに『対話』という名の言霊を、ルカは邪心母に差し向けた。
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