アイシャVS妬婦魔②


 結界術は高等な霊能力者が使用する上級霊術の一種である。

 その効果は主に認識阻害、侵入阻止、使い手の強化と敵性存在の弱体化などに限られる。

 一方、景観どころか物理法則すら変えてしまうような結界……いわば異空間の生成は、いかなる霊能力者でも実現不可能とされている。

 次元の狭間に、まったく新しい世界を生み出す行為……それはもはや怪異のみが可能とする領域だ。

 めぐる駅を始め、異界駅を生成する怪異がその代表例だが、もともとは悪魔と呼ばれる存在が編み出した奥義と言われている。


 ……そう。だからこそありえない。

 人の身でありながら、このような異空間を生み出すことなど。

 だが現実として、アイシャ・エバーグリーンは成し遂げた。

 妬婦魔の異空間を侵食し、自らの世界に塗り替える荒技を。


「アンタ……本当に何者なのよ!? 人間がこんな異空間を造り出せるわけがない!」


 異界駅を生み出す怪異として、妬婦魔は憤慨した。

 認めたくない。

 こんな裸同然の格好をした痴女丸出しのシスターごときに、自らの霊術が覆されたなどと。


「なるほど。疑問は最もですわ。わたくしもまさか自分がこのような世界を生成できるとは思っていませんでしたわ」


 変態染みた格好に反して、アイシャは至って厳粛な顔つきで妬婦魔の疑問に応じる。


「ですが、どうやら主はわたくしを人の身を超える権利をお与えくださったようですわ。鏡面の悪魔との戦いで、わたくしの体にあるものが浮かび上がったのです」

「あるもの? ……っ!? まさか!」


 アイシャの思わせぶりな発言に、妬婦魔には思い至るものがあった。

 それは邪心母の腹の中にいた頃に得た知識。

 霊能力者、特にエクソシストの中には、稀に人間を超越した力を持つ『聖者』と呼ばれる存在が現れるという。

 その者には共通して、あるものが体に浮かび上がる。


「そう──『聖痕』ですわ。神はわたくしを真に『聖女』として認めてくださったのです」

「バ、バカな! あ、ありえないわ! 『聖痕』の持ち主なんて滅多に現れるものじゃないはず!」


 だがアイシャが聖痕を得たというのなら、すべての辻褄が合う。

 神の恩恵の象徴たる聖痕の力を持ってすれば、この世界を生み出すことなど造作もないだろう。


「では証拠を見せましょう。その曇りきった眼でしかと刻みなさい。我が聖痕の輝きを!」


 アイシャの体の一部が光り輝き、ゆっくりとエンブレムらしきものが浮かび上がる。


「こ、これは!?」


 妬婦魔は確かに見た。

 翡翠色に輝く紋章を。

 アイシャの下腹部に。


「って、なんちゅうところに聖痕光らせてんだ~!?」


 あまりにも品の無い場所で輝く聖痕を前に、妬婦魔は叫ばずにはいられなかった。


「場所は関係ございませんでしょ! さあ、これでわたくしが聖痕の持ち主だとおわかりになりましたわね!」

「いや、でも普通は腕とか手の甲でしょ!?」

「細かいことはどうでもいいのですわ!」

「気にしろよ少しは! てか、それ本当に聖痕か!? なんかちょっとおかしくない!? 紋章の形もなんかこう……ハート型だしさ!?」

「デザインなんて知ったこっちゃねえですわ! どうせ神の趣味ですわ!」

「いいのかそれで!? いや、やっぱりそれ聖痕じゃないって! むしろ何か別の……」

「いいえ聖痕ですわ! 聖痕ったら聖痕なんですわ!」


 下腹部をハート型に光らせながら、アイシャはあくまで聖痕の一点張りを貫いた。


「疑り深い子は神に代わってお仕置きですわ! とくとお見せしましょう! 我が【聖域創成】の力を!」

「うわっ! なにこのデタラメな霊力!?」


 凄まじい霊力の暴圧が妬婦魔を襲う。

 アイシャに刻まれたものが本当に聖痕なのかはどうあれ、既知に存在しない規模の力が発動していいるのは事実。

 このままでは、まずい。妬婦魔は咄嗟に攻撃態勢に移る。


「こんな世界、本体であるアンタを倒せてしまえばどうってことないわ! 喰らいなさい! ゴハアアアアア!!」


 妬婦魔は口から炎を吐き出した。

 吸収した霊力と精神力を糧に、高火力の炎を造り出せるのだ。

 たとえ躱せても、炎の揺らぎを見ただけで戦闘意欲を消失し、進んで死を選ぶという呪い付きだ。

 いかに己に有利な異空間を造り出せても、使い手本人が自死してしまえば脅威でも何でもない。


「まあ大変! 火事ですわ! 消火開始ィ!」

『ラジャー! 消火開始ィ!』

「……は?」


 妬婦魔の炎はあっさり消された。

 とつじょ現れた消防車の消火水によって。


「は? は?」


 意味がわからない。なぜここにいきなり消防車が現れる?

 しかもオモチャみたいに小さな消防車が。

 小さな消防車の扉から、これまた小さな人間が出てくる。

 二頭身サイズの黒髪の少年だった。

 ヌイグルミのような少年はアイシャに向けてビシッと敬礼をする。

 それは、黒野大輝にそっくりな姿をしていた。


『火、消シタヨ! アイシャノタメニ!』

「まあ、いい子ですわねクロノ様ちゃん! よしよし~! スリスリ~ですわ~!」


 蕩けきった顔でアイシャはヌイグルミサイズの少年を抱きしめて頬ずりをする。

 妬婦魔は呆然した。

 いったい自分は何を見せられているのか。


「何よその気色悪いチビは!?」

「んまっ!? クロノ様ちゃんのこと悪く言わないでくださいまし! わたくしの愛によって産まれた可愛い可愛い子ですのよ!」

「んなこと聞いてねえわ! ていうか何でワタシの呪い効いてないの!?」

「ふっ。呪いなどこの【聖域創成】の中では意味を成しませんわ。この世界は、わたくしの望むままに、あらゆる奇跡を起こせる空間ですもの!」

「なん、だと?」


 では、先ほどの消防車も、アイシャの胸に抱かれるヌイグルミもどきも、アイシャの望むままに創造されたものだというのか。

 だがそれだけで呪いを打ち消せるなど、理屈に合わない。

 妬婦魔は怒りのままに、再び炎を放つ。


「今度こそ死になさい! ゴハアアアアア!!」

「性懲りもないですわね~。クロノ様ちゃん! 愛の力で薙ぎ払いますわよ!」

『ワカッタ。アイシャ、ダイスキ』

「はああああん♡ わたくしもですわクロノ様ちゃああん♡ あぁん♡ 愛が溢れるぅぅん♡♡♡」


 恍惚としたアイシャから光の波動が放たれる。

 またしても呪いの炎は一瞬でかき消されてしまった。


「ど、どうなってるのよいったい!?」

「無駄無駄無駄ですわ~! わたくしたちの愛の前ではいかなる呪いも無効化! 愛の気持ちが強ければ強いほど、わたくしはこの世界であらゆる奇跡を起こせるんですのよ!」

「愛、だと?」


 アイシャの語る言葉の意味を妬婦魔は自分なりに解釈し、ひとつの結論に至った。


「……つまりこういうこと? アンタが発情すればするほど……この世界はアンタの思い通りの現象が起こせるのね!」

「発情ではなく愛ですわ!」


 それだけは譲れないとばかりにアイシャは指をビシッと差し出した。


「愛こそ無敵のパワー! どんな苦難も呪いも打ち消す奇跡の力なのですわ! ねえ、クロノ様ちゃん♡」

『アイシャ、ダイスキ。ルカ、過去ノ女』

「はぁぁん♡ いい子いい子いい子~♡ チュチュチュ♡ あむあむあむ♡ べろべろべろ♡」

「うわぁ……」


 妬婦魔は納得いかなかった。

 こんなヌイグルミを舐め回すような変態女に、自慢の霊術が無力化されるなど。


「納得いかなあああああいい!!」


 衝動に任せて、妬婦魔は蛇の尻尾を振り上げた。


『アイシャ、守ル。ダイキパ~ンチ』

「ぐはあああ!?」


 アイシャに尻尾が直撃する寸前に、ミニサイズのダイキが妬婦魔を殴り飛ばす。

 小柄なサイズから放たれるとは到底思えない凄まじい威力であった。


「えええ!? このチビ強っ!?」

「当たり前ですわ! クロノ様は殴れる相手に対しては無敵なんですもの!」


 どうやらこのミニサイズの少年の元になったモデルは、アイシャの中でよほど超人扱いされているらしい。

 その信頼、または思い込みゆえか、通称『クロノ様ちゃん』はとんでもない戦闘力を誇っていた。


「やっちゃいまし~クロノ様ちゃ~ん!」

「ちょっ、待って……あぶっ!?」

『オ前、殴レルンダナ? オ前、殴レルンダナ? オ前、殴レルンダナ? オ前、殴レルンダナ? オ前、殴レルンダナ?』

「あぶぶぶぶぶぶぶ!!」


 拳の連撃が妬婦魔を襲う。

 一方的にタコ殴りされ、顔が悲惨な状態となる。


「次はキックですわよ~!」

『ダイキキ~ック』

「ごばぁ!?」


 アイシャの声援に応えてミニダイキの蹴りが炸裂。

 妬婦魔はサッカーボールのように吹き飛んでいく。


「続いてファイアー!」

『ダイキファイア~』

「待てぇ! 火を吐く人類がいるわけねぇだろ!」

「いいえ! クロノ様だったら火を出すことだって造作もないはずですわ!」

「アンタの中でその男どんだけミラクルボーイなんだよ!?」


 炎に焼かれながら妬婦魔はアイシャの思い込みの深さに戦慄した。


「愛はいかなる不可能をも可能にするのですわ! そして愛を失いし悲しき怪異よ……この聖女アイシャ・エバーグリーンが思い出せてあげますわ。この世には美しく、素晴らしいものが満ちあふれていることを」

「今度はいったい何を……うわああああ!?」


 とつぜん妬婦魔の足場が消滅し、下へ向かっていく落下していく。

 ボチャン、と何やら湯船のような場所に墜落する。


「ブハツ!? 何なのよもう~! って、油くさ!? 何これ、ラーメン!?」


 妬婦魔が落ちたのは巨大なラーメンの器の中だった。

 もはやツッコミも追いつかない異常事態であった。


「ズルズルズル……さあ、冥土の土産ですわ! ラーメンという素晴らしいお料理を味わいなさい!」


 巨大ラーメンの上空でラーメンを食べながらアイシャは言った。


「いや、いらねーし!? ぎゃあああ!? 麺が空から降ってくる!?」

「替え玉追加ですわ~!! 遠慮はいりませんことよ~!」

「食えるかこんなに! ぎゃあああ! 麺に押し潰される~!」


 無数の巨大替え玉に圧迫され、ラーメンの器が決壊。

 妬婦魔はギトギトの汁まみれになって流し出された。


「げほげほっ! 何でこんな目に……ん?」


 次に妬婦魔の目に入ったのは巨大な冊子。

 表紙の絵柄を見るに週刊漫画誌のようであった。


「漫画は世界に誇るエンタテインメント文化ですわ! 数々の名作を読まずして成仏するなどあまりに勿体ないことですわよ! さあ、ご覧なさい! 至高のエンタメをその身で味わいなさい!」


 巨大な少年誌のページが捲れる。

 すると冊子の中から次々と漫画のキャラクターが飛び出してきた。


「著作権の都合によりモザイクをかけた上で技名は省略させていただきますわ~!」

「ぎゃああああああ!!? 本当に何でもアリかコイツ!」


 漫画のキャラクターたちは各々の必殺技を妬婦魔へ放ち、一方的に蹂躙していく。


「ダンスはお得意でして? ゲームセンターという場所はいいですわね~! いろんなゲームが遊べる上にダンスまで踊れるのですから~! わたくしが踊ると殿方が集まって絶賛してくれるんですのよ~!」

「そりゃそうでしょうね~! そんなご立派なものバインバインに揺らしてんだから! ぐはあああああ!!」

「あ、そ~れ~! フルスコア~! 目指せフルスコア~!」


 アイシャがダンスゲームを踊り出すと、その動きに合わせるようにゲーム内のキャラクターがダンスを始め、足場にいる妬婦魔をゲシゲシと踏み潰していく。


「……どうやって戦えばいいの!?」


 次々と繰り出される奇天烈で理不尽な現象に妬婦魔は為す術がなかった。

 この世界は、まさにアイシャの思い通りなのだ。

 想像力の赴くままに、あるいは妄想力の赴くままに、いかなる怪現象も自由自在に引き起こせるのだ。


「カスタードクリームにこしあん、あんあ~ん♡ たい焼きはやはりクリーム入りが一番ですわ~♡」

「ぎゃああああ! 鉄板に挟まれて蒸し焼きにされる~!!」


 道具も、場所も、即生成。

 悪夢そのものとしか言えない世界で、妬婦魔はただ振り回されることしかできない。


「皆様にはこの蛇を一ヶ月育てた後、食べていただきます! わたくしは皆様に命の尊さを知ってほしいのですわ!」

「やめろ~小学生に蛇食わせようとすんな!!」


 そして何よりも恐ろしいのはこれだけ攻撃を浴びていながら、一向に浄化される気配がないということ。

 これでは完全に生き地獄だ。

 この世の尊さを思い出させる、という名目で虐げているようにしか思えない。


『ワー、アイシャ万歳~』

『アイシャ世界一~』

『聖女、聖女、ドコカラドウ見テモ圧倒的聖女』


 サイリウムを握る無数の『クロノ様ちゃん』に囲まれながら、アイシャは腰をクネクネさせながら謎のダンスを踊っていた。

 傍らにはなぜか鹿がいた。


「はぁぁぁん♡ 皆様ありがとうですわ~♡ 昨今流行りのダンスをお披露目させていただきますわ! さあ、皆様もご一緒に! ぬんっ!」


 もう付き合ってられん、と妬婦魔は逃亡を図った。


(帰るんだ! ワタシは必ず元の世界に帰るんだ!)


 この【聖域創成】も結界術の一種ならば、必ずどこかに綻びがあるはず。

 必ず探し出して元の世界に帰ってみせると、妬婦魔は疾走する。

 そして……見つけた。

 狂った世界の中にひとつだけ、出口らしき穴が。


(ああ! 出られる! やっとここから……)


 妬婦魔は嬉々として抜け穴からスルリと出た。

 そこで待っていたのは……、


「ようこそ、聖女の間へ」


 慈悲深き笑顔で腕を広げる、巨大化したアイシャだった。

 妬婦魔は絶望感で啼いた。


「この【聖域】にて、あなたは思い出したはずですわ。人だった頃の幸せを……命の尊さを……そして世界がどれだけ美しいかを!」

「いや、全然……」

「これこそが愛の力。あなたが愛を思い出してくれて、わたくしは嬉しゅうございます。さあ、もうこんなことはやめて楽になりなさい」

「聞けよ! 何いい雰囲気で締めようとしてんのさ!?」

「聖女として、わたくしが最後の慈悲を与えましょう!」

「もうやだ、この聖女!」


 すっかり自分の世界に浸り、都合良く展開を運んでいくアイシャに、妬婦魔は頭を抱えた。


「おお、主よ。この魂に救済を」


 巨大化したアイシャの聖痕が光り輝く。

 あまりに光り輝きすぎて下半身が覆い隠されて見えなくなるほどに。


「さあ、お浴びなさい! 我が『聖水』を!」


 プシャアアアア! とアイシャの下半身から翡翠色の飛沫が降り撒かれた。

 敬虔な気持ちよりも生理的嫌忌避感が生じる絵面だった。


「うわっ、きったね!」

「汚いとは何ですの!? 聖女印の特製『聖水』ですことよ!? 遠慮せずにお浴びなさ~い♡」

『オラッ、モット出セ。聖水、噴イチマエ』

「はああああん♡ クロノしゃまぁ♡ 噴きましゅ♡ アイシャもっと聖水出しちゃうぅぅ♡♡♡ おっほ~ん♡♡♡」


 傍らの『クロノ様ちゃん』の補助も加わり、アイシャはより盛大に聖水を噴き出した。

 翡翠色の聖水が豪雨となって妬婦魔に降り注ぐ。

 聖水の一滴が妬婦魔の体を崩壊させる。

 瞬く間に妬婦魔は原型を留めずに朽ち果てていく。


「いやだああああああ!! こんな最期はいやだああああああ!!!」


 数々の人間を異界駅に閉じ込めてきた怪異は、屈辱に苛まれながら終わりを迎えた。

 異空間は消滅し、アイシャは現実世界へと帰還する。


「ふっ。やはり愛は無敵ですわ!」


 月明かりに向けて、アイシャは意気揚々と叫んだ。

 その隣で、レンの霊装である天眼札が所在なさげに宙に浮いていた。

 いまさっきキリカの戦いを見届けたレンが、急遽サポートのためにやってきたのだが……。


『……あ、あはは。アイシャちゃんには私のサポートいらなかったみたいだね』


 いかなる怪異相手でも決してブレないアイシャの戦いぶりを見て、レンは苦笑するしかなかった。

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