アイシャVS妬婦魔①


 異界駅。

 見知らぬ無人駅に迷い込み、奇妙な出来事に見舞われる都市伝説の一種である。

 ネット掲示板に投稿されたあの代表的な異界駅の存在が世間に認知されたことを契機に、機関は調査を開始。類似した無人駅が複数存在することが明らかになった。

 めぐる駅も、そんな異界駅のひとつである。

 この手の異空間を生成する怪異には共通点がある。

 何かしら意思を持った本体……異空間を維持する核が存在することだ。

 邪心母が喰らったのは、まさにその核である。


 めぐる駅の核は、失恋した女の怨霊である。

 恋人に浮気をされ、理不尽に捨てられて駅に身投げした彼女の魂は成仏することなく、人々を誘い込む異界駅の核となった。

 彼女のターゲットは主に二種類。

 かつての恋人と同じく浮気性の男と、そして男を惑わす好色女である。

 自分を捨てた恨み、そして愛した男を奪われた悔しさを晴らすため、めぐる駅は節操のない男女を閉じ込める。

 どこまで歩いても、永遠に脱出できない無人駅。

 その絶望した顔を眺めながら、めぐる駅は嬉々として命を奪うのだ。


 合成怪異『妬婦魔トフマ』の主人格となる怪異は、そんな類いの怨霊であった。

 ゆえに、彼女は許せない。

 アイシャ・エバーグリーンのように、容貌に恵まれ、男受けする艶やかさを持つような女を。


「ああ、本当に忌々しい~。あなたみたいに美人で体つきがいやらしい女、ワタシ大嫌いなのよね~。男に苦労したことないでしょ~? 恋人持ちの男にすらよくジロジロ見られるんでしょ~? そうよ、アンタみたいな女がいつだって男を奪っていくのよ!!」

「くっ……」


 平野をひたすらに疾走するアイシャの背後を、妬婦魔は追尾しながら一方的に難癖をつけていた。

 その声を無視しながら、アイシャは周囲を観察する。


(異空間にはどこかしら綻びがあるもの。そこさえ見つけられれば、脱出のための突破口となるのですけれど……)


 いかなる建物も歳月と共に劣化して脆い部分ができるように、異空間にも隙間が生じる。

 見つけ次第、霊術で風穴を空けるつもりでいたが……


(……やはり先ほどから同じ場所をグルグルと走らされていますわね)


 探索は無意味と判断したアイシャは足を止めた。

 その様子を妬婦魔は愉快そうに眺めている。


「アハハハ、いくら走っても無駄だよ~。この世界に囚われた時点で、アンタは二度と出られないのよ~」


 先ほどからこの女怪はアイシャを煽るばかりで攻撃を仕掛けてこない。

 ……恐らく、その必要がないからだろう。放っておいても、自然とアイシャが再起不能になるとわかっているのだ。


「うっ……」


 アイシャは膝を突いた。

 走り続けたがゆえの疲労……ではない。

 急速な勢いで、自分の霊力と気力が消耗していくのをアイシャは感じた。


「これは……吸っていますわね? わたくしの霊力……そして精神力すらも」

「ご名答~。アンタ観察力あるわね~。そう! これこそがワタシの一部『吸霊蟲』と『餓夢遮羅』の力よ~!」


 アイシャの冷静な解析に、妬婦魔は感心しつつ答える。


「吸霊蟲は名前の通り相手の霊力を吸い尽くすの。そして餓夢遮羅は人間の高潔な精神、あるいは信仰心といった『心の支え』を奪っていくわ。その効果範囲は、このめぐる駅全体! そして吸収した霊力と精神力はワタシの力の源となり、この空間をより強度な異界駅にする!」


 妬婦魔は真上に向かって笑い声を上げた。


「おわかり? つまりアンタはこの世界に取り込まれた時点で詰んでるってコト! ああ~可哀想~! せっかく綺麗な顔で生まれたのに、その若さで死んじゃうんだから! 霊術を使うための霊力も無くなって、心を支えるための信仰心も奪われて、絶望しながら干涸らびていくの!」


 いかなる霊能力者もエネルギー源である霊力を奪われてしまっては元も子もない。

 そして何より、精神的支柱となる思想すらも無くすとなれば……。

 敬虔な信者ほど、何もできず、無気力のままに朽ちていく運命を辿る。

 合成怪異『妬婦魔』は、まさにエクソシスト相手に特効を発揮する存在なのだった。


(ああ、待ち遠しいわ~。この女はどんな顔をして死んでいくのかしら~? 泣き叫ぶかしら~? 壊れて笑うかしら~? それとも首を吊るかしら~? ああ、見たいわ! この女の無様な最期を! この女も、いままでの人間と同じように、醜く死んでいくに違いないわ~!!)


 妬婦魔は期待に胸を弾ませる。

 日常の幸せを謳歌していた人間が、希望すらも奪われて壊れていく瞬間を見るのはいつだって爽快だ。

 ほら、こうしている間もシスターの少女の霊力と精神力は徐々に失われて……いかない。


「は?」


 いや、減っていない。

 それどころか……増えている!

 最初に異空間に引きずり込んだときよりも、霊力と精神力が倍増している!


「ど、どういうこと!? どうして!? どうして減らないの!? さっきからずっと吸い出してるのに!」


 吸霊蟲と餓夢遮羅の効果は現在進行形で発動している。

 だというのに、なぜこのシスターの力は底を尽きないのか。


「このアイシャ・エバーグリーンを見くびらないでほしいものですわね」

「っ!?」


 立ち上がるアイシャを、妬婦魔は異質なものを見るように怯える。


「怪異ごときにわたくしの霊力……ましてや信仰心を奪えるものですか。わたくしはこの国に来て、成長したのです。新たな出会いが、わたくしを何倍にも強くした。そう……こうして、新たな力を得たのですわ!」


 アイシャの体が翡翠色の霊力の輝きに包まれる。

 いくら吸っても吸いきれない霊力が無尽蔵に溢れる。


「な、何なの!? アンタ、いったい何者なの!?」

「わたくしはルークス教会第一席エクソシスト──『聖女』アイシャ・エバーグリーン。教えてあげますわ怪異。人間とは、ある感情によって無限に力を発揮できるということを」

「な、に?」


 不可解なことを口にするアイシャに、妬婦魔はますます警戒を強める。


「かつて『鏡面の悪魔』と呼ばれる悪魔と戦いましたわ。鏡の中に潜み、いかなる霊術も鏡の外からでは通じない手強い相手でしたわ。……ですが、その戦いでわたくしは手に入れたのです。新たな力を!」

「っ!?」


 凄まじい霊力の余波がアイシャの体から生じる。


(このシスター、何かを仕掛けようとしている!)


 危機感を覚えた妬婦魔は、蛇のような尻尾を鞭のようにしならせてアイシャに叩きつける。

 しかし霊力の壁は厚く、バチッと音を立てて弾かれてしまった。


「な、何なのよこのデタラメな霊力は!? どうして!? どうして奪いきれないの!?」

「先ほども言ったでしょ? ある感情がわたくしに無限の力を湧かせているのですわ。その感情がある限り、わたくしは屈しない!」

「な、何よ!? ある感情っていったい何よ!?」

「ではお見せしましょう。わたくしの力の源を。そして『鏡面の悪魔』を滅した力を……いまこそ、新たな技を披露するときですわ!」


 アイシャの霊力がさらに上昇する。

 地響きを起こすほどの光に包まれながら、アイシャは目を見開く。


「ハアアアアアアアア!!」


 血気盛んに声を張り上げるアイシャに妬婦魔は震える。

 未知なる脅威を前に、どうすることもできない。


(何!? いったい、どんな技を使うつもりなの!?)


 怪異の力ですら奪いきれない力の源……それは、いったい何なのか?

 いまこそ妬婦魔はその一端を目撃する。


「……おっ♡」

「……は?」

「あっ♡ んぅ♡ あ、あぁん♡」


 緊迫した空気に不釣り合いな悩ましい声がアイシャから上がる。

 あろうことかアイシャは身を抱きしめながら悶えていた。

 くねくねと。


「はぁぁん♡ クロノ様クロノ様クロノ様♡ 好き好き好き♡ お慕いしていますの~♡ はぁん♡ 熱いぃ♡ クロノ様を思うだけで全身が熱く火照ってしまいますの~♡」


 豊満すぎるバストをブルンブルンと揺らしながら、アイシャは艶やかに自分の身を撫で回す。

 妬婦魔は引いた。

 そりゃもうドン引きした。

 このシスター……こんな状況で発情している!


「何してんのよアンタ!?」

「はぁん♡ これこそが新技を発動するための儀式ですわ♡」


 顔を艶美な色に染めながら、アイシャは語る。


「鏡面の悪魔に追い詰められ、限界になったわたくしは強く思いましたの……『クロノ様に会いたい!』と♡」


 そのときのことを、アイシャは昨日のことのように思い出せる。

 数日間、最愛の少年に会えない上、どうあっても自分の手に負えない悪魔の退治を押しつけられ、アイシャの心はいろいろと限界を迎えた。


『ああああああ! もうやだやだやだ! 帰る! アイシャお家に帰る! 会わせて! クロノ様に会~わ~せ~て~!! はぁぁぁん! クロノ様のお顔と匂いが恋しいのぉ~! ああ、クロノ様クロノ様クロノ様! 会いたい! 抱きしめて! アイシャのことギュッてして~♡』


 最終的にアイシャは都合の良い妄想に浸った。

 悪魔と戦闘中にもかかわらず、愛しの少年と脳内であんなことやこんなことをした。

 ……すると、不思議なことが起こった。


『あらら~!? どういうわけか力が湧いてきましたわ~!? 何かイケそうな気がしますわね~!』


 いままでにない霊力の奔流を感じたアイシャは本能の導くままに、その力を揮った。


「かくして奇跡は成りましたわ♡ んっ♡ 鏡面の悪魔は見事倒され、わたくしは新たな力を得たのですわ♡ おひっ♡ わたくしの霊力が尽きぬその理由……おっ♡ そう、それは……クロノ様への深き愛ですわ♡ はぁぁぁん♡♡♡ クロノ様を思うだけで、わたくしはいくらでも霊力を引き出すことができるようになったのですわあああああ♡♡♡」


 ビクビクと体を痙攣させながらアイシャは宣言した。

 こうしている間も、アイシャの霊力は増大している。

 理屈は不明だが、アイシャが愛しの少年のことを思うだけで霊力が湧き出すのは事実のようだ。


「おひぃぃん♡ クロノ様ったら大胆♡ そんなところ弄ったら罰当たりですわ~♡ でもでも許しちゃう~ん♡ わたくしたちの深き愛は神すらも祝福してくださるはずなのですから~ん♡♡♡」


 ますます過激な妄想でアイシャが身を揺らす。

 そんなアイシャを見て、妬婦魔は思う。

 これだけは、言いたいと思った。


「……いや、それは愛ってよりは」


 間を置いて、妬婦魔は大口を開く。


「ただの性欲でしょうがああああ!!」

「んまっ!? 失礼ですわね! この奇跡が愛の力ではなくて、何だと言うんですの!? ……あっ!? おっほおおおおおん♡ キタキタキタ♡ 来ましたわ~♡♡♡」

「うっさいわねこのエロシスター! 今度は何!?」

「う……産まれますわ♡」

「何が!?」


 アイシャは下腹部を抑えながら、ヨダレを垂らす。


「ああっ♡ 生誕しますわ♡ わたくしとクロノ様が紡ぐ愛によって、新たな世界が生まれ出ようとしていますわ~♡♡♡」

「なになに!? もう怖いんだけどこの女!? 邪心母様助けて! ワタシもうこいつ相手にしたくない!」

「あひぃぃぃん♡♡♡ 目に焼き付けなさい♡ 新世界が誕生する奇跡の瞬間をおっほおおおん♡♡♡」


 アイシャを中心に翡翠色の輝きが周囲に広がっていく。

 まるで異空間を塗りつぶすかのような勢いで、光で満たされていく。


「ぎゃああああ!? 何この光!?」

「目覚めますわ! わたくしの真の力が! おお、主よ♡ どうか見届けてくださいまし♡ 聖女アイシャ・エバーグリーンの信仰の形をおおお♡♡♡」

「裁かれちまえ、この罰当たりが!」


 妬婦魔の叫びも虚しく、アイシャから放たれる光は異空間すべてを覆い尽くす。


「──覚醒ィィィイッグゥゥゥ♡♡♡」


 アイシャの絶叫と共に──新世界が誕生した。

 文字通り、新たな異空間が生成されたのだ。


「こ、これはっ!?」


 妬婦魔は驚愕するしかなかった。

 そこは翡翠色の光で満たされた空間だった。

 無人駅や森林や平野もない、完全に別の場所と化していた。


「ぬ、塗り替えたっていうの!? ワタシの空間を丸ごと!?」

「その通りですわ。この空間は、わたくしの深き愛の力によって生み出された結界!」


 アイシャの声が空間全体に響く。


「これぞアイシャ・エバーグリーン最強霊術──【聖域創成せいいきそうせい】ですわ!」


 妬婦魔は目を見張る。

 空の彼方から、光を纏ったアイシャが降りてくる。

 あたかも、天の御使いが降臨するかのように……いや、違う。そんな尊い存在じゃないと妬婦魔は慌てて修正する。


 布だ。

 布きれみたいなもので大事なところだけを隠し、スケスケのベールだけを纏ったアイシャ・エバーグリーン。

 その姿……どう見ても痴女!


「ようこそ、我が神聖なる世界へ! その邪悪な魂、わたくしの清き愛によって浄化してさしあげますわ!」

「鏡を見て言ええええええ!!!」


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