新たな霊装③浄耀鐘・共鳴輪


 魂魄霊装を手にしたことで、新たな役割を得たのは無論、レンひとりではない。


「っ!? ダイくん! 上! 避けて!」

『っ!? ぐわああ!!』

「ダイくん!?」


 レンが悲鳴混じりの声を上げる。

 猿のような怪異が、鎌のごとく鋭い爪でダイキの目元を切り裂いたのだ。

 あまりにも素早く、かつ複雑な動きで奇襲を仕掛けられ、さすがのダイキも回避ができなかった。

 血飛沫が上がり、視界が封じられる。

 明らかな致命傷だった。

 万事休すかと思われる絶望的な状況であったが……


「スズちゃん!」

「はい!」


 レンは傍らにいるスズナに呼びかける。

 スズナの手元には、黄金色のベルが握られていた。

 スズナはベルを天眼札に近づけ、音を鳴らす。

 すると、ベルの中心部に埋め込まれた霊玉が光を発する。


「……鐘の音よ、ダイキさんに癒しを!」


 天眼札を通して、スズナの声と一緒に、ベルの音色がダイキの耳に届いていく。

 すると……まるで時間が巻き戻るように、ダイキの目元の傷が治癒していった。


『ありがとうスズナちゃん! 助かった!』

「いえ! 怪我をされたら、すぐにスズナが治します!」

『きゃあっ!』

「スズちゃん! 次はキリちゃんに!」

「はい!」


 腕を斬りつけられ負傷するキリカの傷も、スズナが鐘を鳴らすことでたちまちに修復していった。


『助かったわスズナ! それにしても……なんて凄い回復力なの!』

「いえ、キリカさん。凄いのはスズナではなく、この霊装です。皆さんの傷をこうして癒やせるなんて……なんて素晴らしい力なのでしょう」


 感涙を流しながら、スズナは黄金色のベルをまるで我が子のように愛しげに握った。


「いいや、凄いのは君だよ黄瀬ちゃん。だってその霊装──『浄耀鐘じょうようしょう』は、使い手の心が清ければ清いほど効果が増すんだ」


 熔が口を挟む。

 冷や汗をかきながら。


「ベルの音色を聞いた者の傷を癒す……そういう単純な能力だけど、その回復量はベルを鳴らした人間によって左右されるんだ。善人であればあるほど効果は大きく、逆に悪人が鳴らせば、まったく効果はない。その霊装は、まさに心の鏡なんだよ」


 魂魄霊装は、霊力を持たない人間でも異能を発揮できる。

 しかし、この浄耀鐘に限っては、心の在り方も求められる。

 逆に言えば、心清き者にしか使えない霊装なのだった。


「私も記録上でしか知らないけど……少なくともこんな風に怪我を一瞬で治すなんて話、聞いたことがない。黄瀬ちゃん? 君いったい、どんだけいい子なんだい?」

「……スズナがいい子なのかは、正直わかりません。ですが、この霊装がスズナを選んでくださったのなら──私はその使い手として相応しい人間であり続けます」

「っ!?」

「熔さん。改めて感謝を。スズナに、このような素晴らしい力を授けてくださって。皆さんの傷を癒す……その役割に、スズナは心血を注ぎます」


 澄んだ眼差しを向けて、スズナは熔に感謝を述べた。

 令嬢にふさわしい清涼な振る舞いの中に、揺るぎない意思の強さが宿っていた。

 熔は思わずたじろいだ。

 彼女は本当に十代の若者なのか?

 成人した自分を遙かに凌駕する貫禄が、小柄な少女に備わっていた。


(清い心の持ち主……本当にそれだけ? この黄瀬ちゃんからは、何かもっと別のものを感じる気がする……)


 善性の塊、という言葉で安易に片付けられない、穢れなき神聖性。

 まるで天の御使いが誤って地上に降りて、ヒトとして生を得てしまったのではないかと思わされる。

 そんな尊大なオーラが、スズナにはあった。


(……あたしってば、もしかしたらとんでもない子たちに霊装を渡しちゃったのかもしれないね~)


 霊装自身がそう望んだとはいえ、大きな転換期のスイッチを自分は押したのだと熔は悟った。

 少女たちは力を得た。

 その力は周囲の状況を変え、そして少女たちの運命すらも変えていくだろう。

 それが、幸か不幸か、熔にはわかならい。

 だがいずれにせよ、彼女たちの未来は大きく前進を始めた。


 それは無論、キリカも例外ではなかった。

 灰崎家の魂魄霊装……その三つ目を授かったキリカも。



     * * *



 キリカは戦場を駆ける。

 風のように、早馬のように、常人の目には追えない速度で、剣をふるう。


「はあああああ!!」


 高速で踏み込み、異形の真横を剣で一閃。

 上空を目指すように跳躍し、翼を持った怪異を斬り上げる。

 そのまま空中を旋回し、重力を加えた上段斬りを地上の敵に叩きつける。

 まるで舞のように、キリカは自在に体を動かしていた。


 キリカはアスリート並みの身体能力を持つ。それでも……その動きはあまりにも人間離れしていた。

 それこそ、霊力によって動体視力を強化した霊能力者のように。

 微弱な霊力しか持たないキリカでは、自らの肉体を強化することができない。

 では、何がこの動きが可能としているのか。

 無論、熔から授かった魂魄霊装によるものである。


「『共鳴輪きょうめいりん』よ……我が霊力を増幅させ給え!」


 キリカの掛け声と共に、光り輝く霊玉。

 それはキリカの愛用の霊装である、神木刀から輝いていた。

 神木刀の柄の上部に、あたかも鞘のように銀色のリングが装着されていた。

 同じ形状のリングは、キリカの左の手首にも付けられている。

 二対の輪……神木刀に装着されたリングの中心にある小さな霊玉が、青白く光り出すと、キリカの左手首にあるリングが赤白く輝く。

 すると、キリカの体から霊力の余波が噴き出した。


「……熱い。熱いわ。霊力が火のように燃え上がっていく!」


 キリカの動きが、さらに一段と鋭くなった。

 もはや残像が起こるほどの速度で、キリカは怪異の群れに向かっていく。

 キリカが通りがかった箇所には無数の剣光が閃き、合成怪異の群れがたちまち輪切りにされていった。


 もしもキリカの血族がこの場にいれば、目を疑うことだろう。

 あのキリカが、怪異とまともに戦えている。

 守護霊を憑依させなければ、並以下の戦闘力しかないキリカが。

 霊力を増幅させる効果を持つ神木刀……その霊装がなければ、ろくに戦えないキリカが。


 ……霊力の増幅。

 それこそが、いまのキリカに起こっているカラクリの正体であった。


 ──『共鳴輪』。

 この双子の輪は、名前の通り共鳴する力を持っている。

 霊玉がついた本体のリングを、何かしらの霊装に装着。

 そして、もう片方のリングを人間に装着。

 すると……

 即ち、いまキリカの体は、神木刀と同じ能力を発揮しているのだった。

 微弱な霊力でも、火のように燃え上がらせ、その量を増幅させる神木刀の力を。

 これによって、いまのキリカは並の霊能力者と同等の霊力を得ていた。


 ……とは言っても、増幅できる霊力にも限界はある。

 キリカが最大まで増やせる霊力を仮にパラメータで表示するならば……五段階中、三段階までといったところだった。

 また、ろくに霊術の鍛錬をやってこなかったキリカに行使できるのは、せいぜいが動体視力の強化のみである。


 ……しかし、キリカにとっては、それで充分だった。

 動体視力を高める。

 キリカに限っては、それだけで充分なのだ。


 これまでのキリカは素の身体能力で怪異と戦ってきた。

 ……まず、その前提がおかしい。

 ダイキにも言えることだが、霊力で動体視力を強化することもなく、怪異と相対すること自体、霊能力者たちにとっては狂気の沙汰だった。

 もちろん、決定打に欠ける以上、キリカが勝利を収めるには守護霊の力を頼るしかないのだが……思い出してほしい。

 キリカは、素の状態でも、怪異の攻撃を凌ぎ、その動きを目で追えていたのだ。

 動体視力を、強化するまでもなく……。


 藍神家の者たちは、気づいていたのだろうか。

 キリカ天性の身体能力に。

 霊力の有無に目を向けるばかりに、見落としていたのではないだろうか。

 史上最強の退魔巫女、藍神凪沙が唯一認めた、そのポテンシャルを。


 空に、剣光が舞い上がる。

 月に、剣を振り払うキリカの影が重なる。


 特別な霊術など、必要ない。

 キリカには、優秀な姉妹たちにも引けを取らない剣技がある。

 その剣技を十全に発揮するための動体視力の強化。

 キリカには、それだけで充分だったのだ。


 夜空に、滴が舞う。

 キリカの涙であった。


「これが、あなたの見ている景色なのね……レイカ」


 霊能力者として、ようやく辿り着いた境地。

 そこから見える景色を前に、キリカは片割れの姉を思った。

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