新たな霊装①閃影虎月
* * *
自由を求めた。
彼らが戦う理由はそれだけだった。
いかに天地を揺るがすほどの力を持っていても、人智を凌駕する奇跡を起こせても、彼らの運命はひとつの存在に縛り続けられていた。
彼らは知っていた。たとえ死んだとしても、己の魂は『闇』へと還る。
あの虚無しか存在しない『闇』の一部に。
だからこそ、戦った。
なにも『光』の側になりたかったわけではない。
ただ、戻りたくなかったのだ。
こうして『形』と『名』を持って生まれたのに、また『無』になるのが嫌だった。
一族のすべてが、同じ気持ちだった。
ゆえに彼らは決起した。
一丸となって『闇の主』を滅ぼそうと。
八体の大将を筆頭に、彼らは『闇の主』に挑んだ。
運命に抗ってみせる。運命を変えてみせる。
不可能ではないはずだった。
事実、彼らの一族の中に『闇』の支配から逃れた唯一の種がいた。
本来ならば九番目の大将として肩を並べるはずだった、かつての同胞。
神域へと至る者すらいた、武の化身とも言うべき同胞。
だが人と交わりすぎた結果、その血が薄れ、本来の力を失ってしまった悲しき同胞。
それでも彼らの存在が、歴然と証明している。
支配の鎖を断ち切ることはできるのだと。
それだけが、彼らの希望だった。
辰奥山と呼ばれる山の頂に『闇の主』を招き寄せ、彼らは総攻撃を仕掛けた。
百を優に越える大軍勢。その中には神通力を有する個体すらもいる。
勝てる。自分たちならば奴を滅ぼせる。
そう信じたが……。
『……怖がらなくていいんだよ?』
ソレは、嗤っていた。
心底、嬉しそうに。
不気味なほどまでに、優しい顔で。
『私が、あなたちを愛してあげる』
彼らは『抱擁』を受けた。
子が母に抱かれるように……百体が同時に。
完膚なきの敗北だった。
敵は、あまりにも大きすぎた。
想像以上の化け物だった。
逃れられないのだと、彼らは悟った。
力の差の問題ではなかった。自らが生まれた『起源』からは、どうあっても逆らえないのだと。
──ひとつの例外を除いて。
唯一、闇の呪縛から抜け出した同胞。
彼らの始祖は、かつてヒトの娘と結ばれたという。
娘は巫女だった。
彼らの魂が闇の支配を受けないのは、巫女の慈愛が幾星霜と続いて、子孫を守っているからだと伝えられている。
慈愛……そんなものは、戦う上で無用だと思っていた。
だが、そうではなかったのか?
それこそが、闇に打ち勝つ唯一の力だったのではないか?
闇に呑まれ、再び無に帰していく最中、彼らは思った。
怪異の中でも、ヒトに近い自我を持ちながら、ヒトというものが彼らにはわからなかった。
それは、大きな過ちだったのかもしれない。
我々は、もっと、ヒトを識るべきだったではないか?
──まだ、間に合うわ。私が、あなたたちの運命を変える。
声がした。
神が手を差し伸べに来てくれたのか。
否、それはヒトの声だった。
だが、その声には不思議な力が宿っていた。
闇に呑まれながらも、その声は彼らの頭の中にハッキリと響いた。
──『闇』を滅ぼす。それは私たちの悲願でもある。そのためには……あなたたちの力がいる。手を貸してほしい。
女の声であった。
なんて世迷い言を口にする女であろう。
こうして闇に敗北した自分たちの力を欲して、どうしようというのだ。
──いいえ、あなたたちは負けていない。本来の力を発揮できないのは、あなたたちの魂が『闇』に囚われているから。だから……私があなたたちに新しい『器』を与える。
疑問に答えるように、女が言う。
仮初めではあるが、その『器』に宿れば闇の支配から逃れることができるのだという。
──選んで。このまま闇に呑まれるか。それとも……我が霊装と成りて闇と戦うか?
それは盟約であった。
助かりたければ、手足となり、力を貸せと。
不遜な女だ。
本来であれば、八つ裂きにしているところだった。
しかし……彼らは頷いた。
運命を変える。
その言葉を信じて、彼らは姿形を変えた。
一匹いっぴきが、紅色の糸へと。
* * *
灰崎家の工房を抜けて外に出ると、連なる峰が見えた。
深山幽谷。
その言葉が相応しい夜の山が俺たちを迎えた。
真夏を間近にしながら、山の気候は肌寒いくらいだった。
そして何より、空気が異質だった。
高山ならではの大気の薄さかと思ったが……違う。
ここの空気は、淀んでいる。
何か、良くないものに汚染されて。
「あれは……」
灰崎の工房は山の頂上に近い場所に建てられたらしい。
おかげで、頂上の異様な様相を目視することができた。
「何だ、あの光は……」
明らかに自然のものではない毒々しい光が、山の天辺で輝いている。
白い霧が汚染されたように桃色に変色して周囲に漂っていて、なんとも不気味に見えた。
「バカデカい霊力をあそこから感じる。璃絵さんの娘さんはあそこに囚われていると見て間違いないだろ」
ツクヨさんの言葉で、意識が引き締まる。
あそこに、ルカが……!
「行きましょう!」
「慌てるなダイキ。まずはオレたちが先陣を切る。ガキどもは後ろからついてこい。シスターの嬢ちゃんは最後尾で背後を警戒してくれ」
「承りましたわ」
師匠たちを先頭に、俺とキリカを間に、最後尾をアイシャにして、山を駆け上がる。
時間はあまり残されていない。
薄さん曰く、対侵徒チーム『逆月』とはまた別に、ルカの始末を目論む別動隊がこの辰奥山に向かっているという。
奴等が到着するまでに、侵徒たちを倒し、ルカを救出しなくてはならない。
「っ!? 止まれ!」
ツクヨさんが突如制止を呼びかけ、一斉に立ち止まる。
瞬間、背筋にゾクリとした悪寒が走る。
木々の奥から、無数の視線を感じる。
山の獣……違う。この気配を、俺は覚えている。
自然界に存在することを許されない、あの異質な生き物の気配を。
「あらあら~、囲まれているわね~」
「まあ、そう簡単に頂上に向かわせてはくれんじゃろうな」
「ん……凄い数が、いる」
先頭の師匠たちが警戒を強め、後方の俺たちも密集して陣を固める。
「キリカ……アイシャ……」
「わかってる。もう以前のようにはヤラれたりしないわ」
「ご安心をクロノ様。『聖女』の名にかけ、必ずやルカのもとへ送り届けてみせますわ」
各々が霊装を構え、迎え撃つ準備を整える。
……かくして、木々の隙間から異形の群れが現れた。
それはまるで節足動物のような、深海生物のような、機械生命体のような、おおよそ自然発生するはずのない姿をしていた。
荒唐無稽な想像力で産み出された悪夢のような光景。
まぎれもなく、邪心母が産み出した合成怪異だった。
ギィギィ、と奇声を上げながら、無数の目を光らせ、獲物である俺たちを睨めつけている。
「……いいか、ダイキ。ここまで来た以上、テメェの面倒はテメェで見な。オレはお前を助けねえぞ」
「押忍」
「……師匠命令だ。死ぬな」
「押忍!」
ツクヨさんに喝を入れてもらい、闘志が芽生える。
不思議と、恐怖はなかった。
普段の俺なら、こんな化け物に囲まれたら真っ先に失神していた。
でも、いまはそんな場合じゃない。
だって……ルカを失うこと以上の恐怖なんて存在しないのだから。
死ぬわけにはいかない。ルカを助けるまでは。
目の前の化け物どもは、ルカへの道を阻む障害だ。
邪魔するなら……ぶん殴って押し通る!
いまの俺には、そのための力がある!
「餓狼拳!」
黒色の籠手、双星餓狼を纏った拳が異形に炸裂する。
「ギィィィ!!」
タコのような合成怪異が悲鳴を上げ、その体に風穴があく。
……いける。俺の攻撃は通じている!
紫波家での修行の成果……というだけではない。
新たな霊装を三つに加え、俺には灰崎家特製の御札を渡されていた。
それは俺の懐の中で、いまも光り輝き、効果を発揮している。
その効果とは……。
『その御札を身につけている限り、君の物理攻撃は霊体相手にも通じるようになる。さらには与えるダメージも倍増するんだ……ただし、その御札は消耗品だ。大技を使えば使うほど効果は薄れていく。なるべく温存して使うんだよ?』
霊体相手に手も足も出せない俺に対して、熔さんは対抗手段を用意してくれた。
いまのタコの合成怪異が霊体化していたかはわからないが、少なくともたったの一撃で致命傷を与えることができた。御札の効果は、ハッキリと出ている。
以前は一方的に殺されかけた合成怪異相手に一矢報いることができ、俺は激しい高揚感を覚えていた。
昂ぶる気持ちを糧に、すぐに神経を研ぎ澄ます。
敵は一体ではない。間もなくして、別の異形が俺に向かってきた。
「ウオアアアアアア!!」
今度は爬虫類のような合成怪異が口と思われる部分を大きく開く。
咽せるような油の匂いと、肉の焼ける悪臭が、口内から香ってくる。
夜の闇を照らす光が爬虫類の口元に集まり、火の塊が生み出される。
何をするつもりなのか、俺は咄嗟に悟り、
「瞬影!」
真っ先に敵の背後に回り込む。
案の定、口から炎の砲撃を吐き出した爬虫類。
正面にいたら、一瞬で骨も残らず焼失していただろう。
相手が次の動きに移る前に、ガラ空きとなったその背中に一撃を加える。
「猛虎裂脚!」
渾身の蹴りで斬撃を起こし、爬虫類を真っ二つにする。
この威力は御札の恩恵だけではない。
新たな三つの霊装のうちのひとつ──両足に装着する、鋼鉄のブーツのおかげだった。
「これが……ミハヤ師匠の霊装」
その名は──『
見た目は黒と金の配色をベースにした鉄で覆われたレーシングブーツだ。
鉄でありながら、とても軽く、しかし丈夫にできており、異形の肉を引き裂いても綻びは見られない。
つま先と踵の部分には銀色に光る刃物が固定されており、蹴りによる斬撃の威力を高めてくれる。
そして何より、靴底にあるスパイクのおかげで、地面に足を取られることなく、いつも以上に身軽に動くことができた。
無論、このスパイクによる刺突攻撃も可能だ。
まさに、足技の達人であるミハヤ師匠のために造られた霊装だ。
「その調子よ、ダイちゃん。とてもお上手に使えてるわね~。うふふ~、修行の成果が見れて、お姉さん嬉しいわ~」
いつのまにか真横にいたミハヤ師匠がよしよしと俺を頭を撫でてくる。
彼女の両足にも俺と同じ閃影虎月が装着されている。
女性用のためか、俺のと比べると、幾分細長くできているが。
「お揃いの霊装で戦える日が来て嬉しいわ~。さあ、一緒に化け物どもを一掃するわよ~」
「お、押忍! ミハヤ師匠!」
ミハヤさんとの地獄の修行を思い起こしながら、同時に蹴りの一撃を放つ。
「「猛虎裂脚!」」
新手の怪異をミハヤさんとの合わせ技で両断する。
ミハヤさんの蹴りはもはや鎌鼬と呼ぶレベルの斬撃波を起こし、対象の背後にいる複数の合成怪異をも真っ二つにしていった。
すげえ……やはり、師匠は格が違う。
「ダイキ! ボケッとすんな! 敵はどんどん来るぞ!」
「っ!? 押忍!」
ツクヨさんの叱責で気を引き締める。
ここは必ず切り抜ける。
いまの俺たちなら、きっとできる。
新たな力を得たのは、俺だけではないのだから。
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