いざ、ルカのもとへ



    * * *


 透真薄と名乗る女性は「時間は残されていません。要点だけ述べます」と切り出した。


「機関は現在、ふたつの派閥に分かれています。ルカさんを保護すべきと提唱する我々『逆月さかづき』……そして、ルカさんをすることを主張する上層部に。今回、ルカさんの殺処分を降したのもその派閥の者たちです。邪心母に囚われたことを好機と見なして、ルカさんを消すつもりなのです」


 とつぜん明かされた情報に俺たちは困惑した。

 どういう、ことなんだ?

 ルカが【常闇の女王】を滅ぼす最後の希望で、世界を滅ぼす脅威でもあるだと?

 話があまりにもデカすぎて、理解が追いつかない。

 俺たちの困惑を余所に、透真薄は話を続ける。


「この議題は数週間前から始まっていました。ルカさんが禁呪のひとつを解き、本来の霊力の総量を取り戻したことで」

「っ!?」


 なぜそのことを機関が知って……まさか。


「……アンタたちなのか? 近頃ルカを付け回していたのは」


 俺の問いに、透真薄は無言で頷いた。


「上から命令を受け、ルカさんの同行は我々が監視していました」


 なんて連中だ。

 まるでルカをお尋ね者みたいに扱いやがって!

 いや、それ以前にもっと腹立たしいのは……。


「見ていたなら、なんでルカが攫われるときに助けなかった! 監視している奴が近くにいたんだろ!?」

「本来ならば、そうなるはずでした。しかし本日の午後以降、監視役のエージェントから連絡が途絶えています。恐らくですが……ルカさんを攫った侵徒の手で……」

「……っ」


 黒衣を纏った男の姿が脳裏に浮かぶ。

 すべて、奴の手の内だったってことか……。


「でも……どうしてそこまでルカさんが警戒されなきゃいけないのですか? ルカさんはこれまで何度も怪異事件を解決してきたじゃないですか! パワーアップだってされたのに!」


 スズナちゃんが抗議するように言うと、透真薄は苦悶の表情を浮かべながら目を伏せた。


「それが今回、ルカさんが侵徒に囚われた理由でもあります」

「え?」

「ルカさんが持つ比類なき膨大な霊力の封印が解けてしまった。そして同時に……ルカさんの中に宿る存在たち。その力の片鱗を見せてしまった」

「っ!?」


 ルカの中に宿る存在たち?

 それって……。


「……紅糸繰のことなのか?」


 俺の言葉に透真薄は頷いた。


「邪心母が新たな素材として狙っているもの。そして機関の上層部が『脅威』として恐れているもの──それこそが、紅糸繰の中に眠っているのです。いえ、正確には『姿を変えている』と言うべきでしょう」

「それは、いったい……」


 間を置いて、透真薄は語る。

 紅糸繰に秘められた真実を。


「──『百鬼夜行』。妖魔一族と呼ばれる特殊な怪異たち。紅糸繰とは、その一本いっぽんの糸が、もともと妖魔だったものが姿を変えたもの……ルカさんの中には、数百体を越える妖魔が宿っているのです」



    * * *



「私の中に、怪異が?」


 邪心母に明かされた紅糸繰の真実を聞いて、ルカは顔面を蒼白にさせた。


「ただの怪異じゃないわ。人に近い自我を持ち、実体を持ち、ときには神にも匹敵する力を持つ個体すらもいた……他の怪異とは一線を画す進化の行程を歩んだ、まったく新しい種族……それが妖魔よ。そして愚かにも女王様の支配から逃れようと反逆を企てた、裏切り者でもあるわ」

「反逆……」


 ルカは実家の書庫で見つけた資料のことを思い出した。


『私は聞いた。アヤカシの一族たちに「この世の始まり」のことを。彼らには原初の記憶があった。自分たちはどこから来たのか、何者であるのか、生まれ出でたその瞬間から、彼らは知っていた』

『ゆえに彼らは恐怖した。人ならざるものでありながら、その心が我々と同じように人に近づきすぎたがゆえに、己の発生の根源となった存在を恐れた。その支配から逃れるために、彼らは叛逆の道を選んだのだ。……「闇の長」に逆らう道を』


 あれは、まさしく妖魔のことを綴った手記だったのだ。


「でも……どうしてそんなものが、紅糸繰に……」

「さてね。私も他の侵徒から聞いただけだから、細かいことまでは知らないけれど……いずれにせよ、あなたのご先祖様は本来ならば女王様に始末されるはずだった妖魔一族を『紅糸繰』という名の霊装に変えた。そしてそれはあなたの代まで引き継がれていった……ええ、感じるわ。こうして混じり合うことで、あなたの中に眠る妖魔たちの鼓動が!」


 邪心母が狂気の笑みを浮かべる。


「私が欲しているのは、あなたの膨大な霊力と……紅糸繰に宿る数百体の妖魔の力よ! 想像してみて? 無数の妖魔を素材として合成させれば、どれほど強力な怪異が生み出せるかしら!? ああ! 楽しみだわ! 素敵な家族がもっともっともっと増えるのよ!」

「……くっ!」


 邪心母の本来の目的を知り、そのおぞましい内容に打ち震えるルカだったが……それ以上に激しい動揺が勝った。


(どういう、ことなのお母さん? 数百体の妖魔? そんなものが宿った霊装を、あなたは私に託したの? 全部、全部知ってたの?)


 ルカの心は乱れた。

 誰よりも信頼していたはずの母の真意がわからなくなった。


(お母さん……あなたは、いったい……私に何をさせたいの!?)


 ルカの疑問に答える者は、当然いなかった。



    * * *



 百鬼夜行。妖魔一族。数百体の妖魔。

 なぜ、そんなものが宿った霊装を白鐘家が所有しているのか。

 なぜ、璃絵さんはそんな代物を娘であるルカに託したのか。

 疑問は尽きない。

 だがいまは……そんなことを追及している場合ではない。


 俺たちがやるべきことは、ルカを救出すること。

 それは変わらない!


「我々は表面上、上層部の指示に従うフリをしなければなりません。ゆえに皆さんには別戦力として我々よりも先に現地に赴き、ルカさんを救出してほしいのです」


 機関は裏切り者の存在を許さない。

 ゆえに本来の目的を代行してくれる戦力を、彼女は欲していた。

 それが、俺たちということか。


「……そちらの事情はわかりました。でも、どうして私たちに頼むんですか? 一介の学生でしかない私たちに」


 オカ研の部長であるレンが代表するように前に出て、尋ねる。


「あなたがたの活躍は以前から知っていました。この短期間で、数々の怪異事件を解決してきたその手腕と結束力……とても学生とは思えません。敬服に値します。そこを見込んで、そして恥を承知で、あなたたちにお願いしたい」


 透真薄は再び膝をついて、深く頭を下げて頼み込んだ。


「大人である私が子どもにこんな危険なことを頼むのは、間違っているとわかっています。ですが……あなたがたは、いまこの世で最もルカさんのために動いてくださる人たちです。だから、あなたたちに託したいのです」

「っ!?」


 顔を上げた彼女の瞳には、切なる願いが宿っていた。


「亡き親友の……璃絵との最期の約束なのです。『ルカを守ってほしい』と……お願いします。どうか力をお貸しください。」


 俺たちは、顔を見合わせた。

 ……どうする?

 信用していいのだろうか?

 目的は一致している。

 だが相手は機関の人間だ。

 俺たちを都合良く利用して、隙を見てルカに手をかけようとしている可能性も捨てきれないのでは……。


「……スズナは、この人を信じます」


 沈黙をスズナちゃんが破った。


「この御方の言葉に、嘘はないように思いました。大丈夫です、彼女は我々の味方です」

「スズナちゃん……」


 独特の感性を持つスズナちゃんは、人の心の裏を感じ取ることができる。

 そのスズナちゃんが言うのならば、信じてもいいのだろうか?


「私も信じるよ」


 レンも静かに同意した。


「全面的に信用するわけじゃないけど、少なくとも目的は同じだし、なによりここまでして私たちを利用して騙すメリットが、向こうにはない。ルカを始末するだけなら、もうとっくに動いているはずなんだから」


 恐らくレンの頭の中では、すでにいくつものシミュレートが済んだのだろう。

 結論として、彼女と手を組むべきだと判断したようだ。


 人の精神を見抜くスズナちゃんが、冷静に作戦を立てられるレンが、透真薄を信用すると言った。

 ……ならば俺たちも、その意思に従おう。


「……わかりました。あなたに協力します」

「っ! ありがとう、ございます……」


 薄さんはいまにも涙をこぼしそうな顔で、感謝の言葉を述べた。



    * * *



 早速、俺たちは作戦を立て始めた。


「ルカさんが囚われている場所は辰奥山しんおうざんの頂上です」

「辰奥山?」


 聞き慣れない山の名称を耳にして、俺は薄さんに聞き返す。


「一般人に秘匿された霊山のひとつです。一帯は特殊な結界で囲われているため、通常の陸路や空路からの侵入は不可能です」

「そんな……だったら、どうやって辿り着けば……」

「通常であれば結界を突破して頂上を目指すところですが……皆さんには別の経路から侵入してもらいます。灰崎さん」

「はいな。ここであたしの出番ってワケさ」


 薄さんに声をかけられ、熔さんは押し入れに付けられた南京錠のダイヤルを弄り始める。


「私たち灰崎家は霊山のあちこちに工房を持っているんだ。もちろん辰奥山もそのひとつだよ……つまり、もうわかるね?」

「っ!? 空間転移を使って、ここから一気に辰奥山に入山するんですね!」


 もともとは工房から依頼先へ移動するための手段として造られた灰崎家特製の南京錠。

 それを活用すれば、機関の人間たちよりも先に現地に辿り着けるってわけか!


「工房の防衛システムは一時的に解除しておいたから、ここから入っても問題ないよ。さて、次は現地に向かうメンバーだけど……」

「とうぜんオレたち紫波家は行くぞ? ガキどもだけに任せるわけにはいかねぇからな」


 有無を言わせぬようにツクヨさんが前に出た。


「もちろん戦力が多いに越したことはありません。紫波ツクヨさん、皆様への助力を願います」

「アンタに言われるまでもねぇよ。最初からそのつもりだ」


 薄さんの要望を、ツクヨさんはぞんざいに受け止めた。


「ただし、そこの黒髪と金髪の嬢ちゃんは当然として……ダイキ、お前を連れて行くことにはいまだに反対だからな」


 ギロリとツクヨさんは射貫くように俺を見た。

 すると熔さんが庇うように俺の前に立つ。


「おいおい、ツクヨちゃん。さっきも言ったろ? その子は連れて行ったほうがいいよ。あたしの占いでそう結果が出てるんだ」

「所詮は占いだろ。そんな理由で足手まといを連れて行けるか」

「……あたしの占いを舐めないでもらおうか? この羅盤はあたしのお婆ちゃんの魂魄霊装だよ? ツクヨちゃんだったらその意味がわかるだろ?」


 熔さんの手元には部室で使われた風水の羅盤が虹色の光を発している。


「……テメェの婆さんが予知能力を持ってたのは知ってるさ。だがよぉ……未来なんて行動次第でいくらでも変わるだろうが」

「だからこそ連れて行けって言ってるんだ。ここが君にとっての瀬戸際なんだよ。何度やっても結果は同じだった。黒野大輝くんが行くか行かないかで、君の運命が大きく変わるんだ」

「熔……テメェ……」

「ハッキリ言おうか? 黒野くんを連れて行かないと……君は死ぬよ、ツクヨちゃん」

「っ!?」


 え? 何だよ、ソレ……ツクヨさんが、死ぬって!?


「……いまさらそれがどうした? オレたちはいつ死ぬかわからねぇ世界に関わってるんだ。命を落とすかもしれないって覚悟は、とっくにできてんだよ」

「だったら今日が君の命日になる。黒野くんが不在だと、君の生存率はゼロになるんだ」


 熔さんの声音は真剣なものだった。

 どういうことなんだ? 俺がいるか、いないかで、ツクヨさんの運命がそんなに大きく変わるだなんて。


「あたしは友達を亡くしたくない。あたしからも頭を下げるよ。彼を連れて行ってあげて?」

「熔……」


 ひょっとしたら滅多に頭を下げない熔さんに頭を下げられたのか、ツクヨさんは見るからに驚いていた。


「だがな……ダイキはまだ修行の途中で……」

「あらあら~、ツクヨちゃんは本当にダイくんが大切なのね~」

「じゃが過保護すぎるのもダイキのためにはならんぞツクヨ?」


 間延びした声と快活な声が室内に入ってくる。

 酒瓶を片手に持った藤色のセミロングヘアーの女性、紫波ミハヤさん。

 派手な着物を着崩し、梅紫色の長髪を雅なかんざしで留めた和装の女性、紫波カザネさん。

 ウズエさんが二人を連れてきたことで、ここに俺の四人の師匠が勢揃いする。


「ダイちゃんはもうとっくに実戦に出せるところまで育ってるはずよ~。ツクヨちゃんだってわかってるわよね~?」

「師として弟子を信頼することも必要じゃぞ?」

「ん……それに、あたしたちが全力でフォローしてあげればいい」

「うっ……アンタらなぁ……」


 身内の三人に説きつけられて、さすがのツクヨさんもタジタジのようだった。


「ミハヤちゃんたちの言う通りだよツクヨちゃん。それに、あたしだってバカじゃない。彼が一線で活躍できる装備は用意してきた」


 熔さんはそう言って、トランクケースの中をガサゴソと漁り出す。


「お待たせしました。紫波家の皆様に依頼された霊装を三つ、ご用意してきました」


 お仕事モードに移行したらしき熔さんはニカッと白いギザ歯を光らせて、三つの霊装を並べた。

 これは、まさか……。


「あらあら~、嬉しいわ~♪ やっと私とお揃いの霊装をダイちゃんにプレゼントできるのね~♪」

「はっはっはっはっはっ! 喜ぶがいいダイキ! 我が輩が愛用している霊装を新たに拵えてきてもらったからのう!」

「ん……あたしのはちょっと扱いが難しいから、ダイキに馴染むように特注してもらった。きっとダイキの役に立つよ?」


 三人の師匠はそれぞれ嬉しそうに笑った。


「そして、お嬢さんがたの霊装もメンテナンスが済んだよ。君たちなら使いこなせるはずさ」


 そう言って熔さんは、レンとスズナちゃんとキリカに、順番に霊装を手渡していく。


「これが……霊装……」

「スズナたちに、まさかこのようなものが」


 一般人として後方支援に徹していたレンとスズナちゃんは、異能の結晶である霊装を所有したことで、感動に似た眼差しを浮かべていた。


「赤嶺さんと黄瀬さんはここに残って。大丈夫、その霊装があればここからでも皆をサポートできる。藍神さんは、もうその霊装の使い方はわかってるよね?」

「……はい。言伝ではありますが、この霊装の噂は実家でも聞いていましたから……」


 キリカは受け取った霊装を大事に握りしめながら、涙を流した。


「実在していたんですね……感謝します。アタシにこれを授けてくださって。これさえあれば……アタシは戦えます!」


 キリカの顔には、いままでにないほどの決意と歓喜が滲んでいた。


「私は一度、本部へ戻ります。皆様の行動に妨げにならないよう、上層部の動きを監視します」


 口裏を合わせるためでもあるのだろう。薄さんは作戦遂行のため、指揮現場に戻らなければならないようだった。


「──無事に事が終わりましたら、すべてをお話しします。【常闇の女王】のことを。紅糸繰のことを。そしてルカさんの母、璃絵が託した思いを」


 知りたいことは確かに山ほどあった。

 だがすべてはルカを救出した後だ。


 薄さんは戦場に向かう俺たちを真っ直ぐに見つめ、祈るように手を組んだ。


「ご武運を」



    * * *



 雲が流れ、月明かりが山を照らす。

 影浸は樹木の天辺に立ちながら、夜空を眺める。

 儀式には良い夜だった。無事に完遂されることを願う。

 影浸自身には、邪心母の目的に関心はない。

 ただ、彼女がそれで報われるのならば、そのために自分の力を求めるのであれば……影浸は黙って助力する。

 それが己の存在意義。

 影として、他者の望みを支える。

 それこそが、自分がこの世に存在していい、ただひとつの理由なのだから……。


 ふと、山が騒がしくなる。

 そこら中から、おぞましい雄叫びが上がる。

 獣ものではない。もっと恐ろしい、異形の咆吼であった。

 山の各場所に散らばった邪心母の仔らが、敵意を滲ませているのだ。


「……来たか」


 侵入者の気配を、影浸も感じ取った。

 そして、その侵入者の中に、あの少年も混じっているのを、勘で理解した。


「賞賛しよう、その覚悟を。やってみるがいい。人の身で、この夜を乗り越えられるか?」


 月明かりの下で、影浸は黒衣を翼のように翻した。

 相手が何者だろうと関係ない。

 自分は与えられた役目を果たす。


 邪心母を守る。

 そして、その障害を排除する。

 彼女の『夢』を、誰にも邪魔させはしない。



    * * *



 装備を整え、別空間に繋がった扉の前に立つ。


「皆……生きて帰ってきて!」

「待っています! ルカさんと一緒にお帰りになるのを!」


 レンとスズナちゃんに頷きを返して、俺たちは扉の中に入った。


「待ってろルカ……必ず助ける!」


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