機関の決定
* * *
無我夢中だった。
思いつく限りのことはすべてやった。
オカ研の皆とアイシャに連絡を取って集まり、誰か他に頼れる者はいないかと考え……そして最終的に俺は師匠のもとを──紫波家を尋ねた。
「お願いします師匠! ルカを……ルカを助けてください!」
「落ち着けって言ってるんだダイキ!」
玄関の床に土下座をして頼み込む俺の肩を、師であるツクヨさんが怒鳴りながら掴む。
それでも俺は頭を床に擦り付けながら嘆願する。
「俺のせいで……俺が足手まといだったせいで、ルカは捕まったんです! こうしているいまも、ルカはっ!」
「わかってる! 璃絵さんの娘さんを助けたいのはオレも同じだ! いまウズエが機関から情報を集めてる! だからいまは落ち着いて待ってろ!」
「ぐっ……はい……」
ツクヨさんの言う通り、いまこの場でやれることはもうない。
そう自分に言い聞かせ、呼吸を落ち着けるも……やはり逸る気持ちを抑えられない。
ルカが、敵に捕まってしまったのだ。正気でいられるわけがなかった。
「ダイくん……自分を責めないで。ツクヨさんの言う通り、いまは正確な情報を集めることが先決だよ。ルカを、助けるためにも」
一緒に紫波家に来たレンが、俺の背中を撫でながら嗜めてくれる。
こういうとき、レンはいつも冷静沈着だ。
「ダイキさん、信じましょう。きっとルカさんは無事です。私たちの手で、助ける方法を探しましょう」
スズナちゃんも俺の手を強く握って励ましてくれた。
「……ありがとう、二人とも」
そうだ、信じるんだ。きっと何か方法があるはずだ。
常闇の侵徒が関わっている以上、機関もきっと何か動きを起こしているはずだ。
「まさかルカが捕まるなんて……常闇の侵徒……やっぱり、とんでもない連中ね」
キリカは常闇の侵徒との力量差に改めて戦慄を覚えているようだった。
俺だって、あのルカが手も足も出なかったことが、いまだに信じられない。
黒衣の男……影浸と言ったか。
いままで相対してきた怪異とは比べものにならない脅威を、あの男から感じた。
「まったく! 我がライバルでありながら敵の手中に落ちるとは……情けないですわね! 直接何かひと言いってやらないと気が済みませんわ!」
アイシャはそう言いながらも、その表情には焦燥感が滲んでいる。
全員がルカの安否を案じながら、情報が来るのを待つ。
いまの俺たちには、祈ることしかできない。
ルカ……どうか、無事でいてくれ!
「……確認が取れたよ」
間もなくして、俺の師のひとりである紫波ウズエさんがやってきた。
機械に強い彼女はPCやスマートフォンを巧みに使って機関の情報を手早く集めることができる。
今回も、ものの数分で手掛かりを掴んだようだ。
「ウズエさん! ルカはいったいどこに!」
「位置は特定できたよ。あたしたち霊能力者の体には『霊子端末』を植え付けることが義務づけられているから、その反応を追えば位置情報は簡単に探し出せる。プライベートもあったもんじゃないね」
ジャージの裾で隠されているからわからないが、ウズエさんの口元が忌々しげに歪んでいるように見えた。
「ついでに敵の情報も掴めた。いまルカちゃんに接敵しているのは……邪心母らしいよ」
「っ!?」
やはり、あの女が関わっているのか!
「邪心母が、ルカを捕まえたってことは……」
「たぶん……喰うつもりだろうね。ルカちゃんを素材として」
俺の不安を、ウズエさんは淡々と口にする。
怒りで頭が破裂しそうになった。
ルカを、喰うだと?
喰らった怪異を合成させ、複数の能力を持った怪異を産み出す邪心母。
あのおぞましい怪異を造るために……ルカを素材にしようってのか!?
「そんなことさせてたまるか!!」
「当たり前だよ! 皆で協力してルカを助けよう!」
俺の叫びにレンも同意し、皆に呼びかける。
少女たちは「うん」と力強く頷いた。
「場所がわかったのなら機関の皆さんはすでに行動を起こしているんですよね!? でしたらスズナたちも手伝います! できることがあれば、何でもします!」
スズナちゃんの言うとおりだ。
機関ばかりに任せるわけにはいかない。
俺たちの可能な範囲で、ルカの救出に全力を注ぐべきだ!
「……機関は確かに動いているよ? でも……あなたたちが望むような目的でじゃない」
「え?」
「だから機関って嫌いなんだよね。アイツらに人の心なんてないよ」
ウズエさんは苦々しい顔を浮かべて、俺たちにスマートフォンの画面を見せる。
それは、どうやら機関からの指示が書かれた文面のようだった。
……そこに書かれているものを見たとき、俺は頭が真っ白になった。
──【緊急配備発令】白鐘瑠華、現在、邪心母と接触中。融合の儀式が開始。儀式が完遂される前に……
白鐘瑠華を殺処分せよ。
……ふざけるな。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!!!!
「……助けるんじゃ、ないのか? 機関は! ルカを助けてくれるんじゃないのかよ!?」
「……機関に何を期待してるんだ? もうとっくに知ってるだろ? アイツらは正義の組織じゃねえ。合理的な判断でしか動かねえ連中だ」
怒号を上げる俺を、ツクヨさんは冷ややかに見て言う。
合理的、だと?
「ルカを殺すことが……合理的だって言うんですか!?」
「機関にとってはそうなんだろうさ。そもそも、この事態を起こした原因である娘を機関が放置すると思うのか? 再発を防ぐために消すほうが手っ取り早いってことだろ」
血管が千切れそうになった。
気に入らない組織だとは思っていたが……ここまで奴等に憎悪をいだいたのは初めてだった。
「……場所は、わかってるんですよね? だったら教えてください」
「……知ってどうする気だ?」
「決まってるでしょ! ルカを助けに行くんだ! このままじゃ、ルカはどちらかに殺されるんだ!」
侵徒に、機関……ふたつの狩人がルカの命は狙っているとわかった以上、もう俺たちで動くしかない!
「皆、頼む! 手を貸してくれ!」
「もちろんです! スズナがヘリをすぐに手配します!」
「うん! 機関の連中がルカのところに辿り着く前に、助けに行こう!」
ルカを救出すべく、早速スズナちゃんとレンと一緒に計画を立てようとしたが……
「……お前らが行って、何ができるんだ?」
ツクヨさんが怒気を孕んだ声でストップをかけた。
「侵徒相手に手も足も出なかったお前が、現地に行ったところでどうなるってんだ!?」
鋭い叱咤が室内に響いた。
「藍神の嬢ちゃんとシスターの嬢ちゃんもわかってんだろ? わざわざ死に行くようなもんだってな」
ツクヨさんに睨まれた二人は、気まずそうに眼を逸らした。
「それは……」
「……事はそう単純で無いことは、理解していますわ」
「キリカ……アイシャ……お前ら……」
てっきり協力してくれると思っていた霊能力者の二人。
しかし、彼女たちの表情には躊躇が滲んでいた。
「黒野……今回ばかりはアタシたちだけで、どうにかなるレベルじゃないわ。侵徒どころか、機関まで相手にしないといけないのよ?」
「クロノ様のお気持ちは痛いほどわかっていますわ。ですが……ごく僅かな戦力で、ふたつの勢力を敵に回しながら、ルカを救出するのは至難ですわ」
「そんな……」
突きつけられる現実に絶望しそうになる。
だが、本当のところ、俺にもわかってはいた。
無茶なことを言っていると。
だが、それでも……
「それでも、無茶を通さなきゃ、ルカは殺されちまうんだ! このままジッとなんてしていられねえよ!!」
俺は再び、ツクヨさんに向けて頭を下げた。
「お願いします! 俺たちに力を貸してください! どうかルカを助けてください!」
「……そんなことしなくても、助けるに決まってんだろ」
「……え?」
ぽんと、ツクヨさんは俺の頭に手を乗せた。
「恩人の娘さんが殺されそうになってて、オレたち紫波家が黙ってるわけねえだろ?」
「し、師匠?」
「たくっ、ひとりで勝手に早まりやがって。おい、ウズエ! ミハヤとカザネさんも呼んでこい! いま動ける連中で向かうぞ!」
「ういーっす」
急な展開に俺は目をパチパチとさせる。
「し、師匠? いいんすか? 機関の決定に逆らうことになるのに……」
「オレたち紫波家は機関の飼い犬じゃねえよ。金で雇われて動く傭兵みたいなもんさ。──そして紫波家は受けた恩を必ず返す。璃絵さんの忘れ形見を、死なせてたまるかってんだ」
涙がこぼれた。
この人たちを頼って良かったと、心から思えた。
「状況が変わりましたわね。かの名高い霊獣使いである紫波家の皆様が協力してくださるというのなら、これほど心強いことはないですわ。わたくしアイシャ・エバーグリーンも、末席に加えていただきますわ」
「アイシャ!」
「ご安心なさってクロノ様。ルカは必ず助けてみせますわ」
強い意思のこもった眼差しを向けて、アイシャは俺に微笑んだ。
それはまさに『聖女』の顔だった。
「ありがとう、アイシャ。君がいてくれてよかった」
「っ!? 『愛している』だなんて、そんな!」
「いや、言ってないよ?」
聞き間違いで「やんやん」と体をくねらせるアイシャ。
せっかく見直していたのに、いつも通りだ。
「そうと決まれば、アタシも準備するわ。凪沙様がまた降りてきてくれるかはわからないけれど……アタシだってルカを助けたい気持ちは同じよ?」
「キリカ……」
そうだ。キリカの強い意思と守護霊の力があれば敵無しだ。
キリカならきっと活路を開いてくれる。
「よしっ。じゃあ俺も……」
「おい、待て。誰がお前まで連れて行くって言った?」
「え?」
ツクヨさんは再び底冷えするような眼差しで俺を睨んだ。
「シスターの嬢ちゃんは第一席のエクソシストっていう実力者だから同行を許す。藍神の嬢ちゃんは正直不安だが……守護霊さえ降ろせば無敵だからな。もしものときの切り札として連れて行く……だがお前は何だ? ただ喧嘩が強いだけの一般人だろうがよ。足手まといだ。ここで待ってろ」
ツクヨさんはハッキリと言った。
俺に、できることはないと。
──何も、言い返せなかった。
事実、俺が役立たずのせいで、ルカは捕まってしまったのだから。
だが、それでも……。
「お願いです、連れて行ってください。ルカが危険な目に遭っているとわかっているのに、自分だけ安全な場所で待っているわけには……」
頬に強い衝撃が走り、一瞬で壁際に吹っ飛んでいた。
「ダイくん!?」
「ダイキさん!!」
レンとスズナちゃんは慌てて駆け寄ってくる。
ジリジリと火傷したように痛む頬。
……やっぱ師匠の拳は効くなぁ。
「自惚れてんじゃねえぞダイキ! 肉啜りを倒せたから他の化け物とも競り合えるとでも思ってんのか!? アレはたまたまテメーにとって相性が良い敵だっただけだ! 霊力を持ってねぇテメーにできることなんてねぇんだよ!!」
ズカズカと足音を立てて近づいてきたツクヨさんが、俺の胸元に掴みかかる。
レンとスズナちゃんが嗜めるのも聞かず、俺を天井高く持ち上げる。
「次に舐めたこと言ってみろ! 骨折って当面動けねえ体にしてやるからな!」
「……ルカが死んだら、俺も死にます」
「……なに?」
「ずっと前から決めてたんです。俺の一生は、ルカのために捧げるって」
たとえ無力でも、足手まといでも……俺は行かなくちゃいけないんだ。
──ダイキ……助けて!
ルカはあのとき、俺に助けを求めたんだ!
「どうせ死ぬなら、この命はルカを助けるために使う。一生のお願いです。俺をルカのもとへ、連れて行ってください」
「ダイキ……お前……」
決して目を逸らさず、俺はツクヨさんに頼み込む。
ツクヨさんは切なそうに俺を見たあと、「やむを得ない」とばかり首を振って、俺の肋骨に拳を突き出そうとすると……
「その子は連れて行ったほうがいいよ? あたしの占いで、そう出てる」
聞き覚えのある声がとつぜん室内に響く。
押し入れの扉がサァーッと開く。
その押し入れの取っ手には、今日部室で見た南京錠が付いていた。
「よ、熔さん?」
「やあ、さっきぶり♪ 皆さんお揃いで~」
霊装鍛冶師の灰崎熔さんが、緊迫した空気に場違いな陽気な笑顔で現れた。
「……熔、何の用だ。いま取り込み中なんだよ」
ギロリと肉食獣のような圧でツクヨさんが熔さんを睨む。
「依頼された品物を届けに来たんだよ~。そこのお弟子くんのね~」
「俺の?」
「チッ……なんちゅうタイミングで来やがるんだ……」
ツクヨさんは悔しげに唸りながら、俺から手を離した。
「それとついでにお客さんを連れてきたよ。君たちに話があるんだって」
「え?」
熔さんの後ろから、また別の人物が入ってくる。
白い着物を着た女性だった。
遠目から見たら、幽霊と見間違えてしまいそうなほどに透き通るような白い肌。
腰まで届く白い髪。
ガラス細工のような灰色の瞳。
全体的に白い、そしていまにも消えてしまいそうなほどに儚い、どこか幽玄な魅力を秘めた美女だった。
「あなたは……」
俺たちの前で、女性は深々と頭を下げた。
「はじめまして。私は機関、対侵徒チーム──『
「っ!?」
機関、という言葉が出た途端、俺の中に敵意が生じた。
「ルカを殺そうとしている連中が、何の用だ!?」
「はい、確かに今回我々はその指示を上層部から受けました。そして……我々にとってその決定は本意ではありません」
「え?」
透真薄と名乗った女性は床に膝を突き、完璧な姿勢で頭を下げた。
「皆様にお願いがあります。亡き親友の忘れ形見であるルカさんを。そして──【常闇の女王】を滅ぼす最後の希望であるルカさんを──どうか、お助けください」
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