歪む影
灰崎熔さんとの面談を終え、俺たちは解散した。
夕日が沈みかけている帰路をルカと歩く。
濃い影がふたつ、目の前に伸びている。
隣を歩く影が、とぼとぼと緩やかについてきている。
俺は歩調を遅めにして、ルカの横顔を伺う。
ルカの面持ちは、紫色になりはじめた夕闇と同じように暗かった。
「その……残念だったな。手掛かりが見つからなくて」
「うん……」
「でも熔さん、もっと凄い鍛冶師に聞くって言ってたし、きっといつか紅糸繰のことを解明してくれるはずだって」
「うん……」
気遣いの言葉をかけても、ルカの表情は晴れない。
無理もないか。璃絵さんの形見である紅糸繰の謎がやっとわかると期待していたのに、逆に謎が深まってしまったのだから。
「……お母さんは、いったいどういうつもりで私に紅糸繰を託したんだろう」
「え?」
「『紅糸繰があなたを導く。未来を切り拓く可能性は、ここにすべて込められている』……お母さんは、そう遺言を残したけれど……私、少し怖いんだ。このまま、紅糸繰を使い続けてもいいのか、って」
「ルカ……」
ルカは不安げな顔で、身を抱きしめる。
その体は小刻みに震えていた。
『この霊装には意思を持つ、正体不明のナニカが宿っている』
『八体? とんでもない。ヘタをしたら百を優に越える数だったよ』
熔さんの言葉が思い出される。
あんな衝撃な事実を突きつけられて、ルカはどんな思いをしたことだろう。
これまで愛用していた霊装に、まさか謎の存在が百体以上も宿っていると知って、平常心でいられるわけがない。
その謎の存在は、紅糸繰を憑依させたルカの中にいるということなのだから。
夕日が下へと沈んで、半分になっていく。
ルカの不安を増長するように、影が伸びていく。
ルカになんて声をかければいいのか、言葉が見つからなかった。
大丈夫だ、心配ない、なんて安っぽい励ましなど口にできない。
霊力を持たない一般人でしかない俺に、霊能力者であるルカの苦悩がどこまでわかってあげられるだろう。
寄り添うことはできる。でも、ルカの不安は苦しみを本当の意味で分かつことが、俺にはできない。
一般人と霊能力者。俺とルカの間に走る線引き。
いつも一緒にいるのに、こんなにも近くにいるのに、ときどきルカを遠く感じる瞬間だった。
……もしも、俺も霊能力者だったら。
この身にナニカ、正体不明の力を宿していたら、ルカの傷を理解して、その不安を払うことができたかもしれないのに。
情けなさで、歯がみする。
第二の人生は、ルカのために使うと決めたのに、肝心なところで俺は無力だった。
だから結局、俺には、言葉でしかルカを励ますことしかできないんだ。
「……信じようぜ、璃絵さんを」
「え?」
「あの人がルカを不幸にするような真似、絶対にするはずがない。だからきっと紅糸繰をルカに託したのも、ルカの幸せのためだ。そう信じよう」
「ダイキ……」
やっと絞り出せた言葉を聞いて、ルカは静かに笑顔を取り戻していった。
「そうだね……紅糸繰のことは信じられなくても、お母さんなら信じられる。ありがとう、ダイキ。おかげで少し気が楽になったよ」
「本当か?」
「うん。ダイキは、いつも私の欲しい言葉をくれる。私の胸を温かく癒してくれる。ダイキと一緒なら怖いものなんて無いって、そう思える」
ルカの頬が夕日にも負けないくらいに、赤く染まっていく。
「だから、ダイキ──これからも、ずっと私の傍に──」
潤んだ瞳を浮かべて、ルカがまっすぐに見つめてくる。
重なり合う視線。
胸のうちに、熱いものが込み上がる。
抑えきれないほどの愛おしさが、溢れてくる。
糸に引き寄せられるように、ルカとの距離が縮まっていく。
言葉を交わすこともなく、もうお互いに承知しているかのように、影と影が重なりそうになって──
ぐにゃり、と……俺たちの影が歪んだ。
「ァ──」
全身の神経が石になったような感覚が襲う。
指先の一本すら動かせず、銅像のように固まる。
ルカも俺と同じように、驚愕の表情で身を硬直させている。
なん、だ、これは?
体が、ぜんぜん動かねえ!
「そのまま大人しくしてもらおう。そうすれば手荒な真似はしない」
影が伸びる先から、男の声がする。
辛うじて動かせた眼で、声のしたほうを見る。
黒い影が、立っていた。
どんな影よりも濃く、黒い、闇同然の影。
それが、俺たちの影の上に立っていた。
顔は、見えない。
黒いローブで頭をスッポリ隠している上に、まるで墨を塗りたくったように影が重なり、輪郭すら窺えない。
夜間の獣のごとき眼だけが、ローブの中で鋭く光っていた。
「お、前、は……」
猿轡で抑えつけられているような口元を必死で動かし、言葉を紡ぐ。
お前は、何者だと。
「常闇の侵徒──
「っ!?」
相手は律儀にも名乗った。
そして、一気に、脳が怒りに染まる。
常闇の侵徒だと!?
ということは水坂牧乃……いや、邪心母の仲間か!
俺たちを騙し、俺たちを殺そうとし、そして……清香さんを怪異に変えた仇敵の!
「ぐっ! くぁっ……」
相手が容赦の必要もない敵対存在だとわかった以上、ジッとしているわけにはいかない。
なんとか硬直した体を動かすべく、全身に気を込める。
だが、やはり体は石にでもなったように動かすことができない。
「やめておけ。俺の『影結び』に抗おうとすれば、体がガラスのように砕け粉々になるぞ」
縄に雁字搦めにされるように、体がさらに硬直する。
黒衣の男が立つ場所には、俺とルカの影がある。
影は、まさにいくつもの縄に縛られたような奇怪な形になっていた。
そして、その縄は、黒衣の男の足下から伸びていた。
まるで絵の具が混ざり合うように、俺たちの影を縛っている!
「要件だけを述べよう。お前たちには同行してもらう。拒否権はない」
ふざ、けんな……なに一方的に、偉そうに言ってやがる!
化け物の親玉に、かしづいているような奴が!
ちくしょう! 何とか抜け出せねえのか!?
「──っ──っ……」
ルカが小声で何かを呟いている。
ルカ? いったい何を……。
「うわっ!?」
途端、体中の硬直が解け、その反動で地面に転がる。
いまのは……そうか! ルカが言霊で拘束を解いたのか!
「ダイキ! 逃げ……きゃあああ!」
「ルカ!?」
俺と同じように拘束が解けたルカが手を差し伸べる。
だがその瞬間……素早く動く黒い布のようなものがルカを捕らえた。
「驚いたな、あの状態からでも言霊で俺の霊術を解くとは。だが甘いな。敵を前にしていながら仲間の無事を優先するのは」
男は黒衣の先端を伸ばし、膜のようなものに変えて、ルカの全身を覆った。
意識が沸騰し、眼前が真っ赤に染まる。
「テメェ! ルカに何しやがる!」
瞬時に数珠から双星餓狼を展開し、黒衣の男に拳を向ける。
「ダイキ! だめ! 逃げて!」
バカヤロウ! ルカを置いて逃げられるか!
それに相手は霊能力者だろうと人間だ!
実態があるなら、俺の拳で……
縮地で黒衣の男の懐に入り込み、渾身の一撃を叩き込む!
「無駄だ」
「な……」
炸裂するはずだった正拳突きは……しかし、すり抜けていった。
「何者だろうと、俺に触れることはできない」
なん、だ? コイツの体……まるで液体を殴ったみたいに、手応えがねえ!?
「良い動きだ。一般人とは思えぬ洗練された武練。肉啜りを撃破できたのも頷ける。だが……無謀だな」
「がっ!?」
黒衣の男が腕を振るうと……俺の体はゴムボールのように空に跳ね、地上へと落下した。
「ごはっ!?」
殴られた、のか?
拳ひとつで、こんな威力を……!?
「ダイキ! くっ! 【 《影》 よ 《拘束》 を 《解……」
「それ以上はさせん」
「むぐっ!?」
ルカが再び言霊を紡ごうとすると、黒い膜がさらに増幅し、ルカの口元を覆った。
「いかに優れた言霊使いであろうと、口を封じてしまえば只人同然だ」
「うぅ! ううぅぅ!!」
「霊装も無駄だ。俺の『
こんな……こんなことが……。
悪夢でも見てるのか?
ルカが、こんなにもあっさりと無力化されるだなんて!
「さて……可能であれば貴様も連れて行く予定だったが……時間が惜しいのでな。最優先であるこの娘だけを連れて行くことにする」
黒衣の男が右手を空間にかざすと……黒い渦のようなものが浮き上がった。
本能が悟る。
あの渦の中に入ったら、黒衣の男は……ルカは俺の手の届かない場所に行ってしまう!
激痛に苛まれる体を無理やりにでも起こす。
「ふざけるなよ……テメェ! ルカをどうするつもりだ!?」
「俺自身がどうこうするつもりはない。俺はただの『影』だ。他者の望みに力を貸す、それだけの存在だ」
「ワケのわからねえこと言ってんじゃっ……!?」
黒衣の男に再び飛びかかろうとした俺の体は、再び硬直する。
足下を見ると、俺の影がかかった地面に黒い針のようなものが無数に刺さっていた。
針に縫い付けられたように、その場から動くことができない!
「それ以上はやめておけ。この娘の行いを無駄にすることになるぞ?」
「どの口が、言って……」
手を前に伸ばす。
だが、届かない。
そこに、ルカがいるのに!
……くそっ! くそぉ! 動け……動けよ!
何してんだよ、俺は!?
ルカがそこで……涙を流しているのに!
「……っ!」
声にならない悲鳴が聞こえた。
──ダイキ……助けて!
黒い渦が肥大化する。
渦は黒衣の男と、ルカを、呑み込んでいく。
「……この娘が大切なら、奪い返してみろ。命を賭ける覚悟があればな」
黒衣の男はその言葉を残し、ルカを連れて……俺の前から消えた。
黒い針が消滅し、体の自由が戻る。
脱力した体が地に倒れる。
「ルカ……ルカああああああああああ!!!!」
夕日が完全に沈み、空が闇に染まる。
暗雲で月明かりが翳った夜の底で……俺の慟哭だけが虚しく響いた。
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