魂魄霊装


「え……あ……」


 違う。

 見間違えだ。

 夕日の明かりのせいで赤い人影のように見えただけだ。

 ほら、電線の上に人なんていない。

 当たり前じゃないか。

 そうだろ?

 いるわけ、ない。

 アイツが、アイツが、アイツが。


 


 だから、落ち着け。

 いい加減止まれよ、体の震え。

 ありえない。絶対にありえない。

 アレは前世の出来事だ。

 そもそも、本当にアレが噂通りの存在かどうかだって、わからないのに。


 噂、通りの……。


 ──ねえ、知ってる? 『赤い服の女』の話?

 ──目を付けられた男の人は……ずっとその女に追い回されるんだって……。

 ──ドれダけ逃げテも……どコまデも、本当に……。


 ド コ マ デ モ



 もしも。

 もしも本当に、あの『赤い服の女』が噂通りの存在だったら、俺はいまも追いかけられているのか?

 世界を越えて、次元を越えて、俺の魂を狙って、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと──


 肩を掴まれた。


「うわああああ!!!」

「わっ!? ビックリした! どうしたのダイくん? そんなに震えて」


 振り向くと、そこにいたのはレンだった。

 いきなり悲鳴を上げた俺を不思議そうに見ている。


「いま灰崎さんの鑑定が終わったから呼びにきたんだけど……大丈夫? 顔真っ青だよ?」

「あ、ああ……大丈夫だ……」


 心配そうに見つめてくるレンに、なんとか笑顔で答える。

 無理にでも笑わないと、やってられなかった。

 見間違いだ。思い違いだ。そう自分に言い聞かせて、俺は部室に戻った。



    * * *



 部室に入ると、椅子にぐったりと座っている熔さんが見えた。

 先ほどの快活な様子とは異なり、激しく消耗している。

 いったい、何があったんだ?


「……いやー、参ったね。思っていた以上にとんでもない代物だよ、コイツは」


 と言って熔さんは懐から瓶を取り出して、中身を一気に呷った。

 匂いからして、お酒らしい。

 ぷはぁ、と口元を手で拭い、神妙な顔つきになる。


「……あの、いったい何がわかったんですか?」

「……何もわからなかった」

「は?」


 俺の問いに、熔さんは予想外な答えを返す。


「正確には、分析することを拒否されたんだ」

「拒否?」

「そう。紅糸繰そのものにね。『見るな』って、強い意思で撥ね除けられたんだ。あれ以上、深入りしてたらたぶん……命を取られてたね」

「っ!? ど、どういうことですか!? その言い方だと、まるで……」

「ああ、この霊装には意思を持つ、正体不明のナニカが宿っている……わかったのは、それくらいだよ」


 衝撃的な発言に、俺たちは息を呑んだ。

 宿主であるルカにいたっては、顔を青白くしている。


「紅糸繰の中に、ナニカがいるってことですか?」

「いるね。確実に、ナニカを封じ込めている」


 ルカの問いに、熔さんは確信めいた顔で答えた。


「それは、もしかして……八体ですか?」


 ルカは固唾を呑んで、意を決した様子でさらに聞く。


「八体? とんでもない。ヘタをしたら百を優に越える数だったよ」

「っ!?」


 百体!?

 そんな数のナニカが紅糸繰に封じられているっていうのか?


「現時点で言えることは、紅糸繰はどんな霊装にも該当しない、異質な霊装ってことだね。あたしも、こんなのは初めてだよ」


 まさか紅糸繰が霊装のスペシャリストである灰崎の人間ですら見たこともない代物だったなんて……。

 璃絵さん……アンタ、いったい娘に何を託したんだよ!?


「灰崎の人間としてこんなこと言うのは本当に情けないけど……ごめんなさい白鐘さん、これはあたしの手には負えない。紅糸繰がこんなブラックボックスな霊装だとは思わなかった」


 熔さんは心底申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。


「一応、このことは曾お爺さまや灰崎当主にも伝えておく。何とか分析する方法を探してみるよ」

「そう、ですか……ありがとう、ございます……」


 紅糸繰の謎を解き明かす唯一の望みであった灰崎家。

 その灰崎家にすらもお手上げと断言され、ルカは目に見えて落ち込んだ。


「本当に申し訳ない。てっきり『魂魄霊装こんぱくれいそう』の一種かと思ったんだけど……永続稼働するための霊玉が装着されているわけでもないし、何より宿っている意思が多すぎる……いったい、どんな原理で造られているのやら……」

「『魂魄霊装』?」


 聞き慣れない用語が登場し、つい尋ねる。


「『魂魄霊装』ってのは、使い手が霊力を持っていなくても異能を発揮する特殊な霊装のことさ」


 熔さんは律儀に質問に答え、説明を始める。


「通常の霊装は、電化製品と似たようなものでね。霊力を注がないと機能しないんだ。でも魂魄霊装は、霊装そのものが霊力を宿している。そして霊力を消費しても時間経過と共に自動で回復するんだ」

「それって、まるで生き物みたいですね……」

「その通り。魂魄霊装は生きた霊装さ。だって──鍛冶師の魂を宿しているからね」

「え?」


 衝撃的な発言に、唖然とする。


「正確には、己の分身を霊玉って呼ばれる特殊な石に転写させるんだけどね。そうすることで意思と力を宿した、自立稼働する霊装が完成するんだ。だから紅糸繰もその一種だと思ったんだけど……絶対にありえない。ひとつの霊装に吹き込める命は、鍛冶師ひとりのものだけだからさ」

「吹き込める命って……それってまさか……」

「そう……魂魄霊装を造った鍛冶師は死ぬ。魂魄霊装は、あたしたち霊装鍛冶師が文字通り最期に造る遺作……培った技術、そして命を、ひとつの霊装にぶつけるのさ。あたしたち灰崎の人間にとって、その最期を迎えることが最終目的であり、誇りなんだ」


 冗談で言っているようではなかった。

 熔さんの目は本気だった。

 いずれ、自分もその道に進むのだと覚悟している顔つきだった。


「そんな……それって、天寿を全うできないってことじゃないですか。死に方を強制されるだなんて、そんなの……」


 一族には一族の事情があるのは承知だが、それでもつい口が出てしまった。

 熔さんは、そんな俺を見て、ふっと柔らかく微笑んだ。


「優しいね、君は。でもね、それが灰崎の歴史なんだ。すべてはこの世を怪異から守るため。そして強力な霊能力者たちに相応しい武器を与えるため。あたしたちはそうやって裏の世界を支えてきたんだ。鍛冶師の数だけ、人々を救うための道具が造れるんだよ? だったら、悔いはないよ。あたしも喜んで、いずれ命を捧げる」


 熔さんの揺るぎない意思を前に、俺たちは圧倒された。

 この人は、こんなにも若いのに、もう自分の最期を見据えて生きているんだ。

 これが、灰崎家の霊装鍛冶師……。


「それに、やっぱり鍛冶師として渾身の遺作を造ることは憧れだからね。ご先祖様の魂魄霊装とか見ると、あたしもソレに負けないような傑作を造ろうと思えるというか……ん?」


 ふと、熔さんの視線が俺の腕に向く。

 正確には、手首につけた数珠にだ。


「……ちょっ!? おいおい! その数珠の中に宿ってる霊装……双星餓狼じゃん!?」

「うお!?」


 熔さんは目を丸くして、俺の腕を掴んできた。


「これだよ! これが魂魄霊装のことだよ! ていうか紫波家の人間にしか受け継がれない霊装だよこれ!? 君、紫波家の人間なの!?」

「い、いえ、俺は門外漢の弟子でして……」

「あの紫波家が門外漢の弟子に双星餓狼を!? 嘘でしょ!? 君いったい何者なの!?」


 とんでもなく興奮した状態で、熔さんはキラキラとした目で迫ってくる。

 近い近い! ご立派なおっぱいが当たっちゃう!


「あの、双星餓狼って、そんなに凄い霊装なんですか?」

「凄いも何も、あの伝説の天才鍛冶師、灰崎炎心様の遺作にして最高傑作だよ!? うわあああ! 感動だああああ! まさかお目にかかるとは思ってなかったあああ!」

「え!? ちょっと!?」


 熔さんが数珠を撫でると、途端に術式が展開し、あっという間に籠手の状態に変化した。

 出現した双星餓狼に、熔さんはますます熱い眼差しを注ぐ。


「うひょおおおおお!? ぜんぜん劣化してねええ! 戦いで散々使われてるはずなのに、新品そのもの! 自動修復する術式が組み込まれているんだろうけど、こんな高度なレベル見たことなあああい!!! そもそもふたつの霊玉に魂魄転写を成功させるとか、どんだけチートなんだよ!? 流石すぎるうううう!!!」


 ハァ、ハァ、と息を荒くして熔さんは舐め回さん勢いで双星餓狼を眺める。

 ちょっと怖いよ、この人!


「うわぁ……やっぱ職人さんって変わり者が多いんだね~」

「でも、あそこまで熱中できるものがあるなんて……スズナは感銘を受けました!」

「あれは度が過ぎてると思うけど……でも灰崎家って、一族揃ってほんとうに皆あんな感じなのよね」

「まさに霊装に生涯を捧げた一族……くわばらくわばら」


 ちょっと皆! のんきに見てないで助けてくれよ!


「なるほどね。君がツクヨちゃんが話してた自慢の弟子だったか。君のことはよくツクヨちゃんから聞いてたよ。いろんな意味で目が離せないって」

「え?」

「楽しみにしてて? 君には後々、とっておきのプレゼントがあるから。弟子思いなお師匠さんたちに感謝するんだよ?」


 どうやら師匠たちと知り合いらしい熔さんは、ニコニコと意味深なことを言う。

 師匠たちからのプレゼント?

 それって、まさか……新しい霊装を用意してくれるってことだろうか?


「それにしても、双星餓狼の霊玉、凄く安定してるな~。きっと理想の使い手に巡り会えたからだね~……良かった、あなたは無事に運命の相手のもとに辿り着いたのですね、炎心様」

「え?」


 熔さんは心から安堵した笑顔を浮かべて、双星餓狼を撫でた。


「君は、もっと自分を誇るべきだよ。あの双星餓狼に……炎心様に選ばれたんだからね」

「選、ばれた?」

「人間が道具を選んでいるように思えるけど……実際は、違う。道具が使い手を選んでいるんだよ。鍛冶師の魂が宿った魂魄霊装は特にそうさ。相応しい人間のもとに渡らないと、霊装は真の力を発揮しない……そして、あたしたち灰崎家は霊装の『声』が聞けるんだ。『この人間のもとへ行きたい』──って『声』がね」


 熔さんがそんな不思議なことを言った途端……トランクケースの中から音がした。

 ゴトゴトと、中で複数の何かが動いている。


「……この出会いは、やっぱり『吉』だったみたいだね。君たちにとっても、そして──にとっても。……三つだ。まさか三つも反応するだなんて」


 熔さんは喜ばしそうに笑いながら……レンと、スズナちゃんと、キリカに目配せをした。


「おめでとう、お嬢さんたち。君たちは選ばれたみたいだ」

「え?」

「どういう、ことですか?」

「選ばれたって……それって、まさか」


 戸惑う少女たちに向けて、熔さんは力強い目線を向けた。

 まずは、レンに。


「君は凄く頭が良いんだね。その知恵と閃きで、皆をサポートして道を切り拓いてきたんだろう? そんな君には──『すべてを見通せる眼』を」


 続けて、熔さんはスズナちゃんを見る。


「君は凄く魂が綺麗なんだね。こうして霊視してても感じるよ。そんな君には──『癒しの鐘』を」


 そして最後に、キリカを見る。


「君は伸び悩んでいるね。素質は充分なのに、霊力が足りないせいで本来の力を発揮できていない。でも大丈夫。そんな君にピッタリのものがある。君には──『共鳴する双子の輪』を」


 俺は驚愕した。

 会って間もないはずの少女たちの適性や素質を、熔さんは一瞬で見抜いた。

 いったい、どうやって……。


「不思議に思うことはないよ。すべて霊装が教えてくれたんだ。言っただろ? 霊装は『相応しい使い手』のもとへ行きたがるって。君たちの適性に合致した霊装が、そう呼びかけているんだ。それはつまり……君たちには今後、霊装が必要不可欠になる。そういう事態が待っていることを意味している」


 熔さんは占うまでもなく、それが必然に起きると断言した。

 俺たち……特にレンとスズナちゃんは激しく動揺する。


「え? それって、つまり……」

「私たちに、霊装を?」


 二人の動揺を余所に、熔さんは懐からメモを取り出して、何やら書き始めた。


「紅糸繰の件のお詫びと言ってはなんだけど……無償でご用意するよ。灰崎家は相応しい使い手のもとに霊装を渡す。それが信条なんだ。たとえ君たちがどういう立場の人間だろうと、霊装が選んだ時点で例外はない……というわけで、連絡先を教えてくれるかい? メンテナンスが整い次第、必ず送り届けるよ」


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