アイシャとの出会い⑤

  * * *



 異国の少年の命に、幸い別状はなかった。

 母国への送還は『機関』が受け持ってくれる手筈になっている。

 無事に家族のもとへ送り返すことができそうで、ルカとアイシャは心底安堵した。


「シロガネ・ルカ……あなた、どうしてここに?」


 アイシャが尋ねると、ルカは溜め息を吐きながら渋々と答える。


「本当はあなたのことなんて放っておこうと思ったんだけど……ダイキがどうしてもって言うから、わざわざ加勢に来たんだよ。まあ私、一応この地区の責任者だからね」

「加勢……わたくしが遅れを取るとわかっていましたの?」

「そんなことまでわからないよ。ただ……危なっかしくは感じたかな? あなたからは、が感じられたから」

「っ!?」


 アイシャは何も言葉を返せなかった。

 事実、自分は負けていたのだ。ルカが来なければ『讒謗ざんぼうの悪魔』を滅することはできなかった。

 あれほど威勢良いことを口にしながら、このザマである。


(驕っていた? わたくしは、いつのまにか……己の力を過信していましたの?)


 ルカの言うとおり、アイシャは『成功体験』しか知らない。

 この日、アイシャはようやく『挫折』というものを経験した。

 アイシャは完敗した。悪魔だけにではない。

 霊能力者として、白鐘瑠花にも完敗した。


(わたくしでは、できなかった……彼女のように、憑依された人間を救い出すことは、できませんでしたわ……)


 自分は器にされた人間を見捨てようとした。

 だがルカはそうせず、最後まで救うことを諦めなかった。

 アイシャは歯噛みをして、拳を強く握る。

 己の未熟さを恥じながら。


 何が第一席エクソシストか。

 何が『聖女』か。

 ひとたび母国を離れ、異国の地に来てみれば……誇れることなど、なにひとつ為せなかった。

 アイシャは悟る。

 自分はずっと『狭い世界で生きていた』に過ぎなかったのだと。


「まあ、ともかく一件落着だね。悪魔は無事に倒せたし、これであなたも国に帰れるね」

「……いいえ。そういうわけにはいきませんわ」

「え?」

「このままでは胸を張って母国に帰れません」


 今回のことで、アイシャはいかに自分が未熟か痛感した。

 このままではいけない。

 変わらなければ。

 自分は、ここで変わらなければならない!


「シロガネ・ルカ。あなたに感謝いたしますわ。今回のことだけでなく、あなたと出会えたおかげで、己の矮小さを自覚できましたわ。当面の間、この地に留まり、修行をやり直すことにいたします……そして! いずれ、あなたを超える霊能力者になってみせますわ!」


 ビシッと指をルカに突きつけて、アイシャは宣言する。

 ルカはビクッと驚きの顔を浮かべる。


「シロガネ・ルカ! 今日からあなたはわたくしの好敵手ライバルですわ! あなたの素晴らしい素質と実力……共に高め合い、競い合う相手として相応しい! あなたの傍にいれば、わたくしはもっと成長できると確信しましたわ! 是非、末永いお付き合いを望みますわ!」

「ええ~……」


 とつぜんのアイシャのライバル認定に、ルカは「めんどくさ」とばかりに眉をひそめる。

 そんなルカの反応も知らず、アイシャは夜空の月を見上げながら、ロザリオを握る。


(主よ……あなたはわたくしに新たな試練をお与えになられたのですわね? その試練、ありがたく受けさせていただきますわ)


 誓いを新たに、アイシャは天に祈りを捧げる。

 自分はこの地で生まれ変わるのだ。

 かつての自分と別れを告げ、真に立派なエクソシストに……。


「お~いルカ~。気絶した人たちはこっちに運んどいたぞ~」


 操られていた若者たちを介抱していたダイキが戻ってくると、彼はアイシャに目線を投げた。


「あっ、君も無事で良かったな? いや~、何事もなくてなによりだ!」

「おひいいいいいいいいいん!!?」

「うわっ、びっくりした! どうした急に!?」


 ダイキに話しかけられるなり、アイシャはまたもや謎の衝動に駆られて悶えだした。


(あああああ!? なぜですのおおお!? 彼に話しかけられただけで全身が快楽で満たされてしまいますのおおおおおお!!)


 未知の感覚に翻弄されながらも、アイシャは息を整えてダイキと向き合う。

 貞操の危機から救い出してくれた彼にも、きちんと礼を言わなければならないのだから。


「あの……その……た、助けていただき、ありがとうございます。貴方様が駆けつけてくださらなかったら、わたくし危うく辱めを受けてしまうところでしたわ」


 人差し指同士をツンツンと突きながら、アイシャは真っ赤になった顔でダイキをチラチラと見つめた。


「ああ、気にしないでくれよ。ああいうことには慣れてるから。それよりも嫁入り前の娘さんに何事もなくて、本当に良かったよ」

「あ♡」


 爽やかな笑顔を向けられ、アイシャはまた未知の悦楽に呑まれそうになる。


「はうっ、この気持ちは何ですの?」


 ドクンドクンと高鳴る胸元をギュッと抑える。

 苦しいようで、何とも幸せな心地がする。

 彼……黒野大輝を見ているだけで、どんどん熱い感情が溢れてくる。


「貴方様のこと、その、ダ、ダダダ、ダイ……ク、クロノ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 モジモジとしながらアイシャはそう尋ねる。

 本当はファーストネームで呼びたかったが、その勇気はまだなかった。


「ん? 好きに呼んでくれていいけど」

「は、はい。で、ではクロノ様。わたくし、しばらくこの地で修行することにしましたので、またお会いできると思います。わたくしのことは、ど、どうか親しみを込めて、アイシャと……」

「そうか。じゃあ、アイシャ。これからよろしくな」

「きゅん♡」


 ダイキに名前を呼ばれ、握手を交わす。

 逞しく、温かな男性の手……。


(あ♡)


 瞬間、アイシャは体で理解した。

 自分に芽生えた、この新たな感情の名を。

 自覚すると、もう止まらなかった。

 アイシャはひとりの女として、いままさに生まれ変わろうとしていた。

 蛹が蝶になるように、アイシャはいままでの自分を脱ぎ捨てて、翼を広げて羽ばたきだしたのだ。


「はああん♡ 主よ……この出会いに、深い感謝を♡」

「ん? どうしたの? 目がすごい潤んでるけど? というか近いな。あの、このままだと君の胸が当たるんですけど……いや近い近い近い! 近いな!?」


 握手をしたままジリジリと迫ってくるアイシャにさすがのダイキも動揺を見せだした。


「っ!? いかん! ダイキから離れて! この色ボケシスター!」


 二人の合間にルカが慌てて割って入る。

 そのままダイキを庇うように抱きしめながら、猫のようにアイシャを威嚇する。


「フーッ! フーッ! 危なかった。危うくダイキの貞操が奪われるところだった」

「いや、何言ってるんだルカ! シスターの彼女がそんなことするはずないだろ?」

「ダイキは警戒心がなさ過ぎるよ! 見て、あの女の発情した目を!」

「いや、あっち向いてまた祈り始めてるから見えないけど……」

「くっ! なんて恐ろしい女……アイシャ・エバーグリーン!」


 すっかりルカに警戒心を剥き出しにされていることも知らず、アイシャはまたもや自分の世界に入り込んで祈りを捧げていた。


 己が生まれ変わるきっかけを作った、運命的な出会い。

 それが二度も起こった奇跡に、アイシャは深い感謝をいだいた。


「……わたくしは、この日のために生きてきたのかもしれません」


 迷いを断ち切ったアイシャの表情は、実にきらびやかなものだった。



   * * *



「失礼しますわ! ここがシロガネ・ルカが所属するオカルト研究部ですわね!」

「うわっ、出た」

「ライバルに対して『うわっ』とは何ですの! さあ、ルカ! 今日も共に高め合いますことよ! あの美しい夕陽の下で互いの霊術をぶつけ合うのですわ!」

「めんどくさーい……本当にこの女めんどくさいよー……」


 あれ以来、アイシャは幾度とルカに決闘を挑んでいた。

 ライバルと認めた相手と日々競い合うことにアイシャは喜びを感じている様子だったが、毎度付き合わされるルカにとってはたまったものではなかった。


「へえ~、この子がルカが言ってたアイシャちゃん? わっ! 本当におっぱいデッカ!? 背はちっこいのになんてダイナマイトボディなの!? エッロ!」

「ちょっとレン、初対面の相手に何てこと言って……ああっ! ハレンチだわ! 本当にシスターのくせにハレンチな体つきと格好だわ! 風紀が乱れるわ!」

「キリカさんも人のこと言えませんよ~? それにしてもお綺麗な御方ですね~♪」


 ルカからアイシャの愚痴を散々聞いていたオカ研の少女たちは、いざ本人を前にして口々にその容姿の感想を述べた。


「はじめましてアイシャさん♪ 黄瀬スズナと申します♪ よろしければお茶でもいかがですか?」

「まあ、ご親切にありがとうございます♪ いただきますわ♪」

「いただきますわ、じゃないよ。というか部外者が堂々と学園に入ってくるんじゃないよ。さっさと帰れ。ついでに母国に帰ってしまえ」

「お断りしますわ! この地での暮らしは毎日刺激的ですもの! 母国の教会に暮らしたままでは得られなかった経験がたくさんできて、とても勉強になっていますわ!」


 ルカのキツい物言いにもアイシャは動じず、優雅に紅茶を啜った。

 飲み終えるとキョロキョロと周りを見回し、乙女の表情を浮かべる。


「と、ところで……クロノ様はいずこへ?」

「ダイくんのこと? 買い出しに出かけてるけど、そろそろ戻ってくるんじゃないかな?」


 噂をするなり、買い物袋を抱えたダイキが部室にやってきた。


「戻ったぞ~。ん? アイシャじゃないか。ちょうどいいや。良かったら一緒にお菓子食うか?」

「ずっきゅううううん♡ はあぁん、クロノ様ぁ♡ 今日も相変わらず素敵ですわ~♡」

「ははは。そんなお世辞言ってもお菓子は人数分しかあげられないぞ?」


 ダイキと顔を合わせた途端、瞳の中にハートマークを浮かべて体をクネクネさせるアイシャを、少女たちは唖然と見る。


「……ええと、ルカ? あれってつまり……アイシャちゃん、ダイくんになワケ?」

「あらあら♪ ダイキさんは相変わらず罪作りな人ですね♪ ねえ、キリカさん?」

「ちょっ!? 何でアタシにふるのよスズナ! 違うから! アタシは違うからね!?」

「けっ! シスターのくせに色ボケになりおって……けっ!」


 少女たちはアイシャの抱える感情に真っ先に気づいたが、その手のことに疎いダイキは相も変わらず無頓着な様子でいた。


「あの、クロノ様? 街外れに新しく教会を建てましたので是非遊びにいらしてくださいまし。特別なミルクを使ったお菓子をたっぷりとご馳走してさしあげますわ♪ ええ、それはもうたっぷりと♡ ……どっぷりと♡」

「へえ~、俺って牛乳好きなんだよね。特別って聞くとちょっと気になるな~」

「まあ! ミルクが好物でしたの!? でしたらいつでも飲ませてさしあげますわ! 何ならいまこの場ですぐに……ごふっ! 何しますのルカ! 乙女の頭を叩くなど!」

「……河原行こうぜ淫乱シスター? お望み通り相手してやるからさ」


 乙女にあるまじき怒り顔を浮かべながら、ルカは親指を外に向けた。


「ふふ、ようやくヤル気になりましたのねルカ! それでこそわたくしのライバルですわ! クロノ様♡ わたくしの勝利をどうか願っていてくださいまし♡ そ、それで、もしもわたくしが勝ったあかつきには、今度の休日にわたくしと、お、お出かけなどを……」


【 《淫乱シスター》 よ 《ひっくり返れ》 】


「ごふっ!? 不意打ちは卑怯でしてよシロガネ・ルカ! よくもクロノ様の前で恥をかかせてくれましたわね!?」

「やーいやーい。色ボケシスター。ピンクの紐パ~ン」

「キーッ! 人の下着の趣味に文句をつけるとは何事ですの! 待ちなさい! 今日こそはギャフンと言わせてさしあげますわ!」


 ルカとアイシャはいがみ合いながら嵐のようにピューっと部室を出ていった。

 今日も今日とて、壮絶な喧嘩が河原で繰り広げられるようだった。


「……何だか、騒がしいのが増えたわね」

「ふふ♪ でもルカさん、とっても楽しそうでした♪ ああいうルカさんも可愛らしいですね!」

「そ、そうかな~? 普通に険悪そうに見えたけど?」

「まあ、ルカにはいままでああいう喧嘩友達がいなかったからな。本人は自覚してないだけで、きっとアイシャとのやり取りには新鮮な気持ちをいだいていると思うぜ?」

「うん、保護者面してるところ悪いけどいい加減に鼻血止めようかダイくん?」


 ひっくり返ったことでセクシーな臀部とショーツを全開にしたアイシャ。

 それを間近で見て鼻血を垂らし続けるダイキに、レンはティッシュを差し出すのだった。


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