アイシャとの出会い④

 紅色の糸が閃く。

 蜘蛛の糸のように網目状に広がり、『讒謗ざんぼうの悪魔』を捕らえる。


「「「ギィッ! 何だ!? この糸は!?」」」


 肉に食い込むほどの力で糸が巻き付き、動きを封じられた『讒謗ざんぼうの悪魔』は地に落ちる。


「悪魔憑き……実際に相手をするのは初めてだけど、何とか私の霊装は通じそうだね」


 糸を手繰り寄せながら、ルカは『讒謗ざんぼうの悪魔』を注視する。


「くっ……なんという高圧な霊力か……まさか極東の島国にも、これほどの術者がいるとは……素晴らしい! この者を器にすれば、どのような奇跡をも実現できそうではないか!」

「キヒヒヒ。どうだいアンタ? 俺たちと契約しないかい? アンタも言葉の力を使う術者だろう? お互いの力が合わされば、どんな欲望もきっと現実にすることができるぜぇ?」

「可哀相だわ……その才能をこのまま腐らせるのは勿体ないわ……とても可哀相だわ……」


 アイシャは「ハッ!」とした。

 この悪魔め、ワザと挑発的に交渉を持ちかけて、ルカの『怒り』を引き出すつもりだ!


「いけませんわシロガネ・ルカ! ヤツの言葉に反応して『怒り』をいだいては! あの悪魔の言葉には『術式』が宿っていますわ! 挑発に応じる者の『怒り』を跳ね返し、己に有利な自己領域に引きずり込むつもりですわ!」


 アイシャは咄嗟に悪魔の狙いをルカに伝える。


「ふーん。言葉に『術式』……つまり『言霊』ってことだね。……で? それがどうかしたの?」

「え?」


 すぅっとルカは息を深く吸う。

 膨大な霊力が口元を中心に集まる。

 練りに練られた霊力が宿りし『言霊』をルカは解放する。


【 《言霊》 で 《私》 に 《勝てると思うな》 】


 因果が、ねじ曲がる。

 それは常人には知覚できない力同士の衝突。

 言葉に宿った『術式』……その双方がぶつかり合う。

 やがて、片方の『術式』が砕け散った。


【 《その》 を 《断ち斬れ》 】


 おびただしい悲鳴が上がる。

 三つの顔を持つ悪魔からだった。

 どの顔も舌が切断され、血飛沫を上げている。


「『讒謗ざんぼう』……ありもしないことを言って人をそしることしか能の無い口車に、力なんて宿らない。言葉の力を舐めないことね、悪魔」


 ──悪魔の言葉に『怒り』をいだいた相手を支配する……その『術式』を、ルカは『言霊』で破壊し尽くした。

 アイシャは衝撃で打ち震えた。

 相手の『術式』に干渉できるほどの『言霊』……さらには、自滅を強いる効果まであるとは!

 あれは、もはや怪異の性質を諸共否定し、怪異そのものを『まやかす』まじないだ。


(何て、力ですの。これが──シロガネ・ルカ!)


 倒せる。

 彼女とならば、この『讒謗ざんぼうの悪魔』を完膚なきまでに!

 アイシャは再び霊装を展開し、ルカの隣に並び立つ。


「感謝いたしますわシロガネ・ルカ! いまこそ討伐のチャンスです!」


 霊装の聖十字を砲撃形態に切り替えて、アイシャは切っ先を悪魔に向ける。


「トドメはわたくしが刺しますわ。あの悪魔に憑かれた人間は……残念ながら手遅れです。わたくしが責任を持って、器ごと破壊しますわ」


 最後に汚れ仕事を請け負うのは自分だけでいい。

 それがアイシャがルカに示せる、せめての誇りだった。

 だが……。


「手遅れ……そうかな?」

「え?」

「私には、まだ聞こえる気がする。自分を取り戻そうと、必死に抗っている声が」


 瞳を閉じて、ルカは再び霊力を込める。

 まるで、祈るように。


「……前の私なら、きっとあなたと同じ選択をしたと思う。でも皆なら……オカ研の皆なら、きっと、こう言う。──『諦めないで、やってみよう』って」


 紅色の瞳が開かれる。

 彼女の手から伸びる紅色の糸が、眩い光を発する。


【 《思い出して》 《あなた》 の 《帰るべき場所》 を 】


 紅色の糸を通じて、ルカの『言霊』が『讒謗ざんぼうの悪魔』に届く。

 巻き付く糸がより強い光を放ち、悪魔の黒い体を赤白い色で覆っていく。


【 《悪魔》 に 《負けないで》 《自分》 を 《取り戻して》 】


 光に包まれた悪魔の輪郭に変化が現れる。

 コウモリのごとき翼が崩れ落ち、角が外れ、地面に届くほどに長い腕が縮んでいく。


 光が弾ける。

 散りゆく光の中から現れたのは、おぞましい姿をした悪魔ではなく、異国の少年だった。

 体のどこにも異変はない。少年は眠るように地面に横たわった。


「なっ!?」


 アイシャは奇跡を見た。

 奇跡としか形容できない現象だった。


 白鐘瑠花は救い出した。

 悪魔に憑かれた人間を『言霊』の力で!


「……強い子だね。自分を最後まで見失わなかったから、戻ってこられた」


 ルカは静かに微笑んだ。

 ルカは信じたのだ。

 どれだけ憑依された時間が長くとも、手遅れのように見えても、人の心は簡単に消えないと。『言霊』だけの力ではない。異国の少年の精神力が悪魔に見事打ち勝ったのだ。


「「「ギャアアアア!! バカな! こんなことで、憑依が解けるなど!」」」


 器を失い、ガス状のような姿となって宙を舞う悪魔。

 現世に留まるための方法を失った悪魔は、呆気ないほどに薄弱で、希薄な存在と化していた。


「……トドメ」

「え?」

「トドメは、あなたが刺すんでしょ?」

「あ……」


 ルカの言葉で、アイシャは己の使命を思い出す。


「……感謝いたしますわ」


 様々な感情を込めて、アイシャは霊装を構える。


「《聖剣展開》!」


 十字の先端に霊力で編まれた刀剣が出現する。

 アイシャは神速の動きで宙を飛び、悪魔との間合いを一気に詰める。


「ハァッ!」


 翡翠色の一閃が放たれる。

 ガス状の悪魔は真っ二つとなり、悲鳴を上げながら、光に包まれて徐々に消滅していく。


「ハ、ハハ……シスターアイシャ……最後に呪いを残してやろう……貴様はいずれ、己の中に流れる『血』と向き合い、苦しむ日が訪れるだろう……」

「キ、キヒヒヒ……こっちが手出しするまでもなかった、ようだな……とうに『つがい』と定めたオスを見つけてやがる……『覚醒』するのは、時間の問題だなぁ?」

「……可哀相、だわ……ヒトとして生きてきたのに、それができなくなる……とても、可哀相だわ……」


 消滅の間際、『讒謗ざんぼうの悪魔』は不吉な言葉を残していった。

 それが負け惜しみによる虚言なのか。真実は誰にもわからない。



 

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