アイシャとの出会い①


 夕刻。

 ルカは屋敷の広い浴槽をバブルバスにして、ご機嫌に入浴していた。

 お風呂は好きだ。特に胸がお湯で浮いて軽くなるのが良い。快適さで自然とハミングを奏でてしまう。

 泡まみれの浴槽に、ルカの豊満なバストがぷかぷかと浮かぶ。

 深い谷間を作るバストを見下ろすと……心なしか、また大きく成長しているようにルカは感じた。


「やっぱりまた大きくなってるかな? この間ブラのサイズ変えたばっかりなのに……」


 ルカは「むむ」と唸りながら両手で自らの乳房をむにゅむにゅと鷲掴む。

 小学生の頃から膨らみだしたバストは、とうとう自分の手では掴みきれないほどのサイズになってしまった。

 もう充分に大きすぎるというのに、それでもなお成長を止めない。

 肩は凝る上、下着も買い換えなければならないから、憂鬱の種である。


「……まっ、その代わりダイキが喜ぶからべつにいいけど」


 ルカ個人としては大きすぎる胸は鬱陶しい重りに過ぎないが、その成長を歓迎する特別な異性がいれば話はまた別である。

 このさらに成長した乳房で抱きしめてあげたら、さぞダラしない顔を浮かべるであろう幼馴染の少年を想像する。

 生粋の乳房フェチの彼なら、きっと前よりも甘えん坊になって、本能のままにルカを求めてくるに違いないのだ。

 その瞬間を思い浮かべて、ルカは「ニヘラ」とだらしない笑みを浮かべた。


 よし、今度絶対にパフパフしてやる。そしてあわよくば、思いきり誘惑してその先に進んで……。

 思考が淫らな方向に進みそうになったところで、ルカは唐突に真顔になった。

 湯船から上がる。

 玉のような艶肌に泡を滴らせながら、ルカは浴場の窓際に寄った。

 紅色の瞳を、ジッと凝らし、窓の外を見つめる。


「……何か、良くないものが来た」


 霊能力者であるルカは感じ取った。

 この街に、厄介な気配を持った存在が紛れ込んだことを。

 ルカはキュッと胸元に手を寄せた。鼓動が妙な警告をルカに告げていた。


「どうしてだろう……胸騒ぎがする」


 その胸騒ぎの対象は、今しがた感じ取った気配に向けてのものではなかった。

 ルカ自身もよくわからなかったが……いつものように怪異だけを警戒するだけではいけない。そう感じたのだ。


 この焦燥感はなんだろう?

 まるで、いまにも己の存在意義を脅かされるような……。

 気を抜いたら大切な存在が奪われるような……。

 何やらクッソめんどくさい因縁が始まるような……。

 とにもかくにも、嫌な予感が付きまとった。



   * * *



 高層ビルの屋上に、ひとりの少女が立っている。

 小柄で童顔の少女だった。

 しかし、その顔つきからは幼さを感じさせない、早熟な落ち着きが滲んでいた。

 頭には黒色のベールを被り、同色の修道服を身につけている。

 いわゆるシスターと呼ばれる装いだが……そのデザインは一般的な修道服とは大きくかけ離れていた。

 スカートはロングではなく、極ミニのプリーツスカートで、白のオーバーニーソックスに包まれた美脚を大胆に外気に晒している。

 上着に関してはなぜか胸元が大きく開いたデザインだった。白く、深い谷間が、切り開かれた修道服の中でまろやかに弾んでいる。

 少女の背丈と幼い顔とはアンバランスなまでに大きすぎる乳房だった。もはや顔よりも大きい。

 腕回りやウエストは折れてしまいそうなほどに細いのに、肉付くべきところにはとことん柔肉が実っている。

 おおよそ、貞淑であるべきシスターらしからぬ体格と姿格好の持ち主であった。

 しかし、彼女は正真正銘のシスターであり、その心には厚い信仰心と使命感が宿っている。


 シスターの少女は若草色の長髪を風になびかせながら、翡翠色の瞳を夜の街に向ける。


「……よもや、この極東の島国に逃げ込むとは思いませんでしたわ」


 澄みきった美声が夜空に溶ける。

 少女の首に提げたロザリオがボウッと翡翠色の光を発している。

 それは、この地に彼女の『敵』が潜伏していることを告げる証。


「必ず、わたくしが滅してみせますわ。──アイシャ・エバーグリーンの名にかけて」


 少女の名はアイシャ・エバーグリーン。

 ルークス教会に所属するシスターにして……『悪魔』と呼ばれる存在を祓うエクソシスト。

 母国で『聖女』の名を与えられた、清廉潔白にして、不撓不屈、可憐にして、高潔な少女である。



   * * *



 討伐対象の名は『讒謗ざんぼうの悪魔』といった。

 無論、教会が認定した仮称である。

 基本、悪魔に個体を表す名はつけない。悪魔は名を得ると、力を強めてしまう。

 本来、悪魔とは極めて希薄な存在だ。

 この世界で実体を維持すること自体、困難とされている。

 だが神話に登場するような個体名を得た悪魔たちは『現世での繋がり』を獲得し、確固たる存在として顕現し、長らく人類を苦しめてきた歴史がある。

 ゆえに悪魔に対しては仮の名で呼ぶのが通例である。

 悪魔とは、だだでさえ強力な能力を持つ怪異。わざわざ強化する愚考など犯さない。


 アイシャの追う『讒謗ざんぼうの悪魔』も、一筋縄ではいかない強力な悪魔の一体である。

 報告によれば、言葉の力だけで人の命を奪う恐ろしい悪魔だという。

 同時に逃げ足が速く、言葉巧みに追跡者を攪乱しては、今日までしぶとく生き延びている。

 多くのエクソシストが『讒謗ざんぼうの悪魔』によって返り討ちに遭った。そしてとうとうアイシャが所属するルークス教会に討伐依頼が来たのだった。


『「聖女」と名高きシスターアイシャならば、必ずや討伐できると信じております』


 その信頼には必ず応えよう。

 自分の手にかかれば、どんな悪魔も敵ではない。アイシャは確信を持ってそう言えた。

 アイシャは若くして教会トップの実力者『第一席エクソシスト』の位に就く生粋のエリートである。

 類い稀な霊術の素質を持ち、幼い頃から実戦を学び、他教会の上位エクソシストにも引けを取らない実績を重ねてきた。

 この地に逃げ込んだ『讒謗ざんぼうの悪魔』の命運も、ここで尽きるだろう。

 アイシャ・エバーグリーンが失態を犯すなど、万が一にもありえないのだから。


(どこへ逃げようと、わたくしが見つけてみせますわ)


 悪魔は己の存在を維持するために、人や物体に憑依する。『讒謗ざんぼうの悪魔』も器を変えては国々を転々としている。

 この街に潜んでいるのは確かだ。アイシャは意識を研ぎ澄ませながら、昨夜に引き続き、日の昇り始めた街中を歩く。


 人出が活発になりだすと、アイシャは通行人たちの注目を集めた。

 男女問わず、アイシャの現実離れした美貌を前に一度は足を止め、我を忘れたように見惚れていた。


「わっ、すっごい美人さん。外国の女優さんかな?」

「というかシスターさん? 今日コスプレのイベントあったっけ?」

「変わった服だけど……でも滅茶苦茶似合ってるね~」


 改造された修道服という奇異な格好も、アイシャの美しさの前では不思議と調和が取れており、むしろ彼女の魅力をさらに引き立てる役割を果たしていた。

 ……無論、歩くたびに盛大に弾む谷間丸出しの乳房は、否応もなしにすれ違う男性たちの獣欲を引きずり出した。


「うおっ……あの子、背小さいのにおっぱいデッカァ……」

「デカすぎんだろ」

「やべ……俺ちょっとトイレ」

「今日はコレでいいや」


 周囲の反応にアイシャもさすがに気づき、自分の身なりを気にしだした。

 そういえば空港の手続きでも係員が目を白黒させていたように思う。


(この国は無宗教の人間が多いとは聞いてはいましたけれど、そんなに修道服が珍しいのでしょうか?)


 衆目を集めているのは、もちろん改造された修道服にも原因はあったが……それ以上に類い稀な美貌と、オスの衝動を誘発してやまない体つきが一番の要因であることに、アイシャはまったく気づかなかった。教会で生まれ育ったアイシャは、どこか浮世離れしているところがあった。


「あら、いけない。そういえば、わたくしまだこの地区の担当者の御方に挨拶を済ませていませんでしたわ」


 はたと気づいたアイシャは教会から渡された情報を確認する。

 それぞれの土地には、霊的被害の対処に当たる霊能力者がひとりか二人が在住している。

 この街を管轄とする霊能力者に、礼儀として一度挨拶をするべきだろう。

 ……そして『今回の件は自分にすべて任せれば良い』と伝えなくてはいけない。

 わざわざ手を煩わせる必要はない。このアイシャ・エバーグリーンがいれば、事件はあっという間に解決するのだから。


 地図を確認する。

 どうやら、この近くに住んでいるようだ。


(あら、わたくしと同い年ではないですの。お若いのに街の管理を任せられるだなんて……相当な実力者のようですわね)


 いったい、どんな霊能力者なのだろう。

 アイシャは個人的にその人物が気になりだした。

 思えば、同年代の霊能力者と出会うのはこれが初めてかもしれない。

 教会は基本的に年上か、自分よりもずっと下の幼子ばかりだった。

 実力を競い合う同年代の存在をアイシャは知らない。

 それゆえに気になった。

 同じ歳月を生きた霊能力者と自分は、どれほどの実力差があるのかと。


(無事に任務を終えたら……試してみたいものですわね。一戦だけでも、手合わせを)


 アイシャは好戦的に微笑んだ。

 これから出会う霊能力者の秘めたる力を想像すると、期待に胸が弾んだ。


「ええと、確か名前は……」


 情報を再び確認する。

 この地区の担当者の名は……。


「──シロガネ・ルカ」


 呟いたその名を、アイシャは頭にしっかりと刻み込んだ。



   * * *



 中流家庭の家屋が建ち並んでいる中、ひとつだけ浮いたように立派な西洋屋敷があった。

 表札には『白鐘』と書かれている。

 どうやら、ここに住まう担当者はそこそこのお嬢様らしい。

 アイシャが呼び鈴を鳴らし、身の上を明かすと、木組みのドアから渋々といった様子で少女が現れた。


「エクソシストさんが何の御用?」


 銀髪赤眼の美しい少女だった。

 休日のためか、レース付のキャミソールに短パンデニムというラフな格好で、見事に整ったスタイルが強調されている。

 しかしアイシャがいの一番に着目したのは、少女のその身に宿る霊力だった。


(なんて凄まじい霊力ですの……こうしてちょっと霊視しただけでも、底知れぬパワーを感じますわ)


 間違いない。彼女が白鐘瑠花……。

 アイシャは驚愕した。

 まさか自分と同い年の少女で、ここまでの霊力を保有する存在がいるとは……。

 だが霊能力者の優劣は、なにも霊力の総量で決まるわけではない。大事なのはむしろ霊力のコントロールであり、使役する霊術の技術力の高さ。

 霊術のセンスだけならば、アイシャは誰にも負けない自信があった。

 ゆえに銀髪の少女に送る言葉は変わらない。

 当初の予定通り、アイシャは自信満々に名乗りを上げた。


「お初にお目にかかりますわ! あなたがこの地区を担当されている霊能力者だそうですわね? 現在この街には恐ろしい悪魔憑きがおりますが、ご安心なさって! このアイシャ・エバーグリーンが来た以上、もう事件は解決したも同然ですわ! お手を煩わせることもなく、わたくしが完全無欠完璧円満に退治してさしあげますから! どうぞあなたはごゆるりと吉報をお待ちになっていてくださいまし!」


 決まった。

 完璧に決まりましたわ、とアイシャは「フッ」と笑った。

 揺るぎない自信に溢れ、培ってきたカリスマ性を全開にした発言。

 たとえ初対面の相手だろうと、歴戦のエクソシストであるこの貫禄を前にすればたちまちち目を輝かせて「なんて頼もしい!」と言うに違いないのだ。


「……はぁ~?」


 不敵に笑うアイシャの前で上がったのは呆れの声だった。『いきなり来て、こいつ何言ってんだ?』とばかりに冷めた目線を投げられるが、幸い自分の世界に入り込んでいるアイシャは気づかなかった。


「昨夜から妙な気配がやってきたのは気づいてたけど……まさか悪魔憑きだったなんてね。まあ確かにエクソシストであるあなたが適役とは思うけど……」

「そうでしょう! そうでしょうとも! このルークス教会第一席エクソシストであるわたくしに任せてくだされば何も問題ありませんわ!」

「へ~。その歳で第一席なんだ、凄いね。ていうか日本語ペラペラだね」

「わたくし語学は得意でしてよ! こちらの言葉も数日でマスターしましたわ!」


 強く、美しく、頭の出来も違う完璧なエクソシスト。

 それがアイシャ・エバーグリーン。

 どこに出しても恥ずかしくないルークス教会きっての才女である。


 ……そう。


「お~い、ルカ。誰か来てるのか? ……ん?」


 玄関の奥から黒髪の少年がやってくる。


「──え?」


 アイシャと少年の視線が重なった。

 瞬間、場の空気があきからかに変化した。

 正確には、アイシャの様子がだ。


(……あ? ……え?)


 少年の姿を目に収めた途端、アイシャ自身もよくわからない未知の感覚に襲われた。

 視界が狭まり、少年以外の輪郭が曖昧にぼやけていく。

 高熱に見舞われたときに似た、意識の混濁が起こり、自分が立っているのかどうかもわからなくなっていく。


「……ああ、そっか。キリカと会ったんだから、次は彼女か。もうそんな時期か……」


 少年の声が、やたらと頭の中で反響する。

 というよりも、いつのまにか彼の声以外、耳が拾っていない。

 あらゆる自然音が遠ざかり、アイシャの世界は少年だけで占められていく。


「ええと、初めまして。黒野大輝って言います。どうぞよろしく」


 少年は名乗りを上げ、気さくな笑顔で握手の手を差し出す。

 それが、トドメとなった。

 己の胸に何かが射貫かれるのを、アイシャは確かに感じ……。


「ずっきゅううううううううん!?」


 たまらず、そんな絶叫を上げていた。




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