キリカとの出会い③

   * * *



 キリカは帰宅すると、動きやすい服装に着替えた。

 間もなく日が暮れる。

 オカルト研究部は恐らく、あの廃病院に向かうだろう。

 あの程度の注意で彼女らが素直に従うとはキリカは思っていなかった。


 廃病院の場所は把握している。

 マンションに引っ越してきたばかりの頃、程良いランニングコースを探しているときだった。……異様な気配を帯びた建物があることを、キリカは感じ取った。

 スマートフォンで調べてみると、そこは元は病院だったという。

 凡庸な霊力しか持たないキリカでも、その廃病院に漂うおどろおどろしい空気は感じ取れた。だがそれ以上に、本能が訴えかけてきた。


 あそこは、絶対に行ってはならない場所だと。


 一応『機関』には報告したが、すでに向こうも把握済みで「実害がなければ優先度は低い」と、そのときは流されてしまった。

 相変わらず合理的で冷淡な組織だ。そして、いざこうして動画を通して一般人の間で話題になって、ようやく対処に動き出す始末である。

 恐らく『機関』は、この地区の担当であるルカに廃病院の対処を依頼したのだろう。

 ルカほどの霊能力者ならば、あの廃病院に巣くう『ナニか』を退治できるかもしれない……。だが、その件で霊力を持たない一般人が関わるのはやはり間違っている。


(アタシが止めないと……委員長として)


 あくまでも委員長としての立場を頑なに意識しつつ、キリカは準備に取りかかる。

 彼女たちがすでに廃病院に入っていることを想定して、必要な道具は用意したほうがいいだろう。

 懐中電灯、高所から脱出する際のロープ、アウトドア用のマルチツールなどを鞄に詰める。

 あとは護身用の武器も欲しい。

 ちょうど手頃なのは……。


「……」


 キリカはクローゼットの中に隠すように入れていた、竹刀と同じ長さの包みを取り出す。

 実家を出る際に持ってきた、数少ない所有物。

 ……本当は持ってくるつもりはなかった。

 だが、どうしてもコレだけは手放せなかった。

 一般人として生きることを決めたキリカにとってはもはや必要ないものだったが……ソレが双子の姉と自分を繋ぐ、唯一のものだと思っていたからだ。


 包みから中身を取り出す。

 取っ手を握り、正眼に構える。

 ソレは、木刀であった。

 よほど良い木材を使っているのか、劣化している様子はなく、上質な艶と鋭さを誇っていた。


「ふぅ……っ」


 キリカがひと呼吸置いて、木刀を強く握ると……木製の刀身が薄く青白い光を発した。


 ……やはり、コレが一番手に馴染む。

 握るのは、いつ以来だろうか。

 剣道部の助っ人で竹刀はふるっているから、腕は鈍ってはいないとは思うが……。


(……って、何を考えているのよアタシは)


 いつのまにか戦うことを前提に考えている自分に気づいて、キリカは溜め息を吐いて木刀を包みに仕舞い込んだ。


(違うわ。アタシはただ彼女たちを止めに行くだけよ……コレを持っていったところで、アタシなんかが……)


 役に立つわけがない。

 もはや呪いに等しい陰気に思考が引っ張られたとき……ふと、キリカの頭の中で昼間の出来事が思い起こされた。


『藍神さん。君こそが希望だ。どうかその心に従ってくれ。それが皆を救う結果に繋がるから』


 オカ研の唯一の男子である黒野大輝は、脈絡もなくキリカにそう言った。

 思い返してみても、ワケがわからなかった。なぜ彼は急にあんなことを言ったのだろう?

 まるで、未来が見えているかのような言い草ではないか。

 未来視? いや、彼からは霊力を感じ取れなかった。

 では、いったいなぜ、あのような含みを持たせたような発言をしたのだろう。


(黒野大輝……変な男ね)


 キリカは思わず鼻で笑った。

 それはダイキに対してではなく、自分に向けての嘲りだった。


(アタシが希望ですって? 皆を救うですって? バカみたい。霊能力者として落ちこぼれで無能のアタシがそんなこと、できるわけが……)


 ……否定する心の奥底で、小さな火が灯る。

 自分が希望になるのだとしたら、皆を救うのだとしたら……その方法はひとつしかない。

 キリカの意識が、さらに過去に遡っていく。


 たった一度だけ、起きた奇跡。

 たった一度だけ、姉妹を陵駕した瞬間。

 たった一度だけ、自分を誇らしく思った記憶。


 もしも、もしもまた、あのときのように、奇跡が起こせるとしたら。

 この中途半端な気持ちにも、決着をつけることが……。


(……ダメよ、キリカ。思い上がったりしちゃ)


 込み上がる熱を誤魔化すように、キリカは部屋を出た。


(奇跡なんて……何度も起きるはずがないのだから)


 自分はただ、委員長としてできることをやる。

 いまは、それでいい。

 急ごう。彼女たちが廃病院に入ってしまう前に。

 ロードレーサーに跨がり、キリカは疾走した。



   * * *



 ルカたちはすでにくだんの廃病院に集まっていた。

 大きな建物だった。経営当時はさぞ立派な病院だったのだろうが、長きに渡る経年劣化によって、いまや見る影もない。

 外からでは中の様子はうかがえない。明かりのない真夜中ということもあるが……窓を塗りつぶす黒い陰影は、まるで建物そのものが闇を内包しているような印象を見る者に与えた。


「……なんなの、ここ? 配信者の人たち、本気でこんな場所に入ろうと思ったわけ?」


 レンは息を呑みながら、この廃病院で動画撮影した配信者たちの正気を疑った。

 霊力を持たない一般人のレンでも「この廃病院は普通ではない」と、言いようのない忌避感を覚えた。


 夜風がそよぐ。

 周囲の木々が不穏な葉音を鳴らす。

 小さな呻き声が上がる。レンがビクッと振り返ると、スズナが膝を抱えているのが見えた。

 いつもならルカの活躍を記録すべく嬉々とハンディカメラで撮影を始めているはずのスズナが、機械の電源も点けずに震えていた。


「……いやです。スズナ、ここ、いやですっ」


 消え入りそうな声で、スズナは言った。


「うまく言えません。でも……ここは、いままでのと何か違います!」


 霊力とはまた異なる、独特な感性を持つスズナも、廃病院から漂う気配に怯えている。

 一般人でも感じ取れる異常性……無論、霊能力者であるルカが感じ取れないはずがなかった。

 いまこの中で、誰よりも顔面を蒼白にしているのはルカだった。


「……信じられない。こんな場所を『機関』はずっと放置していたの?」


 ルカは震える手でスマートフォンを握り、即座に電話をかけた。


「支援を要請するわ。こんなの、私ひとりでどうにかなるモノじゃない! ……誰だっていい! エージェントは他にもいるでしょ!? これは此処ここを長年放置していたあなたたちの責任よ!? 地縛霊なんて生易しいものじゃない! 此処ここはもう……完全に『異界化』している!」


 いつも冷静でいるルカが異様なまでに慌てているのを見て、レンとスズナは事の重大性を理解した。

 この廃病院は……ルカですら戦慄する魔窟なのだと。


(……やっぱり、この廃病院の回だけは異質だ。危うさが、いままでの比じゃない)


 散々悩んだ挙げ句、結局現地に赴いたダイキも、これまでと異なる緊迫感に震えていた。

 転生者である彼は、これから何が起きるか知っている。

 これからルカが、どれほどに恐ろしい目に遭うのかも……。

 その展開がルカと少女たちの今後のために繋がることを知っている。

 原作が崩壊しないためにも、正史通り事が進まなければならない。そう思っていたが……そのために、大切な少女を危険な目に遭わせていいのか?

 ダイキの中で、激しい葛藤が起こる。


 何を今更、とは思う。しかし、今回ばかりの怪異はいままでと危険性の次元が異なる。

 この廃病院の回で、ルカは生死の境を彷徨うほどに追い詰められる。

 それがわかっているのに、原作通りの展開にするために見過ごすのか?

 ほんのちょっとした齟齬で、原作とは異なる展開になってしまうかもしれないというのに。

 最悪のイメージが頭によぎり、ダイキは拳をキツく握りしめた。


(どうする……俺は、どうするべきだ?)


 使命感と恐怖の狭間でダイキは揺らぐ。

 そのとき、車輪の音がルカたちのもとに近づいてきた。


「……やっぱり来ていたのね、あなたたち」


 ロードレーサーに乗ったキリカだった。

 警告を聞かずに廃病院にやってきたオカ研のメンバーに非難の目線を投げる。


「同じことはもう二度言わないわ! 大人しく帰りなさい! 引っ張ってでも連れていくわよ! ダメよ! ここは……本当にまずいのよ!」


 キリカの警告は、やはり事情に精通しているような口ぶりだった。

 そんなキリカに向けて、ルカが口を開く。


「心配いらないよ藍神さん。『機関』には支援を要請した。今回は霊能力者だけで片付ける」

「ルカ!? ちょっと、いいの? 藍神さんにそんな裏の事情を話して……」

「心配いらないよレン。だって、藍神さんも裏の事情に関わる人だから」

「え?」

「そうでしょ? 退魔巫女の家系……藍神家のキリカさん」

「退魔巫女?」

「藍神さんも、霊能力者ってこと」


 少女たちの視線がキリカに集中する。

 霊能力者。そう指摘されたキリカは、感情の色を喪失した顔で立ち尽くす。


「霊力を遮断しているから最初は気づけなかったけど……やっぱりあなた、あの藍神六姉妹のひとりだったのね」

「……そう。どうやらアタシの生家のことはご存じのようね白鐘さん。だったらわかってるでしょ? 藍神六姉妹の中でも……いえ、歴代の藍神家の巫女で一番の落ちこぼれである四女の噂を。……それがアタシ、藍神キリカよ。霊力はべつに遮断しているわけじゃないわ。あなたほどの霊能力者でも微かにしか感じ取れないくらい、アタシの霊力が低いってだけのことよ」


 キリカは自嘲するように笑った。


「アタシの霊力は、少し霊感の強い一般人とそう変わらないわ。だから戦力としては期待しないでちょうだい。素直に『機関』の支援を待つことね。……けれど安心したわ白鐘さん。あなた、線引きはちゃんと弁えていたのね。こんな場所に一般人を連れて行くなんて、正気じゃないもの」


 キリカはまるでルカ以外のオカ研メンバーに言い聞かせるような声量で言った。


「あなたたちも自分たちの限界はわかったでしょ? この世界は、力のない人間が安易に関わっていい世界じゃないのよ!」


 キリカは順々にレンとスズナ、ダイキを見やって、容赦のない正論を浴びせた。


「人間にはどうしても適材適所がある。裏の事情は、できる人間に任せておけばいいのよ。だからこれ以上、遊び半分で怪異に関わるような真似は……」

「……遊びでは、ありません」


 キリカの言葉に食ってかかったのは、昼間のときと同じように、やはりスズナであった。


「スズナたちは真剣です。確かに、除霊や怪異の退治はルカさんに任せきりです。でも、そのためのお手伝いならできます。レンさんが情報を集め、怪異の謎を解き明かし、ダイキさんが怪異に操られた人々の相手をし、スズナが拠点と移動のための足や解決のための機材を用意する……私たちは、そうやってやってきたんです。藍神さんが言うように自分の適材適所を理解して、立ち回ってきたんです。もちろん引き際だって弁えています。ルカさんの足手まといになるわけにはいきませんから」


 キリカは顔をしかめる。スズナの口ぶりが、とても気に食わないとばかりに。


「……それでも、あなたたちがこの世界に関わる義理はないでしょ?」

「おっしゃるとおりだと思います。藍神さんのほうが世間的には正しいのかもしれません……でも、スズナは知ってしまいました。この世界に怪異という脅威があることを。助けを必要とする人々がいるということを。それを知っていながら、今更見て見ぬフリをすることなんてできません。危険は承知です。それでも──苦しんでいる人を、自分ができる範囲で助けたい。

「っ!?」


 スズナの主張は、キリカにとって一線を越えるものだった。

 怒りなのか、悲しみなのか判別もつかない表情を浮かべて、プルプルと体を震わす。


「……自分の気持ちに正直になったところで、どうなるっていうのよ?」

「え?」


 キリカは拳を握りしめ、ギリッと歯を鳴らす。


「思いの力さえあれば、どんなことでも解決するとでも言うの!? 結局誰も救えないかもしれない! 自分の無力さを呪って、悔しい思いをするかもしれない! ただただ後悔だけをして……無惨に死ぬかもしれない! それでもあなたたちは、怪異から人を助けるっていうの!?」


 後半はもう注意でも警告でもなく、感情の爆発であった。


「どうして……どうしてあなたたちは、そんなにも真っ直ぐにこのの世界と向き合えるのよ!? いったい何が……あなたたちをそこまで突き動かすの!?」


 まるで答えを求めるように、縋るような瞳で、キリカは涙を流していた。


 誰もが言葉を失い、しばしの沈黙が下りる。

 しばらくすると、枯れ葉を踏みつける音が少女たちの耳に届いた。


「誰!?」


 ルカが咄嗟に叫ぶと、茂みから人影が現れる。


「げっ! やば、見つかった……」


 手に撮影道具を持った眼鏡の女性だった。

 ひと目で配信者とわかった。


「ふんっ! あんたたちもこの廃病院で動画撮影しにきたんでしょ!? 悪いけど私が先よ! これでバズりまくって一気に人気配信者にのし上がってやるんだから!」


 女性はスズナの持つハンディカメラを見て、勝手に同業者と勘違いしていた。

 あからさまな対抗心を見せつけて、我先へと廃病院の入り口に走って行く。


「うひょひょ! バッチリ心霊映像撮っちゃうぜ~! 目指せ不労所得~!!」

「あっ、待って! その病院に入っちゃダメ!」


 ルカの静止の声も聞かず、配信者の女性が入り口に飛び込もうとしたとき……、


「よせ!」

「ぐえ!?」


 いつのまにか回り込んでいたダイキが、女性の体を掴んだ。


「ちょっ!? 何すんのアンタ!? 離しなさいよ!」

「ダメだ! ここはマジで危ないって、動画見たならわかるだろ!?」


 ジタバタと暴れる女性をダイキはしっかりと抑えつける。

 ……これが、原作の展開に反する行為だとわかっていながら。


(やってしまった……気づいたら体が動いちまった)


 原作『銀色の月のルカ』では、この配信者の女性が廃病院に入ってしまったことで、ルカは『機関』の支援を待つ間もなく、突入せざるを得なくなる。

 そこでルカは窮地に陥り、キリカが助けに向かう……という展開になるのだが、やはりダイキには耐えられなかった。

 たとえ正史通りのシナリオだとしても、大切な幼馴染が危機に瀕するとわかっていて、見て見ぬフリをすることだけは!


(これで原作崩壊は起きちまう……でも知ったこっちゃねえ! ルカが死ぬような目に遭うくらいなら、原作崩壊なんて上等だ! 辻褄合わせくらい、力業で何とかしてやる!)


 固い意思を込めて、ダイキは暴れる女性を羽交い締めにした。

 決して行かせまいと誓って、ガッシリと。


「きゃー! えっちー! セクハラだー! この人、ドサクサにまぎれて私のおっぱい触ってますよ~!? 私の立派なHカップおっぱいを!」

「は!? 触ってませんが!? ちょっ! 皆そんな冷たい目で見ないで!? 触ってないからね!? ほんとだよ!?」

「しめしめ! 隙が生まれたワイ! オラ、脱出!」

「あっ! しまった! 待たんかいコラ!? ぬおおおお! 絶対に行かせんぞおおお!!」

「ぐべらぁ! 乙女の両足を掴むとは貴様! 転んじゃったじゃないの! 機材壊れたら弁償しろよな!? きゃあああ! 今度はこの人スカートの中覗いてま~す! あちしの桃色のおパンツ見てま~す!」

「もう黙ってろアンタ! いいからこっちに来い!」


 ──ソウダヨ。ミンナ、コッチニ、オイデ?


「……え?」


 暗闇の向こうから、声がした。

 筒抜けの入り口。

 まったく先が見えない暗闇から……無数の黒い腕が伸びた。


「は?」


 浮き上がる体。

 ダイキと配信者の女性は、黒い腕によって軽々と持ち上げられる。


(え? 待っ……こんなの、俺知らな……)


 悲鳴を上げる間もなく、どころか何が起きているのかも理解が追いつかないまま……ダイキは廃病院に引きずり込まれた。


「っ!? ダイキぃぃぃ!!!」


 ルカが咄嗟に腕を伸ばす。

 それを待っていたかのように、入り口に異変が起こる。


 ──オオォォォォ……。


 おぞましい唸り声が上がったかと思うと、黒い入り口が渦巻き状に歪曲していき……あたかもブラックホールのようにルカを引きずり込んだ。


「っ!? いけない! 赤嶺さん! 黄瀬さん! 下がって!」

「きゃっ!」

「あうっ!」


 キリカは慌てて、レンとスズナの体を手で押し、後方に下がらせる。


「あ……きゃあああああ!!」

「藍神さん!?」


 レンとスズナは難を逃れたが、キリカは謎の引力に巻き込まれ、廃病院の中へ吸い込まれていく。


「あ、ああ……」

「なんてことでしょう……」


 月明かりの下、残されたのはレンとスズナだけだった。

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