スズナとの出会い①



 俺が、ホラー漫画『銀色の月のルカ』の世界に転生してから、早くも十五年以上の月日が経った。

 物語の主人公である白鐘瑠花ルカ相棒バディ赤嶺あかみねレンとの出会いをキッカケとして、ついに本編が始まった。

 転生者である俺は知っている。ルカはこれから、多くの友と仲間を得ていき、大きく成長していくことを。

 ……そう、いよいよ転生者として慎重に行動をしなければならない時期が訪れたのだ。

 ルカの幼馴染である俺こと黒野大輝ダイキは、本来ならば物語に介入しないはずのイレギュラーな存在だ。

 もしも俺という異分子のせいで物語の辻褄が狂おうものなら、ルカの未来に悪影響を及ばしかねない。

 それは絶対に避けたい。

 ルカの輝かしい未来のためにも、そしてルカと出会うことで救われる少女たちのためにも、必ずや原作通りの展開にしなければ!


 俺が持つ三巻までの原作知識によれば、ルカの仲間となるメインキャラはあと三名。

 今回は、その内のひとり……生粋の令嬢、黄瀬きせスズナとの出会いを描いたエピソードだ。

 そして、相手となる怪異は……。



 ──見る者を狂わす『呪われた絵画』だ。



   * * *



 黄瀬財閥は、財界に莫大な影響をもたらす慈善活動家である。

 その財閥の主である黄瀬幸司郎こうしろうは、絵画コレクターとしても有名で、世界中で購入した絵の数々を離れの屋敷に飾って一般公開しているらしい。

 一般公開といっても完全予約制な上、だいたいは財界の要人たちが優先されるらしいので、俺たちのような庶民ではまずお目にかかれない……はずだが、そこに謎の組織の力が働けば、話は変わってくる。


「三名で予約していた白鐘と申します」

「お待ちしておりました、白鐘様。どうぞごゆるりとお楽しみください」


 受付のメイドさんが恭しく頭を下げる。

 もちろんコスプレとかじゃない本業のメイドさんだ。


「こちらへどうぞ白鐘様。ここからは、わたくしがご案内いたします」


 白髭が似合うダンディーな、いかにも『セバスチャン』って名前が似合いそうな執事さんに誘導されて、中に入る。


 本物のメイドに執事。別館であっても一般家屋の数十倍の広さを誇る屋敷。そこに飾られたベラボーに高いであろう絵の数々……。

 まるで別世界に来たような心地だ。正直、場違い感がすごい。諸事情があるとはいえ、俺たちみたいな庶民が本当にこんなところに来て良かったのだろうか。


「……ねえ、ここって一応、家なんだよね? テーマパークとかじゃなくて」


 同行者であるレンが冷や汗をかきながら小声で聞いてくる。

 まあ、そんな感想も出るよな。原作知識のある俺だっていまだにビックリしてるもん。

 ……黄瀬家の敷地、広すぎだろ!

 地図アプリに従って目的地に辿り着いたかと思ったら……入り口まで数キロ離れてるし!

 この別館にだって、車で移動してやってきたのだ。

 家の中を車で移動って……どんだけ広いんだよ!


「普通なら絶対に縁のないお家だったろうな……」

「だね。すごいんだね、その『機関』って秘密組織。私たちみたいな庶民でも予約取り付けられるように手配できるなんて……」


 そう、レンの言うとおり、俺たちは今回『機関』と呼ばれる対怪異の秘密組織の依頼でここに来ている。

 正確には、霊能力者であるルカに向けた依頼だが。俺とレンはそのお手伝いだ。


『財界に莫大な影響を与える黄瀬幸司郎が、奇妙な絵を購入してから人格が豹変した。調査を願いたい』


 というのが機関からの依頼内容だ。

 ルカの前に何名かのエージェントが派遣されたが……なぜか揃いも揃って「何も問題はない」とろくに対応もせず帰還してしまう。

 ……序盤の原作内容を知っている俺は、その原因を知っている。

 この後、どのような展開になるのかも。


「いかがですか白鐘様? 絵を見たご感想は」

「どれも素敵ですね。でも……この屋敷にはもっと珍しい絵があると聞きました」

「ほう……どのような絵でしょうか?」

「──星を眺める四人の赤子」

「……では、本館までどうぞ。ご案内します」


 きた。

 原作でもあったやり取りを、ルカと執事さんは交わす。

 これは、いわゆる合言葉だ。

 執事さんの質問に答えられた者は、本館に飾られている絵の元へ案内する。

 絵の主である黄瀬幸司郎から、そう言い含められているのだ。


 巨大な扉を抜けると、だだっ広いエントランスに迎えられる。

 またしてもそこは別世界であった。

 観葉植物や物珍しい骨董品が飾られているだけでなく、噴水まである。

 まるで超高級ホテルだ。金持ちの家は玄関ですら規模が違う。


「こちらがその絵です」


 例の絵は入り口から死角になるように飾られていた。

 呼吸を整えて、緊張から早鐘を打つ心臓を落ち着かせる。

 ……落ち着け。この時点では、まだ無害のはず。ヤツらが本格的に活動できるのは日が落ちてからだ。

 かくして、俺たちは問題の絵とご対面した。


 星を眺める、四人の赤子の絵。

 全体的に赤を基調とした絵で、赤子たちが笑いながら、あるいは泣きながら真上の星空を見上げている。

 題材としては、神秘的なものに思えるかもしれない。

 だが、この絵を見ていだいた印象は……不気味。そのひと言に尽きた。

 芸術のことはまったくわからないが、そんな俺でも、その絵に対して生理的な忌避感をいだいた。


「……もしも具合が悪くなるようでしたら、お申し付けください。何名かのお客様が、この絵を見て体調を崩されています。……正直なところ、私もこの絵を見て良い気分はしないのです」


 だろうな。

 この絵は事実、人間にとって害悪そのものである『呪いの絵画』なのだから。


「この絵にはどうも不気味な噂があったようです。美術館の警備員が巡回していると、この絵が夜な夜な発光しているところを見たとか……絵の中の赤子が増えたり、表情やポーズが変わったりなど……なぜ旦那様がこのような絵を購入されたのか、甚だ疑問に思っているのですよ。この絵を手にしてからというもの旦那様のご様子も変われてしまって……」


 執事さんは憂いを込めた顔つきで解説をする。

 それまで慈善事業を行っていたはずの黄瀬財閥の主は、この絵を購入してからというもの、まるで人が変わったように独善的で滅茶苦茶な事業を興している。

 社会の秩序を守る機関としては、この暴走を見過ごすことができなかったというわけだ。


「……ルカ、どう? この絵を見て、何か感じる?」


 レンの問いにルカは首を横に振る。


「……おかしい、何も感じない。霊力も、怪異の気配も。『機関』の報告通り、おかしなところは見当たらない」


 困惑した様子でルカは絵を眺める。

 ルカが怪異の気配を感じ取れないのも無理はない。

 


 ……あ~、もどかしいなこういうの!

 原作知識のある俺なら真相を教えられるのに!

 というか退治の方法だってわかってるから、ぶっちゃけこの場で解決できちゃったりするんだよな~!

 だがそんな真似をしてしまったら、とうぜん原作崩壊が起きて物語の辻褄が狂ってしまう。

 正直、罪悪感に苛まれるが、正史通りに物語を進めるためにも、ここは裏方として辛抱強く事態を見守るしかないのだ。

 いまはまだ『彼女』とも出会っていないのだから。


「あら? お客様ですか?」


 絵を見終えてエントランスに戻ると、階段の上から透き通るように綺麗な声がする。

 引き寄せられるように視線を向けると……息を呑むほどに美しい少女がいた。

 清楚な白色のドレスを身につけ、キューティクルブロンドの長髪をツーテールにした、金色の瞳の少女。

 柔和な笑顔を浮かべながら、階段を降りてくる様子はまるで羽を休めるために降り立った天使のよう……。


「はじめまして。黄瀬スズナと申します」


 ホラー漫画『銀色の月のルカ』において、癒しの空気を生み出す数少ないムードメーカー……黄瀬スズナはスカートの裾を摘まみ、優雅にお辞儀をした。


「わわっ、すっごく綺麗な子~。お人形さんみたい。ねえ、ダイくん」

「お、おう。そうだな。本当に、綺麗だ……」


 はしゃぐレンに同意しつつ、俺もその美貌に思わず見惚れる。

 レンと初めて会ったときも漫画越しで見るのとでは印象の異なる美しさに心を奪われたが、黄瀬スズナもまた、こうして直に対面すると胸のドキドキが止まらないほどの美少女だった。

 庇護欲をくすぐる愛らしい童顔……なのに胸元はとても大きく、そのアンバランスが妙な色香を生み出している。

 文字通り『深窓の令嬢』であるスタイル抜群の美少女を前に、体温は上昇するばかりで……。


「ダイキ。デレデレしないで」

「イテテ、ちょっ、ルカ、そんな引っ張らないで……」


 スズナちゃんに目を奪われていると、機嫌を悪くしたルカに耳を引っ張られた。


「本日は、ようこそお越しくださいました。皆さん、見たところ学生さんのようですが、どのようなご用事でしょうか?」

「コチラの方々は例の絵を見にいらしたのです、お嬢様」

「え? ……あの絵を、ですか?」


 執事さんの言葉に、スズナちゃんは暗い表情を作る。


「その……皆さん、大丈夫でしたか? あの絵を見ると、お体を悪くされる方々が多いので」


 心配した様子でこちらの顔色をうかがってくるスズナちゃん。

 思ったよりもズイッと距離を詰めてきたので、俺はまた心臓をドキッと跳ね上がらせた。


「ご、ご心配なく。いまのところ何ともないっすよ。なあ、二人とも?」

「そうですか? でも、そちらの御方は、お顔が赤いですよ?」

「ひゃいっ!?」


 スズナちゃんの色白で華奢な手が俺の頬に触れる。


「ほら、こんなにお熱いですよ? 本当に、無理はされてませんか?」


 小柄な少女が下から俺の顔を覗き込んでくる。

 金色の大きな瞳に見つめられながら、柔らかなお手々に触れられ、ますます胸が高鳴る。

 うわぁ、スズナちゃん本当にかわいいな~。睫毛も長くて、色白で、めっちゃ良い匂いもするし……。

 というか、ここからだとドレスからチラリと露出する胸の谷間が見えてしまう。

 で、でかい。

 こんなちっこい体になんという豊満な膨らみ!

 いけないとわかっていながらも、目線がついつい深い谷間に吸い寄せられてしまう。

 やはり凝視するなら絵よりも、こういう立派なおっぱいのほうが……。


「おいコラ、絵見たときよりも熱心に見るんじゃないの」

「ダイキのえっち」


 胸を見ているのを察したらしきレンとルカにバシッと頭を叩かれ、正気に戻った。


「いま戻ったぞ」


 エントランスの扉が開くと、高級そうなスーツを身につけた男性が入ってくる。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 執事さんがすぐさま荷物を預かり頭を下げる。

 どうやら彼がこの豪邸の主である黄瀬幸司郎のようだ。


「お父様! お帰りなさい! 今日はお早かったのですね!」

「ああ、スズナ。思ったよりもスムーズに商談が済んだよ。おや、こちらの方々は?」

「……お父様が大事になされている絵を見にいらしたようです」

「おお! そうか! お若いのに芸術に興味があるとは感心だ! 特にあの絵は素晴らしいものだ! どうか存分に見ていってくれたまえ!」


 絵の話題になると、幸司郎氏は異様なほどにご機嫌となった。

 かと思うと……。


「……ただし、あの絵は私の宝物だ。いくらでも見てくれて構わないが、くれぐれも変な真似はしないように頼むよ? スズナも、わかっているね?」

「……はい、お父様」


 幸司郎氏は威圧すらこもった声色で、俺たちと娘に釘を刺してきた。

 その目は、どうも正気を欠いているように思えた。


「あ、あの、お父様? お時間ができたようでしたら、お茶でもいかがですか? スズナ、久しぶりにお父様とお話したいです♪」

「悪いがスズナ、この後は宇宙開発局とビデオ通話で商談することになっているんだ。一日でも早く宇宙技術を発展させなければならないからな」

「宇宙開発局!? やっぱ黄瀬家ってパねぇ……」


 後ろで幸司郎氏の発言を聞いたレンが、仕事内容の規模の大きさに驚いていた。


「というわけで時間が惜しい。失礼するよ」

「あっ……はい。行ってらっしゃいませ、お父様……」


 せっかくの娘のお誘いを、幸司郎氏はまるで関心がないかのように断って、早々に去っていった。


「……あの絵を買ってから、父は変わってしまいました。どんなに忙しくても、私との時間を大切にしてくださったのに……」


 顔を俯かせて、スズナちゃんは寂しそうに呟いた。


「それに、以前は帰ってきたら必ずあの肖像画に向けて『ただいま』と言っていたはずなんです」


 スズナちゃんの目線に合わせて、俺たちも同じ場所を見る。

 エントランスの壁には肖像画が飾られていた。

 スズナちゃんによく似た女性の肖像画だった。


「この人は……」

「亡くなった母です。父はいつも、この絵を見てから仕事に向かっていました。でも……最近は視界にすら入れていません。いままで、そんなことなかったのに……」


 いまにも泣き出してしまいそうな声色で、スズナちゃんは母の肖像画を見つめた。

 まるで、亡き母に助けを求めるように。


「あ……申し訳ございません。お客様に向かってこのような愚痴を……あの、せっかくですし、お茶でもいかがですか?」


 初対面の相手に湿っぽい話をしてしまった申し訳なさからか、スズナちゃんがお茶のお誘いをしてくる。


「ちょうどベルギー王室のチョコレートケーキをいただいたので、是非ご馳走させてください♪」

「「ベルギー王室のチョコレートケーキ!? 是非!」」


 ベルギー王室のチョコレートケーキと聞くなり目の色を変えて興奮しだしたルカとレンは、物凄い勢いで首を縦に振った。

 相変わらず女の子は甘いもんに目がないね~……まあ俺も食いたいんだけどね!



   * * *



 恐らく人生で最初で最後の激うまチョコレートケーキを頂いた俺たちは、スズナちゃんとお茶をしながら談笑をする。

 ……正確には調査だが。


「あの絵をどこで購入された、ですか? 確かお父様が海外で商談をしているときに、偶然市場で見かけたとか……」

「ふむふむ。市場でね……」


 スズナちゃんに話を聞きながらレンは情報をまとめていく。


 曰く、あの絵の作者は名も無き画家だった。

 しかし、なぜかあの絵だけは専門家の間で高い評価を得て、各国の美術館に飾られた。

 ……だが怪現象が確認されるたび、誰もがあの絵を不気味に思い、渡りに渡って海外の市場に辿り着いた。

 そこを黄瀬幸司郎氏が偶然にも見かけ、いまに至るというわけだ。


「……話を聞くと、その画家が怪しいねルカ。もしかして絵に怨念みたいなものを込めたのかな?」

「もしそうなら、すぐに察知できる。でも、あの絵からやっぱり霊的なものは感じなかった……なのに怪現象は起きている。黄瀬幸司郎の様子も普通じゃなかった。私よりも先に来た霊能力者たちも、あの絵に何かをされたからこそ任務を放棄して帰還したわけだし……何らかの異能の力が働いているのは間違いない」


 スズナちゃんに聞こえないように考察をし合うレンとルカ。

 その二人の様子を見て、スズナちゃんは首を傾げたかと思うと。


「あの~、つかぬことをお聞きしますが……もしかして、あなたがたは、あの絵の謎を解きにいらした超能力者さんたちのお仲間ですか?」

「え?」


 とつぜんのスズナちゃんの発言に戸惑うルカとレン。

 二人の露骨な反応を見てスズナちゃんは「やっぱり!」と嬉しそうに手を合わせた。


「ここ最近、風変わりな方々があの絵を見にいらしては、不思議なおまじないをしているところを見かけたのですが……白鐘さんからは、その方々と何となく同じ雰囲気を感じたのです♪ 普通の人とは違うオーラを持っているといいましょうか!」

「な……」


 直感だけで霊能力者であることを見抜いたスズナちゃんに、ルカは驚愕している。

 スズナちゃんはもちろん霊力を持たない一般人だ。それでも、彼女の独特の感性は常人とは異なる霊能力者の気配を見極めてしまう。改めて、とんでもない娘さんだった。


「……やはり、あの絵には、何かがあるのですね? 人間の常識では通じない、異質なものが。お父様が嬉しそうにあの絵を持ち帰ったときから、嫌な感じがしたのです。『あの絵を屋敷に入れてはいけない』……そんな胸騒ぎがしていたんです」


 震える声で、スズナちゃんは胸元の前でキュッと両手を握りしめた。


「あなたがたなら、あの絵を何とかできるのですね?」

「……それができるかどうかは、これから調べる」

「でしたら、スズナにも皆さんのお手伝いをさせてください! どうかお願いします! お父様をお助けください! 」


 強い意志を込めた光を瞳に灯しながら、スズナちゃんは深々と頭を下げた。



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