懺悔樹の赤い実


   * * *


 スズナはいつものように後方でルカたちの活躍をカメラで撮影しつつ、息を呑んでいた。


「すごい……」


 異形の植物と戦う三人の動きは、スズナの記憶にあるものよりも凄烈を極めていた。

 エクソシストであるアイシャの攻撃は、相も変わらず煌びやかで激しい一方で、前よりも精度が上がっているように見える。

 だがそれ以上に驚愕なのは、対人に特化していたダイキが本当に篭手だけで怪異と渡り合っているということ。

 身の丈よりも巨大な植物の触手が迫っても、拳ひとつで粉砕し、手刀や蹴りの一撃で見事に木々を伐採していく。

 もともと人外染みた身体能力を持っていることは知っていたが、物理攻撃の通る怪異に対して、ここまで驚異的な力を発揮するとは。


 そして、どうやら本来持っていた力のひとつを取り戻したらしきルカ。

 膨大な霊力によって揮われる一撃は、威力も、切れ味も、もはやいままでとは段違いだった。

 ルカが紅糸繰の大鎌を一閃するだけで、凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲の木々を細切れにしていく。


「っ!? の気配! ルカ! アイツまた花粉を飛ばす気ですわ!」

「大丈夫」


 ルカは大鎌にさらなる霊力を込める。

 眩い霊力の光が紅色の大鎌を包む。スズナの目から見ても、霊装にとんでもない密度の霊力が溜まっていくのがわかった。


 懺悔樹が黄土色の粉末を吐き出す。

 ガス兵器に等しい花粉が周囲に撒き散らされようとした寸前、ルカは大鎌をふりかぶった。


「ハァ!」


 解き放たれる霊力の奔流。

 たった一振りだけで強大な暴風が起こり、花粉をあっという間に彼方へと吹き飛ばしてしまった。


 ──っ!?


 異形の巨木が動揺する気配を見せる。


「残念ね、懺悔樹。もうその手は食わない」


 大鎌の切っ先を懺悔樹に突きつけながら、ルカは不敵に笑った。


(あれが、ルカさんの本当の力……)


 自分がこれまで見てきたルカの力は、ほんの一部に過ぎなかった。その事実を突きつけられ、スズナは感服するばかりだった。

 この時点で次元違いの強さを見せつけているというのに、ルカにはまだ本来の力を封印する『禁呪』が残されている。

 もしもすべての『禁呪』が解放された日には、ルカはどれほどの力を……。


「……え?」


 スズナはまた驚きの声を上げる。

 だがそれはルカたちに対してではなく、周辺の変化によるものだった。

 周りの木々が急速に萎れていく。養分だけを吸い取られ、灰となって散っていく。

 健在なのは異形の巨木である懺悔樹だけ。それどころか、ルカたちの攻撃によって消耗していたというのに、徐々に活力を取り戻して瑞々しく成長していく。


 ピシリ、と音を立てて巨木の中央部分が割れる。

 中から赤い実のようなものが顔を出した。


「な、何ですかアレ?」


 スズナは戦慄した。

 赤い実はドクンと心臓のように脈打っていた。

 周りの木々が萎れていくたび、赤い実は生命力を得ていくように鼓動を早めていく。

 嫌な予感がスズナを襲った。

 何かが始まろうとしていた。



   * * *



 懺悔樹の変化によって、いち早く危機を悟ったのはアイシャだった。


「まずいですわ! アイツ、別の寄生先を求めて逃げるつもりですわ!」


 もはや勝てないと悟ったのか、懺悔樹は逃走の選択を取ったらしい。

 森全体の養分を吸い尽くし、花粉となって飛び散ろうとしている。


「ルカ! ここで逃がしたら、追跡が困難になりますわよ!」

「わかってる!」


 恐らく懺悔樹の本体は、あの赤い実。

 花粉として飛び散る前に、アレを破壊すれば懺悔樹を滅することができるはずだ。


 ──いけない、ルカ。アレをそのまま攻撃したら、ここにいるあなたの大切な人たちが……死んでしまうわ。


「え?」


 トドメを刺そうとしたルカを静止する声があった。

 まただ。また内側に宿る紅糸繰から、何者かの声があった。

 いったい何者なのか。だがそれ以上に気になるのは言葉の意味。

 あの赤い実を攻撃してはいけない? いったい、どういうことなのか?


「皆さん! あの赤い実を攻撃してはいけません! 何だか……すごく嫌な予感がします!」


 後方からスズナがそう叫ぶ。

 嫌な予感がする。

 本来なら、そんな言葉で討伐の機会をみすみす見逃すわけにはいかない。

 ……だがスズナが言うならば、話は別だった。

 怪異の『毒』に耐性を持つ特異体質を持つスズナ。それと同時に、彼女には何か生まれ持った勘の鋭さがある。

 スズナが「何だか、嫌な感じがします……」と言うときは百発百中、予感は的中した。


 スズナの言葉を聞いて、ルカとアイシャは冷静に赤い実を霊視した。

 たちまち、二人は顔面を蒼白にした。


「……とんでもない量の霊力があの赤い実に集まってる」

「確かに、いまの懺悔樹に攻撃をして刺激したら、あの赤い実に溜まった霊力が一気に弾け、この一帯を破壊し尽くすかもしれませんわ」

「それって……いまヤツは爆弾そのものになってるってコトか!?」


 ダイキの指摘にルカとアイシャは頷く。

 森全体の養分を霊力に変換しているのだろう。

 そうして集めた霊力と一緒に飛び散って、別の寄生先でまた力を付けていく。

 懺悔樹はそうやって凶悪化していったに違いない。


「アイシャ、あなたの新技とやらで何とかできないの?」

「そうしたいのは山々ですが……発動には時間がかかりますわ。その前に逃げられてしまうかもしれません。……ルカ。あなたの『言霊』なら、どうにかできるのでは?」


 アイシャの質問で、ルカは頭の中でいくつかの方法を考える。

 怪異そのものを『まやかす』、ルカの言霊。

 だがその言霊も霊力による干渉である以上、赤い実をそれを火種として弾けるだろう。


 ならば方法は限られてくる。

 懺悔樹を次元の裏側に追い払う……だが、それよりも爆発のほうが早いかもしれない。あれほどの巨体を次元の裏側に追い払うには時間を要する。

 ならば赤い実全体を紅糸繰で包み込み、爆発の衝撃を吸収するか? ……自信はない。言霊でどんなに壁を強固にしても、爆発の威力のほうが高いかもしれない。

 ならば……。


「吸収した霊力の出力を下げるよう言霊をかける」


 そもそも爆発が起きないよう、そのエネルギー源を奪えばいい。


「でも、成功する保証はない。アイシャ、念のため結界を全開で展開して。できる?」

「ふっ。誰に言ってますの? 残りすべての霊力を使って守護結界を展開しますわ。クロノ様、こちらへ。皆さんの身は必ずお守りしますわ」


 アイシャが結界を展開する。

 後方にいるスズナと気絶している女性も、これで守れるはずだ。

 準備は整った。

 ルカは最大出力で霊力を上げ、渾身の言霊を放つ。


【 《懺悔樹》 よ 《霊力の出力》 を 《下げよ》 】


 ──っ!?


 ルカの言霊が懺悔樹に届く。

 言霊に従って、懺悔樹の霊力がどんどん減少していく。

 一度は弾けそうになっていた赤い実も、みるみるうちに萎んでいった。


「成功ですわ!」

「やった! さすがルカだ!」


 爆発の危険がなくなったのを確認すると、ルカは立て続けに言霊を放つ。


【 《懺悔樹》 よ 《この世》 から 《消滅》 せよ 】


 滅びの言霊が発動する。

 たちまち懺悔樹は、吸収した霊力を撒き散らしながら、悲鳴を上げて朽ち果てていった。

 かくして、人の罪悪感につけ込み、誘い込んだ人間を捕食する恐ろしい木霊は討伐された。

 樹木のほとんどが朽ちた森には、ただ閑散とした大地だけが残された。


「……ふう。どうやら見せ場はルカに持っていかれてしまったようですわね。ですが! この次こそはこのアイシャ・エバーグリーンの新技を披露してさしあげますわ! これで勝ったと思わないことですわねルカ!」

「はいはい。期待してないで待ってるよ」


 事を終えて、いつもの調子を取り戻したアイシャの言葉を聞き流しながら、ルカはひと息を吐いた。


「お疲れ様、ルカ。良かった、何事もなくて」

「ダイキ……うん」


 ダイキからの労いを受け、ルカは頬を赤く染めた。

 ……そうだ。ここ最近、素っ気ない態度を取ったことをダイキに謝らなければ。

 でも、どうしたことか。なかなかダイキと顔を合わすことができない。

 ……それは、きっと改めて自分の思いを自覚したからだ。

 懺悔樹の誘惑を振り切って、現実に戻ってくるキッカケとなった、彼への強い気持ち。

 全身が熱い。

 私って、こんなにもダイキのことが……幼馴染の少年に何と声をかければいいのか、ルカは体をモジモジとさせながら言葉を探していた。


「みなさ~ん! お疲れ様です~! 今回のご活躍もバッチリとカメラに記録しましたよ~!」


 陽気に声を上げながらスズナがルカたちのほうへ駆けてくる。


「こちらの女性もご無事です! いつもの病院に連絡してますので、きっとすぐに……っ!? ダイキさん! 危ない!」

「え?」


 スズナの焦った声でルカが咄嗟に顔を上げると……ダイキの背後に何かがいた。


『■■■■■■■■■■■■■■!!』


 おどろおどろしい色をした霊力の塊が、奇声を上げながらダイキに襲いかかろうとしていた。


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