この気持ちだけは、譲れない


 アイシャ・エバーグリーンは孤児である。

 両親は不明。

 まだ生後も間もない赤子が教会の前に捨てられていたところを、シスターたちが保護した……という話だけは聞いている。

 アイシャはそこで見習いシスターとして育てられた。

 その教会は表向きは普通の修道院だったが、裏では悪魔祓いを専門とする戦闘機関としての一面も持っていた。

 アイシャに霊能力者として高い素質があることがわかると、シスターとしての修行だけではなく、エクソシストとしての訓練が始まった。

 強制されたわけではない。アイシャ自身がその生き方を望んだのだ。


『この力が天より与えられしものであるのならば……アイシャは喜んで、己の才能を人々のためにお使いいたしますわ』


 アイシャは己の生まれを嘆いたことは一度もない。

 孤児であることも、教会に拾われたのも、霊力を持って生まれたことも、エクソシストとして戦うことも、それが自分の宿命だと受け入れていたからである。

 実際、アイシャはエクソシストとして凄まじい才能を秘めていた。それはまさに『天の賜り物』と表現しても決して誇張ではないほどに、アイシャは目覚ましい成長を遂げていった。

 霊術も、勉学も、シスターとしての振る舞いも、すべてにおいて彼女は周りのエクソシストたちよりも優れた結果を出した。

 そんなアイシャに教会の者たちは『聖女』の称号を贈った。

 その称号を名乗るに相応しい天性の才知。そして同性ですら息を呑むほどに見惚れる清らかな美貌を、アイシャは備えていた。


 アイシャ自身、自分が『天より選ばれし者』であることを疑わなかった。その意識がアイシャの成長をより加速させたのは言うまでもない。

 選ばれた者には責務がある。決して己の宿命から目を逸らさず、立ちはだかる試練と向き合い、成長の糧とする。そうして自分でなければ為せないことを為すことで、世界は安寧を保たれるのだ。それがアイシャがいだく信仰であった。

 ゆえにアイシャはいかなる過酷な任務であっても逃げることなく挑み、常に想定以上の成果を積み重ねていった。


 自分に恐れるものはない。

 いかなる苦難であっても『聖女』である自分ならば乗り越えられる。

 確信を持ってそう断言できるほどに修練の道を歩んできた少女は、自分が敗北することなど微塵も頭に浮かばなかった。

 そして……。

 極東の島国に来て、アイシャは初めて『挫折』というものを知る。


 己の誇りに、いつしか『驕り』が混じっていたことに気づいたのは、アイシャにとって幸運だったと言えよう。

 アイシャは悟る。……ああ、自分は狭い世界しか知らないだけの小娘だったのだと。

 世界は広い。自分以上の才や素質を持つ少女など、いくらでもいる事実を、アイシャは目の当たりにする。


 優れた知見と閃きを発揮する赤嶺レン。

 霊力も無しに、対話だけで悪霊すらも浄化してしまう清き魂を持つ黄瀬スズナ。

 限定的とはいえ、真の意味で神の力を揮う藍神キリカ。

 そして……自分以上の霊力を誇る白鐘瑠花。


 アイシャはこの出会いに感謝した。

 彼女たちとの出会いがなければ、危うく自己に陶酔するだけの盲目な愚者になりかねなかったのだから。

 以来、異国の地でアイシャは自分を見つめ直すことを決めた。

 ここでならば、母国では得られない貴重な経験が得られるはずだと信じて。

 そして事実、アイシャは新たな成長を遂げた。そんな自分を誇らしく思うし、まだ自分に限界がないことを知れて歓喜している。


 これも、自分が『宿命のライバル』と認めた白鐘瑠花の存在があってこそだ。

 あの夜、ルカと共に悪魔憑きと戦って、胸に湧いた感情……悔しい。越えたい。認められたい。そんな感情をいだいた相手は、アイシャの人生においてルカだけだった。

 ルカは霊能力者として、そこまで本格的な修行を積んでこなかったと聞く。

 ……そんな少女が、自分以上の力を秘めている。アイシャからすれば、まさに世界が一変するような出会いだった。


 ルカの力はいまだ発展途上。いったいどこまで成長するのか、想像するだけでも恐ろしい。

 だが必ず自分も追いついてみせる。

 彼女と肩を並べるに相応しい霊能力者になって、さらなる高みを目指す。

 そう思ってアイシャは修行を積み重ねてきた。

 だというのに……。


 その肝心なライバルはいま、憐れに思うほどに弱りきっていた。

 己の生まれ持った力を恐れ、己の行いを悔やみ、アイシャの前で蹲っている。

 そんなライバルを前にして、アイシャはただ戸惑うばかりだった。

 いったい、どんな言葉をかければいいのか逡巡していたが……だが、やはりライバルとして取るべき態度はひとつだと、アイシャは敢えて心を鬼にした。


「立ちなさい、シロガネ・ルカ」


 蹲るルカの手を取り、強引に立たせる。


「あなたの過去に何があったのか、もう聞きません。……でも、これだけは言わせてもらいますわ。……いまのあなたに、クロノ様を任せるわけにはいきません」

「っ!?」


 ルカに送るのは、としての言葉。

 黒野大輝。この地で出会った、アイシャにとって、また特別な意味を持つ存在。

 彼を守りたい気持ちは、アイシャも同じである。

 だからこそ言わなければならない。いまのルカに、かの少年の命を任すわけにはいかないと。


「クロノ様の身を案じるというのなら、あなたの代わりにわたくしがお守りしますわ。この命に替えてでも、あの御方の安全を保証しましょう。あなたは、もう何もしなくていい。でもその代わりに……クロノ様は、わたくしが貰いますわ」


 アイシャのその宣言は、ルカに対して最も効力を発揮するものだった。


「……ふざ、けないでっ」


 弱りきっていたルカの瞳に、ゆっくりと闘志の色が宿っていく。


「負けない……ダイキのことだけは、絶対に負けられない!」


 二人の少女が、互いを睨み合う。絶対に譲れない感情をぶつけ合いながら。


「お前なんかに、ダイキは渡さない!」

「ならば証明してごらんなさい。あの御方を守れる強さが、あなたにあるかどうかを」

「望むところだよ。ダイキは死なせない。そう誓ったんだから!」

「ふふん。あなたにできますの? 自分の力すら恐れているような臆病者のあなたに」

「してみせるよ。だって……この気持ちだけは、誰にも負けないんだから!」


 ルカが胸を張って誇れることがあるとすれば、それは少年へいだく思いの強さ。

 それだけは絶対に譲れないものだった。


「……やっと、らしくなってきましたわね」


 調子を取り戻したライバルの様子に、アイシャは安堵の笑みを浮かべた。

 やはり、自分たちはこうでなくては。競い合える存在がいれば、人はいかようにも気持ちを奮い立たせることができる。そのことを改めて実感するアイシャであった。


「それでこそ、わたくしのライバルですわ。では今後も互いの健闘を祈って固い握手などを……ぐえっ!?」


 良い雰囲気になってきたので握手をしようと手を差し伸べたアイシャだったが、ルカに突き飛ばされてしまった。


「何をするんですの!?」

「コオォォォォ……。渡さん……。ダイキだけは絶対に渡さん~……」


 一度、火が着いたルカの闘志は消えていない。

 謎の構えを取りながら、アイシャを威嚇する。


「ふんっ。そもそもダイキはお前みたいな淫乱シスターに心奪われたりしない。自惚れるな、むっつりスケベ」

「ぬあぁんですってぇええ!? 誰がむっつりスケベですの!?」

「鏡見ろ、鏡を」

「ムキイイイイ! 言わせておけばこの小娘ぇ!!」


 アイシャも負けじとルカに突っかかる。


「ふーんだ! そもそもクロノ様のお気持ちが、この先どうなるかだなんて、わからないじゃないですの!」

「ざーんねんでした~。ダイキはとっくに私にメロメロだから」

「え~? 本当でございますの~? だってクロノ様ったら、わたくしのお胸をチラチラ見ることが多々ありますのよ? きゃっ♪ 異性としてわたくしを意識してくださっている証拠ですわ♪」

「ダイキはおっきなオッパイが好きなだけだから。そして一番好きなのは私のオッパイだから」

「ふ~ん? でも、わたくしのほうがおっきいですわよ~? 殿方は大きいほうに夢中になるものではないですの~?」


 そう言ってアイシャは、どたぷ~んと立派な膨らみをルカの胸元に押しつける。

 特大の乳房に押し潰されていくルカの乳房。

 だがルカも負けてはいない。

 グイッと豊かな膨らみを前に突き出す。


「私だって成長してるもん。この間またおっきくなったもん。もうとっくにアイシャ越えてるから」

「残念ですわね~? わたくしも最近バストが成長しましたのよ~。あぁん♪ ただでさえ大きいのにこんなに実ってしまって、困っちゃいますわ~♪」

「アイシャの場合は食べ過ぎて脂肪が増えただけでしょ?」

「失礼ですわね! ちゃんとウエストは維持してますわ!」


 双方、特大の乳房を押しつけ合いながら「ぐぬぬぬぬ」と睨み合う。


「……負けない!」

「……負けませんわ!」


 あらゆる意味が込められた不退転の決意。

 目の前の相手に対して、少女二人は「こいつだけには負けない!」と対抗意識を新たに燃やすのだった。


 ……そのとき、奇妙な香りが少女たちの鼻孔を突く。

 何か、不自然に甘ったるい蜜のような香りが。


「……っ!」


 少女たちの顔つきが変わる。

 霊能力者としての顔に。


 ルカとアイシャの横を、成人女性が通り過ぎる。

 その足下は、どうも覚束ない。

 夢見るような表情で、恍惚とした顔でフラフラと歩いている。

 一般人の目からしたら、昼間から泥酔している通行人にしか見えないだろう。

 ……だが少女たちは、すでに感じ取っている。

 女性から、ただならぬ空気が滲んでいるのを。


「……ルカ、気づいていますわよね?」

「当たり前でしょ。アイシャより先に気づいたから」

「何言ってますの? わたくしが先に決まってるでしょ」


 口喧嘩しつつも、ルカとアイシャは女性から目を離していない。

 女性はどんどん、人気の少ない方向へ進んでいく。

 どうやら、行く先は決まっているようだ。


「……あちらは、確か森林でしたわね?」

「良くないものを感じる。あっちに何か……いる」


 ルカとアイシャは女性を追跡する。

 女性の向かう先に、異様な気配があるのを感じ取りながら。


「あら? ついてきますの? ここはわたくしに任せて、あなたは帰ってもよろしいのですよ?」

「アイシャこそ、いつもみたいにドジ踏む前に帰ったら?」

「御生憎様。わたくし、いま絶好調ですの。スランプ気味のあなたこそ、痛い目を見る前に引き上げたらどうですの?」

「誰かさんのせいで、いますごいヤル気に満ちてるの」

「まあ、頼もしいことですわね。せいぜいわたくしの足を引っ張らないようお願いしますわよ、言霊使いのルカさん?」

「そっくりそのまま返すよ、エクソシストのアイシャさん?」


 ルカとアイシャは街外れにある森林地帯に向かっていく。

 身の内に宿る霊力を、火のように滾らせながら。


「……あら? あのお二人は……ばあや、車止めて」


 見覚えのある後ろ姿を見つけて、シャイニーブロンド色の髪の少女が高級外車から顔を出した。


「どこへ行かれるのでしょう?」


 二人の様子を見るに、ただ事ではなさそうだった。

 ……そういえば、いまさっき連絡が来ていたことを思い出す。「ルカを見てないか?」と。

 少女は慌てて、送り主に返信をした。


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