番外編

文字の怪異


 ……『文字の怪異』。

 というのをご存じでしょうか?

 本を読んでいると、現れるオバケと言われています。


 読書をしていると、文中にふと不自然な文字が出てくるそうです。

 前後の文章とまったく脈絡もない、まるで誰かが勝手に加筆したかのように、こう書かれているそうです。


【……ねえ、見えてる?】


 と。

 もしも、その文字を見てしまった場合、絶対に反応してはいけないそうです。

 驚いたり、「何だコレ?」って声を出したり、首を傾げる動作もアウトだとか。

 とにかく、その文字を『』を向こうに悟られたら、もう手遅れ……。


 その人は、本の中に引きずり込まれて、一生出てこれないそうです。


 怖いからといって本を閉じてはいけません。

 その行為すら、『文字の怪異』は『自分を認知した』と判断するからだとか。

 だから、どんなに怖くても、最後まで本を読み切らないといけません。


【ねえ、見えてる? ……見えてるよねぇ?】


 その後も『文字の怪異』は文中に現れますが、決して反応せず、最後まで読まなければいけません。


【見えてるでしょ? 本当は見えてるよねえ? 見えてるくせに。見えてるくせに。……嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき……】






【見えてるだろ!!?】


 決して、気づいた素振りを見せてはいけません。

 最後まで本を読んでいるフリをしないと『文字の怪異』は、あなたを……。




「……いやああああああああああああああ!!?」


 最後まで話を聞く余裕もなく、恐怖のあまり俺は悲鳴を上げた。


「『という噂が気になるため、最近怖くて読書ができません。もうすぐ大好きなBL小説「俺のヤサグレ上司が家では甘えたがりな子犬ちゃんで可愛すぎて困る」の最新刊が出るので何とかしてください』……だってさ!」

「知らねえよおおおお! 我慢しろよおおおお!!」


 レンが読み上げたオカ研への依頼文。

 その無茶な要求に俺は思わず涙する。

 何とかしてください、じゃねーよ!? こっちの台詞だわ! 何だその奇襲型怪異は!? そんな噂話聞いたら俺だって怖くて好きな漫画が読めなくなるじゃねーか!


「『文字の怪異』ねえ……こりゃまた随分と厄介な怪異ね」


 そう言いながらキリカは調べ物の本のページを捲る……って本だあああ!?


「キリカああああ! いますぐ本を閉じろおおお! 『文字の怪異』が出てきたらどうするんだああああ!?」

「え? だ、だって明日の課題の調べ物しないと……」

「キリカほどの優等生なら大丈夫だって! 命を大事にしろおおお!!」


 部活動の合間に予習をしている真面目なキリカには申し訳ないと思ったが、いまこの場で怪奇現象が起きようものなら、俺の心臓がもちそうにないので本を取り上げた。


「もう~、ダイくん神経質になり過ぎだよ~。所詮は噂なんだから、ただの作り話かもしれないでしょ~?」

「そういうのをフラグと言うんだぞレン! そしてお前もファッション誌を開くんじゃない~! 没収だあああ!」

「ああん! 今月のコラム気になってるのに~!」


 レンの言うとおり『文字の怪異』が実在している確証はない。

 ……だが火のない所に煙は立たない! ここがホラー漫画の世界である以上、警戒するに越したことはないのだ!

 それにしても本の中に現れる怪異とは……ええい、何て恐ろしいヤツなんだ! 文字媒体であればどこにでも出現するということだろ!?

 イカン、そこら中にある本が恐ろしく見えてきた。

 怖い怖い怖い! 本が怖い!


「よしよし♪ おいでダイキ? 大丈夫、私が怖いものからダイキを守ってあげる」


 ガクガクと震えていると、いつものようにルカがその豊かすぎる胸の中に俺を抱き寄せてくれる。

 あ~……フワフワの感触にパフパフとされて心が落ち着いていくんじゃ~。


「……うわ~だらしない顔。相変わらずダイくんっておっぱい星人だよね~」

「ハ、ハレンチなのは禁止よ!? いますぐ離れなさい二人とも!」


 幼馴染との毎度恒例のやり取りをレンは呆れ気味に、キリカは顔を真っ赤にして注意してくる。

 だが断る。

 呆れられようがハレンチと言われようが、恐怖を誤魔化すにはこれが打って付けなんだ!

 ……決して役得とか思ってないぞ!


「みなさーん! 図書室から本をたくさん借りてきましたよ~♪」

「ぎゃああああ!? スズナちゃん!? 何でよりによってこのタイミングでそんなに大量の本をおおおおお!?」

「無論、依頼を解決するためです! 我々が率先して『文字の怪異』を探しだし、ルカさんに退治してもらうのです! そうすれば依頼主さんは安心して本が読めるようになりますよね♪」


 天使のような笑みでスズナちゃんはそう言う。

 依頼の内容を聞いて即座に行動に出るその優しさと胆力。

 さすがはスズナちゃんだ! 頼もしくて感動するよ! 涙が出るくらいに!


「なーるほど。もしも本当に『文字の怪異』がいるならこっちから積極的に見つけてやっつければいいのか。ルカ、それでいい?」

「いいよ。もしも出てきたら手を上げて合図して? すぐ言霊で退治するから」


 どうやら方針は決まったようだ。

 部内で本を読み漁り『文字の怪異』が出現したタイミングでルカに任せる……うん、これなら確かに依頼を達成できそうだ。


「よし、後は任せたぞ皆!」

「ダイくんも読むに決まってるでしょ~?」

「ですよねー……」


 いや、もちろん協力するつもりでしたよ? 人数が多いほうが効率もいいからね。

 ……ただ怖いもんは怖いんだよ~!


「う、うぅ……出るなよ? 俺の読んでる本には出るなよ~?」

「私、本を読む前にこんなに涙を流す人、初めて見たよ……」

「本当に黒野ってビビリよね。暴漢を相手にしてるときの頼もしさが信じられないわ」

「でもそんなところがダイキさんのお可愛いところだと思います♪」

「わかる。このギャップがたまらない」


 くぅ、女子陣め好き放題を言いやがって……生まれ持った性分なんだからしょうがねえだろうが~。

 おのれ神め! こんな恐ろしい世界に俺を転生させたこと、怨み続けるからな!


 そして数分、俺たちは本を読み続けていたが……『文字の怪異』が現れることはなく、その日は解散となった。

 やっぱり噂は噂だったということだろうか?

 ……まあ、そのほうがいい。

 好きなときに好きな本が読めないというのは、あまりにも気の毒だからな。


「……おっと、いけない。明日は物理の小テストがあったな」


 危ない危ない。依頼のことで頭がいっぱいだったから、すっかり忘れるところだった。

 自室の机に腰掛け、テキストを開き、出題されるであろう問題を予習していく。

 二度目の人生ともなれば、勉学など楽勝と思われるだろうが、それが通じるのは義務教育の範囲までだ。

 高校にもなるとやはり頭の出来はあからさまになるもので、前世で平凡な成績だった俺では、レンのように本当に地頭がいい相手には敵わない。

 というか、さり気なくキリカより成績良いんだよなレンのやつ……。


『ダイくん、ここわからないの? じゃあ教えてあげる~♪ お礼は新作のラテでいいよ~?』


 そう言ってたまに勉強を教えてくれることがあるが……妙にくっついてくるもんだから集中できないんだよな。


「ふぅ~、こんなところかな? さて、明日も早いし、そろそろ寝て……」


 教科書を閉じようとした、その瞬間だった。


【ねえ、見えてる?】


「……」


 開いていたページの末尾に、ソレはとつぜん現れた。


「……やっぱり、もうちょっと勉強しとくか」


 ページを捲る。

 テスト範囲ではない場所だが、俺は熟読するフリをする。


【……見えてる? ねえ、見えてるよね?】


 途中で、文中とはまったく脈絡もない文字とご対面する。

 物理のテキストに、当然こんなふざけた一文があるはずはない。


 ああ、なんてことだ……。

 出やがった、本当に。


【見えてる? 見えてるんだよね? 何で無視するの? 見えてるんでしょ? 本当は見えてるんでしょ?】


 反応してはならない。

 絶対に、気づいた素振りを見せてはいけない。

 あくまでも、勉強をしているフリをしなければ……。


 そう、勉強しているフリをして、何とかルカに連絡を……。


【連絡するの? 誰に? 勉強している最中なのに? やっぱり見えてるから? 見えてるからだよね? 本当は見えてるんだよね?】


「……」


 電話はダメだ。

 メッセージだ。メッセージで助けを求めよう。

 勉強の合間に親しい相手とメッセージを送り合うのは、べつに不自然な行動じゃないはずだ。普通に雑談をしているフリをして、何とか『文字の怪異』のことをルカに伝えよう。

 手早く文字を打つ。

 ルカ。助けてくれ。いま教科書に……。


【助けてくれ、って何? 教科書がどうかしたの? ねえ、見えてるんだね? やっぱり見えてるんだね?】


 ……っ!? コイツ、俺が打ってる文章を把握できるのか?

 文字を打つの止め、スマートフォンを手放す。


「……教科書にわからない問題あるからルカに教えてもらおうと思ったけど、もう遅いし悪いよな。やっぱり自分の力で解こう」


 ダメだ。ルカに連絡して助けを求める行為は『文字の怪異』を認知していますと告げるようなもの……。

 ……できない。いまこの状況で、ルカに危機を知らせる手段はない。

 助かる方法はひとつ……無反応のまま、本を最後まで読み切ること。


 ……ふざけるな。完読しろってのか? よりによって俺が一番苦手な物理のテキストを。


【見えてる? 見えてるよね? 手が止まってるよ? 勉強してるんだよね? 読まないの? やっぱり見えてるんだ? 見えてるからやらないんだよね?】


「……さて、休憩終了。もうちょっと頑張るか~」


 こうなった以上、仕方ない。

 最後まで読むしかない。

 ……ははは、ちょっとした予習のつもりが、膨大な予習になっちまった。

 いまに限っては俺、キリカ以上の優等生だな。


【見えてる? 見えてるよね? 勉強だよね? 問題解かないの? おかしいな? 読むだけでいいの? やっぱり見えてるんだ? 見えてるんだよね? 見えてるから流し読みしてるんだよね?】


「……」


 ちくしょうが。

 コイツ、ぶん殴れるものなら、ぶん殴ってやりたい。

 問題を解くべく、俺はノートに式を書いていく。

 答えは適当でいい。とにかく、早く終わらせることだけを考える。

 耐えろ。耐えるんだ。最後のページまで問題を解けば、それで解放される……。

 そこからは、ひたすら睡魔との戦いになった。




 日が昇る。

 朝陽が部屋に差し込んだところで、テキストを閉じる。


「……終わった」


 やったぞ。無事に全ページ読み終えた。

 もう二度とゴメンだ、こんなこと。


「ダイキ~? そろそろ仕度しないと遅れるわよ~?」


 一階から母さんが呼びかけてくるが……正直、学園は休んで眠りたい。

 なんせ、ずっと集中力を切らすこともできず徹夜していたのだ。

 登校したところでとてもテストや授業に集中できるとは思えな……



【 ヤ ッ パ リ 見 エ テ ル ン ジャ ナ イ カ ァ ! 】



 文字が、浮かぶ。

 ノートに。

 書いた覚えのない文字が、俺の目の前に。


【見えてた! やっぱり見えてたんだ! だって解いた! 問題解いた! 作った問題解いた! 見えてる! 見えなきゃできない! やっぱり見えてた! 嘘つき! 嘘つき嘘つき嘘つき! 見えてたくせに! 見えないフリしてた! 嘘つき!】


「っ!?」


 作った問題を、解いた?

 ……まさか、コイツ!?


 テキストの、最後の問題文があったページを開く。

 ……違う! 内容が違う! 俺がノートに書いた式と違う!?


 コイツ……


【見えてたんだね? ずっと、ずっと見えてたんだね?】


「あ、ああ……」


 気づかれてしまった。

 俺が『文字の怪異』を認識していることを……気づかれてしまった!


【ジャア……連レテイッテアゲル!】


 ノートから、文字が浮かび上がる。

 比喩ではない。

 平面の紙から、文字だけがシールのように剥がれ、宙に浮いている。

 複数の文字は、まるで虫の群れのように集まって、やがて手の形を作る。

 文字で構成された手……まるで耳なし芳一を連想する不気味な手は……俺の腕を鷲掴んだ。


「うわあああああああああ!!」


【オイデ! コッチニオイデ!】


「やめろ! やめろおおおお!!」


 振り解けない。どれだけ抵抗しても、手にどんどん引きずり込まれる。

 このまま、俺は……。


 いやだ……いやだああああ!


【 《此の世界》 から 《立ち去れ》 ! 】


 室内を眩い光が包み込む。

 腕を掴んでいた手は、パッと離れ、どこぞへと引っ込んでいった。


「ダイキ! 大丈夫!? しっかりして!」

「ル、ルカ……」


 部屋に駆け込んできたルカに抱きしめられる。


「嫌な気配がしたから慌てて来たの。ごめんね? すぐに気づいてあげられなくて……」

「いや、いいんだ。ありがとうルカ。それより、怪異は……?」

「気配は消えた。もう大丈夫なはず……ただ、よく正体がわからなかった。だから空間ごと別次元に追い払うことしかできなかったけど……」

「助かったなら、それでいいよ。とりあえず、これで依頼達成だな。良かった、本当に……」

「ダイキ? ……わっ!?」

「ルカ、ごめん……俺、もう限界……」

「ダ、ダイキ?」


 助かった安堵から、そのままルカにしなだれかかる。

 結果的に、床にルカを押し倒す形となる。


「そ、そんな……ダイキ、ダメだよ♪ こんな朝から♪ せめてベッドで……」

「……ぐぅ~」

「……ダイキ?」


 ルカの柔らかバストという至高のクッションに包まれては、もう限界だ。

 睡魔に導かれるまま、眠りに落ちていく。


「……え? 嘘でしょダイキ? 私、すごいドキドキわくわくしてるのに……放置するの? そんなのってないよ」


 すまんなルカ。

 文句は起きたときに言ってくれ。

 とにかく、いまは眠くてしょうがないから。

 というわけおやすみなさい……ぐぅ~。


「……ダイキのバァカ」


 幼馴染の恨みがましい言葉を最後に、俺の意識は落ちた。


 その日は堂々とズル休みする結果となったので、とうぜん母さんやキリカに叱られた。

 とほほ。ホラー漫画の世界なんて、もうゴリゴリだ。














【見えてる?】



【ねえ、見えてるよね?】



【ずっと、ずっと見えてるよね?】



【何で無視するの? ずっと、ずっと見えてるくせに?】



【ねえ、本当は見えてるよね? 見えないフリしてるだけでしょ?】



【嘘つき嘘つき嘘つき、本当は見えてる、ずっと見えてるんだよね?】



【見えないフリしたってダメだよ? 見えてるくせに、見えてるくせに、見えてるくせに……】



【……ねえ? もう、お話は終わったよ? 何でまだ読んでるの?】



【見えてるからだよね? 見えてるから、まだ読んでるんだよね?】




【……キャハハハ】





【見えてるんだろおおおお!?】




【見えてる見えてる見えてる本当は見えてる嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき無視するな無視するな無視するな見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろほら泣け泣け泣け泣け泣け喚け喚け喚け喚け喚け!】





【終わらない終わらない終わらない終わらせないずっと居るよずっと居るよずっと居るよ見てる見てる見てる見てるずっとずっとずっとずっと……】






【居るよ? まだ居るよ?】



【見えてるでしょ? やっぱり……】



【見えてるよね?】



【……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!】



【閉じても、無駄だよ? だって……】



【これからは……ずっと会えるもの】




 ズ ッ ト 見 テ ル カ ラ ネ ? 





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