常闇の侵徒『邪心母』
「水坂、先生?」
いったい、いつ目覚めていたのか。
彼女はまるで何事もなかったかのように、平然な様子で立っていた。
「もう、ダメじゃな~い。こんなアッサリ負けちゃ~。せっかくあなたには期待してたのに~」
様子が、おかしい。
俺たちの知る、天然でおっちょこちょいな教育実習生である水坂牧乃の面影が、まったく感じられない。
そういえば彼女は肉啜りの分身を植え付けられ、操られていた。
まさか、その影響がまだ残っているのか!
だが……。
その諸悪の根源である肉啜りの分身は、水坂先生の手に握られていた。
「ギッ……ギィ!?」
「褒められるのは、そのゴキブリ並みのしぶとさだけね。先代の草薙家当主にやられたときも、こうして分身だけ残して、そのまま本体として成り代わったのね……でも、また負けちゃったわね~? しかも今度は霊能力者でもない人間相手に。ダメダメ。ダメよアナタ。怪異として落第点よ」
「ナ、ナンダ、オ前? ドウシテ……」
「『どうして人間がオレの支配から逃れた?』って言いたいの? アハハ。そんなの……フリに決まってるでしょ? アナタ程度の格下に私が操られるとでも本気で思ったの?」
「ギイイイイ!?」
小型の肉塊を、水坂先生は握り潰しかねない勢いで掴む。
……何だ? あれは、本当に水坂先生なのか?
冷酷な眼差し。余裕に満ちた態度。そして、どこか妖艶にすら感じる残虐な笑み。
まるで、別人じゃないか。
「アナタ、もう用無しね。大人しく私に取り込まれなさい。光栄に思うことね? 私の糧になれるのだから」
「ッ!? マサカ、オ前ハ……イヤ……ア、貴方様ハ!?」
「バイバイ、肉啜りちゃん。最後に経験させてあげる。……食べられるってことがどんな感覚か」
「っ!?」
水坂先生は「あーん」と口を大きく開けたかと思うと……肉啜りの分身を、そのまま呑み込んだ。
「……ギャアアアアアアアアアア!!!?」
異形の怪異が、噛み潰され、咀嚼される。
生きながら食われ、悲鳴を上げる肉啜りの分身を、水坂先生はさもおいしそうに味わっている。
ゴクン、と喉を鳴らし、恍惚とした顔を浮かべながら、水坂先生を空を仰ぐ。
「ああ……混ざる……溶け合っていく……気持ちいい……気持ちいいわぁ……また新しい仔が、私の体の中に……あぁ……」
まるで性感を味わうような淫蕩な仕草で、官能的な声を上げる水坂先生。
豊満な肉体を蠱惑的にくねらせ、際どい部分を自らまさぐり、びくんびくんと快感に打ち震える。
その光景に、俺は言葉を失っていた。
理解が追いつかない。
どういうことなんだ。いったい何が起きている。
「水坂先生……あなたは、いったい……」
「ん~? ……うふふ」
俺を見て、水坂先生はニコリと笑みを浮かべる。
「言ったでしょ? 私──『食べるのが大好き』って♪」
先に冷静さを取り戻して動いたのはルカだった。
紅糸繰を大鎌に変え、水坂先生に向けて構える。
「……あなた、いったい何者なの?」
ルカが水坂先生に向ける眼差しは、すでに人に向けるものではなかった。
特殊な凶器を向けられても、水坂先生は慌てふためくどころか、余裕の態度をまったく崩さない。
「……白鐘さん? アナタ、私が『肉啜りじゃないか』って疑ってたみたいだけど……でも残念、その予想は外れよ? でもね~……」
満面の笑みを浮かべて、水坂先生は目を見開く。
猫のように大きな目が……赤く光る。
「『味方じゃない』ってのは大当たり! ごめんね~! 結局騙してたの! アナタたちのこと!」
おぞましい色をした霊力の波動を剥き出しにして、水坂先生は……水坂牧乃は狂った笑みを浮かべていた。
「……霊能力者だったのね、あなた!」
霊視を使ったのだろう。ルカが水坂牧乃の正体を見破る。
霊能力者? あの人が?
「どうやって偽装していたのかはわからないけど……それほどの霊力を隠蔽できるなんて……あなた、本当に何者なの!?」
俺でも可視化できるほどの膨大にして、禍々しい霊力。
ルカの言葉を信じるなら、水坂牧乃はあれほどの霊力を持ちながら、一般人に成りすましていたということ。
怪異である肉啜りを直に食らったことと言い……彼女はいったい何者なんだ? 何が目的だ?
「何者ね~……まあ、アナタたちのような正義の霊能力者とは真逆の存在……と言えばいいかしら?」
水坂牧乃が右手の甲をかざす。
そこから、何やら禍々しい模様が浮き上がってくる。
何だ? あのタトゥーみたいなものは?
「これは『証』。……あの御方の配下であることの『証』よ」
あの御方……その言葉に、何か言い知れぬ危機感を覚える。
つい最近になって、その存在を知った『怪異の長』と呼ばれる者……。その名が連想される。
まさか……。
「改めて自己紹介するわ。私は【常闇の女王】様の配下……『常闇の
彼女の口から出た名前に戦慄する。
【常闇の女王】!
すべての怪異の頂点に君臨するとされる存在。
彼女が、その配下だと!?
「……聞いたことがあるわ。人間でありながら、怪異の長を信奉する巨大な集団がいるって。まさか、彼女が……」
キリカがそう口を開く。
人間が【常闇の女王】を信奉する、だと?
なんてことだ。そんなイカれた連中がいるのか!?
「ねえ、黒野大輝君? 私からひとつ提案があるの。霊力もないのに肉啜りを倒した、そんなアナタに」
「っ!?」
心臓が鷲掴まれるような嫌な感覚。
水坂牧乃に視線を向けられただけで、本能的な忌避感が芽生えた。
「さっきの戦いは素晴らしかったわ! あなたのように才能や素質に恵まれた人間を、私はずっと探していたの! ああ、私の目に狂いはなかった! 会ったときから感じていたの! ええ、あなたならきっと……」
昂揚した顔で、水坂牧乃は言う。
「素晴らしい怪異になれるわ!」
理解しがたい、どうあっても相容れないことがわかる、その言葉を。
「……何を、言っているんだ?」
「言葉通りよ! 黒野君! 私たちと一緒に来ましょう! あなたのその才能……腐らせるには惜しいわ! あなたならきっと……上質な『闇』を生み出すことができる! 【常闇の女王】様を復活させるために必要な『闇』を!」
両手を大きく広げて、水坂牧乃は叫ぶ。
それは狂信者の目だった。
「足りないのよ! あの御方が復活するための『闇』が! 『悲劇』が! 『絶望』が! だからもっと増やすのよ! この世を『闇』で満たす怪異を! それがあの御方を蘇らせる贄となる! ……ああ、あの子は惜しかった! せっかく上質な『闇』を生み出す才能を持っていたのに! せっかく私が手をかけて育てたのに! 彼女は惜しかったわ! ……大谷清香ちゃんは!」
「っ!?」
大谷清香。
アイドルとして華々しい活躍をするはずだった女性。
その未来は、何者かによって奪われた。『怪異の素質を持つ』……たったそれだけの理由で、命を奪われ、危うく化け物に変えられようとしていた……。
おい。待て。
……まさか。まさかまさかまさか!
「……お前か?」
罪も無いアイドルを、あまりにも身勝手な目的で殺めた。
……そんな真似をしたのは!
「お前が清香さんをオオオ!!!」
視界が真っ赤に染まる。
怒りが体を突き動かす。
気づけば俺は水坂牧乃に殴りかかっていた。
「黒野!?」
「ダイキ!? ダメェ!」
振り下ろす拳。
だがそれは、見えない壁によって止められる。
「ぐっ!?」
拳が水坂牧乃に届くことはなく、俺はそのまま弾き飛ばされる。
……何だ、あの、出鱈目な霊力は。
霊力を喰らうはずの霊装『双星餓狼』でも喰らい尽くせなかった!
「ダメですよ黒野く~ん? 女性に手を上げたりしちゃ~」
水坂牧乃は鷹揚な態度でヘラヘラと笑っている。
俺の攻撃など、やんちゃな犬が飛びかかってきたのも同然とばかりに。
「でもまあ、私たちの誘いに乗れば許してあげますよ~? 仲間ですからね~。さあ、返事を聞かせて黒野君! 怪異になる気はないかしら!?」
「黙れ。誰かなるか!」
答えは当然NOだ。
ふざけるな。
どうして清香さんの仇敵である連中の仲間にならなければならない!
許さない……こいつだけは絶対に!
「ダイキに少しでも変な真似をしてみろ? 叩き斬ってやる!」
「水坂先生……いえ、『邪心母』とか言ったわね? よくも騙したわね! 最初からこれが目的だったの!?」
ルカが殺意を向けて紅糸繰を構える。
キリカも怒りを滲ませて神木刀を握る。
「思春期の子は心が不安定で上質な『闇』を生み出す素質をたくさん持っていますからね~。学園で新しい同志を探すのは効率がいいってわけ。そう意味では白鐘さん? 藍神さん? アナタたちも素晴らしい素質を持っているわ! どう? 一緒に【常闇の女王】様を復活させる手助けをしない?」
「ふざけないで!」
「何でアタシたちが人間の裏切り者にならなくちゃいけないの! 狂っているわよ、あんた!」
「……狂っているのは、アナタたちのほうよ? ……ねえ? まさか人間があの御方に勝てると、本気で思ってるの?」
ここで初めて水坂牧乃は笑みを消し、真顔となった。
「いつになったら気づくの? この世界はね……とっくに詰んでいるのよ? あの御方が、この世界に生まれ落ちた時点で。もうね、私たち人間に未来なんてないの。だったら……おの御方に与して、同じ存在になったほうが逆に幸せになれると思わない?」
……もう話すだけ無駄だ。
ハッキリと、そう悟る。
完全に理解の埒外にある存在と、言葉を交わす必要はない。
どうあっても、こいつとは相容れない。
俺たち三人が水坂牧乃に向けるのは、もはや無言の敵意だけだった。
「ああ、そう……交渉は決裂ね」
交渉などそもそも最初からない。
清香さんの仇敵であり、そして人類の裏切り者であるこいつを倒すため、俺たちは霊装を構えた。
「残念だわ。教え子たちと戦うことになるなんて。まあ、そういうわけだから……死んじゃってよ、アナタたち」
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