裁きの鉄槌


 拳の豪雨は止まない。

 宣告通り、少年は異形が朽ち果てるまで、その拳を振り下ろすつもりだ。

 もはや再生も追いつかないほどに、肉啜りの体は原型を失っていく。


(負ケルノカ? オレガ? 人間ゴトキニ? ドウシテ……ドウシテコンナコトニ!?)


 狂っている。なにもかもが狂っている。

 こんなことが、あっていいはずがない。

 摂理に反している。

 自分は狩る側だったはずだ。

 ……なのにどうして、逆にその獲物に牙を剥かれているのか。滅ぼされようとしているのか。

 しかも霊能力者でもない、人間に!

 悪夢としか言いようがない。


(アア……オカシイ……ナニモカモガ、オカシイ……全部、全部ウマクイッテイタハズナノニ!)


 もはや悲鳴すらも上げることのできなくなった肉啜り。

 今際、胸中に浮き上がってきたのは、激しい後悔。

 ……こんな奴を獲物に選ぶんじゃなかった。

 いままで見たこともない生き物だからといって、執着すべきではなかった。


 ……そう、よくよく考えれば、おかしかったのだ。

 こんな生き物がいるはずがないのだ。

 一番狂っているのは……この少年の存在そのものだ。

 だって……。


 宿!?


(アリエナイ……アリエナイ! アア、イヤダ……消エタクナイ……オ助ケクダサイ、女王様……【常闇の女王】様ァ!!!)


 異形の嘆きは虚しく散り、制裁の鉄槌が振り下ろされる。


「終わりだ……消え失せろ! 肉啜り!」

「ア……イヤダ……イヤダアアアアア!! ウワアアアアアア!!!」


 因果応報の一撃。

 もはや逃れようのない報いを前に、肉啜りは、ただ絶望した。



   * * *



 身動きが取れないキリカは、ダイキの戦いをただ見ていることしかできなかった。


 思いもよらない展開だった。

 まさか守るべき少年に、逆に守られる形になるとは。

 しかも今回は、いつものような暴漢相手ではない。怪異だ。

 相性の問題もあったのは確かだが……霊力を持たない少年が、見事に怪異を撃波してしまった。

 これまでの常識が一気に覆るような現実を前に、キリカは驚愕する一方で、複雑な気持ちをいだいていた。

 一般人の少年に、霊能力者である自分の役割を取られたからか? ……否、そういった毎度の劣等感から来るものとは、また異なる感情のような気がした。


 キリカはむしろ少年の活躍に誇らしさを覚えていた。

 思い知ったか化け物め。ウチの男子部員は怒らせると怖いのよ?

 ダイキが肉啜りにトドメを刺した瞬間などは、胸がすくような思いだった。

 ……だが、いま目の前で肉啜りに、何度も拳を叩きつけているダイキを見ていると、勝利への昂揚感はだんだんと薄まっていった。


「……返せ! 返せよ! クロノスケを……お前が奪ってきた命を返せよ!」


 ダイキは、苦痛に歪んだ顔で殴っていた。

 もう二度と戻ってこない命を思いながら。

 理不尽な現実を悲しみながら。

 少年のそんな姿を見て、キリカはやがて胸が締めつけられるような気持ちとなり、彼の活躍に心を躍らせていた自分を恥じた。


「黒野……」


 自分は、何をしているんだ?

 彼にあんな表情をさせないために、この場にいるのではなかったのか?


 頼もしい仲間である少年は、自分たちと同じように怪異退治の一線に踏み込んできた。

 ……それは、はたして歓迎すべきことか?


 血飛沫が上がる。

 鋼鉄の篭手が、殴るたびに異形の血で汚れていく。

 立て続けに起こる強打の音が、だんだんと切なげなものに聞こえてくる。

 まるで、少年の心の悲鳴を代弁しているかのように……。


 相手は怪異だ。

 憎むべき化け物であり、どうあっても相容れない人間の敵だ。

 だが……キリカは知っているはずだった。

 たとえ相手が化け物でも、自らの手でその存在を殺めることへの後味の悪さを。

 守るためとはいえ、自分の中に修羅を宿すことの辛さを。


 ダイキは、優しい少年だ。

 虫も殺せないようなお人好しだ。

 いつもビクビクと怪異に怯えているような臆病者のくせに、人が悲しんでいるときはそっと寄り添って励ましてくれる少年……。

 穏やかな日常が最も似合うそんな彼に……辛い役割を背負わせてしまった。

 自分が、未熟なばかりに。


「お前さえ……お前さえいなければ!」


 少年の顔は、もはや涙でボロボロだった。

 キリカはますます辛い気持ちになった。


(泣かないで……ねえ、泣かないでよ)


 ダイキには笑っていて欲しかった。

 いつもは厳しく接してしまうけれど、ついつい憎まれ口を叩いてしまうけれど……キリカはダイキの優しさに何度も救われ、感謝していた。

 素直になれないせいで、なかなかその思いを伝えることはできないが……だからこそ、こういった局面で恩を返したかったはずなのに……。


(アタシは……何をしているのよ!)


 キリカは悔しかった。

 心優しい少年を鬼に変えてしまった……そんな事態にしてしまったことが。

 結局、彼にばかりに辛い重荷を背負わせてしまっているではないか。


 何が『できる者に託す勇気』だ。

 そんなのもの、ただの言い訳だ。

 たとえ『蛮勇』と言われようと、『愚昧』と罵られようと、我武者羅になって自分が霊能力者としての務めを果たさなければならなかったのではないか?


『……真似事だとしても、俺たちはキリカのおかげで救われた。それは事実だろ?』

『あれが偶然だったとか、奇跡的なことだったとか……そんなのはどうでもいい。ハッキリしていることは、キリカがいなければ、俺たちはいまこうして生きていないってことだ。だから……キリカはもっと自分のことを誇っていいんだよ』


 情けない過去を打ち明けても、自分を肯定し、受け入れてくれたダイキ……そんな彼の優しさに報いなくては、いけなかったのではないのか?


「終わりだ……消え失せろ! 肉啜り!」

「ア……イヤダ……イヤダアアアアア!! ウワアアアアアア!!!」


 ズシン、と重い衝撃波が生じ、異形の断末魔が夜空にコダマする。


 人食いの怪異、肉啜り。

 無数の命を食らい続けた異形は、黒野大輝の拳によって、この世から完全に消滅した。


 キリカを拘束していた肉の繭が消滅する。

 肉啜りが滅されたことで、効力が失われたのだろう。


「黒野……」


 自由の身となったキリカは、見事に肉啜りを撃波した少年のもとへ駆けつけたかった。

 彼を労い、そして重荷を背負わせてしまったことを詫びたかった。

 その涙を拭い、抱きしめてあげたかった。

 でも……それは、自分の役割ではない。

 キリカは、それをよくわかっていた。



   * * *



 確かな手応え。

 核のようなものを潰した感触が、拳に残っていた。

 肉啜りと呼ばれていた肉塊は、徐々に煙を立てて消えていく。

 もう再生する様子はない。

 黒い塵となって、完全に消滅していった。


 ……倒した。俺が。

 霊能力者でもない俺が……怪異を倒した。


「ダイキ! ダイキぃ!」

「おわっ!?」


 横から俺にいきなり抱きついてきたのはルカだった。

 どうやら、肉啜りの拘束が解けたようだ。


「ダイキ! よかった……無事でよかったよぉ!」

「ル、ルカ。痛い。痛いって……」


 涙ぐみながら、ルカは俺の胸に縋りつく。

 よほど心配していたようだ。

 ……無理もないか。

 なんせ、いままで対人専門に戦っていた俺が、いきなり怪異と一対一でやり合った。その様子をルカは見ていることしかできなかったのだから。


「すごい……すごいよダイキ! まさか……肉啜りを倒しちゃうだなんて!」

「ああ、俺もビックリだ。でも……この篭手はいったい?」

「それは『双星餓狼』。紫波家の人間にしか装着が許されない秘伝の霊装のはずだけど……」

「やっぱり、そうだよな……」


 見覚えのある霊装だ。

 確かツクヨさんのお父さんの形見で、随分と大事にしていたような気がするが。


「いったいどうしてこんなものが数珠から……」

「きっと、お母さんの仕業だと思う」

「璃絵さんが?」

「理由はわからないけど……でも、おかげで肉啜りを倒せた。ダイキ、本当にすごい」


 そう言ってから、ルカは申し訳なさそうに顔を伏せた。


「……ごめん、ダイキ。私、守るって約束したのに。逆に助けられちゃったね」

「……気にするなよルカ。今回は、そのなんだ……偶然、俺のほうが怪異に対して相性が良かったってことだろ。終わりよければすべてよしだ」

「ダイキ……」


 そうだ。今回は相性の問題で、奇跡的に何とかなった。

 まさか俺が怪異相手に戦うことになるなんて、思いもしなかった。

 師匠たちには感謝だ。

 彼女たちの厳しい修行のおかげで、こうして憎き相手を倒すことができた。


 ふと、俺たちの周りに、蛍のような光が無数に浮かぶ。

 光は、一斉に天に昇っていった。


「これは……」

「きっと、肉啜りに囚われていた魂だと思う。かわいそうに……食べられた後も、ずっと肉啜りの中に閉じ込められていたんだ」

「まさかっ、俺がずっと殴っていたのは!」


 いままで食べられてきた人たちや、動物の肉だったのではないか!?

 だとしたら、俺は何てことを……。


「それは違うと思う。肉啜りはきっと魂をエネルギー源にしていただけで、構成されていた体はヤツ自身が造り出したものだった。……大丈夫、ダイキは誰も傷つけてないよ」


 俺の悪い予感を、ルカは即座に否定してくれた。

 ひょっとしたら無実な生き物たちを痛めつけてしまったのではないかと戦慄したが、そうでなくて安心した。


 無数の魂が天に昇っていく。

 その中で、見覚えるのある姿が、俺に近寄ってきた。


「っ!?」


 黒い猫の霊体……間違いない、クロノスケだ!


「クロノスケ!」


 咄嗟に俺はクロノスケに手を伸ばす。


「あっ……」


 だが、俺の手は猫の霊体をすり抜けてしまう。


 ……特殊な篭手を身につけたところで、霊体に触れられるわけではないようだった。

 どれだけ強靱な戦闘力を得たところで、やはり俺はただのヒトだった。

 でも……今回ばかりは、俺に勇気があれば。もっと早く、こうして戦う手段があることを知れたら。

 目の前の黒猫を、その尊い命を、おぞましい化け物から救えたかもしれない。


「クロノスケ……ごめん。ごめんな? 俺……俺はっ……」


 涙が溢れる。

 肉啜りは倒した。

 でも、失われた命はもう戻ってこない。


「俺は……やっぱり無力だ。手に届く範囲の命すら、守れなかった!」

「ダイキ……」


 ルカがそっと俺に寄り添い、一緒に涙を流した。


 そんな俺たちに、クロノスケの霊体が、そっと身を寄せてくる。

 もう、あの夜のように触れ合うこともできない。

 それでも……クロノスケは涙を拭うように、俺とルカの頬に、口づけをした。


「……にゃあ!」


 助けてくれて、ありがとう。

 そう、言われたような気がした。


「クロノスケ……」


 クロノスケも、光となって天に昇っていく。

 最後に見せたその顔は、笑顔だった。


「……守ったわよ。あんたは、あの子の魂を守ったわよ」


 庭に降りてきたキリカが、そう俺に言ってきた。


「見たでしょ? あの子は、最後に笑ってたわ……だから、胸を張りなさいよ。あんたは、あの子を確かに救ったのよ」

「キリカ……」

「あんた、いつも偉そうにアタシに同じようなこと言ってるじゃない。だから……あんたも自分を無力だなんて言って、自分を追い詰めないでよ。辛いわよ、見てて」


 天に昇っていく魂を見て、キリカも涙を流していた。


「まったく……一人で肉啜りを倒しちゃうとか、とんでもないヤツねあんた。アタシたち、立つ瀬がないじゃない。嫌になっちゃうわ、本当に」

「キリカ……その、ごめん」


 今回の俺の行動は、霊能力者であるキリカにとって、また劣等感を刺激してしまうような真似だったかもしれない。


「謝るなバカ」

「イテッ」


 後ろめたさを覚える俺に、キリカは拳骨をお見舞いしてくる。


「あのね? いくらアタシでも、命がかかってるってときまで、そんな嫉妬みたいな感情いだくわけないでしょ? そこまで卑屈じゃないわよ。だからその……ありがとう。守ってくれて」

「キリカ……」


 キリカは顔を真っ赤にして、不器用にお礼を言ってきた。


「ともあれ……無事に終わったわね。今回も」


 ひと息を吐いて、キリカはまた天を見上げた。


 ……そうだな、今回も無事に乗り越えた。

 失った命も多いが……俺たちはこうして何とか生きている。

 何とか、無事に……。









「あーあー。あっけないなぁ。もう終わりなの~?」


 場に似つかわしくない、陽気な声が上がる。

 声の持ち主は……気絶していたはずの水坂先生だった。

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