堅物委員長、キリカ【前編】


 うちのクラスに教育実習生がやってきた。

 すごい美人が来たぞ、と今朝から話題が持ちきりだったので、男子たちはずっと落ち着かない様子でいた。

 実際、教室に現れた実習生はとんでもない美人だったので、彼らはますます色めき立った。


「み、水坂みずさか牧乃まきのです。本日からしばらく世界史の授業を担当させていただきます。つ、拙いところもあると思いますがよろしくお願いしますぅ……」


 初めての実習でやはり緊張しているのか、ぷるぷると小刻みに震えながら自己紹介をする。

 年上であるはずだが、なんだか庇護欲をくすぐる小動物じみた雰囲気を持つ女性だった。

 それがより男子たちの琴線に触れたのか、彼女の自己紹介が済むと「うお~!」と野太い歓声が教室中に響き渡った。


「ぴえっ!? あ、あのぉ、男子の皆さん? 他の教室の迷惑になりますから大声は出さないように~。あ、あうぅ……」


 興奮して騒ぐ男子たちの勢いに気圧されつつも、水坂先生は控えめに注意をするが、そんな態度すらも男心をくすぐる材料にしかならなかった。


 まあ、男子たちがはしゃぐのも無理はない。

 ただでさえ女性の教育実習生というのは男子にとって憧れの存在だというのに、それに加えて水坂先生は本当に美人なのである。

 アッシュブラウンのセミロングヘアーは丁寧に整えられ、大きな瞳は猫のように愛らしい。

 顔つきは「綺麗系」というよりは「カワイイ系」で、どこかあどけなさを残している。

 本人も自分が子どもっぽいことを自覚しているのか、化粧は薄めで、無理に背伸びした装いは避けているように見えた。

 背丈も小さいので、学生服を着れば、まだまだ充分に高校生として通じそうである。


 ……しかし、そのスタイルはあどけない雰囲気からは想像もつかないほどの凶悪な発育ぶりであった。

 ぶっちゃけ男子たちの熱気はその一点に集中していると言っても過言ではない。


 いや、しかし……デカイな。

 スーツを押し上げるほどに実った豊満な膨らみ。

 清香さんほどではないが、間違いなくルカやアイシャを越える特大サイズ……。

 まったく、本当にこのホラー漫画の世界は胸の大きい女性が多いな。

 いったい、あとどれだけ生粋のオッパイ星人である俺を惑わす気なのか。

 なんとも眼福である。


「……じ~っ」

「っ!?」


 俺が水坂先生の胸元に見惚れていると、幼馴染が座る席から突き刺すような視線。

 ルカは「ぷくー」と頬を膨らませ、節操無く大きな胸に惹かれる俺を責めるように見ていた。

 というか、ルカだけでなく教室中の女子たちが浮かれる男子たちを呆れ気味に見ている。

 しかし青い衝動に支配された男子たちは、そんな軽蔑の目線に気づくこともなく、水坂先生に対してアプローチをかけていく。


「先生! 彼氏はいるんですか!?」

「年下はアリですか!?」

「好みのタイプは!?」

「ご趣味は!?」

「休日はどう過ごされてますか!?」

「はぁ、はぁ……ス、スリーサイズは……」


 露骨なものまで含まれる質問の嵐で、水坂先生はますます「あうあう」とたじろぐ。


「そのぉ、質問は一人ずつ……あ、いえ、授業に関係のないコトは聞かないでいただけると……う、うぅ、静かにしてくださぁい」


 もともと押しに弱い大人しい性格ということもあるのだろう。ただでさえ初めての実習でソワソワしているというのに、男子生徒たちの遠慮のない勢いに水坂先生は完全に萎縮してしまっていた。

 さすがに気の毒になってきたな……。俺が注意しても効果は薄いかもしれないが、一応ひと声かけて男子たちを落ち着かせるか。


 しかし俺よりも先に席から立ち上がる女子生徒がいた。

 クラス委員である、藍神あいがみキリカだ。


「男子たち、いい加減にしなさい!」


 刃物のように鋭く気迫が込もった、凜とした声が響く。

 彼女がひと声を発しただけで、騒がしかった教室が嘘のように静まる。

 全員の目線がキリカに集まる。


 紺青色の長髪にポニーテールにした少女。

 背筋はピンと伸び、とても姿勢が良い。

 培ってきた礼節と、育ちの良さが滲み出る佇まいに、こちらも思わず姿勢を正してしまう。

 彼女の青色のツリ目に睨まれると、男子たちは蛇に睨まれたカエルのように居心地が悪そうな顔をした。


「お騒がせしました水坂先生。どうぞ授業を始めてください」

「あ、はい。あ、ありがとうございます。え、えっと出席番号一番のぉ……あ、藍神さん」

「はい。一応、このクラスの委員長を勤めていますので、何か不祥事があった場合はアタシが注意をします」

「そ、そうなんですねぇ。頼もしいです~」

「ですが、先生にも、ひと言だけ……。教育実習生とはいえ、教壇に立つ以上、あなたは教師です。ご自分一人で騒ぐ男子生徒たちを注意してもらわないと困ります。仮にも教職を志すのであれば、もう少し毅然とした態度でいるべきかと」

「はうっ!? お、おっしゃる通りです……が、がんばりま~す……」


 うわぁ……相変わらずキリカは手厳しいな。

 水坂先生ってば涙目になってるじゃないか。

 まあ自分にも他人にも厳しいのが、藍神キリカというキャラクターの特徴ではあるのだが……。


 ホラー漫画『銀色の月のルカ』において、藍神キリカは三番目にルカと親しくなる少女だ。

 そのキャラクター性はというと……典型的な『堅物委員長』である。

 風紀の乱れを許さず、校則違反は絶対に見逃さない。必要とあらば教師相手にすら注意を呼びかける、まさに生粋の優等生タイプ。

 そんなキリカは、何かと怪異事件のせいで学園をサボりがちなオカ研を問題児として認識し、注意を呼びかける。これが知り合うキッカケとなる。


『あなたたち! 怪しい部活動を理由に授業をサボって遊んでいるようね!? アタシの目が黒いうちは、そんな真似は許さないわよ!』

『遊び、ですって!? いいえ、違います! 我々オカ研は怪異という見えざる脅威によって苦しむ人々を救うべく日々命がけで活動しているのです! ここにいらっしゃるルカさんこそ、我々人類の希望! 恐ろしい怪異が現れたとあらば、たとえ火の中水の中! 人々を窮地から救ってくださるのです! きゃー! 素敵ですルカさん!』

『スズナ……恥ずかしいからやめて……』


 最初の頃は、こんな感じに入部したてのスズナちゃんと口論をしていた。

 このときのスズナちゃんは、心酔しているルカの行いを『遊び』と評されたせいで、穏やかな彼女にしては珍しくご立腹していたっけ。

 ……そして、後々の原作の展開を知ったいまとなっては、驚くべきことをキリカは口にするのである。


『怪異ですって? ……バカバカしい。そんなオカルト染みたこと、現実にあるはずがないでしょ』


 そう、由緒ある退魔巫女の家系、藍神家の娘でありながら、キリカは怪異の存在を否定するのである。

 まるで「そんな存在なんて最初からこの世にいないんだ」と自分に言い聞かせて遠ざけるように……。


 実際、キリカは遠ざけていたのだ。

 霊能力者の世界から背を向け、普通の一般人として生きるために。


 六姉妹の仲で『一番の落ちこぼれ』と揶揄されていたキリカ。

 その霊力は、少し霊感の強い一般人とほぼ同等なほどに微量なもので、怪異を退治できるほどの力も無かった。

 幼少時から優秀な姉たちや妹たちと比較されて育ったキリカ。

 どれだけ努力を重ねても、厳しい修行をしても、姉たちと妹たちは自分を置いてどんどん力を強めていく。

 やがて、姉のひとりに突きつけられた言葉で、彼女の自信は完全に砕け散る。


『お前じゃ誰も救えない。お前なんて藍神家にいらない。消えろ、無能』


 実家を出たキリカはその後、遠い親戚の家に預けられ、怪異とは無縁な生活を送る。

 キリカが優等生として規律に拘るのは、霊能力者としては落ちこぼれでも、せめて人間として立派になりたいという強い思いがあるからだ。

 特待生となり、学費免除を条件に親戚の家を出てマンションにひとり暮らしをしているのも、なるべく早く自分ひとりで生きていきたいという決意の表れだ。


 そんな生活の中で、進んで怪異に関わろうとする奇妙な集団が学園にいることを知る。

 キリカにとっては、内心穏やかでいられなかったはずだ。

 なぜ、わざわざ危ない橋を渡ろうとするのか。

 それも、頼りになる霊能力者はたった一人だけ。後はただの一般人。見過ごせるわけがない。

 キリカがオカ研の活動を止めようとしたのは、善意からでもあったのだ。


 そんな彼女が、なぜオカ研に入部し、怪異退治に協力するようになったか。

 ……まあ、ひと言では説明しきれない複雑な事情があるのだが、本人曰く『問題児のあんたたちを監視するためよ!』ということらしい。


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