一緒に……


 良かれと思ったんだ。

 あのまま強制的に除霊をしたら、彼女があまりにも報われない。

 わずかな時間でもいい。楽しいひとときを過ごして、幸せな気持ちで成仏してほしかったんだ。

 でも……それは、間違いだったのか?

 俺が「大谷清香の一日だけの恋人になろう」と言ってしまったばかりに、こんなことになってしまったのか?


「ダイキくん……私、あなたが好き。優しいあなたのことが本当に好き」


 スズナちゃんに取り憑いた大谷清香が、スズナちゃんの声で思いを打ち明ける。


「こんな気持ち……初めて。ああ、どうして生きているうちに、あなたに出会えなかったんだろう」


 甘い甘い囁き。

 男にとってこの上なく、嬉しい言葉。

 しかし、いまそれを素直に受け入れることができない自分がいる。

 足が一歩下がる。

 冷や汗で濡れた肌を、生温かい夜風が撫でる。まるで見えないナニかの舌で舐められるような薄気味の悪い感触に、皮膚が粟立つ。


「羨ましいなぁ。スズナちゃんたちが、羨ましいわ。彼女たちはこれからもこれからもこれからもあなたと一緒に過ごせるのよね? ああ、本当に羨ましい。生きていれば、あなたと素敵な時間をもっともっともっと共有できたのに。ああ、本当に……生きているあなたたちが妬ましい羨ましい

「あ……あっ……」


 呼吸が荒くなる。カチカチと繰り返し奥歯が鳴っていることに気づく。

 足がさらに一歩下がる。

 体が震える。

 潜在的な恐怖によって。

 目の前の相手は、あの愛らしい女の子であるスズナちゃんなのに。

 その中にいるのは、憧れのアイドルである大谷清香なのに。

 そんな相手に俺は……。


 恐怖を感じている。


「ダイキくん。優しいダイキくん。あなたなら、私のお願いを聞いてくれるよね?」

「ひっ……」


 白い細腕が伸びる。

 指先が俺の首筋に触れる。

 とても、冷たい。

 デートをしているときは、あんなにも温かく感じていた彼女の体温が氷のように冷え切っている。

 知っている。これは……。


 死者の、冷たさだ。


「この世の未練? もう、そんなの、どうでもいいの。私はただ、大好きなあなたと、一緒になりたい。もうそれしか望まない。だから、ダイキくん。お願い」


 彼女の口元が三日月のように歪む。

 夜闇に包まれた河川敷の下で、まるで誓いの言葉を綴るように、彼女は俺に呼びかける。




 一 緒 に 死 ノ ウ ?




【 《ダイキ》 から 《離れろ》 ! 】


 夜空に響く言霊。

 白い閃光が瞬くと同時に、見えない力によって相手は吹き飛ばされる。


「ダイくん! 大丈夫!? しっかりして!」


 腰を抜かして倒れ込む俺をレンが受け止める。

 眼前にはルカの後ろ姿。

 俺を守るように立ち塞がる。


「ルカ……」

「ダイキ。もうわかってるでしょ? 私の言霊が……。スズナの中にいる存在を『敵』と見なした。この意味がわかるでしょ?」

「……」

「大谷清香は……もう怪異になってる!」

「っ!?」


 突きつけられる事実に歯がみする。


「そんな……どうして……どうして!」


 思い描いていた未来とは異なる結果を前に、心が理解を拒む。


「清香、さん……」


 言霊の力によって向こう側へ吹っ飛ばされた彼女を見やる。

 強力な霊術をその身に浴びたにも関わらず、彼女は平然とそこに立っていた。


「ふふふ……アハハハ……」


 嗤っている。

 おぞましい闇色の瘴気を放ちながら、ソレは嗤っている。


「邪魔をしないでよ……私とダイキくんは向こうで幸せになるの。永遠に……誰にも邪魔されることなく……」


 衝撃によって髪留めのリボンが外れたのか、彼女のツーテールがほどける。

 シャイニーブロンドの長い髪が広がり、風に従って揺れる。


「いいわよ……望み通り、なってあげるわ……この世を憎み、呪いを撒き散らし、欲望のままにヒトを襲う……バケモノに!」


 赤く発光する瞳。

 闇の気配が密度を増す。

 心臓を鷲掴みにされるような悪寒。

 ああ、なんてことだ……。

 本当に、本当に彼女は……。


 もう認めるしかない。

 清香さんは……俺たち人間の敵になった。

 この空間は、完全に怪異の領域となった。


「見てダイキくん……私、こんなこともできるわよ?」


 彼女の長い髪が、風に逆らうように蠢く。

 伸びる。ただでさえ長い髪が、さらに伸びてく。

 異様なまでの長さに伸びた髪が、まるで毛の一本一本が意思を持つように、触手のごとく逆巻いていく。

 人外へと変質していくその様子を、横にいるレンが「ひっ」と悲鳴を上げる。


「やめて……やめてよ! スズちゃんがスズちゃんでなくなっちゃう!」


 仲間の見た目が化け物となっていく。

 とても耐えられる光景ではない。


「清香さん……スズナちゃん……くっ! ちくしょう……ちくしょう!」


 ……もう、やるしかない。

 憑依されたスズナちゃんの体を取り戻すには……もう清香さんを、倒すしかない!


「ダイキは連れていかせない。スズナの体もこれ以上、好き勝手にさせない!」


 声に怒りを滲ませてルカが叫ぶ。


「来い、紅糸繰べにしぐれ。スズナに取り憑く怪異を、払い……うっ、かはっ!」

「ルカ!? どうしたの!?」


 専用の霊装を取り出そうとしたルカだったが、とつぜん茂みに倒れ込む。

 レンが慌てて駆け寄り、ルカを抱き起こす。


「やだ。すごい熱……ルカ、しっかりして!」

「はぁ、はぁ……」

「ルカ!」


 もともと風邪で体調が悪かったルカの様態が、ここへきて悪化する。

 ただでさえ霊術を使うにはその身に宿る霊力だけでなく、体力も使う。

 さっきの言霊を唱えたところで、すでに限界だったのか。

 消耗しきったルカは、苦しげに呼吸を繰り返している。


「あらあら。頼みの綱であるルカちゃんが使い物にならないみたいね?」

「くっ……なめ、ないで……これくらいのことで……私はっ……!」


 相手の挑発で奮起したルカが、再び手を前にかざす。


「紅糸繰!」


 ルカの指先から紅色に光る糸が標的に向かって伸びる。

 霊力を帯びた複数の糸は、そのまま標的を捕らえるはずだったが……。


「……あはは。ざんね~ん」


 シャイニーブロンドの髪が鞭のようにしなり、紅糸繰を弾く。


「いまは私のほうが強いみたい」


 そんな!

 霊力の差で、ルカが押し負けただと!?

 なんてことだ。

 いまのルカはそこまで弱体化してしまっているのか!?


「くっ……もう、一度……」

「ルカ!? ダメよ! そんな体でこれ以上霊力を使ったら!」

「でも、このままじゃ、スズナが……くぅ……」


 レンの注意も聞かず、再度霊装を仕掛けようとするルカだったが、その右手は上がることなく地面に落ちた。


「……俺がやる」

「ダイくん!?」


 懐から切り札であるお札を取り出す。

 霊力の無い人間でも使用できる一回限りのお札。

 ルカが戦えない以上、いま清香さんを除霊できる手段はこれしかない。


「無茶だよダイくん!」

「やるしかないんだ。俺の……俺の責任なんだ。俺のせいでこんなことになったんだ」


 あの夜、スズナちゃんに清香さんが取り憑いているとわかった時点で、迷わずこのお札を使うべきだったんだ。

 そうすれば……少なくとも清香さんの魂が穢れることはなかった。

 スズナちゃんが危機に瀕することもなかった。

 だから……。


「俺が必ず助ける。この命に替えても、スズナちゃんを取り戻す!」

「で、でも、そのお札はルカのお母さんが造った貴重なものなんでしょ!? 一度使ったら、もう代わりはないんでしょ!?」

「いま使わないで、いつ使うんだ!」


 お札を握りしめて、駆け出す。

 迷っている時間はない。

 一刻も早く、スズナちゃんを助け出す!


「ダイくん!」

「レン! ルカを頼む!」


 レンの静止の声を振り切って走り出す。

 チャンスは一度きり。

 対象にお札を貼りつけ、起動条件となる言葉を発せば、お札の中に込められたルカの母の霊力が発動し、除霊できるはずだ。


「ああ、ダイキくん嬉しいわ。あなたのほうから来てくれるなんて……でも、乱暴なのはだーめ。大人しくしなさい。お姉さんが優しく抱きしめてあげるから」


 長く伸びる髪が蛇のように蠢き、俺の体を捕らえようとする。


「くっ!」


 変則的に襲ってくる触手状の群れ。

 ……だが気配を感じ取れば躱せる。

 ほぼ動物的な本能で、この身を絡め取ろうとする髪の包囲網をくぐり抜けていく。


「っ!? すごい……すごいわダイキくん! ああっ、なんてかっこいいの。あなたってやっぱり素敵……」


 ウットリと恍惚しながらも、彼女の猛攻はやまない。

 さらに髪の量が増え、隙間を埋めるように襲ってくる。


 長期戦は不利だ。

 距離を縮めろ。

 最短で辿り着け。

 込み上がる恐怖は誤魔化せ。

 このままスズナちゃんを失う恐怖に比べれば、何てことないだろ。

 走れ。足を動かせ!


「うおおおおお!」

「っ!?」


 跳躍によって彼我の距離を埋める。

 相手はすでに間近に。

 手に持ったお札を張り手の要領で前に突き出す。


 ……許してください、清香さん。

 あなたがこれ以上、人を脅かす存在になる前に、せめて俺の手で……。


「……忘れてないかな、ダイキくん?」

「あっ……」


 ガクン、と膝から力が抜ける。

 筋肉が弛緩し、立っていることもままならない。


 甘い香りがする。

 嗅ぐだけで意識が遠のき、どんどん脱力していく、この香りは……。


「そう。私には……この力がある」

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