スズナへの違和感


 黄瀬財閥の令嬢である黄瀬スズナは、本来ならば俺たちのような庶民ではお近づきになれないほど別世界に住む生粋のお嬢様である。

 原作では、父親が『呪いの絵画』の影響でおかしくなり、それまで慈善活動をしていた彼が独善的で滅茶苦茶な事業を興し始めたことで『機関』が動き出す。

 人類社会の秩序を守ることを目的とする『機関』としては財界に莫大な影響をもたらす黄瀬財閥の暴走を見過ごすことはできなかった。

 しかし、どの霊能力者を送り込んでも原因がわからない。どれだけ霊視しても霊的存在の気配は感じ取れず、呪術的な仕掛けも見つからなかった。

 結果、強力な言霊使いであるルカに依頼が持ちかけられ、それがスズナちゃんとの出会いのキッカケとなる。


 ……ちなみに『呪いの絵画』の正体は霊的なものではない。絵の具そのものに混ざり込んだ謎の微生物が原因だった。

 原作の解説によれば、隕石にくっついていた微生物が地中に留まり、それが絵の具の原料として採取されてしまった。

 この微生物が含まれた絵の具によって描かれた絵は、たびたび絵の形が変わったり、夜な夜な発光するなどして、人々から恐れられてきた。


 怪談話として知れ渡るこの現象は、宇宙に帰りたがっている微生物が視覚情報で人間を洗脳するための手段だ。

 色彩が人の五感に作用するのは有名な話だが、この微生物はそこを巧みに利用した。サイケデリックに変動する色彩と光波は、見る者の精神に悪影響を与え、最終的にヤツらの意のままに動く駒にされてしまう。

 スズナちゃんの父親が『呪いの絵画』に魅了されたのも、微生物たちが財閥の主である彼の力を使って宇宙に帰還する手段を探していたからだ。


 怪異ではなく生き物。

 ゆえに退治の仕方はシンプルだ。要はなるべく絵を見ないで、物理的に燃やせばいい。

 だがもちろんヤツらも黙ってやられるわけがないので、屋敷の人間たちを操って妨害されたし、絵画本体が異形の怪物として変形して激しい戦闘になった。

 最終的に何とか原作通り絵画を燃やし、微生物も退治できたが……あの微生物が含まれた絵画はまだどこかに存在しているかもしれない。

 原作でも「もしも美術館や展示会で異様に目を惹かれる絵に出会ったら、気をつけたほうがいい。その絵にはもしかしたら……」と後味の悪い終わり方で締められる。


 とはいえ任務は完遂した。スズナちゃんのお父さんは無事に正気を取り戻したし、謝礼として今後は全面的に怪異関連のサポートをすると言ってくれた。

 そして事の顛末を見ていたスズナちゃんは、この一件ですっかりルカの虜となり、わざわざお嬢様学校から俺たちの学園に転校してくるのだ。


 ずっとセレブに囲まれて育ってきたスズナちゃん。

 言うなればマジモンの箱入りお嬢様である。

 そんな彼女にとって庶民の学園生活や暮らしは、毎日が驚きの連続だった。


『放課後の寄り道……実は憧れていたんです! 以前の学園ではすぐに習い事で帰宅していたので! あ、ばあや! 迎えの車はあとで! 今日は皆さんと寄り道をして参りますので! ええ、それはもうたくさん寄り道を! うふふ♪』

『これがコンビニストア……感激です! 噂には聞いておりましたが、こんな小さなお店ひとつにこんなにも多種多様な品揃えがあるだなんて! まるで夢のような光景ですね! はっ!? も、もしやこれがカップ麺というものですか!? 私、是非食べてみたいです! イートイン? え? こちらでお食事もできてしまうのですか!? なんと画期的な! スズナ、感動しました!』

『ドリンクバー? ええっ!? こんなにお安い金額で飲み物が飲み放題なのですか!? な、何かのミスでは!? そ、そうなのですか。元を取れるほうが珍しいのですか……。はわわ、メロンソーダにコーラっ。ほ、本物です。ゴクリ……つ、ついにこの禁断の飲み物を口にするときが来たのですね。ああ、天国のお母様、スズナはついに初体験を迎えます! え? 誤解されるようなことを叫ばないでほしい? ほえ?』


 という具合に、かなり天然気味な世間知らずのお嬢様であるスズナちゃんだが、意外にもお料理上手という家庭的な一面がある。

 特にお茶を振る舞うのが好きなようで、部室でもわざわざ実家から送ってもらった紅茶を淹れてくれる。

 ……もちろん、庶民ではとても手の届かない超高級品だ。レンが「もう二度と普通のティーパックに戻れないね私たち……」と虚ろな目で言っていた姿が忘れられない。

 すっかり肥えてしまった舌でうま過ぎる紅茶が飲める幸せな日々。卒業後の紅茶ロスがとても怖いです。


 振る舞いと雰囲気の時点で育ちの良さが窺える、高貴な気品を持つスズナちゃん。そんな彼女がいるだけで庶民の家もたちまち良家の屋敷にいるかのような錯覚をしてしまいがちなのが常なのだが……。


「ダイキさん! もう少々お待ちください! あとちょっとでお料理できますからね!」


 しかし、なぜだろう。

 いま俺の家のキッチンで鼻歌を奏でながら料理をするスズナちゃんから感じるのは、どちらかというと慣れ親しんだ「庶民らしさ」なのである。

 うまくは言えないが……一般家庭のキッチンに手慣れているというか、調理道具や食器の配置を勘で把握しているというか。

 調理する手つきも何だか違う。

 この間、キリカが住むマンションの部屋で打ち上げをしたときもキッチンでサンドイッチを用意してくれたのだが、具材やパンをスライスする姿すらも優雅さを感じた。

 しかし、いま俺の家で料理をするスズナちゃんの挙動は……極一般的な女の子のような動きだった。

 我ながら変なところを気にしすぎているとは思うが……どうも先ほどから言葉にしがたい違和感が拭えないのである。


 ……これはやはり、両親が不在の家でスズナちゃんと二人きりになってしまったことで俺が動揺しているせいだろうか?

 う~む、やはり冷静に考えてこの状況は良くないよな。

 体調が優れない俺のことを心配してくれるのはありがたいが、恋人同士でもない年頃の男女が同じ屋根の下で一夜を共にするというのは……。


「あ、あのさスズナちゃん! せっかくだし良かったらルカも呼ばない? 三人でお泊まりしたほうがきっと楽しいと思うぞ?」


 何とか気まずい空気を打破すべく、そんな提案をしてみる。

 我ながらグッドアイディアだ。

 ルカが混ざればきっといつも通りの調子になって楽しいお泊まり会になるはずだ。

 しかし……。


「いけませんよダイキさん。ルカさん風邪で調子が悪いんですから、ゆっくりお家で休ませてあげましょう?」

「……うん、そうだな」


 またしても違和感。

 いつものスズナちゃんなら「まあ! それは素敵な提案ですね! ルカさんの看病もできますし一石二鳥です!」と言うと思ったが。

 いや、そもそも、あのスズナちゃんが風邪で体調を崩したルカよりも俺を優先していることが何だか不自然だった。

 確かに帰宅時ではフラフラの状態で、ルカよりも俺のほうが重体な様子だったが……いまは不思議と昼間に感じた気怠さはない。

 正直、看病は不要なくらい回復している。なのでこのままスズナちゃんに「隣のルカの家に行ってそっちに泊まったら?」と持ちかけたほうがいいとは思うのだが……。


「……あのさ、スズナちゃん」

「はい、もうすぐできあがりますからね」

「いや、そうじゃなくて、俺もうそんなに具合悪くないからルカのところに……」


 芳しい香りが鼻腔を突く。

 料理の匂いではない。

 まただ。またあのいい香りだ。

 この香りを嗅ぐと、何だか細かいことがどうでもよくなってくる。


「……? どうかしましたかダイキさん?」

「あ、いや、何だっけ? 何か言おうとしたんだけど……思い出せないからいいや」


 ……まあ、いいか。

 せっかく可愛い女の子が手料理を振る舞ってくれるんだ。

 素直にこのシチュエーションを満喫しようじゃないか。

 見ろ、制服の上に薄桃色のエプロンを着た愛らしいスズナちゃんの姿を。

 眼福じゃないか。じっくりと目に焼き付けておこう。


「お待たせしました! どうぞ召し上がってくださいダイキさん!」


 料理が運ばれる。

 おいしそうな生姜焼き定食だった。

 スズナちゃんが作るにしては、やはり庶民的なメニューだと思った。

 しかし生粋の庶民である俺にとってこの上ないご馳走である。

 一気に食欲が湧いてきた。


「いただきます。あむ……うまい!」

「本当ですか!? ふふふ♪ 嬉しいです♪」

「ああ、これは箸が進むよ。やっぱりスズナちゃんは料理がうまいな」


 こんなにもうまい料理、毎日でも食べたいくらいだ。

 程よくタレが絡んだ豚肉と白米をハフハフとかき込んでいく。


「ふふ……良かった。男の子に手料理で喜んでもらえる夢、叶っちゃった……」

「え?」

「あ、いえ、何でも! まだおかわりありますから、遠慮なく言ってくださいね?」

「あ、ああ……」


 ……何だろう。

 やっぱり今日のスズナちゃん、少し変だな。

 ときどきだが、まるで見知らぬ他人と一緒にいるような気分になる。

 だがそんな違和感も……またもや、部屋に漂ういい香りによって掻き消されてしまうのだった。

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