神罰

「イ、イヤダァ……消エタクナイィ……モット、モットハヤトくんノ傍にィ……」


 生霊は、少年ハヤトから完全に切り離された。

 形を維持できなくなった生霊が、ヘドロのように溶けていく。


「ドウシテ……ドウシテナノヨォ……両思いしか結ばれない『おまじない』とか……どこが恋の『おまじない』よぉ! 片思いの恋も叶えろよおおお!」


 もはや悪態をつくことしかできないのか、液状になりつつ狭間祈の生霊は『おまじない』の内容に対して怨み言をのたまう。


「ふざけんなよぉ、アカガミよぉ! テメェ! 神様ならよぉ! あたしの恋をいますぐ叶えやがれってんだぁ! カナエばっか贔屓してんじゃねぇよぉ!」

「っ!? いけない!」

「え?」

「ダイキ! 皆瀬さんの目と耳を塞いで!」


 切羽詰まった様子のルカが、声を張り上げる。


 ……ゾクリ、と潜在的な恐怖が引きずり出される。

 反射的に俺は皆瀬さんの元へ駆けた。

 まさか……まさかまさかまさか!


「来る……」


 空間が揺らぐ。

 骨の髄まで軋むような、強大な気配を感じ取る。


「本物の……【アカガミ様】が来る!」


 夜空が、裂けた。

 そう形容するしかない現状が、この場に起こる。


「は?」


 一瞬だった。

 狭間祈の生霊は、裂けた空間から伸びた巨大な腕によって……どこぞへと連れて行かれた。


 ……惨劇が始まった。


「黒野さん!?」

「見るな!」


 急いで皆瀬さんの前に立ち、視界を塞ぐ。


『ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!?』


 空間の裂け目から、おぞましい悲鳴が零れ出る。


「ひっ!?」

「ダメだ皆瀬さん! 見ちゃいけない! 聞いちゃいけない!」


 壁となりつつ、皆瀬さんの耳を塞ぐ。

 数珠やお札を持っていない皆瀬さんに、背後の光景を見せるわけにも、聞かせるわけにもいかない。

 一瞬で発狂してしまう。

 いま、俺たちの後ろで起きているのは……。


 正真正銘の、神罰なのだから。


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!! 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!』


 刃物で肉が削ぎ落とされるような音。

 剥き出しにされた肉を炎で炙るような音。


 ……ああ、そうか。そこは、噂どおりということなのか。

 【アカガミ様】の怒りを買った者は……全身を切り刻まれ、血まみれで真っ赤にされた後、最後に火炙りによって焼き殺される……。

 狭間祈は、あろうことか【アカガミ様】をけなした。敬うこともせず、無茶な要求をした上、神が結んだ縁にケチを付けた。


『ヒギャアアアアアアアアアア! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!! 調子に乗りすぎました! あたしが愚かだったです! だから許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して!!!』


 ……無理だ。止められない。

 神の名を騙り、神の縁結びを邪魔しただけでも大罪だというのに……狭間祈は、神をも愚弄した。

 もはや、試練など関係ない。

 神の静観は終わった。

 慈悲などない。

 狭間祈は、もう救われない……。


『ダズゲデェェェ……ナンデェ……ナンデェヨォォォ……アダジハ、タダ、スキナヒトト……結バレタカッタ、ダケナノニィ……』


 悲痛な怨嗟を最後に……裂け目は閉じられた。






 静寂が戻る。

 草木から虫のささやかな鳴き声が聞こえてきたことで、ようやく怪異による悪夢が終わったことを実感する。


「んっ……んんぅ」

「ハヤトくん!?」

「カナエ? ……俺……」


 皆瀬さんに膝枕されていた少年ハヤトも、やっと意識を取り戻す。


「ここは……俺は、いままで何を……」

「大丈夫。もう、大丈夫だよ」


 皆瀬さんは涙を流しながら、恋人の手を握る。

 見たところ、もう生霊による影響はないようだ。


「カナエ……」

「何?」

「俺、ずっと暗いところにいた気がするんだ……でも、カナエの声が聞こえた。声を頼りに走っていたら……光が見えた」

「そっか……」

「……なあ、よく覚えてないけど……俺、ずっとお前に酷いことを……」

「いいの。もう、いいのハヤトくん。全部、終わったから……」


 若き恋人たちが、月に照らされながら、視線を交わし合う。

 そこには、誰にも立ち入ることができない、二人だけの世界ができあがっていた。


「……ううん、終わったわけじゃないね。ここから……ここから、始めないといけないんだ、私たちは」

「え?」

「ハヤトくん……一緒に、背負っていこう。この運命を……一緒に、乗り越えていこう」


 神の試練は終わった。

 だが二人には神による『誓約』が残っている。

 【アカガミ様】によって結ばれた二人は、決して別れてはいけない。

 そう。二人の本当の試練は、ここからなのだ。


 でも……。

 俺は信じたい。

 この二人なら、その試練を乗り越えていけると。


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