決戦

「させるかああああああ!!」

「なにっ!?」


 空間を歪める赤黒い斬撃。

 狭間祈の生霊を拘束していた糸が一瞬のうちに切り刻まれてしまった。


 バカな! 両腕は拘束されていたはず!

 ……原因にすぐ気づく。

 狭間祈の生霊の腕が、倍に増えていた。

 新たに生やした腕の鉤爪を使って、『紅糸繰』の拘束を解いたのだ。


「くそっ! マジでバケモノになる気か!? ヒトに戻れなくなるぞ!?」


 あれ以上の変異を繰り返せば、生霊といえど怪異の領域に足を踏み入れてしまう。

 そうなったら、本体である肉体もただでは済まない。

 早いところ決着をつけなければ、取り返しのつかないことになる。


「死ねええええ!!」


 四本と化した凶手が俺たちに迫る。

 鞭のように変幻自在に軌道を変えながら、俺たちの急所を狙って鉤爪が振り下ろされる。


【 《紅糸繰》 よ 《鎌》 と 《成れ》 】


「なっ!?」


 だが、弾かれる。

 紅色の一閃が、四本の凶手を薙ぎ払った。


「な、なんだ!? なんだその鎌は!?」


 狭間祈の生霊が瞠目する。先ほどまで自らを拘束していた糸が、形を変えていることに。


 霊力によって束ねられ、固定された糸。

 何層にも重なり、巻き付いた糸は、ひとつの武器として形を得ていた。


 それは、紅色の大鎌であった。

 『紅糸繰』はその特性上、ワイヤーのように拘束具としても移動手段にも使えるが、これこそがルカの霊装の真髄。

 糸の性質を利用し、自在に形を変え、あらゆる武器に変形させることができる。


 これはその形態の内のひとつ。


 『紅糸繰』──第一形態『三日月』。


 ルカが最も愛用している武装だ。


 黒地のブレザー服を着た美少女と大鎌。

 一見すると不釣り合いな組み合わせだ。

 実際、非力な少女がふるえるような代物ではない。

 だが問題はない。

 霊能力者は己の肉体に霊力を込めることで身体能力と動体視力を何倍にも向上させることができる。

 ルカが四本もの凶手を一撃で薙ぎ払えたのも、そのためだ。


 言霊を使うことだけがルカの戦い方ではない。

 あらゆる状況に応じて、彼女は戦闘スタイルを切り替えることができる。

 ……だが、それは怪異や霊能力者に限っての話だ。


「は、はは、物騒なもの出しやがって……だったらこれでどう!? 一般人もその鎌でぶった斬れるかしらぁ!?」


 悪知恵とはこのことだ。

 狭間祈の生霊は気絶していたサッカー部員たちを再び操り、壁にし始めた。

 なんてことを。

 よりによって無関係の一般人たちを盾にするなんて。


 実際、これによってルカの『紅糸繰』は効力を発揮できなくなった。

 ルカの大鎌に、光り輝く紋章のようなものが浮かび上がり、警告音が鳴り出す。

 漢字の『禁』を連想させる模様……これはルカの母によってかけられた『禁呪』だ。

 一般人には決して攻撃できない。霊装『紅糸繰』にはその制限が設けられている。

 この『禁呪』がある限り、ルカはどんな人間に対しても『紅糸繰』を使うことはできない。

 霊力による身体強化も同様だ。

 ルカの母にとって、人間とは守るべき対象だった。

 その守るべき対象に霊能力を行使してはならないと、ルカの母は固く禁じ、こうして死後も効力が続くまじないをかけたのだ。

 ゆえにルカは一般人の前では、ただの非力な少女となってしまう。


 ……なるほど。俺の知らない原作では、ここでルカと皆瀬さんがサッカー部員たちに襲われるところだったのだろう。

 だが、そうはさせない。


「俺の存在を忘れてねぇか? せいやあああっ!」

「ぐっ!?」


 何度立ちはだかろうと、人間相手なら俺がすべて対処する。

 密集して襲ってくるサッカー部員たちを再び投げ飛ばしていく。


「くそっ! なら、お前から先に始末してやる!」


 俺を放置することのほうが厄介だと判断したか、生霊の鉤爪が飛来してくる。

 瞬時に、紅色の一閃が俺を凶手から救った。


「ダイキは、私が守る」

「ち、ちくしょうがああああ!!」


 ルカと背中合わせになって、構えを取る。

 人間は俺が。

 怪異はルカが。

 いつものフォーメーションだ。

 どれだけ卑怯な手を使おうと無駄だ。

 この数年、俺たちはずっとこうして力を合わせて怪異の脅威から生き延びてきた。

 この布陣を、簡単に崩せると思うな。


「……皆瀬さん! 走れ! 道は俺たちが作る!」


 迫り来るサッカー部員たちをあしらいながら、皆瀬さんに呼びかける。


「彼のもとへ向かって。そして伝えて。あなたの気持ちを、【アカガミ様】に示して」


 異形の攻撃を捌きながらルカが言う。

 怒り狂った生霊は、いまやルカと俺たちにしか意識が向いていない。

 チャンスは今しかない。

 注意は俺たちが引きつける。

 絶対に彼女を、恋人のもとへ辿り着かせてみせる!


「……黒野さん、白鐘さん……はいっ!」


 意を決した少女が駆け出す。


「ハヤトくん……ハヤトくんっ!」


 涙の尾を引きながら、少女は真っ直ぐ走る。


「たくさん、あるの。あなたに伝えたいことが。もっと、もっとあなたと思い出を作りたいから……だから!」


 あと少し。あと少しで、少女の手が、少年に届く。

 その僅かのところで……。


「カァァァナァァエエエエエエ!!」


 生霊が皆瀬さんの存在に気づく。

 舌を異様なほどに伸ばし、槍のように鋭くして、皆瀬さんを狙う!

 まずい!


【 《紅糸繰》 よ 《壁》 と 《成れ》 】


「ギィィ!!」


 だが間に合った。

 隙間なく密集した糸の壁──『紅糸繰』第二形態『満月』が皆瀬さんを守る盾となった。


「おのれぇ……がああああ」


 防壁はすぐに形を変え、生霊を拘束する縄となる。

 先ほどの拘束とは異なる、もはや膜で包むように、厳重に。


「今度は、絶対に逃がさない」

「むっ、があああ!!」


 口元にも糸を巻き付かせる。

 これで動きは完全に封じられた。


「ハヤトくん!」


 皆瀬さんは無事に恋人のもとへ辿り着いた。


「ハヤトくん! 私、来たよ! 目を覚まして! 一緒に、一緒に帰ろう!?」

「うぅ……カ、ナエ……」

「……ごめんなさい。気づいてあげられなくて。ハヤトくんも、ずっと苦しかったんだね? 私、自分のことばっかりで……でも、もう大丈夫だよ? 私が、絶対に助けるから」


 穏やかな笑顔を浮かべて、皆瀬さんは少年ハヤトの頬を優しく包む。


『ハハハハ! カナエ! アンタに何ができるっていうの!? 何をしても落ちこぼれのアンタが! ハヤトくんを救えるとでも本気で思ってるのかよおおお!』


 口を封じられているにも関わらず、生霊から声が上がる。

 これは……念話か!?

 言葉責めで皆瀬さんの意思を削ぐ作戦のつもりらしい。

 くそっ! どこまで性根が腐っているんだ!


『アンタなんか顔が良いことしか取り柄がないじゃない! 落ちこぼれのアンタがどれだけ頑張ったところで周りに迷惑かけるのがオチなのよ! ハヤトくんだってアンタと一緒になったって後悔するだけよ! アンタが足を引っ張って夢の邪魔をする未来がありありと見えるもの! 本気でハヤトくんの幸せを考えるなら、とっとと別れ……』

「もう黙って」

『……あ?』

「あなたにハヤトくんの幸せを語る資格なんてない」


 皆瀬さんは鋭い目線で、かつて親友だった生霊を睨めつける。

 悪意に満ちた言葉にも、彼女は動じていない。その瞳には、これまでにない意思の光が宿っている。


「私、ずっと祈ちゃんは頑張り屋さんな良い子だと思ってた……でも、違った。何でも自分の思い通りにならないとダダをこねて、自分よりも下の存在を作らないと満足できない……子どもなんだね。そうしないと人と関われないんだ。イジメられていた私なんかよりも、ずっと可哀相だよ」

『なっ……なんですってぇ!? カナエのくせに、何を偉そうに! あたしが、どれだけアンタの面倒見てきたと思ってるんだ!?』

「そうだね。いつもフォローしてくれたね。……でも、それはただ優越感に浸りたいだけだったんだよね?」

『くっ……』

「……本心はどうあれ、サッカー部のマネージャーになることを勧めてくれたのは、感謝してるよ。おかげで、ハヤトくんと仲良くなれた」

『ヤ、ヤメロ……』

「ハヤトくんを好きになったのは、確かに祈ちゃんのほうが早かった。思い続けてきた歳月には勝てない……でも、ハヤトくんと積み重ねてきた時間は、私のほうが多い」

『ヤメロオオオオ!!』


 生霊の様子が変わる。

 皆瀬さんの言葉に動揺するたび、形が崩れていく。

 それに合わせて、少年ハヤトの背中から赤黒い粘液が切り離されていく。


「もう友達ゴッコはおしまい。私はこれからも、ハヤトくんと生きていく。あなたの指図なんか受けない。こんな形でしか好きな人に関われないあなたなんかに、私たちの邪魔はさせない!」

『ナ、ナンダヨォ……カナエのくせに、ナンデ、ナンデそんな……ダメよ……アンタはあたしよりも下じゃなきゃ……下じゃなきゃいけないのにぃぃ!』


 生霊の輪郭がどんどん崩壊していく。

 ずっと下に見ていた皆瀬さんの思わぬ強さの前に、狭間祈が萎縮している。

 その影響か、生霊として、存在の維持ができなくなっているようだ。


「あっ……カナエ……」

『っ!? ハヤトくん! いやっ! あたしを拒まないで!』


 少年ハヤトの意識も、徐々に回復の兆しを見せている。

 効いている。

 皆瀬さんの言葉が、決意が、恋人を思う強い心が、邪悪な存在を遠ざけている。


「ハヤトくん。大丈夫、きっとやり直せるよ。もう一度一緒に、夢を追いかけよう? 私がずっと、あなたを支えるから」

『あ、ああ……ヤメテ……見セナイデ……絆の深さを、見セナイデ……入れない……間に挟まれなくなる!』

「あなたが挟める隙間なんて、最初からどこにもない。いい加減、ハヤトくんから離れて!」

『うわあああああああああああああああ!!!』


 断末魔のような叫びが上がる。

 勝てない。

 もはや狭間祈では、皆瀬カナエの心を折ることはできない。

 一方的な、押しつけがましい劣情まがいの感情が、真実の愛に敵うはずがない。


「……ハヤトくん。お互い、勇気があれば、こんな『おまじない』に頼る必要はなかったんだね」

『ヤメテ……ヤメテエエエエ!』

「もう一度、始めよう? ここから、私たちの本当の恋を……だから、ちゃんと伝えます」

『イヤアアアアアアアア!!』

「ハヤトくん。あなたが、好きです。大好きです」


 ブツリと、邪悪な縁が、切れた。

 そう感じ取れる音を、確かに聞いた。


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