決意



   * * *



 役割はすでに決まっている。

 俺とルカは狭間祈の生霊と相対し、皆瀬さんを守る。

 キリカとアイシャは生霊の本体である狭間祈の自宅に向かっている。

 そして、つい先ほどその二人から連絡が来た。


 交渉は決裂したと。


 ……やはり、狭間祈は生霊の存在を自覚した上で、使役していたんだ。

 一般的に生霊とは、生きている人間の強い怨みや情念が霊魂として体外に出てしまう現象のことだが……今回の生霊の場合、完全に本体とは独立した分身として活動している。

 あまりにも強すぎる情念は、ときとして霊的なもう一人の自分を生み出すことがある。

 そしてタチの悪いことに、狭間祈はその生霊を駒のように使い、皆瀬さんを間接的に殺害しようと企んでいる。

 夕方に俺たちの捜査を意図的に止めようとしたのは計画の邪魔をされたくなかったからだ。

 決して生霊の暴走ではない。狭間祈は最初から皆瀬さんを殺すつもりで、あの生霊を使っていた。


 可能ならば話し合いで狭間祈を説得させるつもりだったが……どうやら、それは叶わなかったらしい。

 生霊の力で皆瀬さんを殺す……狭間祈のその意思は揺らがないらしい。

 恐らく今頃キリカとアイシャは、狭間祈から強制的に生霊を切り離す儀式を始めたところだろう。


 しかし……それほどまでに、狭間祈が抱える怨みや、皆瀬さんへの嫉妬が根深かったということか。


「くそっ! くそっ! どいつもこいつもあたしの邪魔をしやがってよぉ! 何であたしの思い通りにならねぇんだよ! ムカツクんだよ! いままでは何もかも、うまく回ってたのに! あたしを中心にして回ってたのに! なんでなんでなんでどいつもこいつもカナエばっかりに味方すんだよおおおおお!!」

「あなた、もう黙って。耳障りよ」

「なっ!?」


 狂乱する狭間祈の生霊に、ルカは冷ややかな眼差しを向けて、指先を標的に定めた。


【 《紅糸繰べにしぐれ》 よ 《生霊》 を 《捕らえよ》 】


 ルカの言霊を合図に、指先から紅く光る筋がいくつも飛び交う。

 それらは瞬く間に、狭間祈の生霊を拘束した。


「なっ!? なんだコレ!? 糸!?」


 紅く光る無数の糸。それらが巻き付き、生霊の動きを止める。

 無論、ただの糸ではない。

 ルカの霊力を帯びた、特殊な糸だ。


 霊装れいそう紅糸繰べにしぐれ』──ルカやキリカ、アイシャといった霊能力者たちには、それぞれ霊装れいそうと呼ばれる専用の装備がある。

 キリカの場合は、ご神木によって造られた木刀を本人の足りない霊力を補うための補助具として使い、アイシャのようにベテランの能力者ともなれば、術式が刻まれたロザリオから戦闘に特化した武装を展開し、純粋な攻撃手段として用いている。


 そしてルカの『紅糸繰』は、彼女の言霊の効力をより強める補助具であると同時に、攻撃手段としても使える万能の霊装だ。

 高い霊力を持つルカであっても、ときには彼女の言霊を拒絶するような強敵がどうしても現れる。『紅糸繰』はそんなときに役立つ。

 糸電話を連想するとわかりやすい。糸は振動を伝える。その原理と同じだ。

 霊力が込められた糸に言霊を流し込む。こうすることにより、通常よりも霊力が増幅された状態で言霊は標的に向かう。

 これが一本、二本、三本と加われば、より効果は強まる。

 また『紅糸繰』はルカの意思で自在に動かせ、物理的な攻撃手段としても、いまのように捕縛手段としても使える。

 ……亡き母の形見でもある、ルカの専用霊装。これによって、ルカはいくつもの強敵に打ち勝ってきた。


 ……だが、今回ばかりは勝手が違う。


「ルカ。念のために聞いておくが……神の力の断片を持っていても、相手が生霊なら言霊が使えるんじゃないか?」

「残念だけど、それはできない。狭間祈の生霊自体に大した霊力はない……でも集まった神力の欠片が多すぎる。あれだけ神力が集まっている以上、もう【アカガミ様】の一部も同然。それに言霊を使うことは、間接的に【アカガミ様】に意見したことになって、神罰が降る」

「そうか……融通が利かないな、神様ってのは」


 まるでヤクザだな。

 末端の部下であってもソイツに喧嘩を売ることは組に喧嘩を売ったも同然ということか。

 そうなると、こちらから攻撃を加えるのも危険ということだろう。

 操られている人間に対する攻撃は問題なさそうだが、生霊に対しては拘束で動きを封じ、向こうの攻撃を防ぐのが関の山といったところか。


「なら……やっぱりになるってコトか」

「そういうこと……彼を救えるのは、皆瀬さんしかいない」

「え?」


 思わぬところで自分の名を言われたことで、皆瀬さんは驚いた顔を浮かべる。


「皆瀬さん。私たちはあくまで手伝いにきただけ。危機から守ることはできるけど……恋人を救うのは、皆瀬さん、あなた自身よ」

「わ、私が? で、でも私、そんな特別な力なんて……」

「特別な力は必要ない。最初に伝えたとおり。……思いの丈を、彼にぶつけて。そうすれば、変化が現れるはずだから」

「そ、そんなこと言われても……」

「やるしかないの。【アカガミ様】も……きっとあなたの覚悟を見たがっている」

「え?」

「ああして神の名を騙って、神の縁結びを切ろうとしている愚か者がいるにも関わらず【アカガミ様】は静観している……つまり、これはあなたに与えられた試練。取り憑かれた恋人を取り戻すことができるか。きっと【アカガミ様】は、それを見たがっている」


 ルカの言葉に、皆瀬さんは呆然とするばかりだった。

 まさか、自分にすべてが委ねられているとは思いもしなかったのだろう。


「私が、ハヤトくんを……で、でも、私なんかの言葉で、本当にハヤトくんを助けられるかどうか……」

「あなたの言葉じゃないと意味がないの。だって……彼はずっと待っている。あなたの呼びかけを」

「え?」

「よく見て。彼は、ずっと抗っている。戦っている。いまこのときも、ずっと」


 ルカに言われ、皆瀬さんは向こう側で蹲る恋人に意識を向けた。


「……ぐっ……カナエっ……俺、は……ヤメ、ロ……これ以上、カナエを、傷つけるなッ!」

「っ!? ハヤトくん!」


 皆瀬さんは見た。

 生霊に取り憑かれながらも、自我を取り戻すべく必死に抗っている恋人の姿を。


 そうだ、彼の意識は消えていない。

 皆瀬さんが恋した相手は、完全に生霊に屈するようなヤワな男ではなかった。

 ずっと、ずっと戦っていたのだ。

 愛した少女を守るため。

 それも、断片的なものとはいえ……神の力を相手に!


「ああ、ダメよハヤトくぅん。あたしを拒んじゃダメ~。あなたは、もうあたしのもの。たとえ死んでもあなたの魂を離したりしない! 永遠にあたしの操り人形になるのよ!」

「うわあああああ!」

「ハヤトくんっ!」


 赤黒い霊力が少年ハヤトの体を覆う。

 苦悶の表情がより強まる。

 いけない。あれ以上は彼の命が危険だ!


「ルカ!」

「わかってる」


 ルカもいよいよ状況が危ういと判断してか、皆瀬さんに厳しめの目線を投げる。


「……皆瀬さん。アレを見ても、まだ平気でいられるの?」

「っ!?」


 ルカの言葉に、困惑するばかりだった皆瀬さんの顔つきが、変わる。


「好きなんでしょ? 彼の夢を支えるんでしょ? だったら……取り戻しなさい! あなた自身で! あなたの恋人を!」

「私、が……」

「あなたが始めた『おまじない』でしょ? なら、最後まで向き合いなさい!」


 珍しく声を荒らげるルカに驚く。

 個人的に、何か皆瀬さんに思うところがあったのか。

 皆瀬さんが決意を固めることを、強く願っているように見えた。


「……」


 ルカのその思いが通じたのかわからない。

 だが、もうそこに気弱な表情をした少女はいなかった。

 皆瀬さんは腰を上げ、まっすぐに少年ハヤトのほうを見据える。


「……待ってて、ハヤトくん。絶対に……助けるから!」


 最愛の恋人を救い出すため、覚悟を固めた女の顔が、そこにはあった。


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