悪夢

「どんな理由があろうと、お前のやっていることは許されない。それも神のフリをしての行いだ。どんな報いがあるか、わかったものじゃないぞ? 覚悟はあるんだろうな?」

「はんっ! アンタに何ができるっていうのよ!? 思い知るがいいわ! 恋が報われなかったあたしたちの怨みをね!」


 祈の叫びを合図にするように、空き地に無数の足音が聞こえてくる。

 いくつもの人影……それは、カナエの見知った者たちだった。


「サッカー部の皆!? どうして、ここに……」


 ちょうど部活帰りだったのか、ジャージ姿の部員たちが、ゾロゾロとやってくる。

 様子がおかしい。

 まるで夢遊病者のように、目線が安定しておらず、フラフラと歩いている。


「カナエ、気づいていた? ここにいる全員、アンタとヤリたいってアンタを欲望の目で見てた連中よ? アンタのその無駄に育った胸が気になって練習にならないってね。きゃはは、マネージャーとして面倒見てあげなさいよ。その男を煽ってやまないハレンチな体を使ってさぁ!」

「ひっ!?」


 カナエは気づく。

 サッカー部員たちの虚ろな目が、だんだんと肉欲の色に染まっていくのを。

 全員がカナエの中学生らしからぬ発育した肢体を舐め回すように見ている。


「……皆瀬さん……ずっと、好きだった……」

「ハヤトばっかり、ズルイよな……」

「どうせ、ヤリまくってるんだろ……俺たちも、楽しませてくれよ……」


 心許なかった少年たちの足取りが、とつぜん狩りをする獣のように早くなる。

 全員がカナエの体を狙って駆けてくる。

 女として本能的な恐怖がカナエの総身に走り抜ける。


「い、いやっ! 皆どうしたの!? 正気に戻って!」

「無駄よ! あたしの力に逆らうことなんてできないわ! せいぜい楽しませてやりなさいカナエ! 好きでもない男たちに犯される苦しみを味わうといいわ!」

「いやああああ!」


 カナエに迫る欲望にまみれた無数の手。

 しかし、それが届くことはなかった。


「おおおおおお!」

「……え?」

「……は?」


 雄叫びと共に、吹き飛ぶサッカー部の少年たち。

 空を切る轟音。立て続けに巻き起こる拳風と鋭い蹴り。カナエを目がけて駆けてくる部員たちが、次々と向こう側へ飛ばされていく。


「一応加減はした。頼むから、そのまま気絶していてくれ。お前たちの選手生命を奪いたくない」


 凜然と構えを取るダイキが、そう厳かに言った。


「く、黒野さん」

「安心しろ皆瀬さん。人間相手なら俺は誰にも負けない。君には指一本触れさせない」


 絶対の自信が込められた宣言。

 決して大言壮語ではない。

 その言葉を裏付ける修羅場を彼は何度もくぐり抜けてきた。

 そう確信させるほどの迫力と覇気が、ダイキの鍛え抜かれた肉体からほとばしっていた。


「な、何よアンタ!? いったい何者よ!?」

「見ての通り、ちょっと喧嘩に自信のあるただの一般人だ」

「ふざけんな! くそっ! 眠ってんじゃないわよお前たち! 数で押し切れば、こんなヤツ!」


 祈のかけ声で、再びサッカー部員たちが立ち上がる。

 白目を剥いている辺り、意識は無い。

 それにも関わらず見えない力によって、無理やり動かされている。

 完全に生きた人形として操られていた。


「ちっ。そう都合よくいかないか」


 再び向かってくる少年たちを、ダイキはまたもや華麗にいなしていく。

 できる限り大きな怪我が残らないよう最大限配慮した一撃を食らわせながら、カナエから離れた距離まで投げ飛ばしていく。


「すごい……」


 その光景に、カナエは思わず見入ってしまっていた。

 人間とは、こんな動きができるのか?

 いったいどれほどの鍛錬を積めば、これほどの超人染みた身体能力を得られるのだろう。


 カナエには想像もつかない。

 この異様な身体能力が、単純に『死にたくない』という生存本能による産物であることを。

 できる限り怪異の魔の手から生き抜くためにも、せめて肉体面では万全を整える。

 その一心によって鍛え抜かれた肉体。

 聞きようによっては情けない動機ではある。

 だが……結果として黒野大輝は、人間に限って無双を発揮するほどの武力を得た。

 日々激しい練習に励むサッカー部員たちの身体能力も中学生としては優れているが……それでもダイキの積み重ねてきた歳月には敵わない。


 宣告通り、カナエに指一本触れさせることはなかった。

 ……あくまで人間相手に限っては。


「うらああああああ!!」

「っ!?」


 業を煮やしたか。祈の手が、まるで鉤爪のように伸びる。

 異形そのものと化した手を、さらにロープのように伸ばし、鋭い爪を振り上げる。


「こうなったらテメェをカナエごと八つ裂きにしてやるよ!」


 迫り来る死。

 親友と信じた相手の凶手にかかろうとしている間際、カナエは己の命以上に、自分を守って戦ってくれるダイキへ意識を投げた。


「黒野さん! 逃げて!」


 いくら鍛え抜かれた体でも、異形の一撃ばかりは受けきれないだろう。


 やめて。

 これ以上、自分のせいで誰かが傷つくのは見たくない!

 必死の思いでダイキに呼びかけるカナエだったが……。


「大丈夫だ」


 少年の声は、驚くほどに落ち着いていた。


「俺たちには──ルカがいる」


 夜空に瞬くひと筋の光。

 異形の鉤爪は、一瞬にして弾かれた。


「あ……」


 カナエは見た。

 銀色の月を背に佇む、銀色の髪の少女の姿を。


 綺麗だ。

 思わず、目の前の危機も忘れて見入ってしまうほどに、少女は美しかった。


「さあ」


 透き通るような少女の声が、決して大きくはない静かな声が、混沌と化したこの場に不思議なほどに広く響いた。

 まるで福音をもたらすように、天の使いが救済の唄を奏でるように、少女は言葉をのせる。


「──悪夢を、終わらせましょう」



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