ソフィア・カラー

 秤位遊戯ノブレシラーが終わると、一時の歓談が設けられた。

 パーティーのメインは秤位遊戯ノブレシラーでもなければダンスでもない。顔を広げ、縁を作り、関係値を深める―――そういった貴族らしいやり取りこそが、パーティーでのメインだ。

 この度の主役はもちろん秤位遊戯ノブレシラーに勝利したサクなどではなく、主催者であり新たな歳を迎えたソフィアだ。

 余興が終わるなり一斉に貴族が押し寄せ、息をつく暇もなかったという。


 サクはそんなソフィアを遠巻きで見守っていたのだが、やはりあの『才女』に勝ってしまったからか、貴族達からの関心が寄せられ、続々と声をかけられてしまった。

 話す相手は全員が上にいる存在、下手なことを言えばロイスやカルラにも迷惑がかかっているため、発言一つも慎重に選ばないといけない。

 そんな気が抜けない時間がかれこれ小一時間は続き、げっそりしてしまったサク。

 今は―――


「くそぅ……視線だけで人が殺せたらどれだけいいことか……ッ!」


 などと、猟奇的な考えをしていた。

 現在、歓談も終わり最後の催しであるダンスが会場では行われていた。

 ピアノとバイオリン、その他の楽器を手にした侯爵家お抱えの楽団が心地よくも美しい音色を奏で、中央の開けた場所では貴族の面々が音に合わせ見事なダンスを魅せている。


 一曲目、二曲目と続き、今は三曲目。

 変わらず美しい曲を奏でている間、サクはバルコニー前の隅にてその光景を眺めていた。


(いや、本当にマジで……俺に魔法が使えたら、この会場に叩き込んでやるんだが!!!)


 どうしてサクがここまで猟奇的な発想に至っているか? それは単純に、サクの隣に想い人の存在がいないからだ。

 ―――カルラは、天使と見紛うほどの少女である。

 爵位など関係ない、男であれば誰もが手を取って一度ダンスを踊ってみたいと思うほど。

 更に、カルラを想う男は多い。ならばこの機会に―――そう思い、ダンスに誘う男は当然いるわけで。


(あの男、お嬢とあんなに密着しやがって……暗殺術を極めたら喉元にフォークを……!)


 というわけで、サクが熊をも射貫かん目でダンスを見ているのはそういう理由である。本当のところは自分が誘いたいのだが、一介の執事が主人と踊れるわけもなし。

 今「こ、断りきれないから……流石に、行ってくるね?」と言い残しサクの下を離れたカルラは、よく知らない爵位が上の人間と踊っていた。

 嫉妬に駆られないわけがない―――この気持ち、どうしてくれようか? そんなことを思っていると―――


「サク、楽しんでいますか?」


 サクの下に、白銀の髪を揺らしながらワイングラスを片手に一人の少女がやって来る。


「この顔を見て楽しんでいるように見えるのなら、ソフィア様の目はかなりお疲れのようですね」

「ふふっ、それは失礼いたしました」


 侯爵令嬢に対してなんてことを言うんだ。そう思うかもしれないが、今のサクにはそこまでの態度を見せる余裕はあまりなかった。

 それに、ソフィア自身がそこまで嫌そうな顔をしていない……つまりは、別に気にされていないということなのだと、サクは感じていた。

 といっても、貴族に対して感じて実行できるメンタルは流石の一言だが。


「ですが許してください。こればかりは仕方のないことですから」

「ぬぐ……まぁ、分かってますけど」


 ふくれっ面を見せるサクに、ソフィアは思わず笑ってしまう。


「そこまで好かれているとは、カルラは幸せ者ですね……どうりで専属執事の話を断られてしまうわけです」


 ―――サクは勝者となり、主催者から与えられた褒美。

 それは、ソフィアの『専属執事になる』ということであった。

 侯爵家の執事ともなれば、子爵家の執事に比べ待遇もいい。周囲から見られる目も変わり、そこらの平民よりか遥かに優雅に暮らせるだろう。


 しかし、サクはその褒美を断った。

 本来なら、貴族から……上の人間から与えられる褒美を断るのは不敬、更には秤位遊戯ノブレシラー七か条を破ることになるため断れないはず。

 だが、サクは断りなんの罰も受けず立っている。

 つまり―――


「……分かっていてその褒美にしたくせに、白々しいですね」

「ふふっ、なんのことでしょうか?」

「俺がお嬢の下から離れたくないって知っていて、正当な理由を与えるためにあえてその褒美にしたのでしょう?」


 主人の下から離れたくない。それは正当な理由に成り得る。

 本当のところはサクがカルラという人間を好いており、チェカルディ家から離れたくないという一個人の理由ではあるが、それは傍目からは分からない。

 故に周囲の人間は「チェカルディ家にそれ相応の忠義があるから」と。そういう解釈をしてしまうのだ。

 忠義がある場所を無理矢理離すのは褒美などではなく、両家に軋轢を生んでしまう要因になり得る。

 だからこそ、断っても誰にも文句は言われない。

 ———ソフィアはそれを理解しているからこそ、そのような褒美にしたのだとサクは思っている。


「まぁ、そうですね。サクは私からの褒美など別にほしそうではありませんでしたから、この方があなたも楽かと思いまして」

「……感謝しますよ、ソフィア様」

「ですが、下心もちゃんとあったのですよ?」


 ソフィアがサクに近寄り、背伸びをして顔を覗き込む。

 端麗で、美しくもあどけない顔立ち。透き通った眼と桜の口がサクの眼前に迫る。

 カルラではないはずなのに……あまりにも美しい少女に、サクは頬を紅潮させてしまう。


「あなたに興味を持ちました」

「……はい?」

「私、本当に今まで秤位遊戯ノブレシラーで負けたことがなかったのですよ? 知力に長けているという自信も、誰にも引けは取らない腕っ節もあると思っていましたのに……負けてしまいました」


 頬を膨らませ、悔しそうな顔を見せる。

 普段のお淑やかな雰囲気とは違い、その顔は年相応の女の子のよう。


 そうでもないですよ、そんな言葉がサクの喉から出かかる。

 しかし、先程「謙遜するな」と言われたばかり。それに、今の場では気を遣う必要もないだろう。


「ははっ、そりゃそうでしょうよ───」


 そう思ったサクはニヤリ、と。悔しそうなソフィアに笑った。


「俺はいずれお嬢に好かれる男だ。たかがに、この俺が負けるわけがねぇだろ?」

「……へぇ」


 敬語も忘れ、挑発的な言葉を発した。

 流石にここまでいけば不敬だと言われるのか? しかし、ソフィアは———


「本当に、面白い殿方ですね……」


 その口元を、綻ばせた。


(まさかこの私を一人の女の子として扱うなんて……ましてや、サクは平民だというのに)


 ソフィアという少女は、長年『才女』と言われ続けてきた。

 才能があるのは認める。侯爵家という立場や容姿に優れていることも要因の一つだろうが、そのせいで周囲の人間から常に持ち上げられてきた。

 そして、誰一人として『ソフィア・カラー』という女の子としては扱ってくれることはなかったのだ。

 だが、目の前にいる男はどうだ? 容姿や能力、立場など気にせず……真っ直ぐ、自分を一人の女の子として見てくれている。


(……本当に、この殿方は)


 単に初めて負かされたから気にしていた。

 しかし、そんなことを言われてしまえば単純な興味から外れてしまうしかないではないか―――


「サク、私と一曲踊りませんか?」

「は? 何言ってんっすか? 俺はダンスなんて踊れないですし、そもそもこんな平民と踊れば変な目で見られるでしょうに」


 ソフィアにダンスを申し込む男は多いはず。

 それなのに曲が流れている今、ここにいるということは多くの申し出を断ってきたということだ。

 それを差し置いて平民の自分が……などということになれば変な目で見られてしまい、誘った人間から文句も挙がってしまうだろう。


「あなたは秤位遊戯ノブレシラーの勝者ですよ? ならば、主催者の私と踊ることになんら問題はありません」

「普通に問題あると思いますけどね? 知力に長けたソフィア様が知らないわけもないでしょうし、そこのところいかがでしょーか?」

「ならば、バルコニーで踊りましょう。ここなら、曲が流れている間は誰にも見られませんから。悲しいことに、サクに負かされてしまうほどの知力を持ち合わせていない私には、残念ながらこれしか思いつきません」

「いや、踊らないという選択肢を選びましょうよ? 俺はお嬢と踊ってるやつに邪念を飛ばすのに忙し―――」

「ふふっ、女の子のお誘いを断るのは、あまり男らしくありませんよ?」

「あ、ちょっ!? はな、っ……離して!? 現在進行形で首が絞まってますから!」


 ソフィアはサクの襟首を掴み、そのままバルコニーまで引き摺っていく。

 抵抗をしようとしたサクだが、あまりの力に引き摺られるがまま。こんな華奢な体にもかかわらず、どうしてこんなにも逆らえないほどの力があるのだろうか?

 サク、男としての尊厳プライドと首が傷つきそうだった。


(にしても、どうして俺と踊りたいのかねぇ……ッ!)


 そんなことを思いながら、サクの視界から徐々にカルラの姿が遠ざかっていった。


 ───一つ、ここで面白い話がある。

 カルラという少女もあるが、ソフィアはこれまでの人生で一度も

 別に、ダンスを申し込むのは男だけではない。その逆も普通に存在する。

 そして、ダンスを異性に申し込むということは———


(カルラ……あなたがモタモタしていると、私がもらってしまいますよ?)


 バルコニーに出たソフィアは月明かりに照らされ、幻想的と口にしてしまうほど美しく映った。

 その時のソフィアの頬には赤みが差し、熱の篭もった瞳が浮かんでいた。

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