第7話 アパート

 仕事を始めて、約一ヶ月が経った。

 日勤と夜勤の交互で生活リズムは未だにつかめないままだが、仕事内容はもうほぼ頭に入った。


「お疲れさん。三連休ゆっくり休みな」

「はい。お疲れさまでした」


 弦川と別れて、着替えて、煙草を吸いに行く。これが半ば帰り際のルーティン化していた。

 夜勤の日だと、同じく勤務上がりの加苅と流川によく会う。


「そういえば、日比谷君の家はどの辺りなの?」


 今日も流川がいた。いつもと違うのは加苅がいない点。二人はセットか、加苅が先に居て後から流川が来る。

 今日はどうやら、加苅の方が忙しくまだ仕事が終わっていないらしい。


「岩原です」

「あー、もしかしてレオパルズ?」

「そうです」

「そこ、多分だけど弦川さんも住んでるわよ。別に同じ系列のアパートあったらゴメンだけど」


 思い返せば、弦川と住んでいる場所の話をしたことがなかった。


「でも、弦川さんと一度も会ったことないです」

「あの人車で通勤してるから、もしかしたら出勤時間が微妙に違うのかも」


 雑談をしながら一頻り煙草を満喫したら退勤する。

 そうすれば念願の三連休だ。とはいえ、休み初日の今日は、朝の七時半まで拘束されていたから実質半休のようなものだが。


「食料と、トイレットペーパーと、洗剤……」


 帰り際、スマホのメモを頼りにスーパーに寄って買い物をする。

 家に辿り着けば、風呂に入って軽食を摂って軽く寝に入る。夜にちゃんと眠れるように、十二時にアラームをかけておく。

 長時間の夜勤明けともなれば、沈むように入眠できた。


「なーにしよ」


 三度目のアラームで漸く起きて、外に出る予定もないためパジャマのまま動画サイトを漁る。本当なら何かをしたいところだが、昼過ぎから何かをする気力も沸かない。洗濯物、とも思ったが、天気も曇りなため明日の自分に託した。


(暇だ)


 SNSを見ると、東京やらそこ付近で生活している友人たちは定期的に集まったりしているようだ。そこと距離を置くようになってしまったのは他の誰でもなく自分なのだが、キラキラしていて見ると精神がゴリゴリと削られていくような感覚に陥る。

 画面を消してスマホを置いて、テレビに切り替える。


『明日は雨の予報です』

「……失敗したな」


 テレビキャスターは淡々と関東の天気を教えてくれる。

 つい三十分前の自分の判断が明らかな失敗だったと気づいてため息が出る。こういった気分が明るくない時は、嫌なことが重なっておきがちだ。

 気を晴らすために適当にペペロンチーノを作って食べ、ベランダへと顔を出す。


「……」


 いざ外に出ても何があるわけでもない。ベランダの縁に肘を置いて、ただぼんやりと外に眺める。寒いのは寒いが、今部屋に戻っても考えがどんどんネガティブな方向に進みそうで仕方がない。


「……日比谷か?」

「弦川さん」



 声がした方を向けば、隣の部屋のベランダに居たのは弦川だった。

 弦川も同じ様に軽く上半身をベランダの縁に預けている。


「黄昏てんのか?」

「まあ、はい。軽いホームシック、みたいな感じになっちゃって」


 自分でそう口にしてから、ああ、と納得がいった。

 全く違う業種、初めての一人暮らし、親しい知人がいない。そういったところから来る不安に名前がついて少し気が楽になったような気がした。


「俺の部屋来るか」

「良いんですか?」

「鍋食おうと思ってたんだ。いつも余らすから、お前が食ってくれれば丁度いい」


 部屋へと戻って、服を着替えてから弦川の部屋へとお邪魔した。

 生活に必要なものが最低限置いてあるような、物が少ないシンプルな部屋。一個気になるのは猫用の雑貨が多いところだった。猫じゃらし系のおもちゃや、猫用のご飯等。


「……猫飼ってるんですか?」

「大家には許可取ってるから大丈夫だ。……猫好きか?」

「まあ」


 仕切りのようになっているドアをガラガラと開けると、向こうには長毛種の猫が猫用ベッドの上で毛づくろいをしていた。


「ナァン」


 と鳴く声は、大分しゃがれている。優雅な見た目からは想像できない声だ。


「種類は何なんですか?」

「アメリカンカールとラグドールのミックス。名前はネコ美」

「ネコ美……」


 傍まで歩み寄って、手の甲を近づける。クンクンと匂いを嗅いだ後に、向こうから手の甲に額を擦り付けてくる。


「可愛いだろ」

「可愛いですね。人懐っこい」


 暫く喉元を撫でてやれば、ネコ美は簡単にへそを見せてくれる。そこであることに気づいた。


「……ネコ美ちゃん、男の子ですか?」

「ああ」

「何でネコ美に?」

「綺麗なネコだからネコ美だ」


 ネーミングセンスに思うところがないわけではないが、毛が長いながらに毛玉などが全くなく、肉球周辺の毛が切りそろえられている辺り、かなり大事にされているというのは見て取れる。


「鍋が出来るまで遊んでてやってくれ。……辛いモンは食えるか?」

「激辛料理とかじゃなければ、多分」

「キムチ鍋作るから」


 彼の作った鍋は良くも悪くも豪快な男料理といった感じだ。白菜、肉、白滝といった主力メンバーを入れた後に、ポーションタイプのキムチ鍋のもとを二個入れて完成。それと米。


「お酒は飲むんですか?」


 机の上に鍋を置いて、二人で挟むように座布団に座る。

 夕飯には少し早い時間帯だが、外に出て冷えていた身体にはありがたい。


「俺は酒弱いから基本飲まん」

「え」

「酒、弱い」


 そう断言してくるあたり、かなり言われてきたのだろうか。

 彫が深めの顔立ちや声質、喫煙者であることも相まって、酒が飲めそうという偏見が勝手にあった。


「勝手に好きそうかなって思ってました」

「全然んなことない。ほら、さっさと食うぞ」


 二人でつついた鍋は、久々の人との食事ということもあって特別美味しく感じられた。

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