第3話 喫煙所

 まあまあな力仕事ではあるが、同じ作業の繰り返し。作業内容を覚えること自体はそこまで苦労せずに済みそうでありがたい。しかし、三十分前後の空き時間がそれなりに発生する中で十二時間働くのは暇疲れが尋常ではない。まだ二日目で、と最初こそ思っていたが欠伸が漏れ出てしまう。

 そんな様子を見て、弦川が横で笑いを零した。


「眠くなるよなぁ。朝ははえーし、勤務時間はなげーし。飯も食ったらもう駄目だよな」


 弦川は何かをパソコンに入力する作業をしているが、本来は社員がやる仕事だから覚えなくていいと言う。やることがない以上、作業自体はしなくとも知識として教えてもらうだけ教えてもらいたいものだ。

 彼の作業をじっと眺めていても、並んでいる数字の意味さえ分からない。


「うし。俺ちょっと煙草吸って来る」


 入力作業を終えた弦川は立ち上がる。


「お前さんも休憩に入っていいぞ」


 作業の終了時間が表示されているテレビ画面に寄れば、まだニ十分は裁断作業が終わらない。喫煙所の距離にも寄るが、充分吸いに行けそうな時間はある。


「喫煙所に行くなら、俺も着いて行って良いですか?」

「……お前さん煙草吸うのか?」


 頷けば、弦川は目を瞬かせた。


「そんな意外ですか?」

「酒、煙草、ギャンブルなんかとは無縁そうな好青年に見えるからな」


 アルコールに弱い体質なのもあって酒は滅多に飲まないし、ギャンブルにも手を出したことはない。煙草だけは、父親の影響で吸い始めた。


「それなりに吸いますよ」

「へぇ、そうかい。ちょうどいいや、暇だし案内してやるよ。着いて来な」


 建物を一旦出て、左手に曲がって五分程度行ったところに小さなプレハブのような建物がある。扉には『喫煙所』の文字が書かれたプレートが下げられている。


「ここだ」


 引き戸を開けて建物内に入る。壁沿いにぐるっと椅子が設置されていて、部屋の中央に二つ吸い殻が設置されている。広くはないが、煙草を吸うだけなら可もなく不可もなくといったような建物だ。


「あんま溜まり過ぎると怒られっから、四人以上来たら戻るくらいの感じの方が良いかもな」

「怒られるとかあるんですね」

「サボりだと思われるからな。……規定内なら休んでんも良いと思うんだが」


 ルールとしては、一回の勤務での休憩時間は九十分となっている。

 担当部署にも寄るが、基本一人一台機械を担当して各々商品を作っている。その為、機械ごとの性能の違いやトラブルの有無なんかで皆一遍に休憩を取るというのはまずない職場だ。休むタイミングも人それぞれ。休める時間は担当する機械の機嫌にも寄ってくる。


「普通に休んでるだけなのに、世知辛いよな」


 お互い適当な位置に座って煙草に火をつける。煙を吸い込めば、体中に苦みが広がる。それのおかげで眠気が覚める。


「随分重たいの吸ってるんだな」

「父親が吸ってたのをそのまま真似て吸ってるんです」


 周りに喫煙者が父親しかおらず、同年代の友人なんかは「煙草なんて」という立場の人が多かった。当然煙草の話なんて出ることもないし、喫煙所に居る赤の他人が吸っている煙草を見ても試してみようなんていう気が起きることもない。


「あぁ、親父さんの影響か」


 そうでもなきゃ最近の子は吸わねぇか、と弦川はぼやくように呟いた。


「弦川さんはキッカケなんでしたか?」

「俺は映画だな。好きな映画の主人公が喫煙者で吸いたくなっちまったわけだ。今より煙草に寛容だったってのもあるけどな」


 弦川が吸っている煙草は、あまり馴染みのないものだった。


「それ、どこで買ってるんですか?」

「俺ん家の最寄り駅に煙草屋があんだ。そこでいつも買ってる。吸ってみるか?」

「良いんですか?」


 一本貰って、火をつける。いつものと違う煙草、というだけで少し高揚感と緊張感がある。一口吸えば、肺の中に煙が広がる感覚。甘いバニラのフレーバーが鼻を抜けていく。肺に染みて、脳を痺れさせる。


「……美味しいですね」

「だろう?  俺は甘いモンが好きなんでね、こういうのを良く吸うんだ。お前さんが吸ってるようなのは吸えない」


 そう言うと彼は自分の口から煙を吹き出す。その仕草が妙に様になっていて思わず見惚れてしまった。

 彼が煙草を吸うようになったきっかけも、きっとこんな感覚だったのだろう。


「どうした?」

「いえ……」


 慌てて視線を外す。まさかこの年になって、こんなことでときめくことがあるとは思わなかった。


「……そろそろ戻るか」

「あ、はい」


 火を消して、二人で持ち場へと戻る。

 暇を持て余しながらも、初の十二時間勤務を終わらせた。


「お疲れさん。気を付けて帰んな」

「弦川さんはまだ帰らないんですか?」

「俺はこの後引継ぎしなきゃならねぇから」


 お疲れさまでした、と一礼すれば、弦川は手を振って返してくれた。

 退勤を切ってから着替えて、電車で帰る。帰り道の途中でスーパーに寄り、夕飯の総菜を買う。流石に十二時間勤務開けに夕食を一から作る気力が湧かないからだ。

 


 


 

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