第8話 美神の正体、アーシャとの酒盛り

「綾乃、いや、美神。まあ、ここに座れよ」

 俺は美神を室内に導くと、ソファに並んで座った。もう付き合っているわけではないので、やや改まって、名字みょうじを呼ぶことにした。

「美神、アミ(合衆国)へ帰ったんじゃなかったのか?」

 しかし、美神は答えず、相変わらず曖昧な微笑ほほえみを浮かべている。

「どうした美神。やつらに何かされたのか? 俺が分かるか? 大星だよ、大星夕之介。お前に振られたマヌケ男だよ」

 俺は美神の記憶を呼び戻そうと話しかけながら、美神の顔を至近距離から見た。髪は記憶にあるのより長い気がするが、美神に間違いない。左ほほのやや下側に黒子ほくろがあるのが、動かぬ証拠だ。

「美神なんだろ?」

「私はマリリンです。さあ、しましょうね」

 マリリンは立ち上がり、上着を脱ごうとした。

「ちょ、ちょっと待った!」

 俺も立ち上がり、マリリンの手を取って座らせようとしたが、振りほどこうとする。

「そう慌てるなよ。待てって言ってるだろ!」

 つい声を荒げてしまった。


 その時、ドアが開いてアーシャが入ってきた。

「おい! またノックを忘れたな。今取り込み中だ。出ていってくれ」

 俺がそう言った途端、マリリンは気を失ったように、ソファの上に仰向けに倒れ込んだ。

「美神、どうした! 大丈夫か?」

「大丈夫です、大星さん。一時停止させただけですから」

「一時停止だと!」

「はい。私が遠隔操作したんです」


「私、言いましたよね。マリリンは人型ロボットです。美神とかいう人ではありません」

「でも、あまりに美神に似ている。第一、ロボットを設計した人、いや人じゃないか……、それはどうでもいい。ロボットの設計者が、美神の容姿を知っているはずがない。だとしたら、どうやって美神に生き写しのロボットが作れるんだ?」

「それは、たぶんこうだと思います。あなたの記憶は、すべてコピー・保存されています。私たちに保護された人間は全員、眠っている間に記憶をコピーし保存したんです」

「眠っている間に、そんなことをしていたのか。しかも、本人に無断で……」

「はい。それで、マリリンが相手をするのがあなただと決まってから、マリリンの設計者が、顔や体の設計を修正したのだと思います。あなたの記憶の中で最も強烈な印象が焼き付いている女性の姿に似せて」

「俺は、記憶の中まで覗き見されたのか。ひどい話だな」

「マリリンが、少しでもあなたに好まれるようにとの配慮です」

「左頬の黒子まで再現するとは、ずいぶん芸が細かいな」

「それは、必ずしもそうではないようです」

「どういうことだ? もったいぶらずに言えよ」

「設計者は、人間の作った映画が好きで、中でもマリリン・モローとかいう俳優がお気に入りだそうです。そのマリリン・モローの左頬には黒子があったそうですね」

「そういえば美神は、自分はマリリン・モローと同じ場所に黒子があると言っていたな」


「話は分かったよ。ただ、お前、俺とマリリンのやり取りを聞いていたな?」

「はい、そうです。それが何か?」

「記憶の中も含めて、すべては、お前たちに常時監視されているということだな」

「はい、そうです」

「やってらんねぇな……。アーシャ、そのシャンパンを開けて、グラスに注いでくれ。グラス2つにだぞ」

「かしこまりました」


 どこで覚えたのか、ワインクーラーからボトルを取り出したアーシャは、器用に栓を抜き、フルート型のグラス2つを満たした。

「あの、念のためにお伺いします。一つのグラスは、大星さんがお飲みになるのだと思いますが、もう一つは誰が飲みますか?」

「聞くまでもないだろ? マリリンだよ。酒で景気づけでもしなけりゃ、やってらんねぇっての」

「お言葉ですが、それはお止めください」

「なんでだぃ。あんたたちご自慢の高性能人型ロボットなんだろ? 酒ぐらい飲むだろう。まあ、飲んでも酔わないかもしれねぇがな」

「それがですね……」

「おい、アーシャ。お前、もったいぶるのが悪い癖だぞ。ハッキリ言えよ」

「すみません。実は、マリリンの口は、食道につながっています」

「当たり前だ。ロボットにしては上出来じょうできだぜ。それで?」

「食道の先は……」

「胃と腸だろ?」

「実は、そうではないんです」

「じゃあ、何だ? もったいぶるなって」

「あの、食道は『精液格納保存容器』に繋がっています」

「精液格納保存容器だと?」

「はい、そうです。ですから、アルコール飲料を飲むと、精液中の精子に悪影響が及んでしまいます」

「俺はてっきり、精液を貯めるのは、下の方の穴だけかと思ったがな。口も、とは恐れ入ったぜ」

「あと、肛門も同様です」

「はー! これはすげぇな。そうすると、耳の穴もか?」

「耳の穴は違います。人間同様、集音装置に繋がっています」

「だよな」


「では、私は退出しまして、マリリンを再起動させます」

「ちょっと待った!」

「まだ何か?」

「マリリンが飲めないなら、アーシャ、お前が代わりに飲めよ」

「え? 私がですか?」

「お前も飲めないのか?」

「いえ、必ずしも飲めないわけではありません」

「どっちなんだよ」

「では、飲みます」

「そうこなくちゃ」

 俺は、グラスの一つを、アーシャに渡した。いったいどうやって飲むのか、興味津々しんしんだった。


「では、乾杯!」

「いただきます」

 俺は、グラスを一気に飲み干し、アーシャを見守った。

 アーシャの上部の一部が、直径5cmくらいの円形に開き、そこから上向きのロート状機器が顔を出した。アーシャは、グラスの半分くらいのシャンパンを、そこに注いだ。

「へー、そうやって飲むんだ」

「そうなんです。でも、酒を飲むだけではありませんよ。本来は、液体の分析に使う機器なんです」

「味は分かるのか?」

「はい、すぐ物質を分析し、人間の味覚に関するデータベースと照合するので、美味しいと分かります」

「なるほどね。アーシャも酔っぱらうのか?」

「アルコールの含有量はすぐに分りますので、人間が酔うだろうということは容易に分かります」

「アーシャ自身は、酔わないんだな?」

「はい、そうです」

「詰まらねぇな」

「人間が酔っぱらった時の動作を真似ることはできます」

「お! いいね。やってもらおうか。だが、まだ飲みが足らねぇぞ。どんどん飲めよ」

「あまりたくさんは飲めません」

「ははあ、小便を気にしているな? お前、飲んだものは、どうやって出すんだ?」

「それは秘密です」

「野暮なこと聞いちまったな。お詫びのしるしに、いでやるよ。あれ? もうからだ。シャンパンもう1本追加! いや、面倒くさいから、5本くらい持ってこいや。モロキューもな」


 マリリンそっちのけで、俺とアーシャの酒盛りが続いた。


「大星さん、そろそろお酒は止めにして、マリリンと愛を囁いて下さい」

「ぬぁんだとー。愛を囁くだー? ロボットのくせして、しゃらくせぇこと言うやつだな。アーシャ!」

「困ったな」

「困るこたぁ、ねえよ。さあ、飲めよ。あれ? モロキュー食ったか?」

「こんなに酒癖が悪い人だとは……」

「そうだよ。自慢じゃねぇが、俺は酒と女で失敗したんだ。ん? おめぇ、ぜんぜん酔ってねぇじゃないか。飲みが足らねぇんだよ」

「お酒の強要はよくありませんよ」

「いくら飲んでも、酔わねぇんだろ? じゃあ、強要しても問題なかろう」

「変な理屈ですね。とにかく、今夜はマリリンとセックスしていただきます!」

「もう、モノが役に立たねぇよ。今夜はダメだ」

「だから、言ったのにぃ」


 俺はそのまま、ソファで眠ってしまった。朝起きた時にはマリリンの姿がなかったから、アーシャが連れ帰ったのだろう。

 アーシャと飲んでいるあいだ、ファンたちの真の目的を知ろうと何回か探りを入れたり、鎌をかけたりしたが、酔うことのないアーシャからは、何も聞き出せなかった。

《続く》

 

 

 

 

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