第171話 お出かけ

 劇場の灯りが落ち、赤く重厚な幕が上がる。劇の始まりだ。

 どうやら、彼女が考えた...その、プランの始まりは演劇鑑賞のようである。


 華々しい衣装に身を包んだ役者たちが大げさな身振りで演じ始めるのを眺めながらも、やはりどうも劇に集中できそうになかった。


 直ぐ隣に座るサラを盗み見てしまう。チラチラと少女を見ては顔を赤らめる少年は、傍から見れば年相応の純真なものに見えるだろうか。

 しかし実際はどうだ。


 俺は多くを殺した大罪人だ。こんな風に生きる資格なんてない。けれど、何時も喧しく俺を責める罪の意識は何故か口を結んでいた。


 冷静になれない。冷や水をぶっ掛けられたところで冷めそうにもない熱が全身に回ってしまっている。

 嬉しい、楽しい、なんて感情を許されているはずがないのに。


 彼女の横顔はやはり美しかった。可愛らしくて、何度目を逸らしても気付いたらまた見ていた。

 幸いな事に、彼女は目を輝かせて劇に集中している。俺の様子に気付く事はないだろう。しかしそれすらも純粋に喜べない俺は一体なんなのか。


『竜よ!悪しき竜よ!』


 そんな俺を他所に、劇は変わらず進行してゆく。

 未練がましくサラに纏わりつこうとする視線を強引に劇上へと向けた。


 五感の全てがサラに向かっていたので気付きもしなかったが、何やら既視感のある物語だ。

 雪を模した紙吹雪の中、眼帯を付けた役者が剣を掲げている。その先には竜らしき模型と、それを動かす人影。

 竜殺しの物語。もしかしなくとも、俺をモチーフにした物語だ。

 俺達が英雄として持ち上げられているのは知っていたが、まさか劇にされるなんて思いもしなかった。


「...なんか」


 似てないな、と心の中で溢す。

 顔立ちが整い過ぎているし、俺より高身長だし、表情も自信に満ち溢れている。

 しかしあれが人々にとっての英雄像なのだろう。まぁ、誰も竜殺しの英雄が罪悪感に塗れた卑屈な少年だとは思うまい。


 ともかく、あの役者は俺より遥かに美化されている。

 けど、あんな風に誇らしげであれたら、と思わなくも無かった。


「フフッ、似てないね」


 舞台上に向けていた視線をこちらに向けながら、彼女はまた花が咲いたような笑みを浮かべた。無邪気で可愛らしい、どうしようもなく魅力的な笑みを。


 だがその目はやや不満げにも見えた。彼女はその唇を不服そうに尖らせなら俺を眺めて、


「――うん、君の方がかっこいい」

「っ...!?」


(だぁもう、止めてくれよほんと...っ!)


 危うく変な声が飛び出る所だった。

 元から早かった心拍数が限界突破して暴れ始める。顔が火傷しそうなくらい赤くなって、思考まで熱に染まってしまう。


 あぁ、本当に止めてくれ。

 勘違いしちゃうじゃないか。何よりも重い筈の罪さえも全く意中に入らないじゃないか。確かに君を守ると誓ったけれど。そういうことじゃないんだ。


 真っ赤に染まった顔のまま、動揺に震える瞳のままに彼女の姿を再び見てしまう。もしかしたら、偶然口から飛び出した言葉なのかもしれない。俺を混乱させる言葉は、特に意識せずに放たれたのかもしれない。


「クソ、頼むよ...」


 彼女の目線は劇上に戻っていた。しかし、先程と同じとは言うまい。彼女もまた、顔を真っ赤にして頭を震わせていた。

 なんでだよ。そんな気取った事言っといて、なんで君が恥ずかしそうにしてるんだ。止めてくれよ、俺の事を意識してるみたいじゃないか。

 そんな顔をされたら、まるで俺たちが――


 なんて意味のない考えがずっと頭の中をぐるぐるしていて、結局、上演中はずっと思考が冷静さを取り戻す事は無かった。



 そうして進む劇もやがて終わりを迎える。


 気付けば、轟々とカーテンコールが響き渡っていた。

 俺にとって、もしかしたらサラにとっても全く集中できない劇だったが、聴衆はその限りではなかったらしい。万雷の拍手が鼓膜を震わせている。


 やっと劇が終わった。

 君が隣に居ると気が気でならなくて、早く終わってくれなんて密かに思ってしまった... いいや嘘だ。こんな時間が続けばななんて願ってしまった。

 まぁともかく、長くもあっと言う間だった演劇は終わりである。とりあえずはと俺は一息つく。


「ライト、どうだった?」


 彼女が俺の目を見つめながら言う。俺は逃げるように、閉じ行く幕の方へ視線を向けた。


「...良く分かんねぇな」


 酷い感想だ。彼女が考えてくれたプランなのに。男らしくない。

 けどしょうがないじゃないか。君が隣に居るという事実が、どうしようもなく俺の心をめちゃくちゃにしてしまったんだから。


「ふふっ、私も。でも楽しかったよっ」


 ...あぁ、もう本当に嫌だ。

 なんだか自分が自分じゃないみたいだ。神話の怪物と戦った時だって、今よりも遥かに冷静だった。俺にとって一番叶わない相手は、きっと君だ。


「よし、行こうライト!今日のプランは詰め込んだからね!」

「...君には叶わないよ、全く」


 立ち上がった彼女に手を引かれる。

 どうにも熱く感じるのは、俺の体温だろうか。それとも。


 振り返ることすらなく俺の手を握る彼女に、ただ付いていく事しかできなかった。


「次は?」

「中央市場だよ。色んなものがあるみたい!」


 きっと、心の底から楽しいのだろう。ここヴォストークグラードに到着するまではどうも気まずくて、その目を直視する事ができなかった。会話は交わされなかったし、多分俺の事で悩んでいたのだろう。

 彼女の心境にどんな変化があったのかは分からないけど、今はこうして互いに笑いながら歩いている。その手を繋ぎながら、まるで恋人みたいに。


 ...待て、まるでなんだって?俺とサラが?

 相応しくないだろう。釣り合わない。


 なんて理性は騒いでいたけれど、心はやっぱり馬鹿正直だ。


 叶わないなぁ、と思う。

 こんな感情を抱いて良いのだろうかなんて疑問を抱けども、やっぱり罪の意識なんて無かった。その事に対しての感情すらもわかない。


 手を引かれるままに足を進める。

 劇場を後にして、澱みない足取りのサラと共に歩いてゆくと、やがて俺達は喧噪に包まれ始めた。


 大きな噴水があった。その周囲を囲うような石畳の大きな広場と、人々が行き交う露店。

 これが彼女の言う中央市場だろうか。活気に満ちた場所だ。


「行こ?」

「...あぁ」


 再び手を引かれる。正にエスコートだ。情けなくも嬉しく感じてしまう。

 広場から蜘蛛の巣の様に広がる路地に入って、両脇で声を張り上げる商人の間を歩き出す。


 香ばしいパンの焼ける匂い、スパイスの刺激的な香り、そしてどこか懐かしい甘い果実の香りが入り混じる。市場の路地はまるで別世界だった。


 左右に並ぶ露店には鮮やかな布地や、見たこともない形の果物、煌めく金属細工が並べられている。道行く人々の会話や笑い声が耳をくすぐり、商人たちが元気よく声を張り上げる。


 多くの人々にとっての日常が、そこにはあった。

 特別ではない、只のありふれた日常の一幕なのだろう。しかし、笑顔に満ちた日常というのは、最早俺にとってありふれた物ではなくなってしまった。

 ダンジョンで化け物と殺しあっていた時よりも、ずっと非日常的に感じた。


 彼女はまた目を輝かせていた。

 見た事のない異国の品々に興味津々、と言ったところだろうか。


 ありふれた幸せという、俺にとって最も遠い光景が目の前には広がっている。


 笑顔を浮かべるサラと、戦乱も怪物も無い平和な景色。それさえあれば、きっと俺は満足だ。その為に戦ってきたのだから。

 だけど、思い浮かべる理想の光景に俺は居ない。俺が居てはダメだ。平和と幸福に、血に塗れた愚かな大罪人は必要ない。


 ――それが、少し寂しく感じてしまう。


 しかし、その寂しさが正しいのかすらも分からない。


 ...俺はどうすりゃ良いんだろうな、心底そう思うよ。


「ねぇ、見て!」


 サラが手を引いたまま振り返り、視線の先を指差す。その笑顔はいつもよりどこか無邪気で、まるで子供が宝物を見つけた時のよう。

 指差した先には木製の人形があった。丸みを帯びた縦長の人形だ。


「これ、何て言うんですか?」

「あぁ、そりゃマトリョーシカっつってな」


 人形を手に取ったサラが商人と会話を始める。

 好奇心のままに、その瞳を爛々と輝かせていた。


 そうやって色んなものを見て回る。

 何かを買う訳では無い。別に有意義と言う訳では無い。


 しかし彼女と見る世界は色づいていて、楽しいと思ってしまう。


 そうやって意味も無く、ただ心を染める熱と共に市場を見て回り続ける。




――――――――――

修正進まん

二年も経ってるのにこの作品のポテンシャルを引き出せない自分が憎い...


あとクリスマスまでにキリが良い所まで行きたいので、それまでは更新を重点的に進めます

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