第170話 お誘い



 ――――ウォンッ...!!


 風切り音ではない。もっと静かで、もっと鋭く、空間をも切り裂く斬撃の音。

 聖剣の刃が朝日を反射して煌めいている。


 こうして剣を振るっていると昔を思い出す。

 時間さえあれば何時も剣を振っていた。


 もっと強くなろう、そんな執念が原動力で、でも剣を振っている時は何時も無心だった。純粋に剣に見惚れていた。

 人を殺す術に過ぎない剣術が、どうしようもないくらい好きだった。


 あの時とは何もかもが違う。

 剣聖の息子は大罪人となり、だが異国の地にて英雄と受け入れられた。莫大な魔力、強力なスキルと魔術王が刻んだ特殊な魔術陣。

 状況、立場、手にした力。何もかもが違う。


 それでも、俺は今こうして剣を振るっている。

 それが何処か運命的に思えた。


「...フッ!」


 一閃と共に汗が飛び散る。

 それが地面に墜ち黒い染みを作る前に更に一閃。重力よりも早く、流れる汗よりも滑らかに。


 もっと、もっと早く。

 守れない。こんなのではサラを守れないのだ。


 力が欲しい。力が足りない。


 俺は魔王になって大勢を殺した。この手で何万、何十万もの無辜の民を殺した。

 その莫大な血と罪を以て力を手にした。

 しかし、それは十分な対価ではなかった。


 俺はサラを守らなければいけない。彼女を害する全てはこの俺が打ち倒し、殺さなければいけない。


 剣を振るう。目の前に在るのは空虚。そこに敵を幻視しながら剣を振るう。



 ...これで良い筈だ。

 唯一の目的の為に、只管に茨の道を邁進すれば良い。ならばこそ、俺がやっている事は正しい筈。

 こうして一人で剣を振るうのは久しぶりだ。

 最後の鍛錬をしたのは何時だろうか。思い出せもしない。しかし、あれから何度も戦い、危機を経験し、それらを乗り越えて来た。

 こういう鍛錬は、俺の血よりも重いそれらの戦闘経験を振り返る事ができる。


 有意義だと言える。


 重要なハズで、これは俺がやるべき事に思える。



 だけど、心の何処かで突っかかりがあった。

 小さな違和感。俺が本当にやるべき事があるのでは、そう心が言っていた。


『努々忘れるな、全ての困難が力で解決できる訳ではないのだと』


 彼はそう言っていた。

 あの言葉の意味はよく理解できない。胸に重しのように残って、耳に何度も反響するだけだ。


 力は究極の問題解決手段だ。

 全てをも超える力さえあれば、サラを襲う全ての火の粉を振り払う事だって容易いだろう。

 今まで経験してきた困難の全ては、力さえあれば困難とは呼べぬ物だった。

 力さえあれば、そもそも劣等感を抱く事がなかっただろうし、冤罪に巻き込まれる事も無かった。

 力さえあれば、俺はトラウマを経験する事だって無かった。

 力さえあれば、俺は隊員達を、ミアを失わずに済んだ。

 そして、罪を犯す事だって無かっただろう。


 ――そう心に言い聞かせども、やはり違和感は消えてくれなかった。


「...クソ」


 熱の籠った息と共に言葉を吐き出す。


 どうすれば良いのだろうか。何が正しくて、俺は何をすればいいのだろうか。

 サラを守る。その為に必要な事はすべてやる。


 単純な事だと思っていた。


 けれど物事はそう上手くはいかない。

 俺の歪さは彼女に知られてしまい、どうも気まずい空気が流れるばかり。


「...止めよう」


 思考を中断する。考えても結論は出ず、さりとて剣を振るえど心中に違和感を覚えるばかり。

 無為に時間を使う事こそ恐れるべき事だ。


 剣を鞘に納める。左腕で額の汗を乱雑に拭う。

 空を見やれば、それは午前十時の色であった。これからどうした物か。

 考えながらも、さて宛がわれた屋敷にでも戻ろうか、と振り返る。


「...サラ?」


 金髪が靡いていた。

 少し顔を赤らめながら、指先を絡めては解く様は何処か不安げに見える。


「あ、あのね?折角だし、二人で街に出掛けてみない...なんて」

「...二人で?」

「うん」


 二人、街に出掛ける。それってもしかして...いや止めよう。考えてはいけない。

 あからさまに頭が混乱してる。


 ダメだ、それはダメだ。

 ちょっと威力が強過ぎる。顔を赤らめる君も、指先をもじもじと動かすその姿も、俺の思考が処理できる情報じゃない。


「だめ、かな?」

「うぐっ」


 反則だろ、その聞き方。

 こんなん誰が拒絶できるんだ。

 少なくとも俺には無理である。


 理性はそうすべきと言っている。

 君を意識しすぎてはいけない。もうこの想いに歯止めが利かなくなってしまう。そう声高に訴えている。


 しかし、どうにも自分を止められそうになかった。


「...一日くらいなら、全然」

「やった...!私ホールで待ってるねっ」


 そう言葉を残すや否や屋敷の方へと戻っていくサラ。

 スキップでもしそうな後ろ姿だった。


 どうしよう。

 混乱が抜けてない。

 だから嫌なんだ、彼女と一緒に居るのは。


 動悸がするし思考に熱が籠ってしまう。言葉のやり取り一つ一つが気になって仕方がない。自分が自分じゃないみたいだ。


 この感情の正体は知っているけど、認めたくないんだ。

 許されない、俺が彼女にこんな想いを抱く事は。


 けれど、やっぱりこの気持ちを前にすれば理性なんて無力で。


 ...素直に言おう。

 ちょっとワクワクしてる。本当に困る。



 〇



 やけに豪勢なバスルームで汗を流して、質素ながらも質の良い服に袖を通した。

 目の前にある姿見に映る自分を見る。


 隻眼。歪で不気味な罅の入った顔。絹で出来た袖の下には呪われてそうな魔術陣が犇めいている。

 先のサラの姿を思い出す。

 太陽の様に明るく、笑顔は正に光そのもの。眩しくも、こちらまで微笑んでしまいそうな優しさと暖かみがある。金色の髪は神々しく、瞳の金は神秘に満ちている。顔立ちは整っていてスタイルも良い。正に美少女。


 相応しいだろうか。正直、今の俺はかなり人間らしからぬ見た目をしている。

 彼女の隣を歩くのが憚られる見た目だ。


 溜息一つ。しかし彼女を待たせる訳にはいかない。


 壁に立てかけていた剣を握りベルトに差し込む。

 不安と僅かばかりの期待が渦巻く心と共に、サラが待つホールへと足を運んだ。


「もう、遅いよっ」


 弟を叱る朗らかな姉、みたいな雰囲気で彼女が言う。

 悪い、と言葉を掛けながら彼女の元まで歩く。そして改めて彼女の姿を目に収めてみた。


「うぐっ...!」


 凄まじい破壊力だった。

 心臓が痛い。意識すべきじゃなかった。


 いつもとは違う普通の私服に身を包んだサラの姿が、眩いばかりの美しさで視界を埋め尽くし、俺の理性はその可愛さに一瞬で焼き尽くされた。


 鮮やかなペールブルーのワンピースが彼女の細い体にふんわりと沿い、膝丈で切り揃えられた裾が軽やかに揺れている。生地は柔らかなリネンか何かでできているのだろう、風を含むたびに繊細に形を変え、そのたびに彼女の動きを彩るようだった。襟元は控えめなVネックで、派手さはないが優雅な印象を与えている。


「...ライト?」


 ウエストには白いリボンが結ばれており、それが彼女の細さを際立たせながらも愛らしさを加味していた。袖は短めで肩のラインが柔らかく見え、露出した腕は細いながらも健康的な輝きを放っている。足元は淡いベージュのサンダルで、飾り気のないデザインが全体のシンプルな美しさを引き立てて――


「ちょっとライト、大丈夫...?」

「はっ」


 ヤバい、思考がどうにかしていた。

 うん簡潔に言おう。私服姿の彼女は可愛すぎた。


 天上を仰いで深呼吸を一つつく。それで少し気持ちを落ち着かせる。


「よし行こう」

「本当に大丈夫?」


 大丈夫な訳が無いだろう。頼むから気張ってくれよ俺の理性。

 なんて思いながらも疑惑の視線を流して、俺は玄関のダブルドアを勢いよく開いて外に足を踏み出した。


「...ちなみに聞くが、何処に行くつもりなんだ?」

「大丈夫じゃなさそうだね」


 あはは、と苦笑が浮かぶ。

 それすらも眩しい。


「えっとね、イヴァンさんからお勧めの場所を幾つか教えてもらったの。今日は色々回るつもりだよ」


 イヴァン。確かあの狸から宛がわれた補佐官だったか...待てよ、それってもしかして、あの狸が言っていたデートスポットというヤツでは?

 嫌な予感のままに恐る恐る口を開く。


「例えば?」

「秘密。今日は私がエスコートするからねっ」



 ...それってもうデートじゃん。

 流石に自分を騙すのにも限界がある。


 顔を赤らめながらも堂々と言う彼女に、俺はもはや顔を赤くしながら黙り込む事しかできなかった。






―――――――――

修正は50話まで進んでます

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