第164話 気付かれた歪

第五部はサラスティアというキャラを深堀する為にあります。

その為にほんのちょっとだけ暗い展開が続きます。


サラスティアにとって

―――――――――――




その目には、有無を言わせぬ決意が宿っていた。

助ける、守る、救う。アスカロンから認められたあの日、俺はそう言って彼女に手を差し伸べた。誓って、その言葉に嘘はない。今も、この先も、俺は彼女の為に剣を振るい続ける。


しかしサラは、それに不満...というのは語弊があるか。少なくとも、今彼女が言った通り、守られるだけの存在では居たくないのだろう。


「前にもそんな事を言っていたな...あれは、王国に上陸した時か」


もう随分昔に思える、朧げになったかつての記憶を引っ張り出そうとする。

だけど、君に関わる記憶だけは何故か鮮明で。その言葉は、情景は、一瞬で脳裏に浮かんできた。


『“守るべき”じゃなくて、“一緒に居たい”って思わせて見せる』


あぁ、そうだ。確か、そんな事を言っていた気がする。

...クソ、懐かしいな。あの時はまだ、俺は片腕しかなくて、親父もレオも生きてて。まだ、ミアと会ってもいなかった。もう、随分と遠くまで来てしまった。


「うん、その時から私の心は変わってないよ。だから、謝りたい」


謝りたい、か。やはり彼女は、何処か決定的な勘違いをしているらしい。

だが、果たしてこれは言うべきなのだろうか。もしかしたら、また心配を掛けてしまうかもしれない。

そう思いながらも、しかし、言う他ないだろうと心では悟っていた。いずれ、言わなければならない事なのだから。


「違うよ、サラ。そもそも、君は俺に迷惑なんか掛けていない」

「ううん。ライトがそう思ってても、私のせいでライトが傷ついた事実は――」


「――傷?」


分からない。一体、何を言っているんだ?


「傷なんて、何処にもないじゃないか」

「ちが...っ、確かに傷はないけど、でも痛い思いはした筈!」


痛み。そんな物はとうの昔に失っている。

...それも、言わなければならない。どうせいつかバレる事だ。その時に心配を掛けてしまうより、今伝えたうえで問題ないと言った方がマシだろう。


「ないさ」

「え...?」

「痛みも、何もかも」


多分、あの拷問の時だろう。人は限界を超える痛みを感じた時、ショック死という形でその痛みから逃げるらしい。しかし、あの時は死ぬ事すら不可能だった。何度も何度も、魂が引き裂かれるかのような苦痛を受けた。


それで、壊れてしまったんだろう。もう苦しまなくて済む様にと、痛みを感じる部分が。ついでに味覚まで無くなったのは不満だが、おかげで戦闘時に気を取られなくて済むのでそこには目を瞑ろう。


「ねぇ、ライト。どういう事なの...?」

「拷問の時だよ。多分、ショックで痛みを感じる部分が無くなったんだ」

「...そんな」

「まぁ、仮に俺が痛みを感じたとしても」


どの道一緒だ。俺に傷が付こうが、痛みを感じようが。


「君が謝る必要はないんだ、サラ。これは覚悟さ。どれだけ血を流そうと、どれだけ死に瀕しようとも、俺は君の為に戦う」


一度言葉を切る。辺りを見渡せば、顔を険しくして黙り込む隊員達と、悲痛そうに顔を歪めるサラが目に入った。

あぁ、しまった。どうやら、俺はさっきまで楽し気だった雰囲気をぶち壊してしまったようだ。

しかし、もう止める事など出来ない。


「だから、君の為に俺が血を流すのは義務さ。それに対して、君が謝る必要はない」


俺も、本当ならこんな事を言いたくはなかった。

だが言わなければならないのだ。俺とサラの関係性は変わらない。俺が、それを望んでいない。変わってしまう事が、何よりも怖いんだ。


何を犠牲にしても守る。そのためなら何をも厭わず、只我武者羅に剣を振り続ける。そういう、一種の崇拝のような関係ではなく。対等な関係になってしまえば。

俺がサラを守る。それに対して、彼女が謝罪をしてしまったら。それを、俺が受け取ってしまったら。彼女の前に出て守るのではなく、彼女と共に戦ってしまえば。


きっと、意識してしまう。その横顔を、揺れる髪を、溌剌とした声を。


顔を赤らめる君を見て、嬉しそうに微笑む君を見て、怒ったように頬を膨らませた君を見て。いや、何時だって。君を見ると、どうも胸が高鳴って仕方がない。


これ以上君の事を意識してしまうような事があれば、もう、俺は俺を止められないかもしれない。だから、君とは対等な関係を築きたくない。


許されざる思いを胸に秘め、それを意識する間もなく、只管に剣を振るっていたい。だから、それに対して。


「君に、謝罪してほしくない」


口から飛び出た言葉は、もう戻ってこない。

彼女の顔を直視できずに、俺はただただ俯いていた。


「違う...そうじゃ、そうじゃないの...っ!」


悲痛な声が耳を突く。きっと、その言葉は俺への優しさゆえの物だろう。

なのに、その言葉は。


悪夢で俺を責め立てる、あの呪詛よりも。


遥かに、遥かに、俺の心が軋む音がした。









私、どうしたら良かったかな。


無言で俯くライトをぼんやりと眺めながら、そんな後悔が胸を支配した。


ライトを庇おうとした、あの時。あの行動は間違っていたけれど、あの時抱いた思いは間違っていない。自分なんかの為に、その血を流し体に傷を作るライトを見ていられないと、そんな衝動のような思いは。決して、間違ってはいないと。


だけど、今それが否定されてしまった。


覚えている。彼が差し伸べてくれた手を、笑顔と共に告げられた言葉を。

助ける、救う、守って見せると誓った、彼の事を。


でも、きっと。彼にはそれしかないんだ。私を守るという覚悟と誓いだけが、彼を動かしているんだ。


思い返せば、違和感は沢山あった。あれほど苦しんでいたライトが、嘘の様に思える程力強く揺るぎない言動を見せた事。


彼が受けた苦しみは、そう簡単に乗り越えられるものじゃないだろう。にも関わらず、彼にはその残滓すら見えなかった。

何よりも、彼は優しい。他人の不幸を、全て自分のせいだと思ってしまうくらいには。周りで起きた不幸を、自分さえいなければと悔しがるくらいには。


だから、本来ならば彼は罪悪感に悩まされている筈。その気配すらないというのは、明らかにおかしかった。


無理をしている。

罪悪感を無理やり閉じ込めて、無理をし続けている。


気付けなかった。その事が、何よりも悔しくて。何よりも、苦しかった。


私の為に戦う、そのためにはなんだってする。その気持ちは嬉しい。そう言ってくれたあの時、私の胸は間違いなく高鳴ったのだから。

だけど、彼は自分を追い詰めている。追い詰める事で、考えない様にしている。本来なら必要のない痛みや苦しみを引き受けて、それを全部私の為だと自分を騙している。


破綻している。その思いと、実際の行動に矛盾が出始めている。

きっと、そんなのではいつか壊れてしまう。


(...まさか)



敏い彼が、それに気づかない筈がない。

だとしたら、彼は。


頭に浮かんだ最悪の想像が現実でないように祈る。



「誤魔化さないで、答えて」


意識して、出来るだけ強い口調で言おうとする。

でも、喉から出て来た言葉は、どうしようもなく震えていた。



「もしも、私に降りかかる危険が全てなくなったら。ライトが私を守る必要がなくなったら。その時、ライトはどうするの」


沈黙が場を支配する。

彼は私を見て、一瞬だけ悲し気な表情を浮かべた。でも直ぐに取り繕うような笑顔を浮かべて、安心させるように口を開く。


「その時は、まぁ何処か遠い所に消えるよ」


――あぁ、やっぱり。

彼は、もう自分の人生を諦めている。

彼は自分の過去と決着をつけたんじゃない。目を逸らして、目を背けて、只見ないフリをしているだけだ。

何処か遠い所。きっと、嘘は言っていない。そこが、この世でないだけで。


「なんで...」

「俺は本来、君の傍に居て良いような人間じゃない」


その一言は、間違いなく本心だ。

覆しようのない事実に、胸が締め付けられるような痛みが走った。




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