第149話 竜殺しと
時間停止という、あまりにも強力な魔術陣。しかし、俺はそれに感嘆する事は許されなかった。
「っ...クソ、時間はないってか」
魔力の減りが想像より遥かに多い。
体の内にある力の源が、どんどんと目減りしていくのが分かるのだ。
かつてエルが同じような事をしていたのを覚えているが、俺にあそこまで長い間時を止める事は出来る様子はなかった。
ならばこそ、早急に決着を付けなければならなかった。
しかし、そこに焦りはなかった。
―――第二節、守護聖剣。
その全容は未だ知れない。
だが、分かっている事もある。
その剣を手にせん時、俺に敗北はあり得ないという事。
「【銘をアスカロン】」
どんな強敵すらも、この剣の前には無力だという事。
「【一片の恐怖をも弾く勇者が剣】」
俺を破滅へと追いやっていた運命すらも、味方に付けるという事だ...!!
「【仁義を以て信とし】」
脳裏に浮かぶは数節の詠唱。
それは、使い道などたいしてありはしないだろう限定的な、しかしその用途に於いては右に出るもの無き技だった。
第二節の詠唱中に、ずっと胸を突いていた違和感の正体に。
今、このタイミングで―――運命的とも思える、絶好のタイミングで気付いた。
「【勇気を以て善とする】」
剣が訴えていた。
そうだ、これだと。
聖ゲオルギウスの最も有名な伝承は何か。
そんな問いは、剣聖に得意の武器を聞くかの様な、或いは聖女に得意の魔術を聞くかの如く馬鹿らしい。
それ程までに、その伝説は有名である。
「【我が信念と共に在りては竜殺しの剣也】」
竜殺し。
それが―――
聖ゲオルギウスの。
聖剣アスカロンの。
最も有名な伝説にして、この技の原点だ...ッ!
「【第四節・
聖剣より解き放たれし一閃。
竜の腹へと一直線に突き進んだそれは、今度こそ竜を切り裂いた。
切り裂かれた鱗と皮膚。血飛沫が舞い、臓物をも貫通したその剣撃。だが、俺が認識出来たのはそこまでだった。
「クっ...ソが...!」
その瞬間、魔力の底がこちらを覗いたような気がした。
堪らず左手へ注いでいた魔力を遮断させる。
そうして再び動き始めた時計の針。そして、しばらくこの身を襲う事がなかった特有の倦怠感と吐き気。
魔力切れが、直ぐそこまで迫っていた。
思わず膝を付く。今は耐えなければと、そう自分を叱咤しようにも、体が思う様に動かなかった。
先程の一撃は、間違いなくヤツにとって致命傷足り得た筈だ。
だがだからと言って油断できる訳がなかった。あれほど巨大な生き物だ、その生命力は並外れた物だろう。
喉まで込み上げて来るなにかを無理やり嚥下しながら、必死の思いで顔を上げる。
「っ...しまッ!?」
その光景に、思わず息を呑む。
竜。城とまでは行かなくとも、そこらの家は優に超えるその体長は、尻尾も含めれば50メートルの及ぶであろう。そんな巨体が強固な鱗と筋肉を纏えば、その体重は数十トンにも及ぶ筈だ。
何故分からなかった。ヤツが致命傷を負おうとも、或いは瞬時に絶命しようとも、その巨体は、岩石をも超える質量の塊が消える事はないのだと。
その巨大さ故なのか、力を感じぬ竜の体がゆっくりと落下している様に見えた。
後衛が組んだ、円陣のど真ん中の方へ。
不味い。これは本当に不味い。
俺にもう魔力はない。
つまり、これから隊員達にどんな怪我が生じようにも、俺にはもう治療手段はないのだ。
再度手を伸ばす。だが、魔力が尽きた今、俺に出来る事は何もなかった。
―――間違えた。俺は判断を間違えた...ッ!
何故散開するなと言ったんだ!俺とゲイジが一秒たりとも足止めする事を出来なかった竜を相手に、何故俺は固まる様に命じたんだ!?
そう後悔せども、もう時が止まる事も剣が光る事もなかった。
そんな、もう自分ではどうしようもない状況で。
―――借りだぞ。
目が合った。その特徴的な、皮肉気な笑みを浮かべたアイツと。
諦めと、疲れを宿したその目と。
そして、その瞬間が到来する――――
「【ウィンド】」
寸前。そんな言葉が、地面へと迫る竜の向こう側から聞こえた。
〇
よろよろと、死に際の老人の様に歩く。
聖剣を杖替わりにし、よろよろ、フラフラと。
これでも精いっぱいだった。
だが、魔力が底をつき体に力が入らない今、俺の歩みはどうしようもないくらい遅く感じた。
現に、俺より後ろに居たはずの双子やゲイジ、アッシャーは俺よりも先にそこに辿り着いていた。
そして、やがて俺も辿り着く。
巨大な屍と、その下に集まる皆の元へ――
「カフッ...よぉ、隊長」
死した竜の下敷きになっている、ガルの元へと。
――あぁ、これはもうダメだ。
足の一部が潰れているとかだったら、まだ何とかなったかもしれない。応急措置で時間を稼いで、俺の魔力が戻れば
だが、これはもうダメだ。
下半身、何なら腹部まで下敷きになっている。それにこの出血量。
これは、もうダメだ。長くは持たない事は、一目瞭然だった。
「庇ったのか、皆を」
「...馬鹿野郎...俺も助かるつもりだったっての」
竜の死体が後衛のみんなを押し潰さんとしていたあの時、ガルが咄嗟に放った風魔術。
あれのおかげで、円陣を組んでいた隊員達は皆難を逃れる事が出来た。
だが、その術者であるガルは迫りくる竜を回避する事が出来なかったのだ。
彼が言った通り、自分も助かればという気持ちがあったのは間違いないだろう。
だが同時に、自分は助からないという気持ちもあったはずだ。
でなければ、あんな目はしないだろうから。
「そんな...なんで、また...っ!」
「なんでって、そりゃあお前...」
サラが涙を堪えながら、訴える様に言った。
そんな彼女への返しの言葉は、しかし返答にはなっていなかった。
「クソ、ついてない...まだ旅も序盤だってのに」
ベルトに下げられているポーチへ手を伸ばす。そこには、クラウから貰ったエリクサーがあった。一つしかないこれを、俺はサラの為に使うと決めた。だが、今彼女の涙を止めるには、これを使う以外に道は残っていない。
...いや、言い訳か。
俺はガルに死んで欲しくないんだ。最も親しくて、最も長い付き合いの隊員に。
「止せ隊長。こんな所で使うモンじゃねぇだろ」
咎める様な鋭い言葉。
何故だ、お前も助かるつもりだったんじゃなかったのか。
なら、何故そんな事を言うんだ。
そんな、自分に助かる気がないような言葉を吐けるんだ。
「もう十分だぜ...それに、もう迎えが来たみてぇだ」
そう言ったガルの目は、もう俺達を見てはいなかった。
『脱獄はどうだった?』
そんな言葉が、最初だった。
アベルを死なせてしまった俺に、揶揄う様にそう声を掛けてきた。
『ガルとでも呼んでくれ。よろしく』
いつも、不敵な笑みを浮かべていた。
その口からは、時として剥きだしの皮肉が飛び出て来た。
『俺はこう呼んだ筈だぜ、『隊長』ってな』
だが、そんな彼に、俺は救われた。
『こんな罪人である俺を、だと?おいおい隊長、俺たちゃ元から罪人だろうよ』
『―――――なんせここは、懲罰部隊なんだぜ』
かつてそう言って、俺を認めてくれてたガルは、もう。
「上手くやれよ、隊長」
「...あぁ。お疲れ、ガル」
その体から、どんどんと力が、命が零れていくのが分かった。
俺は、俺達は、それをただ見ている事しか出来なかった。
「おう、楽しかったぜ...今...そっち...に、行く――――」
ぱたり、と。
天に向けて愛おしそうに伸ばされた手が、倒れた。
天使の梯子の様に、朝日が差し込んだ。
彼の死に顔は、穏やかだった。
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