第148話


「今だ、畳みかけろ!」


自分の必殺の一撃が無効化された事に困惑しているのか、視界が晴れて見えたヤツは固まっていた。

いや、単純に今の技を食らったのかも知れない。あれはただ敵の魔術を斬り捨てる訳では無く、魔という概念に対してダメージを与える物なのだから。どちらにせよ、好機には違いなかった。


多種多様な色が空を埋め尽くした。が、が、灰色が、竜を殺すために飛来する。


俺も負けじと魔術を叩き込む。あの弾幕では、聖剣引っ提げて特攻してもミンチになるだけだ。それに最早底を覗く事すら叶わないほどの莫大な魔力があるのだから、使わねば損という物だろう。


だが残念な事に、響く爆音に断末魔が混じっている様子はなかった。


「クソが、効いてねぇだろこれ」

「マジで最近の敵って魔術効かないの多過ぎでしょ...」


丁度その時、竜が再び咆哮した。

それは痛みや苦しみではなく、鬱陶しさ故の物であるように聞こえた。


そして魔術の弾幕が途切れる。相手に効いていない、つまり魔力の無駄だという事に気付いたのだろう。しかしそれ以上に、土煙やら爆炎やらで敵の姿が隠れてしまったのもある。


だが、どうやら気付くのが遅かった。


土煙が揺らめく。

動きがあった、という事は分かったが、分かるのはそれだけ。


警戒はしていたし、油断など欠片もしていなかった。

だが、それは到底予想出来得る事ではなかった。


「―――な...ッ!?アリかよそれ!?」


土煙が晴れる――というより吹き飛ばされる。巨大な翼によって、ヤツの巨体を隠していた煙幕は、一瞬で空の彼方へと飛んで行った。


そう、翼によって、である。

その動きが単に土煙を吹き飛ばすだけの物であったら、どれほど良かっただろうか。


だが残念な事に、ヤツはその翼を本来の用途で使っていたのだ。言わずもかな、飛行の為にである。


50歩はあったであろう彼我の距離は、一秒後には半分になっていた。

今更のように、しかし必死の思いで撃ち込んだ魔術はヤツの飛行速度に比べてあまりにも遅く、咄嗟に振った剣は虚しくも空を切った。



大質量の竜が頭上を通過し、俺達前衛は唐突に吹き込んだ突風に耐えるのが精いっぱいだった。

それでもヤツを通すわけにはいかないと、必死に詠唱を口にする。


「【鋼塊盾!】」

「【金剛壁】」


前者が俺、後者はゲイジの声。

そして省略した詠唱と共に空中に顕現した、二つ岩壁。


――強大な力を手にしようとも、俺には幾つもの弱点がある。

その一つが魔術のレパートリーの少なさである。いくら魔力量が多くとも、これでは宝の持ち腐れという物だ。そして今、その弱点を突かれた。


「クソが...ッ!」


相手にその意図はないだろう。だが少なくとも、俺が持ちうる最硬の防御魔術は一瞬にして破られた。


一縷の望みをかけて、ゲイジの土魔術へと目を向ける。

俺のそれよりも大きく、明らかに堅固に見えるそれ。しかし竜の突進を止めるには薄すぎたようだった。ゲイジの土魔術は一瞬の拮抗の後に砕け散った。


それを見て、自分達の力ではあれを止められないと悟ったのだろうか。後衛を担当していた隊員達は散開するような動きを見せた。


「散開はするな!懐に入られたら終わりだぞ!!」


全力で走りながらそう叫ぶ。確かにアイツらでは完全に止める事は出来ないかもしれない。だが、だからと言って散らばれば、一人一人潰されて終わりだ。虫けらの如く、あの巨大な足で。


少し、ほんの少し時間を稼げれば良い。そうすれば、あとは俺が対処すればいい。


そんな思いでの叫びは、竜を目の前のしても尚冷静さを失っていない隊員達のおかげで届いた。


遠目でも分かる、朝日を反射して煌めている金色。それを中心に、それを守る様に、後衛の隊員達が円陣を組んだのが分かった。


そんな隊員達を纏めて押し潰そうと、鋭利な爪を立てながら円陣へと突っ込む竜。


「間に合え、間に合え間に合え間に合え...!」


何があっても攻撃を通すなと、そう言ったのは自分だった。

ならばこそ、絶対にサラを傷つかせる訳にはいかない。


6重にも及ぶ魔術の防壁が出現した。

土や火、水。各々の隊員が得意とする魔術の中で、最も高い防御力を持つ魔術。

その中で最で一際目立っているのは炎の壁。アレクシア王女の、アベル妹であるサラが展開した魔術だった。


だが、竜はあまりにも強かった。


隊員達が持ちうる最高の防御は、まるで羊皮紙か何かの様に砕け散る。

サラの炎魔術すらも、竜にとっては火の粉も同然だった。


「あぁ...!」


時の進みが、遅く感じた。

届かない。そう分かってしまった。


今から何をしようとも、この剣が竜に届く事はないと、悟ってしまった。


竜という巨大な暴力装置を前にして、隊員達の表情が固るのが見えた。

サラと目が合う。一抹の恐怖を宿した金色の目が、こちらに向いた。


「っ...!」


届かない。だが、諦める訳にはいかなかった。

剣を握っていない左手を伸ばす。届かないと分かっていても、何かせずにはいられなかった。


だから、精いっぱい左手を伸ばした。




左手を―――――魔術陣が刻まれた手を、伸ばした。




「届ぇぇぇええッッ!!」




その時、左手に光が宿った。


ジュワユーズのような神秘的な光ではなく、アスカロンのように純然たる光でもない。ある意味禍々しいとも呼べるような、それでいて何処か惹きつけられる様な。


そんな光だった。


手袋の下からでも、分厚い防寒服の下からでも分かる程の光は、まるで実体を伴かっているかのようにそれらを押しのけようとする。革で出来たそれらは、やがていとも簡単に弾けとんだ。


そして露出する、光の正体。

やはりそれは、かつて魔術王が刻んだ魔術陣だった。


魔力が急速に減っていくのが分かる。

どれだけ魔術を放とうとも減る気配のなかった膨大な魔力が、一瞬で。


だが焦りはなかった。


妖しく光る魔術陣を眺めながら、腕が俺の元に戻って来た時の事を思い出す。


魔力欠乏症を患っていたミア。そんな彼女に、魔術王は万全な状態への遡行を無限に行うという魔術陣を刻み込むことで疑似的に病の進行を停止させた。


そして、かつて彼と交わした会話。


『ふむ...お主、ワシが最も得意とするものを知っておるか?』

『魔術陣の開発だろ?それがどうした』


『そう。魔術陣の開発と創造じゃ。ワシくらいになるとスキルの効果を魔法陣として刻む事も出来る』



時の流れが、どんどんと遅くなる。

それは比喩でも感覚でもなく、純然たる事実だった。


そうして、やがて俺は時間から切り離される。


砕け散る防御魔術、その破片。

隊員達へとその牙を剝く竜。

雲の動き、風の揺らぎ、光の蠢動。


何もかもが、止まった。



―――時間停止。それが、この魔術陣の効果だった。





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