ターニングポイントⅤ・前 茨を切り裂く剣をその手に

ちょっと長い前書き。

俺はキリスト教アンチだ。キリスト教への文句を1万文字書くくらいには嫌いだ。

キリスト教系の学校に通っている。しかし―――いや、だからこそ、俺はキリスト教という物を軽蔑しているのだ。理由については長くなるのでやめよう。


だがそんなキリスト教の言葉でも、個人的に気に入っている物がある。


――――――――――――――




信じる者は、失望に終ることがない。

     ――――新約聖書 ローマ人への手紙 10:9-11より



或いは、Believers信じる者は shall be saved救われるだろうか。



しかし主は決して人を救わない。貴方がどんな物を信じようとも、信じる相手によって救われる事は決してない。


何かを信じる貴方の心こそ、貴方を救うのだ。

何かを強く信じるという行為を、人は信念と呼ぶのだから。











小さくなっていくヒロの背中を見送る。

明日から王都に居られなくなるから、今夜の内に知り合いと共に酒を飲みに行くらしい。だが流石に、それを聞いて俺も飲みたいななんて馬鹿げた事を考えられる程の余裕はなかった。


明日だ。転換点は、明日なのだ。


世界を取り巻く情勢の、歴史の転換点でもある。しかしそれ以上に、俺の人生の最大の転換点だ。

思えば、俺はいつも巻き込まれてばかりだった。冤罪の時も、サラに救われた時も、拷問に掛けられた時も...ミアを失ってしまった時も。俺と言う人間の転換点は、いつも受動的な物だった。


だがそれも明日で終わりだ。

向こうから訪れる運命を待つのではない。

俺は自らの足で転換地ターニングポイントへと向かう。


運命の手で翻弄され、逆境に流されるのではない。

俺は自らの手で運命を切り開き、逆境に立ち向かうのだ―――


...そう覚悟を決めたは良いが、覚悟では時の流れは速まらない。明日は明日なのだ。

決意も済んだし準備も終わった。やるべき事はすべてやったのだ。


であるからして、それまでの時間をどう過ごそうか決めなければならなかった。


さて、何をしようか。先ほども考えたように酒は論外だ。明日には全力を期さなければならない以上、コンディションに影響を齎し兼ねないアルコールは避けたい。

だがそれ以外に時間の潰し方が分からなかった。


一応この王都は俺の生まれ育った故郷ではあるのだが、残念な事に生まれてこの方剣以外の事をした事はなかったのだ。


知っているのはかつての朝の走り込みのルート、学園、屋敷、エルと出会ったあのスラム街。この三つだけである。


当たり前だが学園と屋敷には戻れない。それに親父が死に俺が大罪人となった今、剣聖の家系がどうなっているかは知りたくもなかった。


ならば、警備の薄さ的にもスラム街辺りを彷徨うのが良いだろう。この辺りは比較的治安が良いし、俺みたいな隻眼のガキが居ればその内通報でもされそうだ。


そうと決まればさっさと行こう。正直言って集合場所にここを提案したのは間違いだった様な気がして来た。








――あぁ、懐かしい。

この腐ったような匂い。体に纏わりつく様な湿った空気と、負の感情が満ち溢れたこの世の終わりの様な空間。


始まりの始まりである、エルとの邂逅の場所。

終わりの始まりである、聖女を助けようとした場所。


場末も場末なこの場所で、俺は目的もなく歩き出した。



...それにしても、随分とここの住民も増えたようである。

前までは散見する程度だった死体はその数を大きく増やしているし、やはり王都全体の治安が低下している様だ。


理由は言わずもかな、人魔大戦のせいだろう。

つまり、目の前に広がる光景もまた、俺が原因であるという事だった。


暗い感情が心の中に広がる。体の何処かしらに、或いは何処も彼処に異常がある彼ら彼女らを、自分の証で治療してしまえればどれ程楽になれるだろうか。


しかしそれは許されない。

自分のせいで死に行く彼らに何も出来ない事に、俺はどうしようもない罪悪感を抱くだけだった。


だがだからここに来なければ良かったなどと浅い事を言うつもりはない。

寧ろ、覚悟がより強くなった気がする。


この光景こそ俺がこの先進まねばならない道なのだ。俺はこれから罪に目を背け、被害者の手を切り払いながら進んでいくのだ。

であるからして、ここの来たのは良い選択だったのかもしれない。


歩く。歩く。


絶望に満ちた道を、俺の罪が形を成した道を。

険しくなる表情。強くなっていく覚悟。



あぁ、やはり簡単な事ではないな。

俺がサラを助け出す上で最も大きな障壁となるのは、きっとエルなんかではない。俺が今まで犯して来た罪、そしてそれに対してどう答えを出すのか。それが最も大事な事なのだ。


――そう思案しながら歩く俺の耳に、何処か聞き覚えのある音が入って来た。

短く鋭い女性の悲鳴、何かを押さえつける様な鈍い衝撃音。


「...はッ、笑える」


襲われたのだろう、女性が。

あぁ、なる程、笑える。まったく皮肉だ。本当にこれが運命という奴なのか。


思わず笑みが浮かんでくる。それが何に対してなのかは検討が付かなかったが、まぁそれはそれとして聞き逃す訳にはいかなかった。


音のした方へ歩きながら考える。


これは偽善かもしれない、そこら中に転がっている浮浪者には手を差し伸べず、ただ襲われている女性を助けようとしている。

一応合理的な理由はないでもないのだ。今ここで大勢の人を救ってしまったら目立ってしまうし、それは何よりも避けなければならないのだから。

...いや、違うな。


多分それ以上に大切で合理的な理由があるのだろう。


剣の柄に手を掛ける。

もし俺がここで襲われている女性を助けなければ、俺はこの剣の所持者でなくなってしまう。合理的な考えからしても、それは絶対に避けねばならない。

そして、俺個人としても――この剣に認められた男としても、襲われている女性を救わないという選択肢はなかった。


幸いな事に、女性が襲われた場所は直ぐそこだった。


自棄と狂気をその目に宿し、一心不乱に――或いは無様に――腰を振り続ける痩せた男。何もかも失って、全てがどうでもなくなって、それで女性を襲った。そんな感じだろう。


「下種が、失せろ」


だがそんな事は関係ない。どんな環境に陥ろうとも、どんなに不幸であろうとも、それは犯してしまった罪の言い訳にには成りえない。それは俺が最も分かっている事だったから。


「...ヒィッ!?」


態々殺すまでもない。あの様子では、あと数日もしない内に餓死するであろう。まぁだからこそ生存本能に突き動かされ、今こうして女性を襲ってしまったのだろうが。


「もう大丈夫ですよ」


フラフラと走り去る男を横目に、今まさに襲われていた女性にそう声を掛ける。

だが、帰って来たのは以外な言葉だった。


「...何よ。誰も助けてくれなんて言ってないでしょ」


虚ろな声だった。さっきの男より、よっぽど自棄になってしまっているような、そんな声だった。

声を発した人物へ目を向ける。


女性、と言うより少女だった。俺より幾つか年下だろうか。元からここの住民、と言う訳では無さそうだ。髪や肌は荒れているが、浮浪者の様な不健康な肉付きではなかった。


「同意の下だったなら悪い事をしたな...だが君は本来こんな場所に来て良い様な人間じゃあないだろう。何処から来たんだ?」

「...なにが...何が分かるって言うの!?もう皆死んだ!みんな、みんな死んじゃったのよ!?私は...私は何のために生きて行けば良いって言うの...?」


蚊の鳴くような、弱弱しい声だった。

助けを求めているようなその声色で放たれた言葉は、しかし助けを拒絶するような物だった。


「...俺には君の事情を察する事は出来ない。だから安易に慰めるような事はしない。だが、せめてもう少しまともな場所に行こう」

「...何のために。私が何をしようが勝手でしょ」

「屋根のある場所で暖かい食事を取って、ちゃんと寝るんだ。その上で君が何をしようが君の勝手だが、これらを欠かした状態で何をしようとも、それは君が決めた行動じゃない。自棄になって状況に流されるのと、自分で何かを決める事の間にはハッキリとした境界線があるのさ...経験談だけどね」


いや全く、俺がこんな事を話そう事になるとは。それすらも皮肉じみて思えて来た。しかしそんな俺の言葉にも一定の効果があった様で、少女はゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。


「それもそうね。それに、せめて明日までは生きないと」

「...ちなみに理由を聞いても?」


嫌な予感がした。

いや、現実逃避は止めよう。彼女の憤怒に染まった目を見れば、その目的は明らかだった。残念な事に。


「――そんなの、あの大罪人の死をこの目で見る為に決まっているでしょう...ッ!」


こりゃあ最高級の皮肉だ。

...最高級の皮肉。字面だけ見ると美味そうだな。まぁ実際は苦虫を嚙み潰したような味がするんだがな。







まぁどうでも良い事はさておき、彼女は取り合えず教会に送り届ける事にした。どうやら教会の孤児院にお世話になっているらしい。

どうでも良いが、これで教会関係の女性を強姦から救うのは二度目である。

そう言う縁でもあるのだろうか。嫌だよそんなクソみてぇな縁は。


まぁそんなこんなで、彼女は大人しく教会へと戻っていった。

最初は数時間後に始まる俺の公開処刑を見る為に再び抜け出す気満々だったが、その教会に居た見習いシスターに怒られて渋々引き下がっていたようだ。


公開処刑が行われる場所はもう直ぐ戦場となるのだから、俺としては非常にありがたい事だった。何せ態々助け出した人を数時間後に殺すなんて事にはならずに済んだのだから。


まぁそんな事はあったが、もう直ぐ公開処刑の時間だ。

良い時間潰しになったと言えるだろう。何より、自分の覚悟の強さを確認する事が出来たのだから。



――――そんな無駄な思考を排除する。


人の往来が激しくなっていた。

いや、往来というのは双方向での行き来の事を示しているのだから、それはこの状況を示すには間違っている言葉だろう。

道を進む民衆の進行方向は一つだけだった。王都の中心部にある広場。


そこは、公開処刑が行われる場所だ。


目を瞑る。

深く、息を吸い込んだ。



目を開く。

覚悟と決意を目に宿して、足を踏み出した。











そして、その時が来た。


王都の広場に設置された処刑台を囲む様に出来た人混みは最多となり、その興奮もまた最高潮へと達した。

誰もが人の血を望む、負の感情による煽情。帝都民でも王都民でも、その反応に変わりはないようだった。



「こんにちは王都の皆さん!!僕の名前はエル。今回のイベントの主催者さ!」


道化が、黒幕が、愉快そうにそう声を張り上げた。

俺が出て来る事を知っているのだろう。故にそんな俺を煽る為に態々出張って来たのだろう。裏の人間が、堂々と日の下に。


イベント。公開処刑をイベントか。随分と馬鹿にされいている様だ。


しかし、にしても主催者とは大きく出た物である。

処刑とは――特に今回の対象であるサラのような重要人物に対しては――国が主導して行う物だ。国が周知し、国が準備し、国の人間が処刑をする。そういう物なのだ。

そんな公開処刑の主催者を名乗ると言うのが、奴の傲慢さを表しているようだった。


「ですがここでお知らせがあります!!今回の処刑相手である大罪人ライト・スペンサーは卑怯にも逃亡したのです!」


群衆がざわめく。

それも無理はないだろう。何せ、皆俺が死ぬのが見たくてここに来ているのだから。

そこら中に女性や子供が居た。これは帝都では見られなかった光景である。女性や純粋な子というのは余り人の死を好んで見ようとは思わないからだ。


しかしここではそうではなかった。理由は簡単だ。ここに居る女の夫は俺が殺し、ここに居る子供の親は俺が殺したのだろう。


あぁ、本当に。俺は何て罪深いのだろうか。

未亡人らの顔を見ろ。悲嘆に暮れ、涙すらもう枯れてしまった様な顔を。

子供たちの顔を見ろ。本来なら親からの愛を浴び、純粋で無垢である筈の子供達が憎に顔を歪ませるのを。


これは、全て俺のせいだ。


...しかし、背負ってはいけない罪だ。

これ程重い罪を背負いながら、俺はサラを救う事は出来ない。


だから今は只、彼女らの顔をしっかりとこの片目に焼き付けよう。


「ですが思い出してください!!彼は誉れある聖剣の息子で、日々鍛錬を欠かせなかった勤勉な少年だったのです!王都に住んでいたのなら見た事があるでしょう!彼が毎朝走り続けていた姿を!」


ここに来て俺を褒めるような言葉。

全く道化らしく、その言動の全てが理解不能だった。


「そんな彼があそこまで堕ちてしまったのは何故か!!その答えとして、僕は今日ここに居るのです!さぁ、これが今日の処刑相手だ!」


そう言って手を広げるエル。それは、前座が終わりクライマックスへの突入を告げる道化師のようであった。

何よりも皮肉なのは、俺の罪の全ての元凶であるエルがそう言っている事だったが。


「...っ」


処刑台に、くすんだ金色が現れた。

見間違う筈がない。サラだ。


俯いているせいか表情は分らなかったが、すっかり痩せてしまったように見える。健康的だった肌は荒れ、綺麗な金髪はその輝きを失っていた。


「この少女の名前はサラスティア!憎き敵、異大陸の首領の娘だ!」


再びざわめく群衆。

広場には疑問を抱く様な、どういうことだと迫る様な、そんな雰囲気が漂っていた。


だがそれこそエルが求めていた反応だったようだ。奴は仮面の下からこちらを覗く目を大きく歪ませながら言葉を発する。


「この少女こそ、剣聖の息子ライト・スペンサーを堕落させた悪女なのだ!!王国の未来を担う筈であった彼が犯した罪は!全てこの悪女のせいなのだ!!」


...あぁ、なる程。上手く言う物である。

つまりエルは、俺に向けられた憎悪の矛先を彼女に突き付けたのだ。

王国の立場からしても最適解だ。何せ合衆王国との戦争を再開出来るのだから。



成る程、上手く言った。






――――そう納得出来る程、俺は大人じゃねえんだ。

剣の柄に手を掛け、一歩踏み出す。


「待てよ、クソ野郎」



静かな、しかし強い意志を以て発せられる言葉は、広場の隅々まで届いた。

だがそこに込められた意思は憎悪でなく。


「確かに俺は大罪人だが、その次に罪深いのはテメェだぜ―――エル」


怒りと、それ以上に強い決意であった。

そして覚悟の強い光を宿した目で。


「俺の名前はライト」


宿敵を、怨敵を、そして打倒すべき障害を睨みつける。


「父親を殺し!民を虐殺し!魔王となりこの世界に不幸を振り撒いた大罪人だ!」


群衆の騒めきは最高潮に達した。

逃げ惑う人間、憎悪の声を上げる人間、助けを求める悲鳴。


それらをすべて無視し、ライトはただ口を開く。


「...だが、それらはその時の状況のせいだったかもしれない」


群衆には懴悔する様な呟きは聞こえない。

しかし、相手には―――エルには、聞こえているようであった。


「何だ、言い訳かい?」


その問いに、しかしライトは不敵な笑みを浮かべた。


「違うな、決意だ―――これから先は、俺の意志で、信念で、罪を犯し続ける」

「...ハッ、やっぱそうなるか」



―――ゾワリと、鳥肌が立つ。

あぁ、そうだ。

忘れていた訳では無い。寧ろずっと考えていた事ではあった。


「今回は手を抜かないぞ、ライト・スペンサー。大罪人よ」


――コイツの全力が、どれ程の物なのかと。


世界が歪む。

ただの広場のはずだったそこは、やがて地獄の――神話上の地獄の如き姿に変貌する。火と溶岩、何処からともなく聞こえる苦しみ嗚咽、憎悪の声、恐怖の悲鳴。赤よりも紅い灼熱の世界。


人々はそこにはおらず、ただ俺とエルだけの地獄だった。


「...創造魔術。それも無詠唱か」

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