五章「滅亡と新生、示された道」
第120話 蠢く思い
剣を取る者は、剣で滅びる
―――新約聖書、マタイ福音書26:52
〇
「今すぐ決めろ。ここで殺されるか俺が出した条件を呑むか」
絢爛豪華な寝室は血に塗れていた。
王国の栄華を示す調度品も何もかもに血が飛散し、最高級の絨毯には幾つもの死体が横たわっていた。
その部屋で生きているのは2人の人間だけ。己が欲求に従い続けた様な体形を絹で出来た寝間着で包み、脂汗を垂れ流しながら震える男。そして安っぽく、しかしそれすら不気味さを演出するような仮面を纏い剣をもう片方の男に突き付ける男。
前者は国王、後者はエルであった。
「罪に罰を、罪人に懲罰を。これは国家運営において当たり前のことだ」
よりにもよってエルがそれを言うのは皮肉じみていたが、本人にもその自覚はあったらしい。突き付けた剣をゆっくりと国王の首に近付けながら馬鹿にしたような笑い声をあげる。
「ハハッ、今のは気にしないでくれ...それより答えてくれよ。そんなに難しい条件じゃないだろ?」
エルが気付いているかどうかは知れぬ事だが、国王が口を開かないのは偏に恐怖によるものだった。それもおかしな話ではないだろう、宮廷という魔窟を仕切る王と言えでもここまで直接的な死をその身に感じる事など初めてだったのだから。
体形からは想像できないが、彼は決して愚物ではない。悪辣さは持ち合わせているが、それは為政者には必要な物であろう。
それでも恐怖のあまり身が震え口が開けない程に、目の前の男は死と血の匂いを纏っていた。
「何か言ったらどうなんだよ豚野郎ッ!!」
「...なっ――」
だがその様子に苛立ちが限界を超えたのか、エルは激昂したように剣を振り下ろした。まさか自分が殺されるとは思っていなかったらしく、その目に驚愕と疑問を宿したまま国王の首は跳ね飛ばされた。
「...チッ」
纏わりつく蠅を叩き潰すように国王を殺したエルは、しかし自分の行動にすらもまた苛立ちを感じていた。
何故こんな無意味な事をしたんだ、と。
そう、正に無意味である。
「【――――――】」
たった一節の詠唱。
それだけで、跳ね飛ばされた国王の首は元の場所に戻った。
――死者蘇生。聖女でもライトでも出来ない奇跡を、事もなげにエルはやってみせたのだ。
生き返らせられた本人――何が起こったのか分からないような表情を浮かべる国王をよそにエルは話を再開した。
「もう一回死にたくないならさっさと受け入れろよ、豚」
「わ、分かった...!」
混乱にあまり頭がショートしたのか、最早どうでも良くなってきた国王は恐怖による金縛りから脱してそう言い放った。
その言葉に満足したらしいエルはその姿を一瞬で消した。どうやら命は奪われずに済んだらしいと国王は安堵の息を吐く。
まぁ一度殺されたのでその表現は正しくないが。
〇
「我々帝国は無条件受諾する事となった」
「...は?」
第二次魔獣討伐作戦より数週間後。
王国のとある場所で半ば軟禁されながら情報を待っていたヴァルターを訪れたのは、なんと王国と交渉していた皇族その人であった。
いや、彼以外の皇族は皆死んでしまったのだから今や彼が皇帝である。
そしてそんな彼が放った言葉は、ヴァルターの冷静さを奪うのには十分過ぎる程衝撃的な内容であった。
無条件受諾とは、敵対勢力が提示した降伏条件に何ら文句を言う事なく受諾する事である。武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力に委ねることを言う無条件降伏とは違い予め条件が提示されているのだが、その条件がとうてい受け入れる事の出来ない物であった。
提示された条件は五つ。
一つ、暗殺者部隊は全員処刑する事。
二つ、帝国軍は再配置しその指揮系統は王国を頂点とする事。
三つ、帝国内に流通する金貨の三分の一を賠償金とする事。
四つ、帝国は王国の属国とする事。
「死ぬ気なのですか...陛下は!?」
そして5つめ、帝国の象徴である皇帝並びに皇族は全員公開処刑とする事である。
帝国が王国の属国と成り下がる時、帝国民の帰属意識は出来るだけ排除した方が統治しやすい。そのため帝国の象徴たる皇帝を処刑することで帝国民の心の拠り所を奪うのが目的だろう。
到底受け入れる事など出来はしない。
普通ならば敗戦国が降伏条件に文句をつけるなど不可能であろうが、今回の終戦は普通のそれではなかったのだ。本来終戦とはどちらかの陣営が戦闘を継続出来ない程やられるか、或いは両者傷み分けという形で停戦または休戦されるのである。
今回は帝国側が一方的に被害を被りつつも戦力は残っていたという点で、今述べた二つのどちらにも該当しない。
こちらには理不尽に抵抗出来るだけの戦力があった。
だから無条件受諾などあり得ない筈であった。
にも拘わらず自身の死すらその内に入っている条件を受諾するなどどうかしていると、そんな思いを込めて発した言葉はしかし彼には響かなかった。
「お前は私を陛下と呼ぶのだな」
そう言って皇帝は苦笑した。
消去法でなった皇帝の座に、彼は価値を見出していないのかもしれない。確かに本来なら皇位継承権の低い彼が皇帝になる事はなかったであろう。しかし彼にはその資格があり、その身に流れる尊い血に対する責務があるのだ。
しかし彼の目にあるのは諦めの色であり、ヴァルターはその事実に酷く落胆する。
「...民草を見捨てるつもりなのですか」
「違うぞヴァルター。民は私を求めていないのだ」
そんな事はない、そう否定しようとしたヴァルターに畳み掛けるように皇帝は再び口を開いた。
「こう言ってはなんだが、先代陛下の治世とて褒められた物ではなかったであろう。もはや我が国の皇族は求心力を失われ、民草の心は荒れ果てている」
言葉に詰まる。確かに子供を誘拐して暗殺者に仕立て上げるような人間が良い人間である訳がなかった。
軍費に多大な資金を垂れ流し続け、重税に苦しむ民に『王国を倒すまで』と長い間その生活を強い続けた。その結果に残るのが勝利であるなら国民とて喜んだであろうが、残ったのは見るも無残な荒廃した帝国の地であったのだ。
帝国民は落胆し、絶望し、その原因たる皇族に怒りの矛先を向けるであろう。
――もう、帝国は終わりなのか。
土地は荒れ果て民心が離れた国に未来などある筈がない。分かっていても納得できる訳がなかった。
ならば帝国にとって王国の属国となる事は悪い事ではないのかもしれない。そう自棄な思考をするヴァルターに、しかし皇帝である青年は不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「そんな顔をするなヴァルター。私とてタダで死ぬつもりなどないさ...ここは一つ陰謀の真似事でもしてみようか」
〇
皇帝の公開処刑は1週間後、ライト・スペンサーの公開処刑は2週間後に執り行われる事となる。そう告げられたのは当人らでなくヴァルターであった。
自らが仕える主に処刑日程を伝えさせるなど趣味が悪いなと思わないでもなかったが、
そう本人に伝えようとも、二人に動揺するような仕草は見られなかった。
皇帝陛下に至っては笑みを浮かべる始末で、あぁ、やはりその血に違わぬ覚悟と決意を持っているのだなと感動した物であった。
だがライトに関しては動揺というか感情の欠片すら浮かばない。
何も見ず、何も聞かず、植物よりも消極的。情緒という情緒が、感情という感情が欠落したライトは最早人の見た目をした何かだ。
ヴァルターらが軟禁されている場所にはライトも居た。形は歪なれど戦場を共にした仲なのだから顔でも見ておこう、と安易な思いでライトが居る部屋を訪れたヴァルターは早くも後悔していた。
魔獣を斃した時とてこのような様子であったのだから、それが好転してる訳ないだろうに何故ここに来たのだ、と。
せめて意思疎通が出来たのならやりようはあっただろうが、それは詮無き事なのだ。
最早ここに用はない。何かを伝えようとも、言葉が意味をなさず思考を有さないこの少年には意味がないのだから。
「...もし、再び相見える時が訪れ、その時の貴様に会話できるだけの理性が残っていたのなら」
その時は話をしよう。
その言葉を部屋に残してヴァルターは去っていった。
〇
ヴァルターは一人部屋の中で目を瞑っており、その手には剣が握られていた。
ジュワーズは、権力の象徴である聖剣だ。
1週間後。それはその剣の担い手としてヴァルターはその責務を果たす時である。
もはや騎士としてのヴァルターは死んだ。
ならば、これからの自分はなんなのか。
答えは決まっている。
だからヴァルターは来るべくその時の為に精神を鎮め、強い覚悟をその心に宿していた。目を瞑って剣を手に、ただ理想の姿を夢想していた。
突如として、そんなヴァルターの集中を切らす爆音が鳴り響く。
続く地響きでそれが敵の襲撃である事に気付いた。
ヴァルターはこんな事をしでかす人間は一人しかしらなかった。
「エルか...ッ!」
剣を手に立ち上がって部屋を出る。警備兵も居たが無視して突き進んだ。この行動は下手をすれば外交問題にもなりかねないが、たかだか警備兵如きがエルに対抗できる訳がない。それにエルの存在は王国上層部も知るところであるだろうし、さして問題にならんだろうと判断した。
監獄のような施設内を駆け回り、やがてライトが収監されていた部屋に辿り着く。
そこは地下の奥深くのハズであったが、地上から月明りが差し込んでいた。どうやら地面をぶち抜いて来たらしい。
そして、その部屋には誰も居なかった。手遅れである。
今度は何をするつもりなんだ、とヴァルターは地上繋がるに穴を睨みつけながら険しい表情を浮かべた。
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