第117話
投稿遅れました。
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殺してはならない。人を殺す者は裁きを受けなければならない。
―――――マタイの福音書 5:21 より引用
〇
何人殺しただろうか。
どれだけの人を不幸にしただろうか。
どれだけの悲劇を生み出し、どれだけの憎悪がこの身に向けられているだろうか。
何も考えたくなかった。
何も考えずに狂っていたかった。
もう人でいたくなかった。
『――ごめんね、ライト』
それすらも、許されないと言うのか。
君は何故俺を助けようとするんだ、サラ。
どうせ殺される事は出来ないだろう、君が何をしようと俺は死なないんだ。
だから君がわざわざ人質になる事に意味なんてないんだ。
何をしても無駄だ、何もかもが無意味だ。
何をしようとも俺は大罪人で、その罪を雪ぐ事は決して叶わないんだ。罰を受ける事すら許されないんだ。
...いや、これこそ罰だというのか。
成る程、罰を望む俺に罪を与える事こそ、俺が最も苦しむのだろう。
ならば、やはり俺はこの地獄から脱する事は出来ない。
罪を以て罰とし、しかし罰は罪として消える事はないのだから。
〇
ライトは今、荒廃した地の上に立っていた。
試験的な意味合いもあるであろうが、彼は再び王国軍の懲罰部隊として戦う事となったのだ。王国もサラが人質としてどれ程価値があるのか知りかねているらしく、一応は監視の目もある。
ライトの居る戦線は魔術王と隣りなのも偶然ではないだろう。
ライトは手に握られた剣に意識を向ける。
聖剣であるはずのアスカロンは、魔剣か呪いの剣の様な邪悪さを醸し出していた。それもまた、彼の罪の一つなのだろう。
だがしかし、その光はかつてない程強くもあった。
魔王化の強化というのはそれほどまでの常軌を逸した物なのだろう。右目につけられた呪いを大きく上回るそれによって、最早彼の魔力量は一人で懲罰部隊に匹敵する程へと化していたのだ。
そのように茫洋とした目で剣を眺めていたライトだが、数分後にはその目を地平線の方へと向ける。その動きは酷くゆっくりで、錆び付いた機械のように歪であった。
そして片方しかない目で、ライトは敵の姿をその視界に収める。
そこには、大量の魔物が隊列を成して地を駆けていた。
「...ぁ、」
ライトは何かを言おうとしたのか、その口を開きかける。
しかしそこから言葉が発せられることはなく、諦めたように剣を強く握り締めた。
【思い邪なる者に災いあれ】
それは聖剣アスカロンの真価を引き出すために発する必要のある詠唱の一言である。彼に襲い掛からんと――魔物は魔獣と違い魔王を認識出来ない――する魔物達を倒すには、それが使えなければ厳しいだろう。
しかし彼はその言葉を口にする事は出来なかった。
邪悪の象徴の様な自分が、罪が形を取ったような自分が、果たしてそんな言葉を発して良いのか。聖なる剣に相応しくない自分が、本当にその力を振るって良いのか。
そんな思いが胸を突き、結局彼はアスカロンを単なる剣として振るう事を余儀なくされる。
やがて魔物の軍勢の第一波がライトが居る所へと殺到した。
多種多様の魔物の牙が、爪が、或いはその体重を以てライトを押し潰す。
抵抗する素振りすら見せずミンチとなったライトだったが、しかしライトは彼が彼である所以を以て一瞬で元通りとなる。
何度かそのように潰されては復活を繰り返していたライトだったが、やがて何かに諦めたかのような溜息とともに剣を振る。
それだけで彼を囲っていた魔物は真っ二つに切り裂かれたが、全体から見ればそれは余りにも少ない少数。彼らが感情を持つのかは不明だが、ともかく怯えや恐怖などは欠片も抱くことなくライトの周囲に開いた空間を埋め尽くすように突進を繰り返す。
ライトが剣一本で戦うせいでその数の減り具合は遅々としていたが、しかし着実に処理されている。
時折剣戟を掻い潜る魔物も居るが、しかし彼はどれだけ傷つこうとも真の意味で死ぬ事は決してあり得ず、大地に染み付く赤いシミが増えるのみ。
そしてライトも自身の体に血に染まっていない部分は一か所足りとも無く、それは彼の内面を表しているようであった。
それでも、彼の狂戦士のように戦い続ける。
何百何千という数の魔物を、剣一本で鏖殺する。
そこに理性も知性もありはせず、かつて体に植え付けた剣技を以てのみ魔物共を皆殺しにする。
何も考えず、何の感想も抱かず、自らが切望する死を辺りに撒き散らす。
その片方しかない目は何も映しておらず、澱み切った悍ましい色をしていた。
〇
「...応援は要らなかったようじゃの」
何処か呆然とした表情をその顔に浮かべながら、魔術王はそう呟いた。
彼の視線の先には血と肉片の海。そこに一人立ち尽くすライトであった。
魔物がより魔力を持つ人物に惹きつけられるのはこれまでの戦いを通して知られていたが、しかし魔術王が居る戦線の魔物が一匹残らずライトの方へ転進するとは思ってもみなかった。
そして、流石にあの数は一人の処理能力を超えているだろう、と駆けつけたのが今の状況であった。
「...のぉ、ライトよ」
しかしそんな事は魔術王にとってはどうでも良く、今はただライトが纏うあまりにも悍ましい空気の事が気掛かりであった。
かつて戦った時のライトもまた絶望感や後悔などの負の感情が溢れ出ていたが、今のライトはその程度では収まらないであろう。
そして気にかけるような魔術王の言葉に気付いたのか、ライトはその視線を魔術王の方へと向ける。
ゾワリ、と魔術王に鳥肌が立った。
魔術王を見つめるライトの目は冷え切ったような、感情という感情を全て捨て去った様な。そんな何も映していない目だった。
(...いや、感情を捨て去ったのではない)
魔術王はその目の奥底にあるそれに気づき、自身が抱いた感想を否定した。感情を捨て去ったといのは全く適切ではなく、まるで当て外れであったからだ。
後悔、罪悪感、憎しみ、悲しみ、苦しみ。ライトは正にこの世のにある負の感情を全て詰め込んだような状態なのだろうから。
しかし、それでも彼を突き動かしているのは負の感情ではないのだろう。
普通ならば間違いなく廃人と化すであろう負荷をその精神に掛けられ、人格も自我も失われつつある中で、しかし彼は義務感と他人の為に動いているのだ。
その在り方に一種の敬服すら覚えながら、故に彼がそこまで歪んでしまった原因へと思考を馳せる。
「...お主、エルという者に心当たりはないかの?」
そして脳裏を過るのは仮面の男。
魔獣討伐作戦に失敗したヴァルターらが撤退を援護をせんと最高戦力の面々は彼らの元へと駆け付けたが、それによって戦線には大きな戦力的空白地帯が生まれてしまった。その穴を埋めてくれたのは他でもなくその仮面の男――エルであり、たった一人で自分やクリスティア、騎士団に匹敵する戦力を示した男だった。
無論エルが王国国民のライトに対するヘイトを煽ったのも知っているし、国内の反戦派を殺したのも上層部とのコネクションを持つことも察している。
つまり魔術王は人魔大戦に導いたのもエルという事も知っているのだが。
――とは言え、分かっていても手が出せないのが現状なのだが。
まぁそれはともかく、魔術王は今までの事件や不穏な出来事の殆どにエルが関与しているだろうと思っているのだ。
であるからして、ライトの現状に関してもエルと紐づけるのも何ら不思議な事ではなかった。
そんな理由で口に出した問いであり、確信はあれども今のライトから答えを得る事は難しいだろうと半ば諦めてもあった。
しかし、そんな予想とは反対にライトは反応を見せる。
「...成る程、今のがお主の逆鱗か」
身に降り注ぐ殺意を感じながら、魔術王は失敗したかと心の中で舌打ちをつく。
理性のない今のライトには襲い掛かられるかも知れんと気を引き締める魔術王だったが、しかしライトは負の感情をぶつけるだけであった。
狂戦士らしからぬ自制心――ではないだろう。ライトから溢れ出る負の感情の矛先は、常に自分なのだから。
〇
ライトが使えると判断されたのとエルというジョーカーの戦力が確認されたからだろう、第二次魔獣討伐作戦は当事者が思っていたよりも早く決行される事となった。
特にエルの存在は大きかった。
全戦力を以てしても勝てないと思わせる程の力を持つエルが居るというのは大きな不安材料でもあったが、しかし人魔大戦が始まってからというものの失われる一向であった余裕を取り戻す事も出来た。
その上ライトという戦力も手に入ったのだ。両陣営の力関係はここに逆転したと言えるであろう。
とは言えあんな怪しい男や精神的に不安定な少年に国防を任せる事はないだろうから、魔獣討伐隊のメンバーは前回から引継ぐ面々にエルとライトを足しただけの物になるだろうと、殆どの人間はそう思っていた。
しかし魔術王はライトとエルが真っ当な関係でないと知っているし、同じ隊で行動を共にできるとは全く思えなかった。
となればエルが戦線防衛、ライトが討伐部隊参加となるだろう。
怪しさと不安定さならば前者の方がマシなのだから。
そんな魔術王の予測は命中し、ヴァルター、ミュラー、サラを除く懲罰部隊などの面々はそのまま引き継いでメンバー入り。あまりにもあからさまであるが、暗殺者部隊もまた参加する事になっている。それほどまでに国内に居て欲しくないだろう。
ともかく、前回参加していたメンバーは全員そのままとなった。
そしてそこにエルが防衛を担う事によって発生した余剰戦力であるクリスティア、魔術王が追加される形となる。
王立騎士団に関しては国防の担い手であり、最も信用出来る戦力であるため変わらず王国に留まる事となっている。
よって第二次魔獣討伐隊のメンバーはライト、懲罰部隊、クリスティア、魔術王、ヴァルター、ミュラー、暗殺者部隊によって構成される事となった。
そうと決まれば善は急げ。
さっさと行けと言わんばかりに命令が下され、ここに第二次魔獣討伐作戦が決行される事となったのである。
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